2016年07月

柴田神社

柴田神社

福井県福井市中央1丁目21-17

柴田神社(しばたじんじゃ)は、福井県福井市にある神社である。戦国時代の武将・柴田勝家を主祭神とし、妻の市を配祀する。境内には、市の三人の娘を祀る三姉妹神社がある。

鎮座地は勝家の居城であった北ノ庄城の本丸跡地と伝えられており、作られた時代は不明であるが勝家・市を祀る石祠があり、北ノ庄城の跡に築かれた福井城内の神祠として保護されてきた。
明治23年(1890年)、旧福井藩主松平春嶽、旧藩士、住民らの発意により小祠のある場所に神社が作られ、「柴田神社」とした。
その後、大火や戦火、福井地震により社殿を焼失し、そのたびに氏子によって再建された。
平成10年(1998年)より、老朽化した社殿および境内社・稲荷神社が建て替えが行われ、新たに境内社・三姉妹神社が作られた。
それにあわせて福井市による境内の発掘調査が行われ、北ノ庄城の石垣の一部が発掘されて、この地が伝承通り北ノ庄城の跡地であることが判明した。
境内は北ノ庄城址公園として整備され、発掘された石垣が展示されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE



柴田神社

柴田神社 (3)
最後の目的地は柴田神社です。信長の野望だと知略が低い感じで扱われる勝家さんが祀られております。

柴田
こんな感じですね。この画像は戦国無双ですけど。

柴田神社 (4)

柴田神社 (5)

柴田神社 (6)
お市さんのモテ祈願・・・

柴田神社 (8)
美人ですねお市さま!

市
戦国無双だとこんな感じになります。炉利ですな。

柴田神社 (7)
お城の石垣。

柴田神社 (9)
浅井三姉妹!数奇な運命をたどることになる三姉妹ですね。

柴田神社 (10)

柴田神社 (11)
この神社、形が不思議で写真をとりにくい。

かにめし (1)
もう一泊しようかと思ってたけど、疲れたから帰るよ!ご飯たべるよ!

かにめし (2)
かにめし!でもカニのシーズンって今じゃないよね・・・

この後、大阪発のバスの社内で激しい頭痛に見舞われました。

熱中症です。本当にありがとうございました。真夏の自転車は寿命縮むと思います。

足羽神社

足羽神社

福井県福井市足羽上町108

足羽神社(あすわじんじゃ)は、福井県福井市足羽に鎮座する神社である。式内社、旧県社。

継体天皇、生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神が祀られる。

継体天皇が坂井郡三国にいたときに大宮地の霊を祀ったといい、大宮地の霊とは宮中の座摩5座の神であり、足羽神はその1座である。延暦10年(791年)4月、従五位下に叙され(『続日本紀』)、仁寿元年(851年)正月、従四位下が加えられ(『文徳天皇実録』)、延喜の制において小社に列せられ、天慶3年(940年)正月には従三位(『日本紀略』)、承暦4年(1080年)にこの神を穢す祟りがあったとして、社司に中祓が科せられた(『朝野群載』)。なお、国内神名帳である『越前国惣神分』には、正一位足羽大明神と記載される。
鎌倉時代以後、武家からの崇敬が篤く、領主の朝倉氏などが社領を寄した。江戸時代に、福井藩主越前松平家代々の尊信が深厚であった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E7%BE%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



足羽神社

足羽神社 (2)
藤島神社からさらに自転車を押して進み到着。くるしい。

足羽神社 (1)

足羽神社 (3)

足羽神社 (4)

足羽神社 (5)
待合室の扇風機が心地よかったです。

藤島神社

藤島神社

福井県福井市毛矢3-8-21

藤島神社(ふじしまじんじゃ)は、福井県福井市の足羽山にある神社である。旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一社である。
南北朝時代の武将・新田義貞を主祭神とし、義貞の子の新田義顕・新田義興・新田義宗、弟の脇屋義助、および一族の将兵を配祀する。

新田義貞は延元3年(1338年)、灯明寺畷(現・福井市新田塚町)で戦死した。それより約300年後の明暦年間(1655年~58年)、同地から農民によって兜鉢が発掘され、これが福井藩の軍学者の鑑定の結果、新田義貞の兜であるとされた。万治元年(1660年)、福井藩主・松平光通は兜が発見された場所に「新田義貞戦死此所」の碑を建て、その場所は「新田塚」と呼ばれるようになった。
明治3年(1870年)、福井知藩事・松平茂昭は新田塚に祠を建てるが、これが明治9年(1876年)、「藤島神社」と名付けられて別格官幣社に列することとなる。明治14年(1881年)には福井市牧の町に遷座し、明治34年(1901年)5月に現在地に再度遷座した。そのため、現在の境内は兜の発見地から南へ3kmほど離れている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE



