粟鹿神社

粟鹿神社

兵庫県朝来市山東町粟鹿2152

粟鹿神社(あわがじんじゃ)は、兵庫県朝来市にある神社。式内社(名神大社)、但馬国一宮。旧社格は県社。但馬五社の一社。

但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。日下部氏との関係が深い。
粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う。和銅元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)。朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門が建立されている。

概史
「粟鹿神」の記述は古代史料から見え、天平9年(737年)の『但馬国正税帳』[1]によると、粟鹿神戸は租代が六十六束二把、調絁二匹疋丈五尺を直稲百六十五束で買い取るとある。更に、『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒[2]には、「粟鹿神」に但馬国から神戸が二戸充てるとある。『延喜式神名帳』では、但馬国朝来郡に「粟鹿神社 名神大」として、名神大社に列すると記載されている。

弘安4年(1281年)、蒙古襲来に際し、当社に勅使卜部兼直を遣わし祈願した際に勅使門が建立される。この勅使門は、応仁の乱の兵火で社殿が消失した際唯一焼亡を免れたとされ、それ以前から残る唯一の建物とされている。

近代社格制度では、明治5年(1872年)2月に郷社、明治12年(1879年)5月に県社に列格した。

但馬国一宮について
但馬国一宮は出石神社と当社の二社とされる。但し、いくつかの資料で異なっており、鎌倉時代の但馬国大田文では当社を二宮としているが、室町時代の大日本国一宮記では当社を一宮に挙げ、出石神社が記載されていない。現在は両社ともが但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE



粟鹿神社

ローソンのパン (2)
三連休やで。台風一過で天気もいいし、神社巡りに出るで。ガソリンもいれて、ローソンでパン食って出発や!!

淡路島過ぎたら高速道路が冠水してて大渋滞。垂水で降りる。混みまくり。道わからん。下道で兵庫県を縦断していく。
粟鹿神社 (3)
着いた。7時前に出発したのに昼過ぎやで。。

粟鹿神社 (1)

粟鹿神社 (2)
駐車スペース広いからお車での参拝OKやで。車以外での参拝手段なさそうな立地やけど。

粟鹿神社 (5)

粟鹿神社 (6)

粟鹿神社 (7)

粟鹿神社 (8)

粟鹿神社 (9)
境内広い。

粟鹿神社 (11)
コイ。

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粟鹿神社
神社近くに宮司さん宅があるので、御朱印いただけました。奥様らしき方から「出石神社と、籠神社はここから近いですよ」とのお言葉をいただき、兵庫県を北上することに。ありがとうございました。