2020年09月

月照寺

月照寺

島根県松江市外中原町179

月照寺(げっしょうじ)は、島根県松江市外中原町にある浄土宗の寺院。境内にある松江藩主・松平家の墓所は国の史跡に指定されている。出雲国神仏霊場第5番札所。松江市立第一中学校と隣接する。

沿革​

この地には洞雲寺(とううんじ)という禅寺があった。永く荒廃していたが、松江藩初代藩主・松平直政は生母の月照院の霊牌安置所として、1664年(寛文4年)に、この寺を再興した。浄土宗の長誉を開基とし、「蒙光山(むこうさん)月照寺」と改めた。

直政は1666年(寛文6年)に江戸で死去したが、臨終の際に「我百年の後命終わらば此所に墳墓を築き、そこの所をば葬送の地となさん」と遺した。2代藩主・綱隆は父・直政の遺命を継ぎ境内に直政の廟所を営んだ。この際に山号を現在の「歓喜山」と改めた。以後、9代藩主までの墓所となった。

茶人藩主として著名な7代藩主・不昧の廟門は松江の名工・小林如泥の作によるとされ、見事な彫刻が見られる。境内には不昧お抱えの力士であった雷電爲右衞門の碑がある。また、不昧が建てた茶室・大円庵がある。

1891年(明治24年)、松江に訪れた小泉八雲はこの寺をこよなく愛し、墓所をここに定めたいと思っていたそうである。

境内にある初代より9代藩主までの廟は保存状態が極めて良好である。このため「松江藩主松平家墓所」として1996年(平成8年)3月29日に国の史跡に指定された。高真院(直政)と大円庵(治郷(不昧))の廟門は島根県の有形文化財に指定されている。境内には宝物殿があり歴代藩主の遺品が展示されている。また、アジサイが数多く植えられており「アジサイ寺」として開花時期には多くの観光客が訪れる。

大亀伝説​

6代藩主・宗衍の廟所にある寿蔵碑の土台となっている大亀は、夜な夜な松江の街を徘徊したといわれる。下の蓮池にある水を飲み、「母岩恋し、久多見恋し…」と、町中を暴れ回ったという。この伝説は八雲の随筆『知られざる日本の面影』で紹介されている。この「母岩、久多見」とはこの大亀の材料となった石材の元岩とその産地のことである。不昧は30キロ西方の出雲市久多見町の山中より堅牢で緑色の美しい久多見石を材料として選ぶが、この岩はかつてクタン大神(出雲大社に功有りとし本殿おにわ内にクタミ社として単独社を設けられ祀られる神)が逗留したとされる神石で、切り出しや運搬には難儀を極めたようでもある。こうした神威を恐れた不昧公はお抱えの絵師に延命地蔵像を描かせ、残った岩に線刻し崇めている。この延命地蔵は不昧にあやかり「親孝行岩」として現在も信仰されている。 現在ではこの大亀の頭を撫でると長生きできると言われている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E7%85%A7%E5%AF%BA_(%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82)



月照寺御朱印

月照寺 (1)

日曜日、天気もいいので洗濯物を干してから出雲國神仏霊場巡拝をします。

今日は月照寺に来ました。松江城の西あたり。ファミマの横の路地を入るとあります。

駐車場があるので停めます。

月照寺 (2)

月照寺 (3)

ちゃんとした入り口。史跡ぽいですね。

月照寺 (4)

拝観料が必要です。こちら、いろいろ割引ある様子。出雲國神仏霊場巡拝だと半額とか。

月照寺 (47)

不昧公愛用の水。

松江は不昧公ゆかりのものが多いですね。

月照寺 (48)

月照寺 (5)

由緒

月照寺 (6)

雷伝為右衛門の碑

めっちゃでかい力士ですよね。松江にゆかりがあったんですね。

月照寺 (7)

この門からは入れないので、受付に回ります。

月照寺 (8)

拝観料を支払い、順路に従い進む。

月照寺 (9)

月照寺 (10)

広い庭って感じ。

月照寺 (11)

初代直政公のお墓。

家康公の孫になるんですね。

月照寺 (12)

月照寺 (13)

鳥居があるのは神様だからかな?

