2019年11月

焼山寺

焼山寺

徳島県名西郡神山町下分地中318

概要
焼山寺山(標高938m)中腹の標高705m付近に境内があり、四国八十八箇所霊場で3番目[1]の高さになる。四国山地の山深い所にあるため随一の難所として知られる。また、阿波霊場三難所の1つにも数えられ「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と呼ばれる。 藤井寺からの遍路道「焼山寺道」で行くと、長戸庵、柳水庵、浄蓮庵を寄りながら焼山寺に至る。詳しくは焼山寺道を参照。そして、当寺を越えると名称は一宮道と変わり、約1km下ると杖杉庵がある[2]。

歴史
寺伝によれば大宝年間(701年 - 704年)、役小角(役行者)が開山し庵を結び蔵王権現を祀った。のちに空海(弘法大師)は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願するととうとう大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたため、そのお礼に虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし一寺を建立したという。

足利尊氏は本寺を祈願所とし、江戸時代には徳島藩主蜂須賀家の帰依を受けていた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E5%B1%B1%E5%AF%BA#%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E7%95%AA%E5%A4%96%E9%9C%8A%E5%A0%B4



焼山寺

四国八十八箇所第十二番札所です。

松屋
昨日ワインを飲みすぎるも二日酔いはなくセーフ。

朝食は久しぶりに松屋。豚汁が美味い。

杖杉庵 (3)
PCXで神山へ。自然がいっぱいですな。

杖杉庵 (1)
杖杉庵を道中で見かけたので参拝。

杖杉庵 (2)

最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地伝説が残る場所に建つ寺院である。

伝説によれば、平安時代前期の天長年間(824年 - 833年)に、伊予国の人であった衛門三郎は四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たという。21回目に逆回りを行っている途中、四国八十八箇所12番札所焼山寺近くのこの地で力尽き病に倒れた。そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと望んで息を引き取った。そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。天長8年(831年)10月20日のこととされる。大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。これがやがて根を張り杉の大木となったという。

この地に庵が設けられ、伝説にちなんで杖杉庵と名付けられた。なお、伝説の大杉は江戸時代中期の享保年間(1716年 - 1735年)に焼失したとされる。この頃に京都仁和寺より衛門三郎に「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られた。

ご詠歌:忍辱の しもとの力 強くして 夜叉も羅刹も とりひしぐなり

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%96%E6%9D%89%E5%BA%B5



杖杉庵 (4)

杖杉庵 (5)
現在は無住で、焼山寺で納経印はいただけるそうです。

杖杉庵 (7)
衛門三郎さん。

衛門三郎さんはお大師さんに無礼を働いたことで8人の子どもが早世するというハードな人生を送った方です。お大師さんが来たらもてなさないといけませんね。

焼山寺 (2)
駐車場に着いた。

眼下に山が広がる。

焼山寺 (1)
駐輪場が見当たらないので駐車場に停めます。

焼山寺 (3)
布袋さんがお出迎え。

焼山寺 (4)
駐車場から参道が長い。

道中には寄進された像が並んでおります。

焼山寺 (5)
不動明王

焼山寺 (6)
観音様

焼山寺 (7)
釈迦如来

焼山寺 (8)
菩薩様。正式名称失念。

焼山寺 (9)
普賢菩薩

焼山寺 (10)
地蔵菩薩

焼山寺 (11)
弥勒菩薩

焼山寺 (12)
大日如来

焼山寺 (13)
観音様

焼山寺 (14)
名称失念。高所にあります。

焼山寺 (15)
名称失念。

焼山寺 (16)
名称失念。

焼山寺 (17)
名称失念。

仏様の種類多すぎて覚え切れませんわ。

焼山寺 (18)
ようやく着いた。

焼山寺 (19)

焼山寺 (20)

焼山寺 (21)

焼山寺 (22)
杉の巨木が生えてますね。

焼山寺 (23)
手水舎

焼山寺 (25)
鐘を連打すると緊急時と間違うので連打禁止とのことです。

焼山寺 (24)

焼山寺 (26)
十二社神社

焼山寺 (27)

焼山寺 (29)

