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「中部地方の御朱印」
福井県の御朱印

藤島神社

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藤島神社

福井県福井市毛矢3-8-21

藤島神社(ふじしまじんじゃ)は、福井県福井市の足羽山にある神社である。旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一社である。
南北朝時代の武将・新田義貞を主祭神とし、義貞の子の新田義顕・新田義興・新田義宗、弟の脇屋義助、および一族の将兵を配祀する。

新田義貞は延元3年(1338年)、灯明寺畷(現・福井市新田塚町)で戦死した。それより約300年後の明暦年間(1655年~58年)、同地から農民によって兜鉢が発掘され、これが福井藩の軍学者の鑑定の結果、新田義貞の兜であるとされた。万治元年(1660年)、福井藩主・松平光通は兜が発見された場所に「新田義貞戦死此所」の碑を建て、その場所は「新田塚」と呼ばれるようになった。
明治3年(1870年)、福井知藩事・松平茂昭は新田塚に祠を建てるが、これが明治9年(1876年)、「藤島神社」と名付けられて別格官幣社に列することとなる。明治14年(1881年)には福井市牧の町に遷座し、明治34年(1901年)5月に現在地に再度遷座した。そのため、現在の境内は兜の発見地から南へ3kmほど離れている。

以上ウィキペディアより。

藤島神社

藤島神社 (2)
今回の旅のメイン目的である、建武中興十五社の藤島神社に着きました。

藤島神社 (1)
立派な鳥居や。

しかし険しそうな石段が。

自転車で登れる道を探す。途中で少年に、自転車で神社まで上がれるか聞く。

「この道をまっすぐ行くとつくよ!でも坂がきつすぎて自転車では登れないよ!」

藤島神社 (3)
くっそきつい坂を自転車を押して上り、到着。つら杉内。

藤島神社 (4)

藤島神社 (5)

藤島神社 (6)
社務所で、次の目的地である足羽神社まで自転車で行けるか聞く。

「行けますよ!ここから少し上っていくとつきます!」

まだ上るのかよ・・・




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