井戸寺
井戸寺
徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1


新型コロナウイルス感染症が流行してますね。世間は自粛ムードですが私は自粛せずに寺社参拝します。
朝ごはんはやまのうどん。おいしい。

井戸寺に来ました。

よく通るけどちゃんと参拝するのは始めてかも。

大わらじ。

手水舎

大悲殿

井戸

空海最強伝説

井戸、柵されてるから転落はしないな。


コイ

お大師様



納経所に亀岡の大河ドラマ館で買った明智光秀朱印帳が売ってたんですけど、ドラマ館限定品とかじゃなかったんですね。
てか井戸寺と明智光秀関係あるのか。流行に敏感なだけなのか。
徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1
井戸寺(いどじ)は、徳島県徳島市国府町井戸にある真言宗善通寺派の寺院。四国八十八箇所第17番札所。本尊は七仏薬師如来(伝聖徳太子作)。
歴史
寺伝によれば、阿波の国司に隣接し天武天皇が勅願道場として673年に創建し、七堂伽藍、末寺12坊を誇る壮大な寺院となり「妙照寺」と称していた。本尊は薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏薬師如来で聖徳太子作、また、日光菩薩、月光菩薩は行基作と伝えられる。伝承ではその後、弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)が来錫、十一面観世音菩薩を刻んで安置したという。また、その際に土地の人々が水不足で困っていることを知り、錫杖で一夜にして井戸を掘った。そこでこの地を井戸村と呼ぶようにし、寺号も「井戸寺」と改めたという。
貞治元年(1362年)、細川頼之の兵火(細川清氏の反乱)で堂宇を焼失し、後に頼之の弟・細川詮春によって再建されたが、天正10年(1582年)に十河存保と長宗我部元親の戦い(第一次十河城の戦い)により再び堂宇を焼失、慶長年間(1596年 - 1615年)に徳島藩主蜂須賀氏によって再興に着手され、万治4年(1661年、藩主は蜂須賀光隆)にようやく本堂が再建となる。
大正5年(1916)正式名称を井戸寺にする。それまでは、納経には妙照寺が使われていたという。 その後、昭和43年(1968年)失火によりまたも本堂が主尊の中央本尊を残して焼失し、3年後に再建された。
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%88%B8%E5%AF%BA


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朝ごはんはやまのうどん。おいしい。

井戸寺に来ました。

よく通るけどちゃんと参拝するのは始めてかも。

大わらじ。

手水舎

大悲殿

井戸

空海最強伝説

井戸、柵されてるから転落はしないな。


コイ

お大師様



納経所に亀岡の大河ドラマ館で買った明智光秀朱印帳が売ってたんですけど、ドラマ館限定品とかじゃなかったんですね。
てか井戸寺と明智光秀関係あるのか。流行に敏感なだけなのか。