月照寺 (14)

次は不昧公のお墓です。

月照寺 (15)

不昧公は自分のお墓を一番いい立地にしたそうな。

月照寺 (16)

松江城が見える位置ですね。

月照寺 (17)

以前はこのあたりに本堂があったそうな。

月照寺 (18)

さらに歴代藩主のお墓があります。

月照寺 (19)

月照寺 (20)

こちらが寺の名前になってる月照院さんのお墓です。

月照寺 (21)

月照寺 (22)

月照寺 (23)

石段の苔むした感じがいいですね。

月照寺 (24)

月照寺 (25)

月照寺 (26)

月照寺 (27)

月照寺 (28)

月照寺 (29)

月照寺 (30)

月照寺 (31)

月照寺 (32)

月照寺 (33)

亀です。

月照寺 (34)

頭をなでると長生きするらしいのでなでます。

月照寺 (35)

月照寺 (41)

藩主の部屋です。

月照寺 (42)

藩主が見る角度が一番庭がきれいに見えるとのこと。

月照寺 (43)

いいお庭ですね。

月照寺 (38)

千利休からもらった品だそうです。

月照寺 (44)

本堂の中です。

月照寺 (46)

狩野派のお抱え絵師の絵だそうです。

月照寺 (45)

月照寺 (36)

外から見るとこんな感じ。

月照寺 (37)

本堂より歴代藩主のお墓がメインな感じでしたね。

その後、宝物殿も見て帰りました。宝物殿は撮影不可なので皆さんの目でご覧になってください。

濃超乱 (1)

昼食は濃厚ラーメン 濃超乱 学園通り店で。

赤濃ラーメンをいただく。

濃超乱 (2)

なかなか繁盛してました。巡拝後の麺は格別です。

美保神社

美保神社

島根県松江市美保関町美保関608

美保神社(みほじんじゃ)は、島根県松江市にある神社である。式内社で、旧社格は国幣中社。

事代主神系えびす社3千余社の総本社である(蛭子神系のえびす社の総本社は西宮神社)。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集める。また、「鳴り物」の神様として楽器の奉納も多い。

祭神​

右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神。事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので義理の母親にあたる。

『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものと見られる。

歴史​

創建の由緒は不詳であるが、8世紀に編纂された『出雲国風土記』の神社台帳に記載される古社である。延喜式神名帳では小社に列する。

中世より横山氏が神職を世襲した。近世頃から「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに参拝者が増えるようになった。出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される。

明治18年(1885年)に国幣中社に列せられ、第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE



美保神社 御朱印

現進

朝は小雨の中、駐車場の草刈りをして疲弊。

現進で味噌らぁめんを食べる。結構中毒性あるな。

日本海

曇りに変わりそうだったのでPCXで外出。

途中天気が崩れそうになり、帰るか悩みながら進む。日本海は荒れています。

美保関灯台 (7)

途中から天候も回復しました。目的地の美保関に来ました。

美保関灯台 (8)



美保関灯台 (1)

由緒ある地名

美保関灯台 (2)

地図を見たところ、私は雨で引き返すか悩んだ結果37号線を走って遠回りしたようですね。

美保関灯台 (3)

地蔵崎

道中に釣り客がいっぱいいたのは、このあたりが釣りのメッカだからですね。

美保関灯台 (4)

いい眺め

美保関灯台 (5)

灯台

美保関灯台 (6)

烏賊の味 忘れで帰る 美保関

青石畳通 (1)

美保神社の手前に青石畳通りがあります。

青石畳通 (2)

風情のある道

青石畳通

青石畳通 (3)

再び高浜虚子

美保神社 (3)

それでは美保神社に参拝しましょう。

美保神社 (1)

鳥居の前のスペースは地元の人が利用してる様子なので、少し離れた駐車場に停めます。地図にPの表記あります。

美保神社 (2)

美保神社 (5)

美保神社 (4)

廻船御用水

御神徳で水が湧き出したそうです

美保神社 (6)

手水舎

コロナの影響により使用休止とのこと

美保神社 (7)

出雲っぽい立派なしめ縄

美保神社 (10)

美保神社 (11)

美保神社 (8)

美保神社 (9)

港町って感じでしたね。いい雰囲気でした。



木山寺

木山寺

岡山県真庭市木山1212番地

木山寺(きやまじ)は岡山県真庭市木山[1]に所在する高野山真言宗別格本山の寺。山号は医王山。詳しくは医王山 感神院 木山寺と号する。本尊は薬師瑠璃光如来。中国三十三観音霊場第四番札所、山陽花の寺二十四か寺第十番札所、高野山真言宗美作八十八箇所霊場第三十四番札所、百八観音霊場第六番札所。

