2020年02月

賀茂御祖神社

賀茂御祖神社

京都府京都市左京区下鴨泉川町59

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

国際連合教育科学文化機関 (UNESCO=ユネスコ)の世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。

本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。金鵄および八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

境内に糺の森(ただすのもり)、御手洗川、みたらし池がある。

神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっている。

御手洗社の水は葵祭の斎王代清めの聖水である。現存。飲料可[1]。

歴史
京都の社寺では最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。

上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。

平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする式年遷宮を行っていたが、本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみである。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE



下賀茂神社

下賀茂神社 (1)

下賀茂神社前で下車するとすぐ。

手水舎

下賀茂神社 (2)

河合神社があるほうまで南下します。

下賀茂神社 (3)

摂社が多い。

下賀茂神社 (4)

下賀茂神社 (5)

下賀茂神社 (6)

参道広いなー。

下賀茂神社 (7)

下賀茂神社 (8)

下賀茂神社 (9)

立派な鳥居

下賀茂神社 (10)

手水舎

下賀茂神社 (11)

さざれ石

下賀茂神社 (12)

下賀茂神社 (13)

下賀茂神社 (14)

下賀茂神社 (15)

下賀茂神社 (16)

下賀茂神社 (17)

干支の社

下賀茂神社 (19)

寅年なので寅の社で拝む。

帰りは大阪から高速バスに乗れたので無事に帰れました。

これで残る一宮は新一宮の北海道だけか。遠征やな。

河合神社

河合神社

京都府京都市左京区下鴨泉川町59

河合神社

書置きをいただきました。直書きはしていない様子。

河合神社 (1)

下賀茂神社前バス停下車し南下。

下賀茂神社広くて歩きつかれる。

河合神社 (2)

鳥居

河合神社 (3)

手水舎

河合神社 (4)

三井社

河合神社 (8)

参拝客多いな。

河合神社 (10)

河合神社 (9)

立地的に上賀茂より参拝しやすいから人が多いですね。

賀茂別雷神社

賀茂別雷神社

京都府京都市北区上賀茂本山339

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要

京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り[1]、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。また、社報「上賀茂」が年2回発行されている。

歴史
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。

延暦13年(794年)の平安遷都後は、皇城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治の近代社格制度でも伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE



上賀茂神社

リバース (1)

京都駅からバスで上賀茂神社前まで。

一乗寺でラーメンを食べたかったが、乗り換えめんどくさいのでエミリーダコタにもらった東京バナナカステラで我慢して終点まで移動。

神社の近くでランチを食べることに。変わった名前の店を発見。

リバース (2)

定食メニューが豊富でいい感じ。

京都産業大学とか近いし、学生の利用も多いのかもね。

リバース

がっつり。美味い。一乗寺行かなくて正解だったな。

上賀茂神社 (1)

満腹になったところで参拝します。

上賀茂神社 (2)

世界遺産ですな。

上賀茂神社 (3)

立派な鳥居。

上賀茂神社 (4)

春に来たら花咲いてるのかな。

上賀茂神社 (6)

神馬

上賀茂神社 (7)

上賀茂神社 (10)

手水舎

上賀茂神社 (8)

工事中

上賀茂神社 (9)

上賀茂神社 (11)

次は下賀茂神社へ。

京都ってバスが均一料金で230円なんですね。便利やわ。

出雲大神宮

出雲大神宮

京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、京都府亀岡市にある神社。式内社(名神大社)、丹波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。

旧称は「出雲神社」。別称として「元出雲」や「千年宮」とも。

亀岡盆地東部に立つ御蔭山(みかげやま。御陰山、御影山、千年山とも)の山麓に鎮座。古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、社殿は和銅2年(709年)に創建されたと伝える。

「元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝(後述)に由来する。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされる。

現在の本殿は重要文化財に指定されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE



出雲大神宮

ビジホ朝食

名古屋の名鉄インで一泊し、当初は名古屋で地下鉄使って神社巡りを予定していましたが

「あれ?一宮巡りもうすぐ終わるんじゃね?」

と気づいて参拝できていない京都の一宮巡りに予定変更。ビジホの無料朝食を食べて出発。

亀岡駅 (2)

