2020年10月

瑞雲寺

瑞雲寺

島根県出雲市平田町116

瑞雲寺縁起によると薬師如来像は行基菩薩(奈良時代)の作と伝えられています。

当初は寺の名を泉光院と称し一時修験寺の経緯もあったようです。

寺は現在の愛宕山に位置し戦国時代には尼子方城山として毛利軍との戦にも巻き込まれたり焼失等により荒廃を重ね薬師堂のみを残す状況でした。

その後毛利輝元の帰依を得たこともあり平田村神宮寺の寂湛(中興の祖)は寺の再興に尽力を注ぎ享保17年に(寺号を改め)薬王山瑞雲寺を開基しました。

秋の二日間の大祭では護摩供養等祈願・放楽相撲や興行物で賑わったと記されています。

以上瑞雲寺ホームページより。 https://zuiunnji.jimdofree.com/



瑞雲寺御朱印

出雲十大薬師霊場の二番札所です。

はやし

天気のいい土曜日。クリーニングも出して、PCXのオイル交換も済ませたので外出します。

今日は平田の瑞雲寺、通称平田薬師に向かいます。

お昼時になったので、ご飯を食べます。以前から気になっていたはやしへ。

はやし (3)

朝ご飯を食べてなくて空腹のためカツ丼をチョイス。ゴルゴ13を読みながら待機。

来た来た、いただきまーす…

でかくね?

はやし (1)

かなりの重量感です

はやし (2)

山盛りです

おなかをすかせてきてよかった。無事完食。

瑞雲寺

おなかも膨れたところで、平田薬師へ向かいます。

平田高校とか、愛宕山公園を目当てに向かうと着きました。

瑞雲寺 (2)

駐車場がよくわからないけど、愛宕山公園の駐車場に停めるといいと思います。

雑木林に向かって細い階段があるので、侵入できます。

瑞雲寺 (5)

山門をくぐるとこんな感じ

瑞雲寺 (3)

瑞雲寺 (4)

瑞雲寺 (9)

瑞雲寺 (8)

この道を上ると開けた公園に出ます

家族連れが遊んでました

瑞雲寺 (7)

鐘楼

瑞雲寺 (12)

子安弘法大師像

瑞雲寺 (11)

平田薬師佛

瑞雲寺 (10)

瑞雲寺 (13)

納経帳もいただこうと思いましたが、こちらのお寺には置いていないとのこと

納経帳は一番札所とかにしか置いていないのが普通なんですかね、また一畑薬師に行って入手することにしましょう

はやしのカツ丼で胃腸に過負荷がかかっているので参拝後まっすぐ帰りました。食べ過ぎはよくない。

隠岐神社

隠岐神社

島根県隠岐郡海士町大字福井1365-5

隠岐神社(おきじんじゃ)は、島根県隠岐郡海士町に鎮座する神社である。

海士町は隠岐諸島の島前(どうぜん)にある中ノ島を主島とする1町1島の自治体である。社格は旧県社。

歴史​

承久3年(1221年)、承久の乱によって隠岐へ配流された後鳥羽天皇(配流時は法皇)は、当地の源福寺を行在所とし、旧在庁官人で海士郡の公文、田荘両職を兼帯した村上氏が身辺警護と監視にあたっていたともいわれている[1]。19年後の延応元年(1239年)2月22日に崩御して同25日に源福寺裏山で火葬にされ、遺灰を埋納して火葬塚を営んだ。万治元年(1658年)、松江藩主松平直政が廟殿を造営し、明治まで維持に努めたが、明治2年(1689年)に廃仏毀釈の影響で源福寺は廃寺(後に復興された)。

海士町後鳥羽院資料館に所蔵される絵図(江戸末期の様子)には、この火葬塚の場所に「後鳥羽院神社」(創建不詳)が描かれており、江戸末期には、島民によりここで祭祀が行われていたといわれている。しかし、1873年(明治6年)、法皇の御霊を大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮に奉遷したため、1874年(明治7年)に後鳥羽院神社も取り払われた。なお、神社が取り払われての後も、祭祀が続けられていたといわれる。後に、この神社を中心とした旧源福寺境内地は、後鳥羽天皇の隠岐の御陵「御火葬塚」とされた。

1940年(昭和15年)の紀元二千六百年記念行事の一つとして、島根県が隠岐神社を創建した。1939年(昭和14年)に完成し、1943年(昭和18年)には県社に列せられている。鎮座地は「御火葬塚」に隣接している。

なお、神社が完成した1939年は、法皇の崩御700年に執り行われた「後鳥羽天皇七百年祭」の年でもあった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E5%B2%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE



隠岐神社御朱印

御朱印は隠岐神社授与所にていただきました

授与所は9:00~16:00のようです

隠岐神社にて、宇受賀命神社と、知夫村の天佐志比古命神社の御朱印もいただけるようです

隠岐神社 (1)

中之島で一番大きい神社、隠岐神社へ来ました

こちらの神社、結構新しい神社なんですね

隠岐神社 (2)

鳥居

隠岐神社 (3)

