2021年01月

観音寺(出雲市渡橋町)

観音寺

島根県出雲市渡橋町4

出雲三十三観音霊場の第四番観音寺は、国道九号線沿い、市役所などが立ち並ぶ、出雲市の中心部に近い場所にある。宅地造成によって周囲にほとんど緑はなくなってしまったけれども、ここだけは多くの樹木に覆われて多くの鳥や昆虫たちの楽園になっており、多忙な日々の一時のオアシスを求めて観音寺を訪れる人も多い。
『縁起』によれば、観音寺はもと円成寺といい、一漁師によつて海中から引き揚げられた十一面観音がここに安置された際に観音寺と改められたという。諸々の資料から古くは真言宗を宗旨としていたことが知られるが、十七世紀中頃、松平直政公の縁によつて再興された際に臨済宗妙心寺派の末寺となり、現在に至っている。
本尊十一面観世音菩薩像が安置される観音堂は、山門から入ると真正面に見えるが、三十三年に一度しかその姿を拝み見ることのできない秘仏でめるため、普投はその像を収めた厨子が見えるだけである。しかし、その厨子の中から放たれ、普く世間を照らす無垢清浄なる光、無量なる大慈大悲を求めて参拝に訪れる人の姿は絶えることがなく、その妙相に捧げられる香煙に境内は一日中覆われる。
関係行事としては、観世音菩薩の縁日である七月十日に観音大祭が行なわれでいる。四万六千日信仰に基づいて開かれるこの祭りは毎年多くの参拝客で賑わい、地域の人々にとつての良き心のよりどころともなっている。その他、毎月十七日には多くの講員を集めて
観音講が開かれ、御詠歌などでその諸カを讃えている。

以上仏壇の原田さまホームページより。 http://www.butsudannoharada.com/temple/2011/11/post-35.html



観音寺御朱印

観音寺 (1)

知井宮町の福知寺に行こうと思いましたが、駐車場がよくわからなかったので引き返して渡橋町の観音寺に来ました。

道が細いので不安でしたが駐車場ありますね。

観音寺 (2)

観音寺 (3)

山門

観音寺 (6)

由緒

後醍醐天皇の時代ってなかなかの歴史

観音寺 (4)

秋葉社

観音寺 (5)

観音寺 (12)

手水舎

観音寺 (13)

鐘楼

観音寺 (8)

十王堂

観音寺 (9)

観音寺 (10)

不動明王堂

観音寺 (7)

観音寺 (11)

観音堂

観音寺 (14)

金比羅宮

観音寺 (15)

毘沙門天堂 社日堂

観音寺 (16)

弘法堂

観音寺 (17)

観音寺 (18)

弘法大師堂

観音寺 (19)

観音寺 (20)

留守でしたが授与所に書置きがありました。

いきなりステーキ

お昼は帰路のいきなりステーキでワイルドステーキをいただきました。美味い。

願興寺

願興寺

松江市東出雲町大字出雲郷816

当山の創立は、伽藍の焼失に伴ない、その詳細は定かでない。
出雲観音霊場の開設は千二~三百年前といわれているので、当寺の創立、時を同じくするものと思われる。行基の建立との口伝あリ。
山號を新美兼山と称しし、曹洞宗臥龍山宗渕寺と同し境内地にあり、現在法人格はなく、宗渕寺の伽藍のひとつとして管理されている。
当寺のある出雲郷は、国分寺跡にみられる様に、古代、中世を通して文化の中心地として栄え、寺院も多く散在していた。
本尊は十一面観音(御長一尺七寸立像)、脇仏に不動明王、毘沙門天(いずれも一尺八寸の立像)を配している。
別名「子さづけ観音」の通称あり。戦争中国策に添って多くの信者が「子さづけ」の願をかけたが、終戦とともに急速に信者を失ない、観音霊場自体も衰退の一路をたどった。
当初は密教系寺院として始まっていたが、出雲郷の町中に在った曹洞宗系宗渕寺が伽藍焼失に伴ない、天保十四年に願興寺境内地に移築されたのを機に、曹洞宗となる。
同境内地に秋葉三尺坊大権現、天満大自在天神、金比羅大権現をまつった小祠であり、庚申信仰を思わせる「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿像も安置されている。
昭和六十三年、信徒の布教強化、管理運営強化、伽藍の整備の推進の目的から、観音講の再編をはかり、信徒の拡大に努めている。
毎月十七日、定例法要日を設けて多くの参拝者を得ている。
又、年二回(春秋)出雲三十三観音霊場巡拝を実施している。
宗派を越えて信仰がある。
平成五年度、駐車場、九号線入ロの整備拡幅を行ない、バスの乗り入れを可能とした。
参道の両側にある古木の松が参拝者を迎えてくれる。

