大日寺

大日寺

徳島県徳島市一宮町西丁263

寺伝によれば、弘仁6年(815年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。

その後、伝承では平安時代末期に、阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となったが、南北朝時代に、当神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ、その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため、その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが、江戸時代初期、徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し、当神社と当寺を再建した。

また、いつの頃か、当神社が札所になると当寺は納経所として、「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり、一宮寺とも呼ばれるようになっていた。

明治初期の神仏分離によって、当神社の本地仏であった行基作[注釈 1]といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され、それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ、当寺は神社の別当ではなくなった。

現住職の金昴先(キムミョウソン)は韓国の伝統舞踊家として1995年に訪日し、翌年に前住職の大栗弘榮住職と結婚し一人息子の弘昴(こうみょう)を授かる。2007年に前住職が遷化すると帰国も考えたが、息子が大人になり後を継ぐまではと、本山の大覚寺で修行をして八十八箇所霊場で唯一の外国籍住職となった[2]。その後、弘昴は米国に渡り就学、カルフォルニアの大学[3]に入学中に休学し高野山専修学院に一年間入学して僧侶の資格を得てのち復学し、卒業後は大日寺の住職となり母親の後を継ぐ予定である[4]。[5][6]

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%AF%BA_(%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%B8%82)



大日寺

四国八十八箇所霊場十三番札所です。

大日寺 (1)

自分宛に注文していたお歳暮のイクラとクリームコロッケを受け取ることに成功したので一宮町の大日寺へ。

この辺は新入社員のころに担当地区だったので懐かしい。

大日寺 (2)

大日寺 (4)

手水舎

大日寺 (3)

しあわせ観音

大日寺 (6)

大日寺 (7)

大日寺 (5)

大師堂

大日寺 (8)

大日寺 (10)

荷物受け取って散歩して参拝してクリーニング出して洗濯してと充実した土曜日を過ごす。

ロゼ

夜は前の会社の同期と飲み会。豪遊。

来年は倹約します。