2018年08月

居木神社

居木神社

東京都品川区大崎3-8-20

創建に関しては明らかになっていないが、江戸時代初期には目黒川のゆるぎ橋(現在の居木橋[1])付近にあったといわれている。川の近くにあったため風水害の被害を受けやすく、村民らによって現在の地に遷座されたという。それと同時に神社付近に人々も移り住み、新しい村づくりがなされたといわれている[2]。

言い伝えによると当初は「雉子ノ宮」と称していたが、現在地に遷座される際に村内の貴船明神、春日明神、子権現稲荷明神もあわせて祀ったので「五社明神」とも称した。1872年(明治5年)に現在の居木神社となり、村社となり、村内の稲荷神社、川上神社、本邨神社が合祀された。1930年(昭和5年)に社殿が新築されたが、1945年(昭和20年)に第二次世界大戦により焼失。現在の社殿は1978年(昭和53年)に再建されたものである。また、境内にある富士塚は「しながわ百景」に指定されている。

以上ウィキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE



居木神社
月替わりの御朱印があります。6か月分、12ヶ月分を集めたら記念品が贈呈されるとの情報も。

稲荷神社
末社の稲荷神社の御朱印です。

厳島神社
末社の厳島神社の御朱印です。

行きのバス
日曜日の6時起床で新神戸駅行きの高速バスに乗り込む。

友人から大森で卓球をしようと誘われたからである。

「今度の日曜ひま?大森で14時から卓球しようぜ!」

私はひまであり、友人と久しぶりに会いたくもあり、卓球もしたい。

私はその誘いに乗ることにした。

新幹線車窓
新神戸から新幹線に乗り込む。

自由席に座れて幸せ。

弥彦神社に行くときに特急に乗って満席で座れず、到着まで立ちっぱなしだったことを思い出す。

宇喜多の捨て嫁
道中は読書をする。

以前から気になっていた宇喜多の捨て嫁を読む。

宇喜多直家かっこいいですよね。私は有能で義理が低い武将が大好きです。

大森駅 (2)
大森駅に到着。

三三㐂 (1)
早めに着いたので昼食。三三㐂で辛めのつけ麺を食す。

東京はつけ麺を扱う店が多くてうれしい。

三三㐂 (3)
適度に塩分を取得することに成功。

その後友人と合流し、体育館で卓球をしました。

軽く練習をしただけで疲弊しました。体なまってるわ。

練習後、大井町で風呂に入る。芋を洗うように入浴しており、辟易。

左腕の神経痛に苦しみながら電車で移動。

蒲田に宿を取ってるのに高田馬場で終電を逃したためめっちゃタクシー代かかりました。

せい家 (2)
翌日、蒲田で昼ごろ起床。13時チェックアウトのプランにしてて正解でした。

だらだらと出発し、腹ごしらえ。らーめんせい家へ。

せい家 (1)
ほうれんそうをトッピング。

上京するとつい家系ラーメンを食べたくなるが、臓器を蝕まれている気がする。

居木神社 (1)
満腹と疲労のため、長期戦は避けるべきと判断。近場の神社を参拝して帰ることに。

大崎で下車し、居木神社へ。

大崎は就職活動のときに降りて以来か。神戸製鋼の面接だったかな?

駅から少し歩くと発見。

居木神社 (2)
参道を歩く。

居木神社、存在は知っていたんですが、これまで参拝はしていませんでした。

大崎ならアクセスもいいし、何かの機会で上京したときに立ち寄ることができるだろうという思惑でした。

居木神社 (3)
鳥居。

夏詣の旗が立ってますね。

夏の神社は暑いですが、雰囲気があっていい。

居木神社 (4)
手水舎。

居木神社 (8)
末社

居木神社 (9)
稲荷神社と厳島神社

居木神社 (7)
末社の由緒

居木神社 (5)