由緒

隠岐神社 (4)

土俵

隠岐神社 (5)

雨上がりのため参道が濡れてます

少し寒いですね

隠岐神社 (6)

狛犬

隠岐神社 (7)

狛犬

隠岐神社 (8)

石段を登る

新しい神社は比較的平地にあるので参拝しやすいですね

古い神社は山頂とか険しい立地で大変

それだけ昔の人は自然に畏敬の念があったんでしょうけど

隠岐神社 (9)

後鳥羽院の和歌

隠岐神社 (10)

手水舎

隠岐神社 (11)

隠岐神社 (12)

隠岐神社 (13)

参拝してたら小雨が

島根来てからにわか雨多いなあ

参拝後、後鳥羽院資料館を見てきました。入場料300円。

現代ですら隠岐に来るの大変ですから、昔の人からしたら本当に遠い場所だったんでしょうね

海士の牛 (2)

参拝後、中之島ツーリング

中之島にも牛が放牧されてますね

海士の牛 (1)

隠岐牛、高級だから手が出しにくいけどいつかは食べたいですね

カルデラ

カルデラ

山が削られてますね、なんか建てるのかな

味蔵天ぷら定食 (1)

お昼は昨日の晩御飯と同じ味蔵へ

店の雰囲気が気に入ったから再訪

昨日、隣の席にいた兄ちゃんが食べてておいしそうだった天ぷら定食を注文

味蔵天ぷら定食 (2)

海鮮丼も気になりましたが、小雨が降って寒かったので天ぷらにしました

美味し

帰りのフェリーくにが

5時間ほど船に乗って帰ります

疲れてたからか、二等客室でごろ寝してたら気づけば七類港でした

ポムの樹

ついたら夕方で外は夜でした

晩御飯は以前から気になっていたポムの樹でオムライス

隠岐で行けていないのは知夫村だけなので、また暖かくなったらチャレンジですね

宇受賀命神社

宇受賀命神社

島根県隠岐郡海士町宇受賀747

宇受賀命神社(うずかみことじんじゃ)は島根県隠岐郡海士町に鎮座する神社である。式内社(名神大社)で旧社格は郷社。島前の中ノ島の北端にあたる宇受賀部落の外れ、丘上に鎮座する。

祭神​

宇受賀命(うずかのみこと)を祀る。「宇須賀宮」や「宇津賀大明神」などと称され、一貫してこの地の守護神として祀られて来た他地に見えない当神社独自の神である。神名は鎮座地「宇受賀」とも関係するものであろうが、語義不明。なお、元禄16年(1703年)の『島前村々神名記』には、祭神を「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」と記してあるが、これは「記紀」に載せる神名に付会させたものであろう。

由緒​

貞享5年(1688年)の『増補隠州記』に、嘉吉年中(15世紀中頃)に炎上して縁起を焼失したとあり、創祀の年代や事由は不明であるが、上述のように鎮座地宇受賀の守護神として古くから祀られて来た。大正頃(20世紀前葉)の社蔵記録によると、遷座の時期は詳らかにしないものの、かつては現在地から北方150間(およそ270メートル)隔たった、海面から36、7尺程(およそ10メートル強)の高さの断崖上に鎮座していたという。『続日本後紀』に承和9年(842年)由良比女命神(由良比女神社)、水若酢命神(水若酢神社)とともに官社に預かったことが見え、隠岐国ではもっとも早く中央の史書に現れる神社の1社で、延喜の制では国幣大社(名神大社)に列した隠岐国4大社の1社でもあり、国内神名帳である『隠岐国神名帳』にも「従一位宇酒賀大明神」と記載を見る。

中世を通じて国衙や守護職から重きを置かれ、文明7年(1271年)に当地の田荘と目代から祭祀料として国衙領の中の田地2段(720坪)が寄進され、明徳4年(1392年)には在地豪族である源満重から正月に1段、8月に修理料用として2段の田地が寄進され、嘉吉2年(1442年)には社領6町1反余り(およそ22,000坪弱)が守護使不入の権利とともに安堵され、天正10年(1582年)には隠岐守護代佐々木(隠岐)経清が2名内から4段半と280歩の田地を寄進するなどしている。殊に文明7年と明徳4年8月の寄進状には「公私御祈祷所」と記されているので、国衙からの信仰の対象とされていたこともわかり、以上のことから当神社を中世における隠岐国一宮とする説もあるが(『隠岐国代考証』)、これは隠岐国ではなく郡(海部郡)の一宮または惣社と見るのが妥当であろう。また、『増補隠州記』に「此宮は根元天竺ふ里うた(わ)うの子孫たりと云伝る」とあることから、中世以降両部神道の影響を受けていたようで、応永5年(1398年)、同11年、同19年、同21年、永禄9年(1566年)、文禄5年(1596年)などの奥書を持つ大般若経284巻も残されている。

近世には社領10石を有し(『増補隠州記』)、寛文7年(1667年)の『隠州視聴合紀』に「前に花表(鳥居)を立て瑞籬(瑞垣)長し」と当時の様子が記されている。

明治5年(1872年)10月郷社に列し、戦後は神社本庁に参加している。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%8F%97%E8%B3%80%E5%91%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