新幹線で京都まで戻り、特急で亀岡へ。

亀岡駅 (1)

明智光秀推してますね。

出雲大神宮 (1)

タクシーで到着。

出雲大神宮 (2)

駅から歩くのは無理やな。バスはあるみたいやけど本数少なそう。

出雲大神宮 (3)

屋台あるな。

出雲大神宮 (4)

さざれ石

出雲大神宮 (5)

しあわせなでうさぎ

全体を撫で回す

出雲大神宮

弁天社

出雲大神宮 (6)

出雲大神宮 (7)

手水舎

出雲大神宮 (8)

真名井の泉

出雲大神宮 (9)

夫婦岩

出雲大神宮 (10)

摂社

出雲大神宮 (11)

出雲大神宮 (12)

亀岡って遠いと思ってたけど京都からだと案外近いな。

帰りのタクシーは社務所で呼んでくれました。親切やな。

ドラマ館

せっかく亀岡まで来たので大河ドラマ館も立ち寄る。

明智光秀いいですよね。私は義理が低くて有能な武将大好きです。

明智光秀御朱印帳

売店で明智光秀御朱印帳を衝動買いしてしまう。

御城印用にしようかな。


清洲山王宮 日吉神社

清洲山王宮 日吉神社

愛知県清須市清洲2272

日吉神社

月替わりの御朱印をいただきました。

新清洲 (1)

新清洲駅で下車。

清洲といえば清洲城ですね。清洲会議とかも有名ですね。

新清洲 (2)

信長を推してますね。

日吉神社 (2)

大神神社、国府宮と歩いた疲れが出てきていますが、なんとか到着。

日吉神社 (1)

住宅街の中にひっそりと鎮座。

日吉神社 (3)

こんなところでも信長推し。

日吉神社 (4)

日吉神社 (5)

手水舎

日吉神社 (6)

神馬

日吉神社 (7)

子産石

この意思のおかげで太閤秀吉公は産まれてきたらしい。

なでると妊娠すると書いていたのでなでておきました。

日吉神社 (8)

皿を割るところ。

二荒山神社にもありましたねこういうの。

日吉神社 (9)

大きい絵馬

日吉神社 (10)

稲荷社

日吉神社 (11)

稲荷社の鮮やかな赤がいい。

日吉神社 (12)

日吉神社なので猿。

日吉神社 (17)

日吉神社 (18)

太閤秀吉公のように出世したいですな。

日吉神社 (15)

御朱印の種類豊富。

これくらい御朱印推してくれてるとありがたい。

日吉神社 (13)

いちはらひろこ恋みくじっていうのが有名らしいので引いてみます。

日吉神社 (14)

辛口一言かーワクワク。

日吉神社 (16)

撤収

ホンマに辛口やな。

忘れよう。

ライブハウス

歩きつかれて金山のビジネスホテルで小休止し、夜はライブハウスへ。

たべるさん

たべるさん。CD買ってあげました。結構いい歌。

エミリーダコタ

今回私を名古屋まで呼び出したエミリーダコタ。

普段はっちゃけてるのに歌は真面目。

味仙

ライブ後はダコタらと味仙で中華を食しました。

久しぶりの再会で楽しめました。

尾張大国霊神社

尾張大国霊神社

愛知県稲沢市国府宮1-1-1

尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)は、愛知県稲沢市国府宮にある神社。近くに尾張国の国衙(国府)があったことから、一般には国府宮神社(こうのみやじんじゃ)、国府宮(こうのみや)と呼ばれる。最寄りの名鉄電車の駅は神社の通称にちなむ「国府宮駅」となっている。

毎年旧暦1月13日に執り行われる儺追(なおい)神事、通称「国府宮はだか祭り」、「はだか祭り」で有名である。

「はだか祭り」は、くじによって選出された、「神男」(しんおとこ)に触れると厄が落とされるという言い伝えが今なお残る。

由緒
祭神の尾張大国霊神は、尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされる。開拓の神ということで、大国主命とする説もある。

神社は尾張国府の創始とともに創建されたもので、尾張国の総社とされた。境内別宮の大御霊神社(大歳神之御子。大年神の御子神の大国御魂神のこと)・宗形神社(田心姫命)とともに国府宮三社と称する。『延喜式』では小社に列する。昭和15年(1940年)に国幣小社に列格し、戦後は別表神社となった。