以上仏壇の原田様ホームページより。 http://www.butsudannoharada.com/temple/2011/10/post-16.html



願興寺御朱印

願興寺 (2)

今日は段ボールを出雲郷の回収ボックスに投入するために東出雲へ。

段ボールは通販とかで溜まるんですよねー。定期的に処分しないと部屋が埋まってしまう。

せっかく東出雲まで来たので願興寺さんに立ち寄ります。

願興寺 (1)

駐車場があるので車でも来れますね。

前回の蓮台寺から道の細さを気にしてしまう。

願興寺 (3)

願興寺 (4)

願興寺 (5)

願興寺 (6)

願興寺 (7)

手水舎の柄杓が凍ってて冷てえ

願興寺 (8)

鐘楼

願興寺 (10)

びんずるさんメガネと帽子してるやん

寒いもんな

願興寺 (9)

願興寺 (11)

聖観音菩薩様

願興寺 (12)

お地蔵さま

願興寺 (13)

願興寺 (14)

ちょっと雪残ってますけど天気は良くてよかったです。

かつふじ (1)

お昼ゴハンは学園のかつふじでカツ丼にしました。結構混んでる。

かつふじ (2)

最近ラーメンの比率が高すぎるので丼ものを挟んで調整。

どのみち炭水化物ですけど。

かつふじ (3)

久しぶりのカツ丼は大変美味。

これはリピーターになりそうやな。

蓮台寺

蓮台寺

島根県出雲市斐川町三絡3324

 古代神話の里、斐川町は荒神谷の銅剣や、その他弥生時代の遺物の発掘で、近年日本全国の脚光を浴びるようになった。その谷のすぐ上にあろ式部(タケルべ)の里に、急な参道五百メートルと、百六十段の石段を一直線に登りつめた海抜百メートルのところに第六番札所蓮台寺がある。
本堂は宝形造りの四間四面、屋根は銅板ぶきで、左手に大師堂、右手に庫裡があり、山頂より斐川平野出雲市、遠く大社までを一望におさめ、日本海の入陽の絶景たるや天下一品である。
本尊は聖観世音菩薩で慈覚大師の作と伝えられ秘佛で三十三年毎に御開扉される。
当山はすぐ山続きの仏経山の中の幾多の坊の一つから移され独立したと伝えられ、戦国時代には尼子氏の部将の一人米原氏(高瀬城主米原平内兵衛綱寛)の祈願所寺として栄えて来た。そして今でも年中季を問わず、近在はもとより関東、関西、九州、中国地方各地よりの巡拝者でにぎわっている。
当山は真言宗醍醐派(京都市伏見区醍醐寺)に属し真言宗本来の加持祈祷及び修業の道場として、深い緑に囲まれた山上にあり、周囲は静寂そのもので、本堂からは常時御和讃の声と、読経、祈願の太鼓の音が絶えることがない。

以上仏壇の原田様ホームページより。 http://www.butsudannoharada.com/temple/2011/10/post-33.html



蓮台寺御朱印

無人でしたが書置きありました。

いきなりステーキ

天気が微妙ですね。

最近ラーメンばっかり食べてて炭水化物中毒ぎみなのでいきなりステーキに来ました。ワイルドステーキおいしい。

近所にあればめっちゃ通うのになあ。斐川町にしかないのがつらい。

蓮台寺 (1)

今日は先週道が狭小すぎてアクセラちゃんで侵入することを断念した蓮台寺にチャレンジします。

蓮台寺 (3)

明らかに細そうな道。

今日はPCXなのでためらわず侵入します。

蓮台寺 (4)

ほそくて落ち葉にぬれた道を進むと石段が。

石段上がるのつらいので脇道から上まで進むことにします。

蓮台寺 (5)

倒木!?

