大山寺

大山寺

鳥取県西伯郡大山町大山9

大山寺(だいせんじ)は鳥取県西伯郡大山町(大山隠岐国立公園内)伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。中国三十三観音第二十九番。山号は角磐山。本尊は地蔵菩薩。

歴史​

大山寺は奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に俊方(金蓮上人)によって開かれたとされる。『選集抄』や『大山寺縁起』によると、俊方はある日大山で鹿を弓で射たが、その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知った[1]。俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、出家して「金蓮」を名乗り、草庵をむすび地蔵菩薩を祀った[1]。この草庵が大山寺の起源とされる[1]。なお、この「起源」の説話が影響しているのか、現在でも、大山には石造りの地蔵が多数みられる[1]。

平安時代に入って天台宗が統括するようになり、西日本に於ける天台宗の一大拠点となった。寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった。

古くから信仰の道である大山道が岡山県岡山市から南北に整備され、途中出雲街道とも交差することもあって、信仰だけでなく、商業交通の面でも発展した。

中世には尼子氏・毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされた。江戸時代に入ると一時、中村一忠によって寺領の一部が没収されたが慶長15年(1610年)、西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより大山寺領3000石が安堵された。

明治8年(1875年)廃仏毀釈により大山寺の号が廃された。大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。これにより大山寺は急激に衰退した。明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した。昭和3年(1928年)には4度の火災に見舞われた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%AF%BA_(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E7%94%BA)



大山寺出雲霊場御朱印

出雲國神仏霊場の第十番札所です。

s-大山寺中国観音御朱印

中国三十三観音霊場の第二十九番札所です。

大山寺 (1)

大神山神社奥宮の参拝が済んだので、大山寺に向かいます。

大山寺 (2)

手水舎

大山寺 (3)

お花の形

大山寺 (4)

大山寺 (5)

大山寺 (6)

灯明杉

大山寺 (7)



大山寺 (8)

大山寺 (17)

なんやこれ不発弾?

大山寺 (9)

大山寺 (10)

ここに着いたとき先客がめっちゃ強く鐘を鳴らしたのでビックリして心臓がやばかった。

大山寺 (11)

びんずるさん。体の悪いところをなでましょう。

頭と、肝臓のあたりと、足をなでておく。

大山寺 (15)

大山寺 (13)

参拝が終わると昼を過ぎていた。朝は寒かったけど少し暖かくなってきた。

奨 (1)

次郎系が食べたかったので今を粋ろ米子店に行ったのですが、臨時休業だったので松江に戻って中華蕎麦奨へ。セルフサービスのラーメン店って珍しいな。

家系ラーメン食べたかったのに平日限定…なんかタイミングを逸してるな

気を取り直してにんにくチャーシュー醤油ラーメンをチョイス

奨 (2)

美味し。卵かけご飯も追加で食べて満足。

今を粋ろは来月再訪かな。