本社の建築様式は本殿、渡殿、祭文殿、廻廊、拝殿、楼門と並ぶもので「尾張式・尾張造」と称される。また、本殿に接する位置には自然石を5個円形に並べた「磐境(いわくら)」があり、社殿建立以前の原始的な祭祀様式を物語るものとして神聖視されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE



国府宮

国府宮 (1)

大神神社から名古屋に戻る途中で国府宮に立ち寄ります。

国府宮 (2)

道中に摂社。

国府宮 (3)

男くさい祭りが有名な様子。

国府宮 (6)

駅から少し歩くと到着。

国府宮 (4)

でっかい鳥居。

国府宮 (7)

屋台も出てますね。

国府宮 (8)

結構参拝客多い。

国府宮 (9)

手水舎

国府宮 (10)

国府宮 (11)

参拝客も多くてにぎわっていましたわ。愛知県流石ですわ。

大神神社

大神神社

愛知県一宮市花池2-15-28

大神神社(おおみわじんじゃ)は、愛知県一宮市花池にある神社。式内社(名神大社)で、尾張国一宮を称する。旧社格は郷社。神紋は「三杉」。

祭神
祭神は次の1柱[1]。

大物主神 (おおものぬしのかみ)
大神氏(三輪氏)の奉斎する神で、大神神社(奈良県桜井市)の祭神[1]。
大物主神とは別に、『新撰姓氏録』大和国神別 工造条に火明命十世孫として見える大美和都禰命を祭神とする説があり、これにより尾張氏(火明命の後裔氏族)と当社奉斎氏族との同祖関係が推測される[1]。

歴史

概史
創建は不詳。上記のように、大物主神を奉斎する大和の大神氏(三輪氏)一族が来住し祭祀を担ったと見る説と、大美和都禰命を奉斎する尾張氏関係氏族が祭祀を担ったと見る説がある[1]。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「大神神社 名神大」と記載され、名神大社に列している[1]。社名は、写本によっては「大神々社」「太神社」とも表記される。『妙興寺文書』「中島長利寄進状」(観応元年(1350年))では、大神の地はと塚[2](現・一宮市大和町戸塚)の北東部になるとあり、この記載が名神大社比定の傍証になる[1]。一方、他の名神大社と異なり『延喜式』臨時祭 名神祭条では当社の記載がないため、神名帳の「名神大」を衍字と見る説もあるが、肯定説では『貞観式』や臨時祭式の成立後に当社が名神大社の列に加わったためと推測する[1]。また『和名抄』に見える郷名のうちで、当地を中島郡美和郷にあてて「みわ(神/美和)」のつながりを見る説が古くからあるが、『新編 一宮市史』では拝師郷または川埼郷にあてる[1]。

社伝によると、当地は熱田社(熱田神宮)の荘園(熱田庄)で、毎年旧暦7月7日には熱田社に素麺と蓮を奉納したといい、「花池」の地名はその名残とする[1]。しかし『尾張国地名考』ではこの伝承は否定されており、真偽は不詳[1]。また近世には、当社は「三明神」「三宮明神」と称されていたという[1][3]。

明治5年(1872年)5月には近代社格制度において郷社に列した[4]。現在では尾張国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している(ただし一般的には尾張国一宮は真清田神社とされる[5])。これに関して大神神社側では、真清田神社・大神神社が対の宮であったとし、ともに一宮となったと主張している[3]。現在神職は常駐しておらず、一宮市内の大神社の宮司が兼務する。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%B8%80%E5%AE%AE%E5%B8%82)



大神神社

御朱印帳をレターパックで郵送してご対応いただきました。

徳島駅前

知り合いが名古屋でライブをするとのことで愛知県に向かいます。

高速バス→新神戸から新幹線のルートで行きます。

撤退が発表された徳島そごうに見送られて出発。

恋文の季節

森見登美彦を読もうと思ったけど寝てしまった。

立川マシマシ店前

名古屋に到着したためお昼ごはんにします。

悩んだ結果二郎インスパイアに。

立川マシマシ。

立川マシマシ

めっちゃ混んでるかと思ったけど待たずに入れた。

二郎系は中毒性あるな。

名鉄一宮駅 (2)