藤島神社

藤島神社 (2)
今回の旅のメイン目的である、建武中興十五社の藤島神社に着きました。

藤島神社 (1)
立派な鳥居や。

しかし険しそうな石段が。

自転車で登れる道を探す。途中で少年に、自転車で神社まで上がれるか聞く。

「この道をまっすぐ行くとつくよ!でも坂がきつすぎて自転車では登れないよ!」

藤島神社 (3)
くっそきつい坂を自転車を押して上り、到着。つら杉内。

藤島神社 (4)

藤島神社 (5)

藤島神社 (6)
社務所で、次の目的地である足羽神社まで自転車で行けるか聞く。

「行けますよ!ここから少し上っていくとつきます!」

まだ上るのかよ・・・

毛谷黒龍神社

毛谷黒龍神社

福井県福井市毛矢3丁目8−1

由緒・沿革

男大迹王越前國御在住の時、地の理に随ひ越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水工事をされ越前平野を拓かれた際に、北陸随一の大河であった黒龍川(九頭竜川)の守護と国土安穏、万民守護のため高屋郷黒龍村(舟橋)毛谷の杜にたかおがみ くらおがみの二柱の御霊を祀る「毛谷神社」が御創建されました。

元明天皇の和銅元年(708)9月20日、継体天皇の御遺徳を景仰し御霊の合祀が行われた。

後醍醐天皇の元徳元年(1329)6月1日神託により越前守参議藤原國房公が北ノ庄菩住山斎屋清水の上に(足羽山)に奉還され、元鎮座の村名を併せ「毛谷黒龍神社」と改称し、また元神社名を取り麓一帯は「毛矢町」と呼ばれ祭りは賑わい盛儀が行われた。

天地の初めから国土を守護されてきた四方位を象徴する御四柱の神の一社にて、往古より北国の鎮護神として著われ、「国土護治の神として、四國に四神座しき、東に常陸鹿島大明神、南に紀伊熊野大明神、西に安芸厳島大明神、北に越前黒龍大明神四隅を司どらしめ守護し給ふ」(絵図記)と記され日本古来の四大明神の一つとされている。

越前名蹟考 「太平記」巻20黒丸城初度軍事付足羽度々軍事に「延元3年(1338)5月2日一条ノ少将朝臣、五百余騎ニテ江守ヨリ押寄テ、黒龍(くずれい)の明神ノ前ニテ相戦フ」とある「黒龍の明神」は、当時すでに足羽山に遷座されていた毛谷黒龍神社とされる。

慶長8年1月10日(1603)越前藩祖入納言三河守源、秀康公霊験著しきを以って黒龍宮を越前松平家の祈願所とされ社地として櫻井山(黒龍山)を寄進、御社殿を造営され人々の崇敬殊に篤く奉祀も郷重を極め神威日々に輝いた。

元禄3年5月(1609)松平吉品公国家の安泰と武運長久を祈願され神殿を山上(今日の藤島神社々地)を造営され、松平家代々の諸種の献納あり。

その後、明治8年12月10日(1875)現今の地へ社殿の移築が行われ敦賀県に於いて郷社に加列され、同33年4月福井市の橋南大火により社殿類焼の後、同38年5月18日再建、現在の本殿は昭和3年、拝殿は同6年に再建された。福井市内で唯一、福井空襲、震災を免れた歴史ある神殿の神鈴に願いを託す人は跡をたたない。

昭和52年には、御創立1500年式年大祭が齋行され、稚児行列などの各種の奉祝行事が行われ、また平成元年、御社殿修改築事業に着手し八幡神社、恵比須神社、神楽殿の改築、境内整備事業を行う。

以上ホームページより。 http://www.kurotatu-jinja.jp/010_information/information.php



毛谷黒龍神社

毛谷黒龍神社 (3)
黒龍神社!かっこいい名前!

毛谷黒龍神社 (1)

毛谷黒龍神社 (4)
この暑い中石段を登る。

毛谷黒龍神社 (5)

毛谷黒龍神社 (6)
日差しが・・・

毛谷黒龍神社 (7)

毛谷黒龍神社 (9)
社務所に飾られてた絵。写真に撮っても反射しないようにできてるそうです。

佐佳枝廼社

佐佳枝廼社

福井県福井市大手3丁目12-3

佐佳枝廼社(さかえのやしろ)は、福井県福井市にある神社である。別称 越前東照宮。旧社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
徳川家康、福井藩藩祖・松平秀康(結城秀康)、16代藩主・松平慶永(松平春嶽)を主祭神とし、藩士3名(藩祖に殉じた土屋左馬助正明・永見右衛門長次、福井城築城総督の吉田修理義寛)を相殿に祀る。

