榴岡天満宮

榴岡天満宮

宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡23

仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に鎮座する榴岡天満宮は、平安時代の天延二年(九七四)に山城国(現在の京都府)に御創建された。その後、平将春が陸奥国宇多郡(現在の福島県)に勧請し、次に宮城県柴田郡川内村に御遷座したのが始まりで、天文二十年(一五五一)に小俵玉手崎(仙台市青葉区の仙台東照宮の地)に三度目の御遷座が行われた。後に、藩祖伊達政宗公が仙台城を造営するとき、当宮の社木(境内地にあった樹木)を用財として切り取った為、その報賽に慶長十六年(一六一一)に新たに丹塗りの御社殿を造営したが、慶安三年(一六五〇)徳川幕府の命令による仙台東照宮建立に際し、その境内地東側に御遷座がなされた。

そして、寛文七年(一六六七)七月二十五日に三代藩主伊達綱宗公の意思により、丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、現在の鎮座地である榴ヶ岡に御遷座が行われ、杜の都の天神さまとして現在も広く崇敬されている。

御社殿は総欅造り、照星閣とも呼ばれ、明治九年(一八七六)の明治天皇御巡幸の際に、明治天皇が御参拝された御宮である。

また仙台城構築の際、有力な築城の候補地とされ、元禄二年(一六八九)五月七日には当宮に松尾芭蕉が参拝し、「ここ玉田よこ野つつじが岡はあせび咲くころ也ここに天神の御社など拝て其日はくれぬ」(奥の細道)という句を遺していることからも、当時の天神信仰が盛んだったことを示している。

寛政七年(一七九五)二月二十五日に落雷による不慮の火災が発生し、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失した。非常に残念なことではあったが、道真公が高天原より降神なされたのでは、という歴史的ロマンをくすぐる唯一の天満宮と言われている。(現在の御社殿はその頃の再建)

平成二十三年三月十一日に発災した東日本大震災により被災し、御社殿の損傷が激しかったため修復工事を行った。二年半以上もの歳月をかけて修復工事が終了し、平成二十五年十一月二十四日に本殿遷座祭を斎行し、仮殿に仮鎮座されていた御神体を本殿に御遷座し、翌日には本殿遷座奉祝大祭を斎行し、本殿での祭祀が再開された。

平成二十七年三月十日、芭蕉が訪れた当時の趣を残していることから「つゝじが岡及び天神の御社」として、国の名勝『おくのほそ道の風景地』に指定された。

平成二十八年四月二十五日、「政宗が育んだ伊達な文化」のひとつとして、文化庁が認定する『日本遺産』に登録された。

平成二十九年七月二十五日に榴ヶ岡の地に御遷座なされてより三百五十年を迎える。平成二十九年は「御鎮座三百五十年奉祝」の年として様々な祭典や催しを行う予定である。

以上、榴岡天満宮ホームページより。 http://www.tsutsujigaokatenmangu.jp/about.html



榴岡天満宮
御朱印が達筆で2ページに渡り、かっこいい!!『東風吹かば~』の句が渋い。

榴ヶ岡天満宮
仙台で最後に参拝したのがこちらの神社。仙台東照宮と悩んだ結果、こちらを選択。


榴ヶ岡天満宮 (4)
撫で牛。

榴ヶ岡天満宮 (3)
本殿改修中のようですね。震災の影響ですね。