知り合いのライブは夜のため、日中は神社巡りします。

一宮巡りを進めるため、尾張一宮で下車。

真清田神社は以前参拝したので、今回は大神神社に行きます。

留守のことが多いと聞きますが、運否天賦。アポはとらず向かいます。

大神神社 (2)

駅からそこそこ歩いて到着。

大神神社 (1)

住宅街にあります。

大神神社 (3)

手水舎

大神神社 (4)

大神神社 (7)

大神神社 (8)

神馬

大神神社 (9)

大神神社 (10)

どうやら社務所は留守。掲示されている電話番号にかける。

「今日は午前中お祭りで、御朱印の対応もしていたんですよ~。もうみんな帰っちゃってますか?」

「明日も多忙で御朱印対応終日できないんですよ~。」

なんと間の悪い。


レターパックで御朱印帳を送ったら対応いただけるとのことだったのでお願いしました。すぐにご対応いただけました。ありがとうございました。


亀山神社

亀山神社

広島県呉市清水1丁目9-36

歴史
豊前国宇佐に鎮座していた八幡神が、豊後国姫島、安芸国栃原を経て大宝3年(703年)8月15日に宮原村亀山(入船山)に遷座したのに始まると伝える。当社は皇城宮・大屋比売神社・大帯比売神社・比売志麻神社・鈴音宮などと呼ばれたが、一般には「八幡様」と呼ばれていた。明治19年(1886年)、亀山に呉鎮守府を開設するのに伴い現在地に遷座した。

昭和16年(1941年)に県社に列格した。昭和32年(1957年)に別表神社に加列された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%91%89%E5%B8%82%E6%B8%85%E6%B0%B4)



亀山神社

ふみちゃん (1)

長崎を後にし、地元との中間地点である広島入り。

ふみちゃんで晩御飯。カキ。

ふみちゃん (2)

お好み焼き。

八昌

お好み焼きをはしご。八昌でお好み焼き。

つけめん (1)

飲み屋の姉ちゃんに広島つけ麺のお勧めを聞くと唐々亭とひこで意見が割れたので食べて確認することに。

まず唐々亭。お勧めの30倍の辛さ。

つけめん (2)

次はひこ。お勧めの20倍を食す。

つけめん (3)

個人的には唐々亭が美味しい気がする。ひこは2店舗目だから満腹すぎたってのもあるので判断難しいけど。

ヤマトミュージアム (2)

翌日。借金大王が呉の大和ミュージアムに行きたいというので呉に立ち寄る。

ポセイドンの像。

艦船 (1)

船に乗って艦船を眺めるツアーをしていたので参加。

タンカー大きい。

艦船 (2)

艦船 (3)

就職活動でIHIを受けたのを思い出しました。重工業って素敵。

ヤマトミュージアム (3)

艦船見学結構よかった。

大和ミュージアムに行きます。

ヤマトミュージアム (1)

借金大王は大和ミュージアムが宇宙戦艦ヤマトの展示をしていると思っていたらしい。そんなわけないやろ。

がっつり軍港呉と船の歴史を学びました。勉強になるわ。

海軍カレー

大和ミュージアム隣接のカフェで海軍カレーを食す。美味い。

亀山神社 (1)

呉まで来たので最後に呉総氏神の亀山神社に参拝して帰ります。

亀山神社 (2)

由緒

亀山神社 (3)

稲荷神社

亀山神社 (4)

手水舎

亀山神社 (5)

亀山神社 (6)

亀山神社

このあと最後まで借金大王に運転を押し付けて帰りました。お疲れ様でした。

玉園稲荷神社

玉園稲荷神社

長崎県長崎市上西山町18

玉園稲荷神社

鎮西大社諏訪神社の授与所にて御朱印いただけます。

玉園稲荷神社 (1)

諏訪神社の裏手に向かって階段が続いています。

玉園稲荷神社 (2)

お稲荷さんの鮮やかな赤い鳥居。

玉園稲荷神社 (3)

玉園稲荷神社 (4)

キツネ

玉園稲荷神社

キツネ

玉園稲荷神社 (5)

手水舎

玉園稲荷神社 (8)

