2017年03月

御霊神社

御霊神社

大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区淡路町にある神社。なお、正面鳥居の扁額は御霊宮と表記。なお、当社は御霊神社という名称ではあるが、御霊信仰とは関係がない。

歴史
嘉祥3年(850年)から大阪湾岸の圓江(つぶらえ=現在の靱)で行われた八十嶋祭(大嘗祭の翌年に行われる)の祭場とされた圓神祠(つぶらしんし)に、瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神が祀られると、社はやがて圓神社、圓江神社、津村神社と呼ばれるようになり、摂津国津村郷の産土神社となった。この当時の当社は大阪市西区靱本町にある楠永神社の近辺にあった。

文禄3年(1594年)、因幡国鹿野藩主の亀井茲矩から船場の自邸敷地の一部を寄進され、境内の小祠乾八幡宮と源正霊神を本殿に合祀した上で、 圓江から船場の現在地へ遷座する(亀井茲矩はこの後、因幡高草の白兎神社を再興した)。

江戸時代になると、鎌倉権五郎の権五郎から五郎ノ宮や、なまって「ごりょうのみや」とも圓御霊とも呼ばれた。また境内の南側には十一面観音を本尊とする神宮寺の宝城寺が作られた。寛文年間(1661年 - 1673年)に御霊神社と改称し、宝暦3年(1753年)に正一位の神階を授けられる。

明治時代に入ると神仏分離令によって、御霊神社と宝城寺の境内を分けることとなったが、後に宝城寺は廃寺となった。その為に現在、御霊神社の南側にある会社のビルの前に鳥居だけが残ることとなった。

1873年(明治6年)、郷社に列しする。1884年(明治17年)、人形浄瑠璃の劇場「文楽座」が境内に開設。「御霊文楽座」として、近世文楽における黄金期のにぎわいを見せる。しかし、1926年(大正15年)11月に御霊文楽座から出火、本殿とともに焼失した。

1930年(昭和5年)に社殿を再建するが、1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により、再び全てを焼失した。1957年(昭和32年)、現在の社殿を再興する。1959年(昭和34年)、鳥居玉垣を再建。その後、年を追って往時に勝る威容を整備しつつある。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)



御霊神社

御霊神社 (1)
少彦名神社から歩いてきました。いい運動になりますね。

御霊神社 (2)
家族が撮影してますね。

御霊神社 (4)
変わった形の手水舎。

御霊神社 (5)
うつぼ?

御霊神社 (3)

御霊神社 (6)

御霊神社 (9)

御霊神社 (8)
七五三の撮影とかしてると、参拝するとき気まずくなりますよね。家族水入らずに水を差す感じ。

撮影が終わって人が消えてから参拝しました。

晩御飯
なんばに移動して晩御飯。道頓堀人多すぎておそろしいです。

カツ美味し。

夫婦善哉 (4)
法善寺横町の夫婦善哉発見したので立ち寄ります。

夫婦善哉 (1)
芸能人の品もあります。

夫婦善哉 (2)
織田作之助の世界観がたまりませんな。

夫婦善哉
こちらがお目当ての夫婦善哉。

1人前を2杯に分けてるので、満足感があるという。

織田作之助の夫婦善哉で一躍有名になった品です。是非読んで、その後食べに来てください。

水掛地蔵 (1)
法善寺の水掛地蔵ってこの時間まで参拝客いっぱいですね。

部屋
ホテルの部屋がなぜかトリプル。宿のミスなのか。

長時間歩いて疲れましたわ。

お昼
翌日、大丸で買い物したのちに映画。ララランド観ました。泣きました。

二日連続で韓国料理食べました。鉄の箸で食べるご飯はおいしいですね。

なんか足がめっちゃ疲れた。温泉に行きたい欲求がさらに強まりました。

少彦名神社

少彦名神社

大阪府大阪市中央区道修町二丁目1番8号

少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、大阪市中央区道修町にある神社。旧社格は無格社。別称として、道修町の神農(しんのう)さん、神農さん。

概略
祭神は薬・医療・温泉・国土開発・醸造・交易の神であるが、少彦名神社では、薬の神として健康増進、交易の神として商売繁盛の神徳があるとされている。

医薬にゆかりのある祭神を祀っていることから、医薬業に携わる会社・関係者などの信仰を集めている。また、病気平癒・健康祈願や医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も多い。近年ではペットの病気平癒・健康祈願に参拝する人も多い。伊勢講から始まった神社でもあるため、伊勢神宮のお札を求める参拝者で正月は賑わう。

歴史
安永9年(1780年)10月、薬種中買仲間の団体組織である伊勢講が、薬の安全と薬業の繁栄を願うために、京都の五條天神社より少彦名命の分霊を道修町にあった仲間会所(現在の少名彦神社所在地)に勧請し、すでに仲間会所に祀ってあった神農炎帝とともに祀ったことを起源とする。

天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱で仲間会所が焼失したため、天保11年(1837年)、仲間会所内に祠堂を設けて祭神を遷座した。