御詠歌
世の人の 悩みも晴れる 醫王山(いおうやま) 観世(かんぜ)の慈悲をしたい 木山寺(きやまじ)
概要
伝承によれば、平安時代前期の弘仁6年(815年)に弘法大師が開いたとされる。弘法大師がこの地を訪れた際に、木こりの老人に導かれ寺院を建立するのに相応しい地であると告げられた。この老人は薬師瑠璃光如来の化身であったという。そこで弘法大師はこの地に寺院を建立したと伝えられている。仁寿年間(851年 - 854年)には文徳天皇の祈願所として勅願寺となった。

この寺院は鎮守神として木山牛頭天王と善覚稲荷大明神を祀っている。木山牛頭天王は薬師瑠璃光如来、善覚稲荷大明神は十一面観音の垂迹神となっている。現在の寺院には珍しく鳥居があり、本堂と鎮守殿に分かれており神社建築の様式となっている。神仏習合の形態を今に残す寺院である。

室町時代中期の応永18年(1411年)赤松義則が一山を寺領として寄進した。その後、尼子氏、毛利氏、宇喜多氏などの戦国大名や、江戸時代になると森氏、三浦氏など周辺の藩主の崇敬を集めた。

江戸時代までは木山宮と呼ばれていたが、明治時代の神仏分離令により木山寺と木山神社に分離され現在に至っている。なお、木山神社の本殿は木山宮の山麓に鎮座しているが、奥宮は木山寺に隣接している。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B1%B1%E5%AF%BA



木山寺御朱印

木山寺 (1)

木山神社で木山寺も参拝することを勧められたので木山寺へ。

マツダのナビはわけわからんルートを検索するのですごく時間かかるみたいに出ましたが看板に従うとすぐ着きました。

駐車場で下車。

木山寺 (3)

弁才天

木山寺 (2)

カエルがいっぱいいました。

木山寺 (4)

お寺だけど鳥居があります。

神仏習合ですね。木山神社とセットなので参拝しに来て正解の様子。

木山寺 (5)

真言宗なんですね。

木山寺 (6)

木山寺 (7)

木山寺 (14)

由緒

木山寺 (8)

お大師さん

木山寺 (16)

木山寺 (17)


木山寺 (9)

木山寺 (12)

鐘楼堂

木山寺 (10)

立派な鳥居

木山寺 (11)

木山寺 (13)

中国観音の巡礼帖をいただこうと思いましたが、綴り込みタイプのものは在庫を切らしていたようでした。

四番札所ですし購入希望者そんなにいないから在庫を置いていないようですね。御朱印だけいただきました。

木山寺 (18)

参拝後、気になる看板を見つける。

木山寺 (19)

牧場&ひみつきち

木山寺 (20)

動物はいませんでした。たまたま留守なのかな?

木山寺 (21)

アスレチックみたいなのがありました。

公園みたいなものなんですかね。動物がいなかったのは残念。

この後無事徳島に帰りつきました。意外と道混んでないから運転楽やな。

木山神社

木山神社

岡山県真庭市木山1265-1

木山神社の創建は、弘仁七年(816年)と伝えられており、京都祇園の八坂神社の御分霊をお祀りしており、現在の真庭市落合地域が「美作国」だった頃に は、美作国南三郷(今の真庭市落合地区)の総氏神として、勝山藩の藩主だけでなく、諸大名や藩内領民達からも厚く崇敬されてきました。

元々は今の奥宮が本宮で、木山寺と共に神仏習合の「木山宮」として祀られてきましたが、明治になり神仏分離政策により木山神社と木山寺に別れました。古く は「木山牛頭天王」と呼ばれ、旧出雲街道には「大仙道」「伊勢」「出雲街道」を示す表示と共に「木山道」を示す標柱が今も残されており、信仰の広さがうかがえます。

明治維新以降から終戦まで、全国の神社を国が管理した時代があり、この時に「社格」という 格 が与えられましたが、当木山神社は県民全体で崇敬すべき神社として「県社」という格が与えられました。

また、戦後昭和三十七年には、戦前より計画されていた「里宮造営事業」が実現され、木山山頂から山麓に遷宮され、現在の鎮座地が造営されました。現在里宮の境内にある建物のうち、木山神社の本殿以外は全て山頂からの移設で、本殿は「奥宮」として山頂に残したために、里宮には新たな本殿が建てられています。

