神社巡って南船北馬~神社と御朱印~

御朱印を拝受した神社を地域別に掲載。神社以外の御朱印の記事も一部あり。

南豫護國神社

愛媛県の御朱印

南豫護國神社

愛媛県宇和島市丸之内三丁目1-149

南豫護國神社
御朱印は丸之内和霊神社でいただけます。

南豫護國神社 (1)
丸之内和霊神社から西に進むと発見。

南豫護國神社 (2)
石段。

南豫護國神社 (3)

南豫護國神社 (4)
手水舎

南豫護國神社 (5)

南豫護國神社 (6)
南方の戦線は苛烈だったでしょうに。

南豫護國神社 (9)
狛犬の基礎に渋沢栄一の名前が!

南豫護國神社 (7)

南豫護國神社 (8)
護国神社にくると、気持ちが引き締まりますね。

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丸之内和霊神社

愛媛県の御朱印

丸之内和霊神社

愛媛県宇和島市丸之内1-4-3

宇和島城東側に位置する、祭神山家清兵衛公頼公の邸宅跡に鎮座する。
宇和島藩家老・山家公頼(やんべきんより。通称 清兵衛)を祭神とする。公頼は伊達政宗の家臣であったが、元和元年(1615年)政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従い、その家老として藩政を支えた。宇和島はそれまでの領主の悪政により疲弊していたが、公頼は租税軽減や産業振興を行い、効果を上げた。しかし、元和6年、藩主秀宗は公頼を嫉妬する藩士による讒言を信じ、公頼とその息子らを殺害させた(和霊騒動)。
のち屋敷は藩の倉庫となり、明治初期には丸之内和霊神社の小祠が設けられ、明治31年には伊達家が敷地を寄進し、同41年に宇和島城内の日吉神社の本殿を移築した。 また本殿の裏の古井戸には、四男美濃の死にまつわる伝説がある。

以上ウィキペディアより。

丸之内和霊神社

松屋 (1)
午前3時。ツーリングに出発します。

まずは定番の松屋で朝ごはん。

松屋 (3)
豚汁に変更して朝から贅沢をします。

コーヒー
少し明るくなってきました。コーヒーで目を覚まします。

行きの道 (2)
道中、寒くなってきたのでカッパを着るため停止。

行きの道 (1)
朝はまだ寒いですね。四国山地は相変わらず自然がいっぱいやな。

丸之内和霊神社 (3)
6時間ほど走って宇和島市につきました。途中で道間違えてロスした。

宇和島城のほうに行くと、神社を見つけたので参拝します。

丸之内和霊神社 (2)

丸之内和霊神社 (7)
手水舎

丸之内和霊神社 (6)
摂社

丸之内和霊神社 (4)

丸之内和霊神社 (5)
この時点で10時。ようやく暑くなってきました。夏ですな。

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山王稲穂神社

東京都の御朱印

山王稲穂神社

東京都小金井市本町5-41-36

山王稲穂神社

松のや
次の目的地の前に、松乃屋を見つけてしまい、立ち寄ってしまう。

だってカツ丼食べたいんですもの。

山王稲穂神社 (1)
山王稲穂神社到着。駅から少し歩きますね。

山王稲穂神社 (2)
こちらの神社、ハンカチ王子がお守りを持ってたとかで有名になったそうです。

山王稲穂神社 (3)

山王稲穂神社 (4)

山王稲穂神社 (5)
神社自体は、住宅地の中で静かに鎮座しておりました。いい雰囲気ですね。

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杵築大社

東京都の御朱印

杵築大社

東京都武蔵野市境南町2-10-11

杵築大社(きづきたいしゃ)は、東京都武蔵野市にある神社である。旧社格は村社。
大國主大神(だいこく)と事代主大神(えびす)を祀る。また三多摩に現存するものでは2番目に規模の大きい富士塚を擁している。

慶安年間(1648 - 1651年)、結城秀康の三男で徳川家光の従兄弟に当たる松江藩初代藩主松平直政が当所12町四方を将軍家より賜り、御用屋敷を設けて鷹狩場とした。直政がその御用屋敷内に出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷社を勧請したのが当社の始まりである。貞享年間(1684 - 1687年)に松江藩御用屋敷は幕府の直轄地となったが、神社は残され、当地・境本村の氏神とされた。
明治6年(1873年)12月、堺村の鎮守として村社に列格した。昭和21年(1946年)11月、出雲の美保神社より事代主大神を勧請し、「えびす・だいこく」の二福神を祀る神社となった。