焼山寺 (28)
建物修理してました。

もっとあったかい日にバイクで来たら気持ちいいだろうな。冬の山道は寒い。

公太郎
今日のお昼は公太郎にしました。

中毒性あるわ。

弁天山厳島神社

弁天山厳島神社

徳島県徳島市方上町弁財天8-1

弁天山(べんてんやま)は、徳島県徳島市方上町にある山[1]。
概要
標高6.1m[2]。とくしま市民遺産に選定されている。国土地理院発行の地形図に記載されている自然の山としては日本一低いと徳島市ホームページ内[3]に記載がある。
頂上に至る山道は舗装され、さらに手摺も付けられるなどしっかりと整備されており、一般的な体格をした健康な人であれば登山開始から登頂まで1分とかからない。
保存会が存在[4]し、毎年6月の山開き[3][5]、登頂証明書(有料)の発行[6]を行っている。
歴史
源義経が元暦2年(1185年)小松島に上陸し、当山南西の山を越え讃岐壇ノ浦に平家討伐の軍勢を進行させた伝説があり、当時は海に浮かぶ小島であったが、室町時代に潮が引き小山となり、周辺は水田開発され現在に至ったとされている。 山頂の神社は市杵島姫命を祭神とした厳島神社を勧請し、古来より弁財天として村人に信仰されてきた。 近くを通る藩道は土佐街道として往来されてきた[7]。
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E5%A4%A9%E5%B1%B1_(%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%B8%82)



弁天山厳島神社

書置きの御朱印がありました。

市杵島姫

十一月限定の市杵島姫命の御朱印もありました。他、令和改元記念のものもありました。

弁天山 (1)
日没が近づいてきましたが、日本一低い山登頂に来ました。

弁天山 (2)
由緒。

弁天山 (5)
弁天山全体を眺める。

弁天山 (6)

弁天山 (7)
登山道。コンクリで固められれて登りやすい。

弁天山 (4)
こちらの箱の中に登頂記念や御朱印が入っています。

弁天山 (3)
厳島神社の御朱印と市杵島姫の十一月限定の御朱印をいただきました。

登頂完了。

地蔵寺

地蔵寺

徳島県小松島市松島町11-26

平家討伐に向かった源義経の上陸地といわれ、狸の民話の語られる小松島は、 勝浦川の流域に開けた平野にある。東に紀伊水道の海をのぞみ、 西には遍路修行の四国の聖なる山々、中世の頃より天然の良港として知られ、 県下最大の港を持つ。江戸期には藩内有数の在郷町となり、 大藍商たちが軒をならべ、藩財政に大きな影響力を持っていたという。 地蔵寺は、この地域に、弘法大師巡錫のおり海畔一区の霊場としてひらかれたという。 記録された文献では、天正7年(1579)領主吉成対馬守により境内800歩の免税を受け、 慶長以降は藩主峰須賀家政の信仰厚く境内その他950歩を免税とした。 元和7年(1621)、代官山内松軒寺沢六右衛門が檀那となり中興された。 歴代藩主の庇護と近郷在住の人々の信仰の道場として維持されてきた。 阿波藩内の僧風を正すためにもうけた南北八院の門主寺の一つといわれ、 古くより京都嵯峨・大覚寺末の中本寺である。時代の推移ととも に寺運も幾度か盛衰を経たのち、明治に小松島に点在した塔頭子院6カ所、 観音寺・阿弥陀寺・宝性寺・般若寺・真福寺・薬師寺を併合する。 弘法大師が開基した寺のあとを頼んでいた住職がいねむりをしていたため 四国八十八カ所霊場からはずしたとする「いねむり大師」、 寛政年間には地蔵菩薩の錫杖にねずみが突きとめられていたという 「鼠つき地蔵」などの言い伝えがある。 小松島市街の中心に位置し、真言宗大覚寺派に属し、國傅山 寳珠院 地蔵寺と称す。 
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E5%B8%82) 



地蔵寺
阿波六地蔵霊場の第五番札所です。

地蔵寺 (2)
小松島市の地蔵寺さんに来ました。

地蔵寺 (1)
先日参拝するも留守だったため再訪。

地蔵寺 (3)
3時前ですが、日が翳ってきてますね。

地蔵寺 (5)
ネコ

地蔵寺 (6)

地蔵寺 (7)
大師堂

地蔵寺 (8)
地蔵菩薩様

地蔵寺 (9)

地蔵寺 (10)

地蔵寺 (12)

地蔵寺 (11)
地蔵寺さんに参拝したことで阿波六地蔵霊場巡りは完了です。