ご祭神
御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)で、荒々しい神である反面、八岐大蛇退治や蘇民将来の伝説で知られるように、世に平和をもたらし、情深い加護を下 さる神として、家内安全・悪疫退散・開運招福・縁結び・勝負事・などの神として、江戸の頃から美作だけでなく、備中・備後・伯耆・出雲から広く信仰されて きました。

以上当社ホームページより。 https://kiyamajinjya.or.jp/



木山神社御朱印

蒜山高原SA (1)

四連休ですね。島根県に引越して間もないですが、友達が長崎から帰省するので飲みに行こうと誘われたので徳島に帰ることにします。

米子道を南下します。蒜山高原SAで休憩。

蒜山高原SA (2)

結構大きいSA。

蒜山高原SA (3)

朝の8時台ですが営業してますね。ありがたい。

蒜山高原SA (4)

大盛よくばりカレーをチョイス。朝から食い過ぎの感ある。

蒜山高原SA (5)

満足。

木山神社 (1)

帰省前に神社に立ち寄ります。落合インターで降りてしばらく走ると到着。

木山神社 (2)

広めの駐車場があるので下車。

木山神社 (3)

なんかひょろい石柱。

木山神社 (4)

近くに木山寺もあるんですね。

木山神社 (5)

駐車場から少し歩く。

木山神社 (6)

鳥居

木山神社 (7)

木山神社 (8)

木山神社 (9)

再び鳥居

木山神社 (10)

木山神社 (11)

由緒沿革

木山神社 (17)

手水舎

木山神社 (18)



木山神社 (21)



木山神社 (13)

天満宮

木山神社 (12)

稲荷社

木山神社 (19)

参拝中に近所の人から

「徳島ナンバーの車が停まってたけど徳島から来たのかい?この神社に徳島の人が奉納した絵馬があるよ」

と言われたので見てみる。

徳島の藍商が連名で奉納したものの様子。

神社の人が何で徳島の藍商が真庭の神社に絵馬を奉納したのか経緯を調べてくれたけどよくわかりませんでした。

それだけ広範囲にこの神社を信仰する人がいたということなんでしょうね。

木山神社 (22)

木山神社 (20)

木山神社 (16)

招き猫のテンちゃん出勤中。

神社の人から「木山寺さんには参拝されましたか?」と言われたので木山寺にも参拝することにします。

なんだか親切な雰囲気の神社でした。いいところですな。

一畑寺

一畑寺

島根県出雲市小境町803

一畑寺(いちばたじ)は、島根県出雲市小境町にある仏教寺院。宗派は臨済宗妙心寺派、及び一畑薬師教団の総本山。山号は醫王山(いおうざん)。通称は一畑薬師。「目のお薬師様」として知られる。

歴史
縁起によれば、寛平6年(894年)、漁師の与市(のち出家して補然と称する)が、海中から引き上げた薬師如来像を本尊とし、医王寺として創建したという。天台宗に属したが、正中2年(1325年)、石雲本竺が臨済宗南禅寺派寺院として再興し、寺号を成徳寺と改めた。

承応2年(1653年)には一畑寺に改名。寛政2年(1790年)、妙心寺派に転属した。

昭和28年(1953年)、宗教法人一畑薬師教団が設立され、一畑寺が総本山となっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E5%AF%BA



一畑寺御朱印

めん家現進

今日は夏休みを消化するためお休み。

職場の後輩も同じく夏休みを取得していたので、ラーメンを食べに行こうと誘われめん家現進へ。

平打ち麺の次郎系ラーメンですね。面の量を100~300グラムで選べますが、健康面を考慮して200グラムを選択。

結果的に200グラムでちょうどよかったですね。隣の席の島根大学生っぽい団体は300グラム頼んでましたけど。

大学生はいっぱい食べるからね、野菜もマシマシで食べるといいと思う。

パフェ

食後は喫茶店に移動。パフェを食す。

男二人で何をやっているのか。

一畑寺 (9)

男二人カフェも終了したので出雲國神仏霊場巡拝を進めることにします。せっかくの休みですしね。

PCXで一畑薬師に来ました。

一畑寺 (10)

到着し途端雨が降ってきた。

なんか松江に来てからPCXで出た日に限って雨天多いな。日本海側だから雨天が多いのか私が不運なのか。

一畑寺 (11)

一畑寺 (12)

雨は小降りになってきた。よかった。

なんか目玉のおやじがいる。

一畑寺 (13)

おやじが欲に転んでいるのか。

一畑寺 (14)

欲に転ばないように気を付けないといけませんね。

一畑寺 (15)

門前には売店が並んでますね。

一畑寺 (16)

目玉のおやじ再び。

一畑寺 (17)

さらに目玉のおやじ。

一畑寺 (18)

一畑寺 (20)

参道を進む。

一畑寺 (21)

いい景色。

一畑寺 (22)

一畑寺 (23)

石段の前に目玉のおやじ。

一畑寺 (24)

三昧?