1906年(明治39年)、大阪府より近隣の神社に祭神を合祀するか、独立した神社として継続させるかの判断を求める旨の訓令を受け、独立した神社として祭神を護持していくことに決した。そのときに境内地の拡充、社殿・社務所を新築し、1910年(明治43年)、正遷宮を斎行するに至った。

1945年(昭和20年)の大阪大空襲の被害はからくも免れた。1980年(昭和55年)10月、「少彦名神社 鎮座200年」を記念して拝殿・本殿を修復、社務所を新築し、11月22日に「二百年祭」を斎行した。これを契機に、10年に一度、式年大祭を行うことになった。2007年(平成19年)4月、薬祖講の行事(神農祭・冬至祭)が、大阪市無形民俗文化財(民俗行事)に指定された。薬祖講とは、少彦名神社を崇敬護持することを目的とした団体である。主な活動としては、神事・祭礼が円滑に運ぶように支援したりする。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%BD%A6%E5%90%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)



少彦名神社
つい最近まで期間限定御朱印があったようですが、終了していたようで通常のものをいただきました。

少彦名神社 御朱印帳
オリジナル御朱印帳あります。なんかスキャンしたら暗くなってしまった。二種類ありましたが、黒系をチョイス。最近暗めの御朱印帳を選ぶ傾向にあるな。一時期ピンクとか選んでたのに。

少彦名神社 (1)
地下鉄乗り放題切符を利用して、北浜で下車。

この辺は製薬会社や、薬屋が多いです。

少彦名神社 (5)
ビルの合間にあります。

少彦名神社 (4)
都会の神社って感じですね。

少彦名神社 (2)
トラ。

少彦名神社 (3)
春琴抄って道修町が舞台なんですね。ドエスな美人に仕えるって素敵ですよね。

少彦名神社 (6)
張子の虎はここが発祥なのか。だからトラがいたのか。

少彦名神社 (7)
薬がいっぱいあります。

少彦名神社 (10)
見覚えある薬もありますね。

少彦名神社 (11)

少彦名神社 (12)

少彦名神社 (13)
熱心に参拝されている方がいました。

やっぱり健康って大事ですもんね。この神社が愛されている理由がわかる気がします。

少彦名神社 (14)
薬の博物館があったので観ておきます。

少彦名神社 (15)
昔から薬関係の業者が多い街だったんですね。

だから薬の神社があるんですね。

少彦名神社 (16)
すごい昔の御朱印らしきものが!

薬の博物館、みなさんも是非お立ち寄りください。

大阪天満宮

大阪天満宮

大阪府大阪市北区天神橋二丁目1番8号

大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区天神橋にある神社(天満宮)。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。

毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。

歴史
白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社を創建したのが当社のそもそもの始まりである。

延喜元年(901年)に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、この地にあった大将軍社に参詣し、旅の安全を祈願している。

延喜3年(903年)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始めるが、天暦3年(949年)に道真ゆかりの大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そして、それを聞いた村上天皇の勅命によってこの地に天満宮が建立される事となった。以後、当社は大将軍社を摂社として新たに天満宮が中心の社となる。

当社は度々火災に見舞われている。なかでも享保9年(1724年)の享保の大火(妙知焼け)では全焼の憂き目にあっている。後に復興したものの、今度は天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱による大火でまたも全焼してしまった。天保14年(1843年)には現在の本殿が再建されて復興を果たしている。

1945年(昭和20年)の大阪大空襲の際には幸運にも被害を免れている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE



大阪天満宮

大阪天満宮 御朱印帳
オリジナル御朱印帳あります。2種類ありましたが、シックなほうをチョイス。

大阪天満宮 (1)
連れがお買い物に行っている間に神社参拝します。駅の名前にもなっている大阪天満宮です。

大阪天満宮 (4)
参拝客多いですね。

大阪天満宮 (5)
手水舎も大きい。

大阪天満宮 (9)
天満宮名物の絵馬。

大阪天満宮 (10)
こちらの神社は牛いましたが、柵に囲まれていて撫でられません。

大阪天満宮 (7)

大阪天満宮 (6)

大阪天満宮 (11)

大阪天満宮 (8)
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ。

福島天満宮

福島天満宮

大阪市福島区福島2丁目8-1

福島天満宮(ふくしまてんまんぐう)は、大阪市福島区福島2丁目にある神社である。また、俗に福島 上の天神といわれることもある。“菅公聖蹟二十五拝”の1社(第十二番目)。

社伝によれば、901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜ばれ、この辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけられた。後年、菅原道真が大宰府で失意のうちに死亡したのを聞いたこの地の里人らが、小祠を建てたのが起源とされている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE



福島天満宮

松屋
今日はお買い物に付き合うために大阪へ向かいます。

朝はさわやかに松屋の牛飯で。今週毎日飲んでる上に機能も1時まで飲んでたのでしんどいです。

福島天満宮 (2)
お昼集合ですが、少し時間があるので神社参拝します。

以前から気になっていた福島天満宮へ。

福島天満宮 (1)
大阪駅から一駅なので気になってたんですが、タイミングを逃していました。

福島天満宮 (3)

