御田八幡神社
東京都港区三田3-7-16
御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)は、日本の東京都港区三田にある神社である。
誉田別尊命(ほんだわけのみこと、八幡神)を主祭神とし、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、武内宿禰命 (たけのうちすくねのみこと)を配祀とする。
海側斜面に位置する。江戸時代には直ぐ正面に東海道が走り、その向こうは江戸湾の海浜が開け、さぞかし風光明媚であったと考えられる。明治40年代芝浦の埋め立てが始まりその面影を失うことになる。周囲の木々の剪定は最低限にとどめられ、あたり一面薄暗く蕭蕭とした雰囲気を漂わせている。
平成21年には鎮祀1300年記念として、8月1日に式年例祭が、2日には御神輿渡御が斎行された。
和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。寛弘7年(1011年)、武蔵国御田郷久保三田に遷座し、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。延喜式神名帳には「武蔵国荏原郡 稗田神社(ひえだじんじゃ)」として記載されている。ただし、「延喜式内稗田神社」は、大田区蒲田の稗田神社・東六郷の六郷神社も論社となっている。
徳川家康の江戸城入城の際に奇瑞があったことから、現在地である荏原郡上高輪村海岸を開拓して社殿を造営し、寛文2年(1662年)8月に遷座が行われた。しかし、寛文8年2月の大火により社殿は全焼、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた。寛文12年8月に社殿が再建され再度遷座された。
慶応元年(1865年)に神祇官により延喜式記載の「稗田神社」に改称、明治5年(1874年)に「三田八幡神社」に改称し、郷社に列した。明治30年(1897年)に「御田八幡神社」に復した。昭和20年の東京大空襲で寛文12年造営の社殿が焼失し、戦後の昭和29年に復興された。
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE


本社での出張のため、いつもより早く家を出る。駅までが遠い。
まずは松屋で栄養補給。紅しょうがで元気はつらつや!

羽田からモノレールに乗り、浜松町へ。山手線で一駅移動し、田町に来ました。
うーん。東京はやっぱり都会ですなあ。

駅から大きい通り沿いに歩いていくと、看板を発見。
かなり視認性高いです。

ここでカメラの電池が切れかけていることに気づく。朝見たときは大丈夫だったのに。


手水舎


社務所留守かと思ったら中にいらっしゃいました。よかった。

仕事までまだ時間があるので、三田でお昼を食べておくことに。
ゆで太郎を見つけて懐かしくなり立ち寄る。

500円ランチ!サラリーマンの味方ですね。ウチの近所にもほしいです。

カツ丼セットいただきます!
この直後、職場から電話があり、1分でたいらげて店を出ることに。不運。
食事ぐらいゆっくり味わいたい。

お仕事も終わり、土曜は友人夫婦と磯丸水産で競馬観戦しました。がんばれウチパク。
結果は微負け。でも小額で長時間楽しめたのでよかったです。