地面には石や木の枝が蓄積しており、最近人が通った形跡はない。

大丈夫なのか。

倒木をどけようとしたが重くて動かないため、ここからは歩いて進むことに。

蓮台寺 (7)

笹も伸び伸びと道まではみ出してます。

この寺誰も来てないのかな。それかみんな石段のほうから来てるのか。

蓮台寺 (8)

ようやく広いところに出た。

蓮台寺 (9)

人の気配がなさ過ぎてこわい

蓮台寺 (10)

四国八十八箇カ所霊場弘法大師堂

蓮台寺 (12)

蓮台寺 (11)

めっちゃ雪残ってるな

蓮台寺 (13)

静かすぎて不安だったので早々に退散。

帰り道の下り坂でぬれ落ち葉で滑ってPCXごと転倒しました。危ないと注意していたが案の定や。

左ひざからまあまあ出血してるけど軽傷で済んだのは御仏のおかげやな!これだから霊場巡りはやめられねえぜ!

薬師寺

薬師寺

島根県出雲市松寄下町1318 

出雲薬師の御本尊薬師如来は、弘法大師の作と伝えられています。古くから病気平癒・五穀豊穣のお薬師様として多くの人の信仰を集め、小さな薬師堂に祀られて信者の方がお守りしていました。寛永年間(1624~1643)に本堂が建立されたおり御本尊として祀られ現在に至っています。位置は旧国鉄出雲高松駅跡南、県道外園線沿いです。

以上、出雲十大薬師霊場ホームページより。 https://zuiunnji.jimdofree.com/出雲十大薬師霊場-各札所紹介/出雲薬師-六番/



薬師寺御朱印

薬師寺 (1)

雨だったのでアクセラちゃんで外出。

斐川の蓮台寺に行こうと思ったけど異様な狭路だったので断念し薬師寺に来ました。あの狭路車で入れるのかな…PCXで再チャレンジします。

薬師寺 (2)

駐車場があるので車も余裕で停められます。

薬師寺 (3)

薬師寺 (4)

薬師寺 (5)

地蔵菩薩様

薬師寺 (6)

秋葉大権現

薬師寺 (8)

「みんななむのこてをあわせるこ」

響きがかわいいですねみんななむのこ

薬師寺 (7)

薬師寺

車で来るとやっぱ楽やなあ。駐車場があって広い道なら。

現進

出雲市でお昼ゴハンにしようかと思ったけど時間が早すぎたので松江にもどって現進へ。

うむ、中毒性がある。

万九千神社

万九千神社

島根県出雲市斐川町併川258

万九千神社は、神在祭(毎年の神在月、旧暦10月)に際し、全国から出雲へと参集された八百万神が最後にお立ち寄りになるとの神話を今に伝えています。 八百万神は当社において、出雲路における神議り(かみはかり)を締め括り、神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。

遥かいにしえより、「不動の霊地」とされる鎮座地周辺は、古代、出雲国出雲郡神戸郷(いずもぐんかむべごう)と呼ばれていました。神戸とは、熊野大神と杵築大神の御神領のこと。水路と陸路における交通の要衝として、また斐伊川下流域に広がる稔り豊かな大地の鎮めとして、重要な祭場として今に至っています。

万九千社の創祀、創建は定かではなく、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』にみえる「神代(かむしろ)社」、「神代神社」が、のちの「万九千社」にあたると伝えています。少なくとも約1300年前には、その歴史をさかのぼることができます。中世になると、当社は「神立(かんだち)社」(鎌倉時代頃)や「神達(かんだち)社」(安土桃山時代)と称されていました。近世になると、「神立大明神」、「万九千大神」などと称され、明治維新以降は、立虫神社(旧村社)の境内社(旧無格社)、「万九千社」として祭られています。

