神社巡って南船北馬~神社と御朱印~

御朱印を拝受した神社を地域別に掲載。神社以外の御朱印の記事も一部あり。

亀山八幡宮

山口県の御朱印

亀山八幡宮

山口県下関市中之町1-1

亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)は、山口県下関市にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。通称亀山さま。
応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、仁徳天皇・武内宿禰をあわせ祀る。

享保年間の『防長社寺由来』によれば、貞観元年(859年)、行教が宇佐から石清水へ八幡神を勧請する途中、当時は島だった亀山に碇泊した。そのとき、「この山は清浄な地であるので、しばらく祀ってから先へ進んでほしい」と神託があったため、亀山に行宮が設けられた。この行宮が当社の起源であるという。
関門海峡鎮護の神社として歴代領主の大内氏・毛利氏らの崇敬を受け、下関の総鎮守、長門国三宮とされた。1874年(明治7年)に郷社に列し、1890年(明治23年)に県社に昇格した。1968年(昭和43年)に神社本庁の別表神社に加列された。
境内には、山陽道の終点を示す碑が建てられている。

以上ウィキペディアより。

亀山八幡宮

お亀明神社
摂社のお亀明神社の御朱印もいただけます。


朝食
カプセルホテルで朝食を食し、出発します。

亀山八幡宮 (2)
帰る前に下関で神社巡りです。

亀山八幡宮 (3)
手水舎

亀山八幡宮 (7)
摂社

亀山八幡宮 (8)

亀山八幡宮 (9)
亀がいっぱい

亀山八幡宮 (10)
ミドリガメですかね

亀山八幡宮 (11)

亀山八幡宮 (5)

亀山八幡宮 (6)
亀も見えたし、満足です

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元乃隅稲成神社

山口県の御朱印

元乃隅稲成神社

山口県長門市油谷津黄498

1955年(昭和30年)に、地元の網元であった岡村斉の枕元に白狐が現れ「吾をこの地に鎮祭せよ。」というお告げがあったことを元に、太皷谷稲成神社(島根県津和野町)から分霊されて建立された。全国の稲荷神を祀る神社が「稲荷神社」と記すのに対し、「稲成神社」の字を充てているのはこのためである(全国で約4万社ある「稲荷神社」に対して、「稲成神社」はこの2社のみ)。商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就、願望成就の大神[1]として、地域の人々の信仰を集めている。

元乃隅稲荷神社
神社から日本海側に見下ろした先には、断崖下の海蝕洞に荒波が打ち付ける度に海水が中の空気と一緒に吹き上がる現象が見られる「龍宮の潮吹」があり、神社の間に1987年(昭和62年)から10年かけて奉納された123基の朱色の鳥居が、龍宮から100メートル以上に渡り並んでいる。また、裏参道出口付近にある大鳥居の中央上部(高さ約4m)に設置された、「日本一入れづらい」とも言われる賽銭箱は、見事賽銭を投げ入れることが出来れば願いが叶うと言われている。
アメリカのニュース専門放送局・CNNが2015年3月に発表した「Japan's 31 most beautiful places」(日本の最も美しい場所31選)の一つとして選ばれた。

以上ウィキペディアより。

稲荷神社
書置きをいただきました。

秋吉台 (2)
山口市の次は萩市に行くつもりでしたが、どうも時間が微妙そうなので萩市はあきらめることに。

秋吉台を通っていくことにしました。

秋吉台 (5)
いい景色

秋吉台 (7)

