「関東地方の御朱印」
東京都の御朱印
花園稲荷神社
花園稲荷神社
東京都台東区上野公園4−17
御創祀の年月は不祥ですが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。
承応三年(約340年程前)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としました。
幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)
お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥佐衛門狐と記され、寛永寺が出来る時忍岡の狐が住む処が無くなるのを憐み、一洞を造り社を祀ったと云われます。
社地は約二千坪(約6600㎡)ありましたが、明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約一千坪になりました。


五條天神社の御朱印もいただけます。
上野動物園は子供のころ満身創痍の状態で歩かされた思い出がトラウマ。休ませてくれ。
東京都台東区上野公園4−17
御創祀の年月は不祥ですが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。
承応三年(約340年程前)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としました。
幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)
お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥佐衛門狐と記され、寛永寺が出来る時忍岡の狐が住む処が無くなるのを憐み、一洞を造り社を祀ったと云われます。
社地は約二千坪(約6600㎡)ありましたが、明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約一千坪になりました。


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