現在の神殿は、平成26年10月10日に明治11年以来、136年ぶりにお建て替えのうえ正遷宮されたものです。

以上万九千神社ホームページより。 http://www.mankusenjinja.jp/our_historical



万九千神社御朱印

社務所で書置きをいただきました。

立虫神社御朱印

立虫神社の御朱印もいただきました。

シノカンヤ (3)

令和3年になりましたね。私は家の水道が凍って後輩の家の風呂借りたりビジネスホテルに避難したり雪国を満喫していました。

ようやく雪が解けたので初詣に行きます。まずはお昼ゴハンにします。

篠寛ジローが期間限定で家系ラーメン出してるらしいので訪問。

シノカンヤ (1)

久しぶりの家系ラーメン。

シノカンヤ (2)

固め濃いめ脂多めで満足。店は混雑してました。繁盛してますね。

万九千神社 (1)

万九千神社に来ました。9号線を出雲方面に進むと交差点を右折との看板あるのでわかりやすいと思います。

駐車場めっちゃ広い。

万九千神社 (2)

伊勢神宮を遥拝します。

万九千神社 (3)
まんくせんじんじゃって読むらしい。難しい。

万九千神社 (5)

鳥居

万九千神社 (4)

由緒

万九千神社 (6)

立虫神社由緒

万九千神社 (7)

手水舎

万九千神社 (8)

万九千神社 (9)

万九千神社 (13)

神籬と磐境

万九千神社 (14)

和田津見社と稲荷社

万九千神社 (15)

金刀比羅社

万九千神社 (16)

秋葉社と出雲大社遥拝所

万九千神社 (10)

立虫神社

立虫神社は、出雲市斐川町併川地区の氏神さま、鎮守さまとして、地元の神立、千家に住まいする人々から親しみ深くも厚い信仰が寄せられているお宮です。もとは斐伊川の中洲に鎮座していましたが、江戸時代前期、寛文10年(1670年)、洪水の影響により、現在の万九千社境内に遷されました。

「立虫社」、「立虫神社」の社名は、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』に見えますが、その創祀と創建は定かではありません。

社伝によれば、三柱の主祭神は、父神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)と共に斐伊川の源流、仁多郡鳥上の峰に来たり坐して、木種を四方に播き植えつつ、当地に至って御鎮座されたといいます。当社はもともと、現在地より南西方向へ約800mほど隔てた所にあった斐伊川の中州(現、神立橋の大津町より付近)に鎮座していました。ところが、江戸時代の寛文年中、大洪水に伴う斐伊川の流路変更の影響により、社殿、社地を他所へと移転せざるを得なくなり、寛文10年(1670年)、近隣の万九千社境内に社殿造営を果たして御遷宮されました。なお、当社はたびたび社地を遷しており、より古くは旧出雲郡河内郷(現、仏経山西方の斐伊川中州あたりか)に鎮座していたとされています。

現境内地に遷られて以降、当社は「神立大明神(かんだちだいみょうじん)」などと呼ばれていました。明治維新以降は古称に復し、「立虫神社」と名を改めて村社に列せられました。大正9年(1920年)には、旧千家村に鎮座していた客(きゃく)神社を合祀。これ以降、旧併川村の氏神、産土神(うぶすながみ)として今日に至ります。先の大戦以降は、神社本庁所属となり、昭和50年(1975年)には、島根県神社庁から特に由緒があり祟敬の篤い神社として、特別神社の称を賜りました。

現在の本殿は、平成26年10月10日に、昭和63年以来となる修造を果たし、正遷宮されたものです。
また、幣殿・拝殿は、昭和48年以来、45年ぶりにお建て替えされ、平成30年11月11日に竣功奉告祭をお仕えしました。

以上ホームページより。 

http://www.mankusenjinja.jp/our_historical



万九千神社 (11)
万九千社神殿

今日は大学入試共通テストの日ですね。私も大学受験をした身ですが、当時よくあんなに勉強できたなと思いますね。人間歳とると退化してるわ。全国の受験生に幸あれ。