秋吉台 (6)
どうも私はカルスト地形が好きなようです。

稲荷神社 (1)
長門市に入り、目的の神社の近くにきたのですが、恐ろしいほどの渋滞が。

稲荷神社 (2)
道が細く、曲がりくねっているため先が見えません。

稲荷神社 (3)
遠くまで渋滞が見えますね。

稲荷神社 (4)
日本の最も美しい場所31選だけあって、人気のようです。

稲荷神社 (5)
どうにか駐車場につきました。

稲荷神社 (6)
標識に従います。

稲荷神社 (7)
結構あるいて到着。

稲荷神社 (8)
おー。見覚えある風景。

稲荷神社 (9)
赤い鳥居は映えますね。

稲荷神社 (10)
日本海が一望できます。

稲荷神社 (11)
本殿はこじんまりとしてますね。混みまくりです。

下関 (2)
渋滞の影響で、下関の宿に着くのが遅くなってしまった。下関の商店街はコリアタウン化しているのか、焼肉店が多くて店に入りにくい。

チューハイ
カプセルホテルでセブンイレブンのつまみとチューハイの夕食。たまにはこういうのもいいでしょう。



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古熊神社

山口県の御朱印

古熊神社

山口県山口市古熊1丁目10−3

古熊神社(ふるくまじんじゃ)は、山口県山口市にある神社(天満宮)である。「山口の天神様」と通称される。

菅原道真を主祭神とし、道真の子の菅原福部童子を配祀する。
福部童子は11歳のときに、左遷された父を慕って太宰府へ向ったが、山口で夏病みにかかり亡くなった。福部童子は今市の甘露院に葬られ、当社創建後は当社にも祀られた。福部童子が亡くなった8月25日には福部祭が行われる。

応安6年(1373年)10月、大内弘世が北野天満宮より勧請を受けて創建した。当初は山口・北野小路に鎮座していたが、後に数度の遷座を経て長者山の麓の御石の森に鎮座した。元和4年(1618年)、毛利秀就が現在地に社殿を移した。

以上ウィキペディアより。

古熊神社

古熊神社 (1)
野田神社にあった案内に従い、古熊神社にきました。

古熊神社 (2)

古熊神社 (3)
ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。

古熊神社 (4)
暑さに苦しみながら石段を登る。

古熊神社 (11)


古熊神社 (10)


古熊神社 (5)
境内図

古熊神社 (6)
手水舎

古熊神社
天満宮恒例の絵馬

受験生の悲痛な祈り

古熊神社 (9)
撫で牛

古熊神社 (7)

古熊神社 (8)
豊榮神社・野田神社 のご朱印もいただくことができました。

次の目的地へ向かうため、山口市を後にします。


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今八幡宮

山口県の御朱印

今八幡宮

山口県山口市八幡馬場22

室町時代に記された『二十二社註式』によれば、初め宇治皇子一座を祀り今八幡宮と称し、守護大名大内氏の山口入府以前から存した。この社の創建年代は不明であるが、鎌倉時代の弘安年間、大内弘成の娘に「今八幡殿」という名が見えることから、これ以前の古社であることが判る。

 文明3年(1471)大内政弘が山口の鎮守と定めて市内の朝倉八幡宮を遷して合祀し、社号はそのままに主祭神を応神天皇とし、他に三座が加列される。その後、文亀3年(1503)大内義興が社殿を造替、明との交易で得た莫大な財力を象徴する荘厳なもので、現在国の重要文化財に指定されている。

 当宮は大内氏の居館(大内館)北東の鬼門除けにあたる守護であり産土神であることから、山口町の総氏神として「山口総鎮守」の尊称を賜り、歴代当主の崇敬は極めて篤く、そのことは『大内氏壁書』の文明10年(1478)条に大内政弘より布達された「今八幡宮条々」において当時の広大な神域を維持・保護するため種々の触書が出されたほか、常に当主の参拝や寄進が行われた。大内義隆はその財力を誇示する巨大な鰐口を寄進しているほか、神道に強い感心を寄せて都から吉田兼右を招聘し、宮司共々神道伝授を受けている。さらに貴族風な義隆は網代車で社参するなど、その権勢は山口を中心に最高潮に達した。

 大内氏滅亡後も、引き続き毛利氏により当宮は篤く保護され、神領が寄進されたほか、修繕の際の費用は藩より支弁されている。また一門の病気平癒祈願が行わるなど、当宮に対する尊崇が判る。

