2016年11月

大津神社

大津神社

大阪府泉大津市若宮町4−12

由緒
大津神社鎮座の起源は「小津の泊まり」に祀られた小祠であったといわれます。 その後鎌倉時代に八幡大神を勧請し、以来「若宮八幡宮」と称していましたが、明治四十一年に、 宇多神社、神明神社、菅原神社の 三社を合祀し、事代主神社を境内社として合併し、式内粟宮を 境内に移築した際に、「大津」の総鎮守として、「大津神社」と改称されました。

以上ホームページより。 https://otsujinja.com/



大津神社

大津神社 (2)
最後に泉大津で大津神社に参拝します。

大津神社 (1)

大津神社 (3)

大津神社 (4)
桃尻。

大津神社 (5)

大津神社 (6)
桃尻目立ちますね。

から揚げ定食
ホントはもっとツーリングするつもりだったけど、疲れたので昼ごろに終えて帰路に着く。フェリー乗り場でから揚げ定食食べる。

フェリー内は久しぶりによく眠れました。疲れてたんですね。無事帰れてよかったです。

泉井上神社

泉井上神社

大阪府和泉市府中町6丁目2−38

泉井上神社(いずみいのうえじんじゃ)は、大阪府和泉市府中町にある神社。式内社で、旧社格は府社。境内には和泉国総社の和泉五社総社が鎮座する。

歴史
創建は不詳。社伝によれば、仲哀天皇9年に神功皇后が三韓征伐へ出発する途上、当地を行啓した際に突如として泉が湧き出たため、凱旋後に霊泉として社を築いて祀ったという。本殿脇にあるこの霊泉は「和泉清水」と呼ばれ、和泉国の国名の起源とされる[1]。

のちに、当社を中心に和泉国の国府が置かれ、国内の大鳥大社(一宮)、泉穴師神社(二宮)、聖神社(三宮)、積川神社(四宮)、日根神社(五宮)の祭神を勧請した総社が築かれた[1]。

中世に入ると、当社と五社総社の区別が次第に希薄になり、同一視されるようになった。また、八幡信仰が盛んになり放生会も行われるようになったという。豊臣秀吉は大坂城在城の折には和泉清水を茶の湯に用いていたと言われ、子の秀頼によって1605年(慶長10年)に再建された五社総社本殿は重要文化財に指定されている[2]。この際、当社はついに五社総社の摂社扱いとなるに至ったが、1899年(明治32年)に当初の鎮座地に戻った。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E4%BA%95%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE



泉井上神社

泉井上神社 (2)
こちら、和泉国の総社のようです。

泉井上神社 (1)
前面道路は狭いですが、神社は結構大きいです。

泉井上神社 (5)

泉井上神社 (3)

泉井上神社 (4)
七五三の家族連れがたくさんいました。流石総社。

泉州航空神社

泉州航空神社

大阪府泉佐野市上瓦屋392−1

泉州航空神社(せんしゅうこうくうじんじゃ)は大阪府泉佐野市にある神社。 関西国際空港の建設を契機として創建され、航空安全祈願と渡航安全祈願を行っている。正式名称は「泉州磐船神社」(せんしゅういわふねじんじゃ)。

由緒・特色
1983年(昭和58年)12月10日 – 大阪府交野市の磐船神社より分霊して創建。
本殿地下に「航空博物館」として、小型飛行機の実機や計器などの飛行機部品類、模型、各種文献など、戦時中から現在までの様々な航空機関連の資料約4000点を無料展示。
零戦のタイヤ・カウル・脚柱が展示。
本殿横には、狛犬の代わりに本田航空から寄贈されたヘリコプター(川崎ベル47G-2)の実機を展示。
鳥居の扁額として、プロペラが付けられている。
茶室「飛雲庵」

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E5%B7%9E%E8%88%AA%E7%A9%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE



泉州航空神社

和泉航空神社 (1)
真横に田んぼがある好立地に鎮座。

和泉航空神社 (2)
朝の日差しが。

和泉航空神社 (4)
ヘリコプターです。流石航空神社。

和泉航空神社 (3)
御朱印をいただいた後、「お時間ありましたら、資料館見られますか?」とおっしゃられたので遠慮なく拝観することに。

航空博物館 (1)
なんか飛行機がいっぱい!

航空博物館 (2)
銃もあります。

航空博物館 (3)
全国から寄贈された品のようです。プロペラとか珍しいものがいっぱいあります。

航空博物館 (4)
ユニフォームでしょうか。

航空博物館 (5)
珍しいものを見せてもらえました。満足です。

奈加美神社

奈加美神社

大阪府泉佐野市中庄834

奈加美神社の創建は、平安時代にかかるものとされていますが、それを詳らかにするものは残されておりません。

旧社は大宮神社と称されておりました。平松家、藤田家の古文書によれば、宝治2年(1248)にはすでに大宮神社は分社をなし、佐野・大武家村に大引欠神社を有していたとあり、その後も分霊分社が続き、室町期文明2年(1470)には、近郷七ヶ村に及ぶ七座七社の惣鎮守社として、村人の崇敬を一手に集め、宏壮深遠な神域をもつ名実とも大宮であったとされています。「今に大宮様七膳づつすはるや」と、七座の神饌を献ずる習わしは分社の由縁によるもので、明治の神社合祀まで続けられました。

湊の教蓮寺古文書に依れば、大宮神社は紀州根来寺の触下にあり社領三千石を有し、大宮大明神、または大宮庵とも称され、神仏習合の時代には真言宗の社僧が祭祀にあたったことが記されています。

天正5年(1577)の織田信長の根来攻めの際、当大宮神社も悉く焼き払われ、この戦災後、慶長15年(1610)8月、ときの代官・新川宮内大輔、沙門松室坊賴真法師等が焼廃した神社の再建にあたり、現位置に社殿が造営されました。

明治41年(1908)から翌明治42年(1909)にかけて、中庄・上瓦屋・湊の3村の字々の神社が合祀され和協一致の精神による神社の護持発展を願い、3村の奈(中庄)加(上瓦屋)美(湊)の頭仮名文字を綴合せて、万葉仮名の響きも美しく「奈加美神社」と称されることとなりました。

以上ホームページより。 http://www.nakami.org/



奈加美神社

朝のフェリー乗り場 (1)
久しぶりにフェリーでツーリングに行きます。朝5時30分。まだ暗いですね。

朝のフェリー乗り場 (2)
なんかピンボケになるけど、撮影技術のせいか設定がおかしいのか。

なかう (2)
なか卯で親子丼を食しつつ現在地を確認。今回は大阪南部を回るのですが、位置関係がよくわからない。

奈加美神社 (1)
落ち着いた雰囲気の住宅地に目的とする神社がありました。

奈加美神社 (6)
まずは泉佐野市の奈加美神社です。

奈加美神社 (2)
大阪南部というと、和泉ナンバーの車の運転の話はたまに聞きますが、心なしかタクシーの運転に勢いを感じますね。

奈加美神社 (3)

奈加美神社 (4)

奈加美神社 (5)
水巻きしている女性に御朱印対応いただきました。ありがとうございました。