以上ウィキペディアより。

杵築大社
達筆やな。

松屋
ゴールデンウィークですね。東京で集まりがあるので上京することに。

日程が定まらなかったため、飛行機を使わず陸路で向かう。まずは駅前で松屋を食す。最近松屋が定番化してますね。

藤原伊織
車内では昨日ブックオフで購入した藤原伊織を読む。

最近の高速バスってコンセントあるんですね。充電できて便利。

チキン南蛮弁当
高速がアホほど混んでいたので、予定より遅れるも大阪に着く。チキン南蛮弁当最期の1個をゲット。やったね。

チキン南蛮弁当 (2)
新幹線で食べる弁当は美味い。

ガスト
初日の予定も終わり、二日目は夜の飲み会まで時間が空くため神社に行くことに。

まずはSガストで大メンチカツ定食を。美味いけど量が多すぎました。

杵築大社 (1)
中央線で武蔵境へ。目的の神社が見えてきました。駅からも近い好立地。

杵築大社 (2)

杵築大社 (3)

杵築大社 (4)

杵築大社 (5)

杵築大社 (6)
コイ。

杵築大社 (7)
富士塚がありますね。

杵築大社 (11)

杵築大社 (8)

杵築大社 (9)
参拝客はひっきりなしにいました。木陰で休憩してから次の場所へ向かいます。

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滕 神 社

香川県の御朱印

滕 神 社

香川県高松市仏生山町甲2566

滕神社の祭神稚日女命は、天照大神の妹で、大神の御衣織女(衣服を織る女)と伝えられている。 この神社は、むかしは今の香川町浅野の。唐土に祀られていたが、万寿年間(一〇二四~一〇二七)に今は平池となっているところに松原があり、そこに遷された。久安年間(一一四五~一一五〇)に社殿の周りにため池が築かれたので、大洪水があったときは社殿がたびたび水に浸かることがあった。そこで、今の浅野村字岡の上に遷され、その後、平池の北東である雄山に遷された。それからは、岡の上の社殿のあった地を古宮さんとよんでいる。 高松藩主松平頼重公のときに、この地に法然寺を造営し、松平家の墓所とされる通達があったので、神社は、寛文九年(一六六九)前山(秣山)に遷された。それから後は、松平家歴代藩主の信仰を受け、神社の領地として六石が寄進された。神社の格式、石清尾八幡宮(高松市宮脇町)、中野天満宮(高松市天神前)、道祖神社(高松市宮脇町)、稲荷神社(高松市中央町)と同格で、神主は毎年、正月四日に城内の書院において、藩主の拝閲が許されるほどであった。 また、神社内の境内東北の隅には、宗源壇という祈祷所が設けられて、国中に事があるときは、藩主も祈祷を行ない、お礼やお守りを配布されたこともあったといわれる。 滕神社は、現在の地に鎮座して以来三百数十年、仏生山、旧浅野村の実相寺、舟岡、岡の上、池の側とそれぞれの地域の氏神として、多くの人たちから敬われている。

以上ホームページより。
ちきり神社

ちきり神社 (2)
岩清尾八幡宮からの帰路、仏生山のちきり神社に向かいます。

ちょっとダートな感じの道を上がって到着。

ちきり神社 (4)
滕 神 社って読めないんですけど。

ちきり神社 (3)
人柱伝説の記事が。

私の地元にも似たような伝説がありますが、どこも昔は水害に悩まされていたんでしょうね。

ちきり神社 (5)

ちきり神社 (6)

ちきり神社 (7)

ちきり神社 (8)
以前一度参拝したときは社務所留守でしたが、今日は人がいらっしゃいました。よかった。

山道 (1)
帰りは県道2号線を使います。緑が気持ちいいですね。ツーリングの人もいっぱいいます。

山道 (2)
海沿いもいいですが、山の中も自然を感じて楽しいです。

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へーぼー

Author:へーぼー
趣味:神社巡り
建武中興十五社巡りを2017年1月に完了。
諸国一の宮巡り実施中。

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