 幕末には、七卿を財政面で支援したほか、社務所において堀真五郎、久坂玄瑞らが密談を重ね、堀を総督とする諸隊のひとつ八幡隊が結成。屯所になり、四境戦争などに大いに活躍した。

 近代になっては明治6年に郷社に列し、大正3年に解体修理を施す。昭和29年、平成3年に屋根の葺き替えを行う。

 古くから山口地方において両社といえば当宮と仁壁神社を指し、例祭には毛利家から当主の代参がこの二社にかぎり差遣された。また正月の三社詣りはこれに八坂神社を加えたものとして、江戸期より今なお地元市民の習俗に生きている。

今八幡宮ホームページより。

今八幡宮

今八幡宮 (5)
野田神社のすぐ近くにあります。

今八幡宮 (4)
お祭りのあとですかね。

今八幡宮 (3)

今八幡宮 (2)
片づけしてますね。

今八幡宮 (1)

社務所は、神社下のバス停前にありました。

ここに参拝した後、PCXのリアボックスが外れて焦りました。マシントラブルはこわいです。

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豊榮神社・野田神社

山口県の御朱印

豊榮神社

山口県山口市天花丁目1-1

戦国時代に中国地方に覇を唱え後の長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就を「毛利元就公」として祀る。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの敗戦により、同年安芸国から長門国に移封された毛利輝元が、萩江向村の春日神社境内に祖父元就の霊(元就公)を祀ったのが前身で、同12年には春日神社は萩城の三の丸に遷座されたが、宝暦12年(1762年)、長州藩主重就が萩城二の丸に鎮座していた土地神社を改造して春日神社から元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命[注釈 1]と合祀して神性霊社と号したのが直接的な創祀である。明和7年(1770年)には元就公を仰徳大明神と称して改めて主祭神とし、神社名も仰徳社と称した。
明治2年(1869年)、元就には正親町天皇の即位を援助するなど朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇は弁事五辻安仲を宣命使として差遣して祭神(元就公)に「豊栄」の神号を与え、山口市の多賀神社境内に仮殿を構えて仰徳社を移祠し豊榮神社と改称した。同4年、岩倉具視が勅使として差遣されて剣1口を奉納し、同年現在地に現社殿が造営されて遷座、同6年に県社に列した後、同15年(1882年)には別格官幣社に列格した。

野田神社

山口県山口市天花1丁目1-2

長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を「毛利敬親公」として祀り、敬親の養嗣子の元徳を「毛利元徳公」として配祀する。

明治6年(1873年)、有志が謀って「敬親公」を祀る社を豊榮神社の境内に建て、神社名を敬親の諡号である「忠正」から取って忠正神社と称したのに創まる。翌7年、鎮座地名からとった現在の野田神社に改称して同9年に県社に列格、同19年に現在地に遷座し、大正4年(1915年)に別格官幣社に列格した。
元徳は死の2年後の明治31年(1898年)、野田神社境内に摂社として芳宜園神社を創祀して毛利元徳公として祀られたが、昭和11年(1936年)に本殿に合祀された。

以上ウィキペディアより。

豊榮神社

野田神社

野田学園 (1)
野田学園を見つけたので記念撮影。卓球ファンにはおなじみですね。

野田学園 (2)
仙台育英、青森山田の時代が懐かしいですね。栄枯盛衰。

野田神社 (2)
野田学園の近くに野田神社はあります。

野田神社 (1)
いっぱい車ありますね。

野田神社 (3)

野田神社 (4)
手水舎

野田神社 (6)

野田神社 (7)

野田神社 (8)
三本の矢はやや折れにくい。

野田神社 (11)

野田神社 (10)

野田神社 (9)
こちらの社務所は不在でした。古熊神社で対応しているとのことです。

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へーぼー

Author:へーぼー
趣味:神社巡り
建武中興十五社巡りを2017年1月に完了。
諸国一の宮巡り実施中。

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