寛永5年(1628年)、福井城の鎮守として、城内に東照宮(徳川家康)を勧請して祀ったのに始まる。
明治6年(1873年)、福井城内に松平秀康の霊を祀る佐佳枝廼社が創建された(これを以て当社の創建とする資料もある)。この社名は松平慶永の命名によるもので、福井を代表する神社という意味と、福井がより栄えるようにと願ってのものであった。
翌明治7年(1874年)に城内の東照宮を合祀した。明治14年(1881年)年に県社に列せられた。松平慶永の死の翌年の明治24年(1891年)11月、慶永の霊を合祀した。
昭和20年(1945年)の第二次世界大戦による戦災、昭和23年(1948年)の福井地震による震災により、社殿はじめ全ての建造物が焼失した。昭和24年、京都・下鴨神社内の三井家祖霊社旧社殿を譲り受け、移築復元して拝殿とした。昭和35年(1960年)、北陸地方初となる鉄筋コンクリート造りで本殿が再建された。
戦後、境内地の一部は大陸からの引揚者や戦災者のための家屋や店舗のために貸与されていた。平成元年(1989年)、一帯を再開発することとなり、平成4年(1992年)4月に竣工した。神社を含めた再開発は日本初となるものであった。境内の地下は駐車場になっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BD%B3%E6%9E%9D%E5%BB%BC%E7%A4%BE



佐佳枝廼社

佐佳枝廼社 (8)
つぎの神社は佐佳枝廼社です。さかえのやしろって読むんですね。読めません。

佐佳枝廼社 (9)

佐佳枝廼社 (11)

佐佳枝廼社 (3)

佐佳枝廼社 (4)

佐佳枝廼社 (6)
こちらの待合室も涼しくて気持ちよかった。お茶も飲めて助かりました。

暑すぎて神社の思い出が暑かったことしか出てこない。

福井神社

福井神社

福井県福井市大手3丁目16−1

福井神社(ふくいじんじゃ)は、福井県福井市にある神社である。旧社格は別格官幣社。

由緒
福井藩16代の藩主で、福井藩の藩政改革を行い、明治維新の際には徳川親藩・譜代大名の尊王派の中心人物となった松平慶永(号 春嶽)を祀る神社として、昭和18年(1943年)に創建された。これが日本最後の別格官幣社の指定となった。
社殿は総檜造りであったが、創建からわずか2年後の昭和20年(1945年)7月19日の第二次世界大戦の戦災で焼失した。昭和32年(1957年)福井大学工学部の設計により再建された。総コンクリート造りで、表面はコンクリート打ち放し、神明造を大幅に変形した傾斜の無いフラットな屋根という、一般的な神社とは大きく異なる独特の様式で全ての建物が統一されている。社殿前の大鳥居(二の鳥居)も、同じく福井大学工学部の設計によって再建されたもので、貫がない特殊な形をしている。
境内の摂社・恒道神社には、幕末の福井藩士、中根靱負(号 雪江)・鈴木主税(号 純渕)・橋本左内(号 景岳)が祀られている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE



福井神社
書置きをいただきました。

福井神社 (2)
福井県庁の北にあります。

福井神社 (1)

福井神社 (3)

福井神社 (4)
コンクリ感のある鳥居。

福井神社 (7)
お殿様。

福井神社 (5)

福井神社 (6)
すごいコンクリ感やわ。

そして暑すぎる。

神明神社(福井)

神明神社(福井)

福井県福井市宝永4丁目8−1

神明神社(しんめいじんじゃ)は、福井県福井市宝永にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。お神明さん(おしんめさん)の通称で呼ばれる。天照大神を祀る。

社伝によれば、醍醐天皇の時代、内宮足羽御厨(みくりや)の北の庄の某が伊勢皇大神の勧請を願い出て勅許され、延長2年(924年)に神霊を足羽神社に祀り、間もなく現在地に社殿を造営して遷座したという。
『吾妻鏡』には、建久3年(1192年)、源頼朝が妹の一条能保の室に当社の領家職を与えたとの記述がある。歴代領主の崇敬を受け、江戸幕府は朱印領百石を寄進した。明治4年に県社に列格した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%B8%82)



神明神社 (2)
道がわからなくなり、福井駅の観光案内所で地図をゲットしたのちに神明神社へ。県庁の周辺に神社が数箇所あるようですね。

神明神社 (3)

神明神社 (1)
誰やろか。

神明神社 (4)

神明神社 (6)