宇受賀命神社御朱印

御朱印は隠岐神社の授与所でいただけます。

あとど朝食

さわやかな朝

自宅にテレビもWi-FiもないのでB&Bあとどは快適でした。金曜ロードショーでハリポタ賢者の石を見ました。ハーマイオニーかわいい。

朝ごはんを食べる。シンプルな朝ごはんはいい。

朝の菱浦

昨日飲んで帰った後雨が降ったみたいですが、もう晴れてますね

ツーリングに雨は大敵ですからね

明屋海岸 (1)

海士町の観光地を回ります

明屋海岸に来ました

明屋海岸 (2)

ちょっと海荒れてますね

明屋海岸 (3)

不思議な形の岩

宇受賀命神社 (1)

宇受賀への標識が道にあるのでたどっていくと着いた

宇受賀命神社 (2)

田畑の真ん中にあります

宇受賀命神社 (3)

鳥居

宇受賀命神社 (4)

手水舎

宇受賀命神社 (5)

狛犬

宇受賀命神社 (6)

狛犬

宇受賀命神社 (9)

明神大社ってのがすごいですね

隠岐に立派な神社がたくさんあるのは、昔から重要な地だったからでしょうかね

宇受賀命神社 (7)

宇受賀命神社 (8)

この場所は中心地からは結構離れているので、車が必須ですね

焼火神社

焼火神社

島根県隠岐郡西ノ島町美田1294

焼火神社(たくひじんじゃ、たくび-)は、島根県隠岐郡西ノ島町にある神社である。島前の西ノ島における最高峰、焼火山の8合目辺りに鎮座する旧県社。航海安全の守護神として遠く三陸海岸まで信仰を集めた。本殿・通殿・拝殿からなる社殿は国の重要文化財に指定。重要有形民俗文化財の和船トモドも所有する。

社名​

明治以前は焼火山雲上寺(たくひさんうんじょうじ)と号し、焼火社、焚火社、離火社(いずれも「たくひ(び)のやしろ」、または「たくひ(び)しゃ」と訓む)とも称されたが、明治初頭の神仏判然令を受けて現社名に改めた。

祭神​

大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)を祀る。なお、大日孁貴尊は天照大神の別称である。

焼火山は古く「大山(おおやま)」と称され、元来は山自体を神体として北麓の大山神社において祭祀が執行されたと見られているが、後世修験道が盛行するに及ぶとその霊場とされて地蔵尊を祀り、これを焼火山大権現と号した。やがて祭神を大日孁貴尊とする伝えも起こって、元禄16年(1703年)には「焼火山大権現宮(中略)伊勢太神宮同躰ナリ、天照大日孁貴、離火社神霊是ナリ、手力雄命左陽、万幡姫命右陰」(『島前村々神名記』)と伊勢の皇大神宮(内宮)と同じ神社で、伊勢神宮同様3座を同殿に祀ると説くようにもなり、明治初頭に大日孁貴尊のみを祀る現在の形となった。

歴史​

「焼火山縁起」によれば、一条天皇の時代(10、11世紀の交)、海中に生じた光が数夜にわたって輝き、その後のある晩、焼火山に飛び入ったのを村人が跡を尋ねて登ると薩埵(仏像)の形状をした岩があったので、そこに社殿を造営して崇めるようになったと伝えている。また、承久年中(1219 - 22年)のこととして、隠岐に配流された後鳥羽上皇が漁猟のための御幸を行った際に暴風に襲われ、御製歌を詠んで祈念したところ波風は収まったが、今度は暗夜となって方向を見失ったために更に祈念を凝らすと、海中から神火が現れて雲の上に輝き、その導きで焼火山西麓の波止(はし)の港に無事着岸、感激した上皇が「灘ならば藻塩焼くやと思うべし、何を焼く藻の煙なるらん」と詠じたところ、出迎えた一人の翁が、「藻塩焼くや」と詠んだ直後に重ねて「何を焼く藻の」と来るのはおかしく、「何を焼(た)く火の」に改めた方が良いと指摘、驚いた上皇が名を問うと、この地に久しく住む者であるが、今後は海船を守護しましょうと答えて姿を消したので、上皇が祠を建てて神として祀るとともに空海が刻むところの薬師如来像を安置して、それ以来山を「焼火山」、寺を「雲上寺」と称するようになったという。