居木神社 (6)
神経痛が治るように祈願。

国境
あんまり帰りが遅くなってもつらいので、品川駅から新幹線で帰路に。

帰りは黒川博行の国境を読みます。疫病神シリーズ面白い。

なんだか神経痛がましになった気がする。祈りが通じたか。

地蔵寺

地蔵寺

徳島県板野郡板野町羅漢字林東5

寺伝によれば弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が自ら1寸8分(約5.5cm)の勝軍地蔵菩薩を刻み、本尊として開創したと伝えられる。

嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。熊野権現の導師であった函上人が、権現の霊木に2尺7寸(約80cm)の延命地蔵尊を刻み、大師が刻んだ地蔵菩薩を胎内に納めたという。

本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかった。当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と、阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ったという。しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E5%AF%BA_(%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E6%9D%BF%E9%87%8E%E7%94%BA)



地蔵寺

地蔵寺 (1)
お大師さん像。

地蔵寺 (2)
淡島堂。

和歌山にあった淡島神社の関連ですね。万病封じとあるので最近発症した肘の痛みが治るように祈願。

でも淡島さんって婦人病の神様じゃなかったかな・・・まあいいか。

地蔵寺 (3)
大師堂。

地蔵寺 (4)
手水舎。

地蔵寺 (5)
若者が車で巡礼してました。白装束も着て、本格的でした。熱心でいいことです。

暑いので本日の参拝はここまでにし、実家で休憩。

紺屋町
約束があるため繁華街へ。阿波踊り前なので桟敷ができてますね。

焼き鳥なかむら
焼き鳥なかむらでエクストラコールドを飲む。

夕食の席で、高千穂に行こうという話しが出た。九州一周ツーリングでは時間の関係で行きそびれているので、是非訪問したいと思う。計画を練らないとな。

大日寺

大日寺

徳島県板野郡板野町黒谷5

寺伝によれば空海(弘法大師)がこの地での修行中に大日如来を感得、一刀三礼して1尺8寸(約55cm)の大日如来像を刻み、これを本尊として創建し、本尊より大日寺と号したという。山号の黒巌山は、この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたのが由来で、黒谷寺(くろたにでら)とも呼ばれていたという。

荒廃と再興を繰り返したが、徳島藩5代藩主蜂須賀綱矩の篤い帰依を受け、江戸時代中期の宝暦(1751年 - 1763年)ころには堂塔の大修理が行われた。1998年(平成10年)から2015年(平成27年)まで住職を務めた真鍋俊照は仏教美術学者として著書多数あり。

平成の大修理として、平成26年より、大師像、弥勒菩薩坐像、三十三観音像、そして本尊・大日如来坐像が順次修復され開帳された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%AF%BA_(%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E6%9D%BF%E9%87%8E%E7%94%BA)



大日寺

大日寺 (1)
ちょっと山よりに入った位置にあります。

自然を感じられるいい立地です。ツーリングしたくなる感じ。

大日寺 (2)

大日寺 (3)

大日寺 (4)
水まかれてます。

大日寺 (5)
手水舎。

大日寺 (6)
大師堂。

大日寺 (7)
本堂。

暑さでしんどくなってきましたが、せっかくなので近くの札所は参拝してしまいましょう。

金泉寺

金泉寺

徳島県板野郡板野町大寺66

寺伝によれば天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 - 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。

亀山法皇(天皇在位1259〜1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、『源平盛衰記』には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。

1582年(天正10年)には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B3%89%E5%AF%BA



金泉寺

金泉寺 (1)
暑い日が続きますね。暑すぎて巡礼がおろそかになっているので、気合を入れて外出。

八十八箇所巡りを進めます。三番札所金泉寺に来ました。

金泉寺 (2)
夏休みだからか、結構参拝客来てます。駐車場もいっぱい。

こういうときPCXは停める場所に困らなくて便利。

金泉寺 (3)
こういう木陰の雰囲気好きです。

金泉寺 (4)
手水舎。

金泉寺 (5)
観音堂。

金泉寺 (6)

金泉寺 (7)
龍の像。

金泉寺 (8)
かっこいい。

金泉寺 (9)
暑いですが、せっかく早く出たので、引き続き巡礼を進めようと思います。