堀川戎神社
堀川戎神社
大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17


仕事の関係で朝9時の飛行機に乗ることに。
ひとまず駅前のやまでうどんを食す。

美味い。家の近所にあればいいのに。

空港に着くも、バスが来るまで時間があるとのことで昼飯を食べることに。
食べてばかりであるが、てんやへ。

美味い。てんやも近所に出店してほしい。

出発前に羽田航空神社に参拝。

安全祈願や。

用事も終わり、新幹線で大阪へ。梅田にて前の会社の後輩2人とたこ焼き王子で飲む。
二人とも別の会社に転職するとの事。最近は転職もしやすくなってますね。

梅田で飲んだ後、南森町のホテルで泊まり。
ホテルの場所が思っていたより遠くて焦る。梅田から南森町まあまあ歩くやん。
チェックアウト後、ホテル近くの堀川戎に参拝します。




台風来てるから涼しいかと思ったら、意外と晴天。

参拝を済ませ、梅田駅へ向かう。
無料案内所、DVD試写・・・

一蘭が24時間営業なので立ち寄ることに。

美味い!が、替え玉し過ぎて気持ち悪い。
過ぎたるは及ばざるが如し。
この後、梅田のバス乗り場で帰りのバスが運休していると聞かされ絶望。晴天なのに風で橋渡れないとか弱すぎる・・・
新大阪→岡山→高松経由で帰りました。乗り換えしんどいわ。
大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)は、大阪市北区にある神社である。
大阪市内および近畿一円では、大阪市内南部の今宮戎神社および兵庫県の西宮戎神社などと共に商売繁盛の神様として知られている。「堀川のえべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。
祭神
蛭児大神(蛭子大神)を主祭神とし、少彦名命・天太玉命を配祀する。
由緒
社伝によれば、欽明天皇の時代、止美連吉雄が蛭子大神の神託により堀江で玉を得、それを神体として富島に蛭子大神を祀ったのに始まる。当時は瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と呼ばれていた。白雉2年(651年)に少彦名命(淡島明神)、大宝3年(703年)に天太玉命を配祀した。
平治元年(1159年)、平治の乱を避けて丹波国何鹿郡山家に遷座した。文和年間に現在地に遷座し、以降、堀川戎社と呼ばれるようになった。
明治40年(1907年)、近隣の神社を合祀して「堀川神社」に改称し、村社に列格した。昭和20年に戦災で全ての建物を焼失し、昭和38年(1963年)に本殿が再建された。
堀川戎の十日戎の起源
江戸時代中ごろより祭礼が盛り上がり、 ミナミの今宮えびすとキタの堀川えびす が大阪の十日えびすを代表するようになる。 また今宮戎、西宮戎と並び、「三大戎」に数えられる。
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%B7%9D%E6%88%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE


仕事の関係で朝9時の飛行機に乗ることに。
ひとまず駅前のやまでうどんを食す。

美味い。家の近所にあればいいのに。

空港に着くも、バスが来るまで時間があるとのことで昼飯を食べることに。
食べてばかりであるが、てんやへ。

美味い。てんやも近所に出店してほしい。

出発前に羽田航空神社に参拝。

安全祈願や。

用事も終わり、新幹線で大阪へ。梅田にて前の会社の後輩2人とたこ焼き王子で飲む。
二人とも別の会社に転職するとの事。最近は転職もしやすくなってますね。

梅田で飲んだ後、南森町のホテルで泊まり。
ホテルの場所が思っていたより遠くて焦る。梅田から南森町まあまあ歩くやん。
チェックアウト後、ホテル近くの堀川戎に参拝します。




台風来てるから涼しいかと思ったら、意外と晴天。

参拝を済ませ、梅田駅へ向かう。
無料案内所、DVD試写・・・

一蘭が24時間営業なので立ち寄ることに。

美味い!が、替え玉し過ぎて気持ち悪い。
過ぎたるは及ばざるが如し。
この後、梅田のバス乗り場で帰りのバスが運休していると聞かされ絶望。晴天なのに風で橋渡れないとか弱すぎる・・・
新大阪→岡山→高松経由で帰りました。乗り換えしんどいわ。