上述したように、元来焼火山は北麓に鎮座する大山神社の神体山として容易に登攀を許さない信仰の対象であったと思われるが、山陰地方における日本海水運が本格的な展開を見せる平安時代後期(11 - 12世紀頃)には、航海安全の神として崇敬を集めるようになったと見られ、その契機は、西ノ島、中ノ島、知夫里島の島前3島に抱かれる内海が風待ちなど停泊を目的とした港として好まれ、焼火山がそこへの目印となったためにこれを信仰上の霊山と仰ぐようになったものであり、殊に近代的な灯台の設置を見るまでは寺社において神仏に捧げられた灯明が夜間航海の目標とされる場合が大半を占めたと思われることを考えると、焼火山に焚かれた篝火が夜間の標識として航海者の救いとなったことが大きな要因ではないかと推定され、この推定に大過なければ、『縁起』に見える後鳥羽上皇の神火による教導も船乗りたちの心理に基づいて採用されたとみることもできるという 。 また、『栄花物語』では永承6年(1051年)5月5日の殿上の歌合において、源経俊が「下もゆる歎きをだにも知らせばや 焼火神(たくひのかみ)のしるしばかりに」と詠んでおり(巻第36「根あはせ」)、谷川士清はこれを当神社のことと解しているが(『和訓栞』)、それが正しければ既に中央においても著名な神社であったことになる。

後世修験者によって修験道の霊場とされると、地蔵菩薩を本尊とする焼火山雲上寺(真言宗であるが本山を持たない独立の寺院であった)が創建され、宗教活動が本格化していく。その時期は南北朝時代と推測され、本来の祭祀の主体であった大山神社が、周辺一帯に設定されていた美多庄の荘園支配に組み込まれた結果、独自の宗教活動が制限されるようになったためであろうとされる。以後明治に至るまで、雲上寺として地蔵菩薩を祀る一方、「焼火山大権現」を社号とする宮寺一体の形態(神社と寺院が一体の形態)で活動することになり、日本海水運の飛躍的な発展とともに広く信仰を集めることとなる。その画期となったのは天文9年(1540年)の僧良源による造営のための勧進活動であると推測され、現地では永禄6年(1563年)9月に隠岐幸清から田地2反が寄進されたのを始め、各所から田畠が寄進されており(社蔵文書)、近世に入ると社領10石を有していたことが確認できる。また注目されるのは西廻り航路の活況とそこに就航する北前船の盛行により、日本海岸の港はもとより遠く三陸海岸は牡鹿半島まで神徳が喧伝されたことで、歌川広重(初代・2代)や葛飾北斎により日本各地の名所を描く際の画題ともされており(初代広重『六十余州名所図会』、北斎『北斎漫画』第7編(「諸国名所絵」)など)、こうした信仰上の展開も、上述した港の目印としての山、もしくは夜間航海における標識としての灯明に起因するものと考えられる。なおこの他に、幕府巡見使の差遣に際しては雲上寺への参拝が恒例であり、総勢約200人、多い時には400人を超える一行を迎える雲上寺においては、島前の各寺々の僧を集めてその饗応にあたっており、これには焼火信仰の普及と雲上寺の経営手腕が大きく作用していたと考えられている。

明治の神仏判然令で形態を神社に改め、近代社格制度においては長らく無格社とされたが、大正7年(1918年)に県社に列した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%81%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE



焼火神社御朱印

御朱印は別府港にある西ノ島町観光協会でいただけます。

観光協会に御朱印も掲示されているのでわかりやすいと思います。

吉野家

金曜日に有給休暇を取得し、隠岐に行きます。

今回は、2年前に行きそびれた焼火神社と隠岐神社への参拝です。

まずは吉野家で朝食。牛丼美味いわ。

隠岐パンフ

時刻表と神社マップを入手。

隠岐地図


マップを見たところ、神社もいっぱいありますね。隠岐は結構人住んでますからね。

行きのフェリーくにが

朝9時半発のフェリーくにがで12時5分に西ノ島町到着。

2年前に一之宮巡りで一度来たんですが、時間の関係で焼火神社参拝はあきらめたんですよね(黒木神社の記事参照)。

「焼火神社も隠岐神社もあるんでまた来てくださいね」とタクシーの運転手さんに言われたのを思い出します。

まさか島根に転居することになるとは当時は思ってもみなかったな。おかげで隠岐再訪できたけど。

コンセーユ

ひとまず昼食にします。

コンセーユさんに来ました。

サザエカレー (1)

サザエカレーを食べます。美味しい。

サザエカレー (2)

ツアーの団体客もいて、結構流行ってました。

観光客も少しずつ戻ってきてるようですね。

焼火神社 (1)

焼火神社へのルートは看板もあるのでわかりやすいと思います。

案内に従い進みます。

歩いて来れる距離ではないので、タクシーで来るか、レンタカーを借りましょう。私はPCXで来ましたけど。

焼火神社 (2)

こんな感じの脇道に入るので、車で進めるのか不安になりますが大丈夫です。

焼火神社 (3)

うっそうとした道を進む。

焼火神社 (37)

自然に還りかけてる感あるけど通れます。

林道だからこんなもんですかね。

焼火神社 (4)

開けた場所に出た。

車を停めるスペースもありますので、こちらに駐車して歩きましょう。

焼火神社 (6)

焼火神社 (7)

案内図

春から秋はマムシが出るので足元に気を付けましょう。

焼火神社 (8)

石段はセメントできれいにされているので上りやすいですね。

焼火神社 (9)

展望スペースから景色を眺める。

焼火神社 (10)

摂社

焼火神社 (11)

厳かな雰囲気

焼火神社 (12)

石段は続く

天気がいいから暑いな

焼火神社 (14)

