2019年07月

増上寺

増上寺

東京都港区芝公園四丁目7番35号

増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の仏教寺院。山号は三縁山。三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)と称する。

歴史
9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。

その後、室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえる。

開基聖聡の弟子には、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)や、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善がいた。また松平親忠の第四子で、浄土宗総本山知恩院25世の超誉存牛や、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(せいよぐてい)はいずれも聖聡の孫弟子であり、中世から松平氏や徳川氏とのつながりが深かった[1]。

中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。

風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

また、徳川家の菩提寺であるとともに、檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭となった。なお、延宝8年(1680年)6月26日に行われた将軍徳川家綱の法要の際、奉行の一人で志摩国鳥羽藩主内藤忠勝が、同じ奉行の一人で丹後国宮津藩主永井尚長に斬りつけるという刃傷事件を起こしている(芝増上寺の刃傷事件)。なおテレビドラマ『水戸黄門・第17部』においては、この一件が水戸光圀の旅立ちのきっかけとして描かれている(光圀の諸国漫遊はフィクション)。

また元禄14年(1701年)3月に江戸下向した勅使が増上寺を参詣するのをめぐって畳替えをしなければならないところ、高家の吉良義央が勅使饗応役の浅野長矩に畳替えの必要性を教えず、これが3月14日の殿中刃傷の引き金になったという挿話が文学作品『忠臣蔵』で有名である。畳替えの件が史実であるかは不明。なお、長矩は内藤忠勝の甥である。

明治維新直後には、神道国教化政策の下、半官半民の神仏共同教導職養成機関である大教院の本部となり、大教院神殿が置かれた。参道には、通常は神社に建てられる鳥居が置かれた[2]。のち1874年(明治7年)1月1日、排仏主義者により放火される。徳川幕府の崩壊、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園となる。

太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けた。

東京タワーの建設時、増上寺は墓地の一部を土地として提供している。

なお、この付近の町名(芝大門)や地下鉄の駅名(大門駅)に使われている「大門」(だいもん)とは、増上寺の旧・総門のことを指す。2021年(令和3年)現在の大門は1937年(昭和12年)に東京市が市民の寄付を募って改築したコンクリート造のものである。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E4%B8%8A%E5%AF%BA



増上寺

増上寺 (1)
7月二度目の東京出張。

金曜から体調絶不調で土日を布団の上で過ごしての上京。ぼろぼろです。

少し時間があるので増上寺に参拝に行きます。

増上寺 (2)
大門駅の大門ってのはこれのことなんですね。

増上寺 (3)
着きました。巨大。

増上寺 (4)
浄土宗の寺院なんですね。

増上寺 (5)

増上寺 (6)

増上寺 (7)
増上寺から仕事場に向かうまでに汗が出まくりで死にそうでした。

病み上がりだからかと思いましたが、この日気温が高くて熱中症になる人多かったようですね。危険やわ。

天や
せっかくの東京滞在でしたが体調も悪いし遊ぶ時間もないしで羽田空港の天やを食べて帰路に。

天やはチェーン店ですけどめっちゃ美味いですね。羽田空港きたらいつも食べてるわ。

稲毛神社

稲毛神社

神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7

創建の年代は不詳であるが、社伝によれば、武甕槌神を祀って天皇の軍の戦勝を祈ったのに始まると伝えられる。景行天皇が東国巡行の際に、当社で賊難を避けたという。欽明天皇が東征のとき、新たに配祀神四神を祀り、以降長らく勅願所とされたと伝えられる[1]。

当初は祭神の名前から「武甕槌宮」と称していた。平安時代末期、この地を領有した河崎基家が山王権現を勧請して以降、「河崎山王社」「堀之内山王権現」などと呼ばれるようになった[1]。

明治元年、関東へ下降する有栖川宮熾仁親王が当社で休憩し、その際、「神仏習合に基づいた「山王」の社名は新政府の神仏分離の方針にふさわしくない」と言ったことから、社名を旧地名の武蔵国稲毛庄にちなんで「川崎大神稲毛神社」とし、明治中頃に「稲毛神社」の名が定着した[1]。

明治6年、郷社に列格した。昭和41年(1966年)、神社本庁の別表神社に加列された[1]。

田中休愚の一族らが奉納した手洗石は川崎市重要歴史記念物に指定されている[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%AF%9B%E7%A5%9E%E7%A4%BE



稲毛神社
夏詣御朱印をいただきました。

大鷲神社
大鷲神社の御朱印もいただきました。

すた丼
仕事が昼で終わり、お土産の銀座デルレイのチョコレートも買って時間が余ったため、前回捻挫で途中で退散した川崎へ。

とりあえずすた丼で遅めの昼食。重たい。

稲毛神社 (1)
稲毛神社に到着。

稲毛神社 (2)
以前から存在は知っていましたが、なかなか来れていませんでした。

稲毛神社 (3)
大通りに面しているほうに立派な鳥居が。

稲毛神社 (4)
こちらが正規ルートですね。

稲毛神社 (5)
手水舎

水が入ってない気がする。

稲毛神社 (6)
大鷲神社。こちらの御朱印もいただけます。

稲毛神社 (7)

稲毛神社 (8)

稲毛神社 (9)
手水舎

こっちは水あるわ。

稲毛神社 (10)
天地睨みの狛犬。

変わった狛犬ですね。

稲毛神社 (11)

稲毛神社 (12)

稲毛神社 (13)
このあと飛行機で帰りました。疲れました。

そして出張の日に限って飲みの誘いがいっぱい来る。今日は流石に行けませんな。

兜神社

兜神社

東京都中央区日本橋兜町1−12

兜神社(かぶとじんじゃ)は、東京都中央区の神社。

歴史
1878年(明治11年)に創建された。東京株式取引所(現東京証券取引所)の関係者によって創建された。そういう経緯から日本証券界の鎮守となっている[1]。

1927年(昭和2年)、若干位置をずらして現在地に移転した。1971年(昭和46年)、首都高速道路江戸橋ジャンクション建設で解体していた社殿を新築した[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA)



兜神社
日本橋日枝神社でいただきました。

兜神社 (1)
東京に出張。日本橋から目的地まで歩く。暑いなあ。

どうやらここは兜町のようです。証券会社がいっぱいあるところですね。

兜神社 (2)
兜神社があったので参拝することに。

兜神社 (3)
兜神社の由来

兜神社 (4)
手水舎

兜神社 (7)
兜石

兜神社 (5)

兜神社 (6)
東京証券取引所でお守りが、日本橋日枝神社で御朱印がもらえるとのこと。

資産運用が上手くいくように祈願。だいたい損してるもんなあ。