一畑寺 (25)

三昧ってそういう意味だったんですね。

一畑寺 (26)

石段を上る。

仁王門。

一畑寺 (27)

さらに上る。

一畑寺

一畑寺 (28)

一畑寺 (29)

手水舎

一畑寺 (30)

センサーで水が出ます。

一畑寺 (31)

水木しげる先生っぽい像が。

一畑寺 (32)

こんなエピソードがあったんですね。

水木先生は妖怪だから不死身だと思ってたけど亡くなられたのが残念です。

一畑寺 (33)

一畑寺 (7)

十六羅漢像

一畑寺 (8)

並んでるのを見ると迫力あるな。

一畑寺 (2)

萬堂

一畑寺 (3)

めっちゃ仏様がいるわ。

一畑寺 (4)

圧巻ですな。

一畑寺 (1)

一畑寺 (40)

お稲荷さん。

お金持ちになれますようにと祈る。

あかん、欲に転んでしまう。

一畑寺 (39)

一畑寺 (37)

一畑寺 (38)

一畑の地名の由来が。

薬畑の番号だったんですね。

一畑寺 (34)

観音堂。観音堂があるから中国観音霊場にも含まれてるんですね。薬師如来なのになんで観音霊場なのかなと思っていました。

一畑寺 (35)

薬師如来様に健康祈願しないと。

一畑寺 (36)

びんずるさんを撫でる。頭がよくなるように頭を撫でて、脂肪肝が解消するようにおなかを撫でて、ねん挫した足を撫でて…

病気の個所が多すぎる。

健康管理に気を付けないといけませんね。

鰐淵寺

鰐淵寺

島根県出雲市別所町148

鰐淵寺(がくえんじ)は、島根県出雲市別所町にある天台宗の寺院。山号は浮浪山。中国観音霊場第25番札所、出雲観音霊場第3番札所、出雲國神仏霊場第2番札所。開山は智春上人、本尊は千手観世音菩薩と薬師如来の二体。

歴史
草創と修験行場としての発達
伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。なお、出雲市東林木町(ひがしはやしぎちょう)の万福寺(大寺薬師)も同様に推古天皇2年、智春の開山を伝えている。以上はあくまでも伝承であり、創建の正確な時期や事情は明らかでない。鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。

後白河法皇の『梁塵秘抄』に収録された今様に「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われており、平安時代末期頃には修験行場としても発展し日本全国に知られるようになったものと思われる。

天台宗への帰依
平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、特に比叡山東塔の無動寺谷と関係が深かった。伝承では円仁(慈覚大師)が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。寺に残る経筒には仁平元年から3年(1151 - 1153年)にかけて書写した法華経を「鰐淵山金剛蔵王窟」に安置したとの銘があり、この頃には法華経信仰も行われていたことがわかる。「金剛蔵王窟」とは前述の浮浪の滝の滝壺を指すと思われる。

薬師如来と出雲大社
平安時代末期までの鰐淵寺は現在地のやや西寄りの唐川にあった。これに林木(はやしぎ、現出雲市内)の別の寺院(薬師如来を本尊とする)が吸収された。以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする「北院」と薬師如来を本尊とする「南院」に分かれることになる。

鎌倉時代には守護佐々木氏(塩冶氏)の保護を得て栄えた。また、鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する出雲大社との関係も深まった。稲佐の浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が発生し、これが出雲大社の発展と重なり、古代秩序の崩壊と中世への移行も相まって、神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展し、後に出雲大社の別当寺を務めるまでにその関係は深まった。

弁慶に関する伝承
弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。その後、姫路の書写山圓教寺、比叡山と移り、更に源義経の家来となり義経に従い国内を転戦したが、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した。特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある銅鐘は国の重要文化財に指定されている。