野鳥がいっぱいいるようです

私が視認できたのはトンビぐらいでしたが

焼火神社 (15)

鳥居に着いた

焼火神社 (16)

もうすぐですね

焼火神社 (17)

狛犬

焼火神社 (18)

狛犬

焼火神社 (19)

参道を進む

焼火神社 (20)

摂社があるので参拝

焼火神社 (21)

マムシに注意しながら登る

焼火神社 (22)

自然に還りかけてる感ある

焼火神社 (23)

いい雰囲気ですね

焼火神社 (24)

さらに進むと立派な石垣が

社務所があるようですね

焼火神社 (25)

いい眺め

焼火神社 (36)

社務所

焼火神社 (26)

社務所の横を抜けると本殿が

焼火神社 (27)

手水舎

焼火神社 (28)

焼火神社 (29)

立派な大木

焼火神社 (30)

焼火神社 (31)

立派な神社でした

登った甲斐がありました

国賀海岸 (1)

焼火神社参拝後、国賀海岸へ

国賀海岸 (7)

なにかいるぞ

国賀海岸 (6)

馬や!

国賀海岸 (10)

牛馬が放牧されてますね

国賀海岸 (12)

見晴らしがよくて、PCXで走ると快適ですね

摩天崖へ向かいます

摩天崖牛 (1)

普通に牛が道を歩いてるな

国賀海岸 (17)

着いた

国賀海岸 (14)

一生に一度は訪ねてみたい百カ所

どんなもんでしょうか

国賀海岸 (18)

おおー!

国賀海岸 (20)

絶景ですな

国賀海岸 (22)

先のほうまで進んでみましょう

国賀海岸 (24)

休憩スペースの真横に牛

国賀海岸 (26)

仔馬

国賀海岸 (28)

ここが摩天崖か

国賀海岸 (30)

きれいな海

国賀海岸 (32)

国賀浜の方を眺める

国賀海岸 (34)

ひたすら歩けば浜まで出られるようですが、めっちゃ時間かかりそうやな

二台の車で来て、歩いて下まで行った人を回収する感じで行くといいようです(地元の人談)

国賀海岸 (36)

国賀浜へ行くために戻ろう

国賀海岸 (38)

暖かい時期に再訪したいですね

国賀海岸 (40)

浜に来ました

ローソク岩

国賀海岸 (42)

下まで降りられるっぽいけど時間がないのでやめる

国賀海岸 (43)

ちょっと風強いな

国賀海岸 (45)

赤尾展望台から見るといい感じで見えます

国賀海岸 (49)

晴れた日にツーリングするには西ノ島はいいかもしれないですね

フェリーどうぜん (1)

内航船フェリーどうぜんで中之島へ

どうぜんは車やバイクも載せられるのだ

あとど (1)

今日の宿はB&Bあとど

中は改装されているのかきれいなビジホみたいでした

味蔵 (1)

一休みしたあと、晩御飯を食べに外出

海士町で夜やってる店は5件くらいしかないので注意

味蔵さんに来ました

味蔵 (2)

カウンターが一席だけ空いてた

ビールを飲む

右隣の海鮮丼食べてる女性二人は観光客っぽい

味蔵 (3)

たこから揚げ

味蔵 (4)

砂ずり

味蔵 (5)

レモンサワーぐびぐび

味蔵 (6)

お刺身

地元民と工事で単身赴任できてる兄さんに挟まれてアウェイ感

味蔵 (7)

鯛茶漬け

もう飲まなくていいかなと思ったけどバイトの女の子が「何か飲まれますか?」言うてきたので焼酎お替りする

声かけのタイミングが的確ですね、優秀ですな

こんな感じで初日は終了。無事に海士町入りできてよかったよかった

妖怪神社

妖怪神社

鳥取県境港市大正町62−1

妖怪神社(ようかいじんじゃ)とは、鳥取県境港市の水木しげるロードにある神社[1]。運営会社は境港市大正町のアイズ[2]。漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の世界観で作られる。

概要​

「目玉石」と言われる目玉おやじの清めの水、一反木綿の鳥居などがある[3]。御神体は高さ約10尺(およそ3メートル)近くある黒御影石と、樹齢300年の欅である[4]。 1000年の節目である2000年1月1日午前0時に落成入魂式が行われる[5]。 また、神社建立の際に、漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるが神社を訪れ、御神体に入魂したという[4]。

この神社は、水木しげるロードにある妖怪のふるさとであり、また、妖怪達が住みやすい自然環境を守り育てるための妖怪の郷の意がある[5]。観光客が多く訪れ、著名人が訪れたり[1][6]、結婚式も行われた[7]。ライトアップが行われることもある[8][9]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%96%E6%80%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE



妖怪神社御朱印

御朱印は神社の隣にある土産物店、手作り工芸館むじゃらにて書置きを200円でいただきました。

まつや (6)

前勤務先の友人である借金大王が島根まで遊びに来たので有給を取って観光。

美保関にあるまつやに来ました。

11時開店ですが、待ってる人いますね。

まつや (1)