福島天満宮 (4)

福島天満宮 (7)

福島天満宮 (5)

福島天満宮 (6)
敷地は広くないですが、ひっきりなしに参拝客の方がいました。

あと、この神社は撫で牛がいないですね。

福島天満宮 (8)
梅の鉢はいっぱいありました。天満宮といえば梅ですね。

一條神社

一條神社

高知県四万十市中村本町1-3

一條神社(いちじょうじんじゃ)は、高知県四万十市にある神社。旧社格は県社。神紋は「下り藤」。

旧中村市中心部、小森山の山上の一条氏御所跡に鎮座する。土佐一条氏の祖先神・一族を祀る神社である。本殿と並んで天神社の社殿がある。

現在の社殿地には、戦国時代に当地を支配し中村市街地の基礎を築いた土佐一条氏の中村御所があった。一条氏の滅亡後に御所は荒廃したが、その跡に1607年(慶長12年)に一条氏遺臣により歴代当主の霊を祀る祠が建てられたのが当社の起源となる。
その後、1862年(文久2年)になって土佐藩の幡多郡奉行らにより幡多郡総鎮守として社殿が造営され、一條神社として改めて建立された。
現在の本殿は1944年(昭和19年)の建立である。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%A2%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE



一條神社

一條神社 (1)
一條神社、場所がわからなくて周囲をぐるぐるしてました。スーパーの目の前から入るんですね。一条下がり藤の紋が見えますね。

一條神社 (2)
中村高校の応援幕があります。

一條神社 (3)
信長の野望でおなじみ中村御所。

一條神社 (4)
真横に長曽我部という厳しい立地の中村御所さん。

一條神社 (5)
咲かずの藤。

一條神社 (6)
兼定さん、暗愚といわれていますが和歌を詠んでいるところを見ると文化水準はやはり高いですね。流石一条家。

一條神社 (7)
なんか住宅街の真ん中なのに高台の上に神社があるのが不思議な感じ。

一條神社 (8)
手水舎。

一條神社 (9)
愛宕神社。

一條神社 (10)
天神社。

一條神社

一條神社 (12)
一条氏、ゲームだと長曽我部さんのエサ的なポジションですが、地元中村では愛されていることがよくわかりました。

関白殿下ですもんね。流石です。

ヨサク (1)
帰りは国道439号線(通称ヨサク)で帰ることに。

ガードレールがない狭路が続きます。流石酷道。

ヨサク (2)
山深い。

ヨサク (3)
落ちたら死ぬので慎重に走ります。

ヨサク (6)
なんとかまともな道に出ました。

ヨサク (5)
先ほど通った道を見ると、なんか書いてますね。

ヨサク (4)
通行困難!!

ヨサクはんぱねえわ。

ヨサク走破に時間がかかり、帰ったのは夜中でした。めっちゃ寒かったです。

不破八幡宮

不破八幡宮

高知県四万十市不破1392

不破八幡宮(ふばはちまんぐう)は、高知県四万十市にある神社。旧社格は県社。別称として正八幡、広幡八幡宮。

旧中村市街地の南方、四万十川に臨む小丘陵に位置する。
土佐一条氏の祖・一条教房は応仁の乱を避け、一条家の荘園があったこの地(幡多荘)に逃れてきた。教房は幡多郡総鎮守として山城国の石清水八幡宮を勧請し、室町時代中期の文明年間(1469年 - 1487年)に八幡宮を建立したのが当社の創建となる。
以後、当社は土佐一条氏の守護神として崇敬を受けた。江戸時代には土佐藩主山内家からも信仰された。
明治時代に県社に指定された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE



不破八幡宮

早朝
三連休の真ん中。午前5時過ぎに家を出ます。外はまだ暗いです。

すきや
まずは朝ごはん。これから山道なので食べ物はないかもしれないですからね。

那賀
那賀から木頭村を経由していきます。

那賀 (2)
自然がいっぱいですね。

しかし寒い。もっと厚着してくればよかった。

中村高校甲子園
そんなこんなでひた走って高知の中村まで来ました。

中村高校甲子園出場おめでとうございます。

四万十の水
四万十の水。

四万十の水 (2)
清流ですね。

ラーメン (1)
すでに昼になっていたので食事処を探す。下調べしていないので店がよくわからない。ラーメン屋をチョイス。

ラーメン (2)
おいしそう。

ラーメン (3)
最近ラーメンと肉と回転すしのローテーションが多い。野菜が圧倒的に足りない。

不破八幡宮 (1)
川沿いに鳥居が。

不破八幡宮 (2)
カップルがレンタサイクルで参拝してました。いいなあ楽しそう。

不破八幡宮 (3)

不破八幡宮 (4)
一条氏の名前がありますね。

不破八幡宮 (7)

不破八幡宮 (5)

不破八幡宮 (6)
屋根を修復しているそうですが、文化財なので文化庁の許可がないと修理できないんですね。初めて知りました。

お役所手続きって大変ですよね。