後醍醐天皇と鰐淵寺
南北朝時代には鰐淵寺の北院と南院は、それぞれが北朝・南朝を支持して対立した。元弘2年、後醍醐天皇が隠岐に流された際、南院の頼源大師が御所に伺候し、宸筆の願文(倒幕の所願を遂げたら薬師堂を造営するというもの)を賜った。この願文は現存し、重要文化財に指定されている。頼源は後醍醐の隠岐脱出を助け、南朝に忠誠を尽くした。

南院・北院が和解したのは貞和3年(1347年)のことで、これを機に寺は唐川から別所に移り、北院の千手観音と南院の薬師如来をともに本尊として安置することになった。

毛利氏と鰐淵寺
戦国時代には出雲においても尼子氏と毛利氏の間に激しい戦いが繰り広げられたが、毛利氏による出雲侵攻時には鰐淵寺の和多坊栄芸(わだぼうえげい[1])が一貫して毛利氏を支持し、毛利氏の勝利後鰐淵寺は毛利氏の保護を受けることとなった。今に残る根本堂は、この毛利氏時代に建立された[2]ものである。

勢力の衰退
16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、また祭神が須佐之男命から大国主神に変更されたことから、神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなりその勢力は衰えを見せた。

鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、現在では、根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。弁慶との繋がりから催されるイベントと境内の紅葉が美しく色付くことから、毎秋一時賑わいを取り戻す。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%90%E6%B7%B5%E5%AF%BA



額淵寺御朱印

鰐淵寺 (1)

日曜日はくもりの予報だったので、PCXで平田方面を巡ろうと出発。

なんかまあまあ雨降ってきてずぶ濡れになる。くもりじゃないやん。

ちょっと冷えましたが鰐淵寺に着いた。駐車場から歩かないといけないんやな。

鰐淵寺 (3)

入山料が必要とのこと。お寺って入るのにお金必要なこと多いよね。神社は少ないけど。

鰐淵寺 (2)

弁慶の修行の地なんや。知らんかった。

鰐淵寺 (4)

PCXは駐車場に残し、歩きます。

鰐淵寺 (5)

歩く。

鰐淵寺 (6)

カラーコーンが車両の進入を阻む。

鰐淵寺 (7)

道中にイラストがあります。参拝客が飽きないようにでしょうか。

鰐淵寺 (8)

落石注意。

鰐淵寺 (9)

イラスト

鰐淵寺 (10)

弁慶

鰐淵寺 (11)

イラスト

鰐淵寺 (12)

さらに歩く。

鰐淵寺 (13)

イラスト

鰐淵寺 (14)

濁流。落ちたら死ねる。

鰐淵寺 (15)

八百屋お七がこんなところに。

鰐淵寺 (16)

着いた。そこそこの距離やな。

鰐淵寺 (17)

由緒

鰐淵寺 (18)

鰐淵寺 (19)

入山料を納めて進むと石段。

苔むしてて滑って転びそうでこわい。

鰐淵寺 (20)

石段を上ると苔むした休憩スペースが。

鰐淵寺 (21)

風情を感じる。

鰐淵寺 (22)

そして石段。最初の石段よりは安全やな。

鰐淵寺 (23)

鰐淵寺 (25)

手水舎

鰐淵寺 (26)

苔むしたベンチ。

なんかラピュタを思い出す。人が住まなくなった後の世界。

鰐淵寺 (29)

弁慶のエピソードがある鐘。

鰐淵寺 (30)

鰐淵寺 (27)

神社

鰐淵寺 (24)

鰐淵寺 (28)

鰐淵寺 (31)

足元も悪いしこれ以上の散策は控えて退散。

風風ラーメン (1)

せっかく平田まで来たのでなにかランチを食べようと調べたけど日曜定休の店が多いのね。

帰り道に風風ラーメンを見つけたので入店。

風風ラーメン (2)

バリ黒豚骨チャーシューを注文。美味。

風風ラーメンって北九州が本拠のチェーン店なんですね。徳島県民の私は初めて食べましたわ。

帰りは雨降ってなくてよかった。宍道湖沿いの道を快調にPCXで走れました。

須佐神社

須佐神社

島根県出雲市佐田町須佐730

須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。式内小社で、旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第十八番。

須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀する[注釈 1]。

歴史
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。

旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。

『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%B8%82)



須佐神社御朱印

須佐神社 (1)

出雲市の地理を覚えようと思い、雨の中アクセラで走り出す。

出雲市佐多町の須佐神社に来ました。結構遠くて驚いた。出雲市広いな。

須佐神社 (2)