かなり期待の持てそうな店構えです。

まつや (2)

メニューもいろいろあります。

徳島でいうとびんびやみたいな感じかな。

まつや (3)

海鮮丼を注文して出てきたのがこちら。

やばい

まつや (4)

圧倒的でかさです

まつや (5)

借金大王はまつや定食を注文していました。そちらのサイズ感もやばかったです。

皆さんぜひ食べに行ってみてください。

水木しげるロード (5)

お腹も膨れたところで境港に来ました。

水木しげる先生の出身地ですね。

水木しげるロード (2)

仕事中の先生。

水木しげるロード (6)

なまけ者になりなさい

激務で早死にする人が多そうな漫画家ですが、水木先生は長生きでしたからね。

無理のし過ぎはよくないという戒め。

水木しげるロード (13)

水木しげるロードはこんな感じで商店街の両サイドにブロンズ像が並んでます。

私が行ったのは火曜日でしたので混んではなかったですが、そこそこ観光客いましたね。

水木しげるロード (4)

ポストの上には鬼太郎とおやじ。

水木しげるロード (11)

水木先生ご夫妻

ドラマ化もされて一躍人気になりましたね

水木しげるロード (8)

とうふ小僧

こいつの豆腐を食べると全身にカビが生えます

水木しげるロード (9)

ぬりかべ

水木しげるロード (16)

悪魔くん

水木しげるロード (18)

メフィスト2世

大人になってから見てもかっこいいですね

水木しげるロード (17)

家獣

鬼太郎より悪魔くんをよく見てたからか、悪魔くんのキャラを見ると懐かしく感じる

水木しげるロード (19)

名わき役サラリーマン

水木しげるロード (10)

一つ目小僧

私は遠方から妖怪の像を見て名前を当てていましたが、一緒にいた借金大王はあまり詳しくない様子でした

私は幼少のころから妖怪が好きだったので水木先生の本を愛読していたから覚えているのだ

水木しげるロード (20)

妖怪とか不思議なものは想像力を掻き立てられますね

妖怪神社 (1)

妖怪神社さんに参拝しましょう

妖怪神社 (10)

商店街の中にさりげなくあります

妖怪神社 (2)

目玉のおやじの清めの水

妖怪神社 (6)

御神体に触れて妖怪のパワーを受けましょう

妖怪神社 (8)

妖怪神社 (4)

妖怪の絵馬と妖怪念力棒

妖怪神社 (5)

こじんまりとしたお賽銭箱

妖怪神社 (7)

御神体を撫でまわして妖怪のパワーを全身に受けました

妖怪好きにはたまらないスポットですね、皆さんぜひご参拝ください

大山寺

大山寺

鳥取県西伯郡大山町大山9

大山寺(だいせんじ)は鳥取県西伯郡大山町(大山隠岐国立公園内)伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。中国三十三観音第二十九番。山号は角磐山。本尊は地蔵菩薩。

歴史​

大山寺は奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に俊方(金蓮上人)によって開かれたとされる。『選集抄』や『大山寺縁起』によると、俊方はある日大山で鹿を弓で射たが、その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知った[1]。俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、出家して「金蓮」を名乗り、草庵をむすび地蔵菩薩を祀った[1]。この草庵が大山寺の起源とされる[1]。なお、この「起源」の説話が影響しているのか、現在でも、大山には石造りの地蔵が多数みられる[1]。

平安時代に入って天台宗が統括するようになり、西日本に於ける天台宗の一大拠点となった。寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった。

古くから信仰の道である大山道が岡山県岡山市から南北に整備され、途中出雲街道とも交差することもあって、信仰だけでなく、商業交通の面でも発展した。

中世には尼子氏・毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされた。江戸時代に入ると一時、中村一忠によって寺領の一部が没収されたが慶長15年(1610年)、西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより大山寺領3000石が安堵された。

明治8年(1875年)廃仏毀釈により大山寺の号が廃された。大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。これにより大山寺は急激に衰退した。明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した。昭和3年(1928年)には4度の火災に見舞われた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%AF%BA_(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E7%94%BA)



大山寺出雲霊場御朱印

出雲國神仏霊場の第十番札所です。

s-大山寺中国観音御朱印

中国三十三観音霊場の第二十九番札所です。

大山寺 (1)

大神山神社奥宮の参拝が済んだので、大山寺に向かいます。

大山寺 (2)

手水舎

大山寺 (3)

お花の形

大山寺 (4)

大山寺 (5)

大山寺 (6)

灯明杉

大山寺 (7)



大山寺 (8)

大山寺 (17)

なんやこれ不発弾?