抱き大楠

玉園稲荷神社 (6)

玉園稲荷神社 (7)

お金持ちになれるよう祈願。

ランタンフェスティバル (4)

友人とも合流し、長崎の街に繰り出します。

ランタン祭りの時期なんですね。

ランタンフェスティバル (3)

商店街。人が多いです。

ランタンフェスティバル (1)

ランタン。

ランタンフェスティバル (2)

川沿いがランタンで彩られています。

思案橋

行くか戻ろか思案橋

五人百姓 (2)

五人百姓さんでお酒を飲みました。

芋焼酎ソーダ割りおいしい。

グラバー園 (1)

友人の家で一泊し、翌日はベタに長崎観光。

世界遺産であるグラバー園。

グラバー園 (9)

グラバー亭は工事中でした。

グラバー園 (10)

グラバーさん。

グラバー園、結構展示資料がっつりあっておもしろかったです。

大浦天主堂 (3)

これまた世界遺産の大浦天主堂。

大浦天主堂

観光に来たら世界遺産は外せませんな。

ちゃんぽん

ベタに長崎ちゃんぽんを食べてカステラを買って長崎観光終了。

長崎市は有名スポットが集中していて観光しやすいですね。頑張れば四国からも来れると証明されましたし要再訪ですね。

鎮西大社諏訪神社

鎮西大社諏訪神社

長崎県長崎市上西山町18-15

弘治年間より長崎に祀られていた諏訪神社・森崎神社・住吉神社の三社が起源である。弘治元年(1555年)に、長崎織部亮為英が京都の諏訪神社の分霊を、現在の風頭山の麓に奉祀したのが始まりという説と、東松浦郡浜玉町の諏訪神社を勧請した説がある。戦国時代に当地はキリスト教徒の支配地となり、当社を含めて領地内の社寺は全て破壊された。江戸時代に入った後の寛永2年(1625年)、長崎奉行・長谷川権六や長崎代官・末次平蔵の支援により松浦一族で唐津の修験者であった初代宮司青木賢清(かたきよ)が、円山(現在は松の森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神とした。正保4年(1641年)に幕府より現在地に社地を寄進され、慶安4年(1651年)に遷座した。安政4年(1857年)9月に火災により焼失したが、孝明天皇の勅諚により明治元年(1868年)に再興した。

大正10年に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE



鎮西大社諏訪神社

らいらい亭

金曜日の午後8時。来来亭で腹ごしらえをして出発します。

今回の旅は友人の借金大王も同行します。

夜の高速

夜の高速道路をひた走る。

目的地は長崎。転勤した友人に会いに行きます。

トラック

夜のサービスエリアの大量のトラック。

我々も夜のうちに少しでも長崎に近づかないといけない。

初日は日付が変わった深夜1時半に借金大王が眠気と疲労で限界が来たため防府の快活クラブで就寝。

美東サービスエリア

快活クラブは意外と広くて快適でした。

美東サービスエリアで朝食をとります。

幕末カツカレー (1)

山口県は幕末を推しますね。

幕末カツカレー (2)

朝からカツカレーを食す。美味。

ラーメンスタジアム (3)

山口県を抜け九州上陸。

借金大王が博多に行きたいとわがままを言うので博多に立ち寄る。

ラーメンを食べよう。昨日も食べたけど。

ラーメンスタジアム (2)

行きの高速で久留米運送の車をよく見かけたので久留米ラーメンを食べることに。

ラーメンスタジアム (1)

日ごろ徳島ラーメンばっかり食べてるからたまに違うラーメンを食べるのもいい。

諏訪神社 (13)

借金大王が博多に立ち寄ったため大幅に旅程が遅れ、しかも参道への道を間違いやっとのことで鎮西大社到着。

石段を駆け上る。

諏訪神社 (2)

手水舎

諏訪神社 (11)

トゲ抜き狛犬

諏訪神社 (12)

諏訪神社 (8)

諏訪神社 (10)

諏訪神社 (1)

諏訪神社 (3)

さざれ石

諏訪神社 (7)

諏訪神社 (6)

諏訪神社 (5)

社務所がぎりぎり開いている時間でしたので御朱印をいただくことができました。

もっと時間に余裕を持たないといけないと反省しました。