道中は土砂降りでしたが到着したら止んでた。よかった。

須佐神社 (3)

細い橋を渡るので不安になりますが、通り抜けると駐車場あります。

須佐神社 (4)

道を挟んで天照社があります。

須佐神社 (5)

スサノオノミコトとは姉弟なので祀られているんでしょうね。

須佐神社 (6)

手水舎

須佐神社 (7)

由緒

須佐神社 (8)

須佐神社 (9)

須佐の七不思議

須佐神社 (10)

塩井。なめてみたけど塩味なのかよくわからなかった。味覚音痴。

須佐神社 (11)

須佐神社 (12)

須佐神社 (14)

須佐神社 (15)

晴れてる日にバイクで来ると気持ちよさそうな立地でした。

すさ音CAFE (2)

須佐神社の駐車場前におしゃれなカフェを発見。

たまにはこういうおしゃれなお店で食事もいいだろう。おなかすいてきたし。

すさ音CAFE (3)

入ろうと思ったらコロナの影響でテイクアウトのみとなっていると。かなしい。

隣の土間?っぽいスペースは広いから使ってもいいとのことでそちらで食べることに。

すさ音CAFE (1)

テイクアウト用のしまね和牛牛すじカレーを食す。美味し。

コロナが早く終息してほしいですね。

味処すさのお

カレーだけだと物足りないのでもう一軒はしご。

味処すさのお。

きじそば

きじそばというメニューが気になり注文。

その名の通り鳥のキジを使っているとのこと。珍しい。

味は美味でした。島根にきてから蕎麦を食べる機会が増えました。ラーメンより体によさそうでいいと思う。

佐太神社

佐太神社

島根県松江市鹿島町佐陀宮内73

佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社。出雲国二宮である。出雲國神仏霊場第四番。

歴史
創建
秋鹿郡佐田大社之記に垂仁54年の創建で、養老元年(717年)に再建されたとある。『出雲国風土記』の記述からもとは神名火山(現:朝日山)のふもとに鎮座していたと考えられる。

社名の変遷
『出雲国風土記』秋鹿郡条に「佐太御子社」と記載されている。延喜式神名帳には「佐陀神社」と記載されている[2]。中世に入ると「佐陀大明神」とか「佐陀大社」、「佐陀三社大明神」などと呼ばれるようになった。明治に入り現在の「佐太神社」に改称した。

神階
日本三代実録より

貞観元年(859年) 従五位下
貞観9年(867年) 従五位上
貞観13年(871年) 従四位下
社領
康元元年(1256年)の『社領注進状』(出雲大社所蔵)によれば280丁と、杵築大社(現:出雲大社)に匹敵するほどの社領を有していたという。宝永3年(1706年)の『佐陀大社勘文』によれば、島根郡と秋鹿郡に7000石の社領と224人の神人を有していたが太閤検地によって大幅に減じられ、堀尾吉晴の時代になって200石まで回復したという。江戸時代に入ると杵築大社とともに出雲国内の神社を管轄しそれらを支配する「触下制度」を確立した。佐陀大社の管轄は島根郡、秋鹿郡、意宇郡の西半分と楯縫郡の神社であった。

近現代
明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、祭神を猿田彦命と明示するように指示された際、神社側は一旦はそれを拒んだが、後に従った。

平成26年、正中殿などの修理が行われており8月に修理見学会が開催された[3][4][5][6]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE



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佐太神社御朱印 (2)

出雲国新仏霊場の巡拝帳も入手。

出雲大社とかは参拝済みですが、再度巡ろうと思います。

佐太神社 (1)

島根県にお引越ししました。

島根県は二度遊びに来ておりますが、しばらく住むことになりそうなので楽しんでいこうと思います。

まだ土地勘がないので有名どころから参拝します。出雲国二宮の佐太神社です。

佐太神社 (2)

駐車場も広くて移住間もない人間にもやさしい。

PCXがまだ届いてないんですよね。

佐太神社 (3)

原発あるんやな。地震こないでくれ。

佐太神社 (4)

佐太大神の説明。

出雲は神話の国ですし、巡礼も楽しそうですね。

佐太神社 (5)

台風が近づいているはずですが天気はすこぶるいい。

佐太神社 (6)

手水舎

佐太神社 (7)

佐太神社 (8)

まずは記念すべき引っ越し後第一社目の参拝でした。