大山寺 (9)

大山寺 (10)

ここに着いたとき先客がめっちゃ強く鐘を鳴らしたのでビックリして心臓がやばかった。

大山寺 (11)

びんずるさん。体の悪いところをなでましょう。

頭と、肝臓のあたりと、足をなでておく。

大山寺 (15)

大山寺 (13)

参拝が終わると昼を過ぎていた。朝は寒かったけど少し暖かくなってきた。

奨 (1)

次郎系が食べたかったので今を粋ろ米子店に行ったのですが、臨時休業だったので松江に戻って中華蕎麦奨へ。セルフサービスのラーメン店って珍しいな。

家系ラーメン食べたかったのに平日限定…なんかタイミングを逸してるな

気を取り直してにんにくチャーシュー醤油ラーメンをチョイス

奨 (2)

美味し。卵かけご飯も追加で食べて満足。

今を粋ろは来月再訪かな。

大神山神社奥宮

大神山神社奥宮

鳥取県西伯郡大山町大山1

大神山神社(おおがみやまじんじゃ)は、鳥取県にある神社である。式内社、伯耆国二宮で、旧社格は国幣小社。伯耆大山山麓(米子市)の本社と山腹(西伯郡大山町)の奥宮とがある。

祭神​
大穴牟遅神 - 本社
大己貴命 - 奥宮

どちらも大国主神の別名である。

歴史

当社の奥宮は、大山に登った修験者が、海抜900mほどの場所に簡易な遥拝所を設置したのが起源とされている[1]。伯耆大山は、平安時代には修験道場として著名な山となっていたが、積雪により祭事に支障が生じるため、麓に冬宮を設置し、冬期はそこで祭事を行うようになった[1]。これにより、現在の「奥宮」は「夏宮」と呼ばれるようになった[1]。

大山は神体山として、大己貴命が鎮まるとされたが、神仏習合が広まると、当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とするようになった[1]。その後、三院にして百八十坊の規模となり、三千人の僧兵を擁するようになった[1]。

『勝見名跡誌』には伯耆大山の智明大権現と因幡・鷲峰山の鷲岸大明神が仲が悪く戦をしたとの伝承が載っている。元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った。

明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(大山寺は後に再興)、冬宮を本社とし、山腹の智明権現の仏塔を廃し、地蔵菩薩を除いて、奥宮とした[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE



大神山神社奥宮御朱印

吉野家

土曜日。今日は大山に行くことにします。

寒くなって雪が降ったら行けなくなるからね。

早く目覚めすぎたので吉野家で朝ご飯。久しぶりに牛丼食うわ。

大神山神社奥宮 (1)

PCXで国道9号線を東進し鳥取入りし、大山に向かう。

めっちゃ寒い。ロンTをパーカーの下に着て、ジーパンの下にタイツを履いてきたが寒い。

タイツを履くのなんて真冬だけだったのに。10月だというのに山陰は冷えますね。

大きい山が見えた。

大神山神社奥宮 (2)

いい感じの山への道。

大神山神社奥宮 (3)

立派な山やな。

大山寺 (18)

車いないと思って車線変更したら事故りかけたわ。気を付けないと。

参道、車で入れますのでゆっくり侵入。門前町があります。

大神山神社奥宮 (4)

途中に駐車場があったので停めて向かう。

大神山神社奥宮 (5)

神はここにくだり 人はここにのぼる

大神山神社奥宮 (6)

大神山神社奥宮 (7)

後醍醐天皇の再起にも関係してるんですね。

名和長年さんの弟さんですか。

名和さんについては名和神社の記事を見てください。

大神山神社奥宮 (8)

大山寺と大神山神社奥宮がありますが、先に神社へ向かう。

鳥居。上のほう苔むしてますね。

大神山神社奥宮 (9)

鳥居を抜けても仏教感。

大神山神社奥宮 (10)

石畳の参道を進む。結構ぼこぼこしてる。

大神山神社奥宮 (11)

鳥居

大神山神社奥宮 (12)

御神水

大神山神社奥宮 (13)

後向き門

扉が逆向きに開くからとのこと。

大神山神社奥宮 (18)

全体図

大神山神社奥宮 (16)

下山神社

大神山神社奥宮 (17)

弁財天社

大神山神社奥宮 (14)

大神山神社奥宮 (15)

意外と石段も長くなく、近くまで車で来られるので参拝しやすかったです。

平濱八幡宮

平濱八幡宮

島根県松江市八幡町303

平濱八幡宮(ひらはまはちまんぐう)は、島根県松江市にある神社である。旧社格は県社。出雲國神仏霊場第13番。

八幡神として応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る。

歴史​

創建年代は不詳であるが、天永2年(1111年)、陰陽寮で当社の遷宮の日時を占ったという記録があり、それ以前には創建されていたことになる。出雲国最古の八幡宮とされる。この地は京都の石清水八幡宮の社領であり、当社は「平浜別宮」と呼ばれ、石清水八幡宮の社家の支流が奉斎していた。

戦国時代には亀井氏、尼子氏、毛利氏によって社殿が造営された。江戸時代には松江藩主が直轄していた。

昭和17年(1942年)に県社に列格した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%BF%B1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE



武内神社御朱印

武内神社 (2)

最近お寺が多かったので今日は神社に来ました。

道路に看板もたってるので迷わずに来られた。

武内神社 (3)

武内神社 (4)

手水舎

感染症の流行により水は止めている様子

武内神社 (5)

武内神社 (6)

周辺の地図

古墳が多いですね。歴史を感じる。

武内神社 (13)

武内神社 (1)

服を授かる社という直球

武内神社 (9)

由緒

武内神社 (10)

やるき達磨

武内神社 (11)

水をかける

武内神社 (12)

無事かえる

武内神社 (7)

武内神社 (8)

御祈祷を受けている家族がいました。結構参拝客いますね。

次は大山を攻めるかなあ。天気がよければいいのですが。


華蔵寺

華蔵寺

島根県松江市枕木町205

今から約千二百年前、桓武天皇の延暦年間に天台宗の僧、智元上人が開基となります。その後、南禅寺派の御開基の亀山法皇の時代に禅宗に改め、南禅寺の末寺となります。以来、皇室の尊信、国主の帰依、外護を受け、枕木十二坊と称し隆盛を極めましたが、戦国時代には兵火に遭ってことごと く焼失し、寺運も衰退。堀尾公の松江築城にあたり、城の鬼門として当寺は祈願所となり復興し、明暦三年(1657)に松平直政公に至り再興なり、 歴代藩主の帰依篤く、外護を受けます。現在の建物はほとんど当時のもので、平成の現在に及んでいる。

以上ホームページより。 http://www.kezoji.com/index.html



華蔵寺御朱印

昭和軒 (2)

日曜日。信長の野望創造PK波多野家で足利将軍家を滅亡させたあたりで外出します。

今日のお昼は昭和軒。ドカチャーシューの味噌ラーメンをチョイス。

圧を感じる。

昭和軒 (1)

チャーシュー麺頼んだのにチャーシュー丼まで頼んでしまったわ。

昭和軒 (3)

美味しかった。要再訪やな。

華蔵寺 (1)

華蔵寺に到着しました。

道を走ってたら枕木山の標識あるのでたどり着くと思います。

広い駐車場があるので停めます。

華蔵寺 (2)

自然公園なんですね。

ここまでの道も、うっそうとした感じでした。

華蔵寺 (3)

では進みます。

華蔵寺 (4)

由緒

華蔵寺 (5)

華蔵寺 (6)

結構長い石段が。

華蔵寺 (7)

石段を登り切った先もまだ道が続く。

華蔵寺 (8)

仁王門

華蔵寺 (9)

仁王門の先も道が続く。

華蔵寺 (10)

巨像が

サルディアの巨像を思い出すビジュアル

華蔵寺 (11)

橋を渡る

華蔵寺 (12)

下を見下ろす

華蔵寺 (13)

立派な石垣が

華蔵寺 (14)

さらに進む

華蔵寺 (15)

石段が

これで到着かな

華蔵寺 (16)

開けた場所に出た。

結構広いな。

華蔵寺 (17)

薬師堂

華蔵寺 (18)

華蔵寺 (19)

由緒

華蔵寺 (25)

手水舎

華蔵寺 (26)

きれいなお花

なんの花やろか

華蔵寺 (20)

華蔵寺 (24)

華蔵寺 (22)

華蔵寺 (23)

華蔵寺 (21)

隠岐出張の疲れが残ってる気がするなー。石段上ったせいかもしれないけど。

峯寺

峯寺

島根県雲南市三刀屋町給下1586番1

峯寺は奈良時代の僧、役小角(えんのおずぬ)が開いたとされる真言宗の古刹で出雲巡礼9番札所です。寺院の絹本著色聖観音像(けんぽんちゃくしょくしょうかんのんぞう)は重要文化財です。
松江7代藩主松平不昧公おかかえの庭師による庭園は、借景を取り入れ寂と仏道の心を石と雑木で表現した名園です。

以上雲南市ホームページより。 https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kankou/spot/terajinja/temple07.html



峯寺御朱印

現進 (2)

今週は隠岐出張で疲れた。

土曜は朝から洗濯、クリーニング、買い物をしてお昼ごはんは現進へ。

今日はつけ麺にしました。現進毎週通ってるな。

現進 (1)

野菜、アブラ、辛めを3倍に。

野菜5倍でもいけたかな?

現進 (3)

つけ麺も結構いけるな。

峯寺 (1)

満腹になったところで出雲國神仏霊場巡拝を進めます。

今日は雲南市の峯寺へ。三刀屋はお店もあるしそこそこ発展してる。お寺は山の中だけど。

峯寺 (3)

細い山道をPCXで登り到着。

峯寺 (2)

峯寺 (4)

手水舎

峯寺 (5)

峯寺 (6)

お大師さま

峯寺 (8)

水子地蔵尊

峯寺 (9)

峯寺 (10)

峯寺 (15)

観音堂へ向かう。

峯寺 (16)

峯寺 (18)

峯寺 (19)

観音堂

峯寺 (20)

朱い鳥居が

峯寺 (21)

お稲荷様ですね

峯寺 (22)

お金持ちになれますように

峯寺 (11)



峯寺 (12)

ヒガンバナ

景色がいいですね

峯寺 (13)

峯寺 (14)

自然がいっぱいなので秋なのにハチとかバッタとかいっぱいいました。

虫が苦手な人はびっくりするかもしれませんね。