神明神社 (7)
かなり大きな神社ですね。

あと、社務所のクーラーが効いてて気持ちよかったです。扇子もいただきました。ずっとここで休憩していたかった・・・

福井県護国神社

福井県護国神社

福井県福井市大宮2丁目13−8

福井県護国神社(ふくいけんごこくじんじゃ)は、福井県福井市にある神社(護国神社)。神紋は桜紋。

祭神
明治維新前後から第二次世界大戦までの国難に殉じた福井県関係者約3万2千柱を祀る。この中には、明治維新の志士・橋本左内も含まれている。
別殿・公安霊社には、警察等の殉職者、満州開拓団の戦災死亡者、自衛隊殉職者が祀られている。

歴史
昭和14年(1939年)の護国神社制度の成立を受けて福井県知事らを中心としてに護国神社創建のための奉賛会が結成された。
昭和16年(1941年)3月に社殿が竣工し、鎮座祭が行われ、内務大臣指定護国神社となった。第二次大戦後のGHQ占領下においては「福井御霊宮」に改称したが、独立後の昭和30年(1955年)に元の社名に復した。
昭和23年(1948年)の福井地震によって全ての建物が倒壊流失し、昭和26年(1951年)に本殿、昭和34年(1959年)に他の社殿が再建された。
平成19年(2007年)4月には特攻勇士の像が建立された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



福井懸護国神社
御朱印は書置きをいただきました。

福井懸護国神社 (1)
てっぺいでお昼を食べた後、かなりの距離を自転車で移動して到着。電動アシストにしといてよかった・・・

福井懸護国神社 (2)

福井懸護国神社 (3)
ああ特攻

福井懸護国神社 (4)
軍鶏って、シャモのこと?

福井懸護国神社 (5)
背伸び石

福井懸護国神社 (8)
誰かと思えば橋本左内さん!

福井懸護国神社 (7)

福井懸護国神社 (9)
このあたりですでに暑さの限界。ひたすら水分を補給します。

福井懸護国神社 (10)
なんか鳥いました。種類は不明です。暑くて頭が回りません。

火産霊神社

火産霊神社

福井県福井市手寄1丁目19−19

由 緒

社伝によると、創祀は福井藩祖結城秀康が下総国結城に在城の砌、遠江国(静岡県周智郡)秋葉神社の分霊を城内に勧請、慶長6年(1601)当国北庄(現福井)に移封せられるや居城の東南端今の地に移した。
以後防火神と崇められ、藩の祈願所と定められて、歴代城主の崇敬するところであった。
明治5年福蔵院秋葉神社を火産霊神社に改称。
明治23年豊島下町に鎮座在りしを境内がせまいため隣地を買収し、地籍手寄中町に遷座した。
昭和3年11月13日幣帛神饌料供進社に指定。
昭和20年戦災、昭和23年震災を受けたが昭和28年本殿、昭和38年拝殿、昭和51年10月神楽殿改築と順次復興、建築され現在に至る。
なお、当神社には県指定(昭和37年)の無形文化財「馬鹿ばやし」という芸能が伝承されている。
この芸能は朝倉家家臣多田善四郎により伝えられたもので、概略すると、無台の中央に大太鼓を据え、片脇に笛・太鼓・鉦の囃し方を設け、面を付けた者がお囃しに合せて大太鼓を打つのである。
その際のしぐさが面に合わせたもので、特異な味が披露されるのである。
また、その際に使用する面は昭和20年の未曾有の福井戦災にも免れ、現在37面が残されている。
中には越前国に伝わる能面師の出目作、春日作であると言われる。
なお、免れた理由は、大正14年建築の煉瓦造り倉庫が戦禍から免れたからである。
合わせて明記すると当神社の御神体も当時宮司出征の中で、留守を守った同夫人の手により戦禍の中をくぐりぬけて現在に至っており、20年毎に御開扉が行われている。

以上福井県神社庁ホームページより。 https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20170106_161307


火産霊神社

福井駅
サンダーバードで福井に到着しました。すぐついてしまった。

電動アシストバイク
駅前で電動サイクルを借りました。これで勝てる!

火産霊神社 (2)
手始めに東口方面から参拝を進めます。

火産霊神社 (1)
大通りに面して神社があるのでわかりやすい。道案内もあるし。

火産霊神社 (3)

火産霊神社 (4)
センサーで口から水が・・・

火産霊神社 (5)

火産霊神社 (6)

火産霊神社 (7)
記念品としてタオルもいただきました。ありがとうございました。

てっぺい (1)
お昼ごはんはご当地グルメを食べにこちらの食堂へ。

てっぺい (2)
いいなあこの感じ。

ボルガライス (1)
今日のお昼はボルガライスです!おいしそうやん!

定食メニューも豊富で、家の近所にほしいお店でした。

八幡神社(敦賀市)

八幡神社(敦賀市)

福井県敦賀市三島町1丁目3−3

敦賀八幡神社
御朱印は書置きをいただきました。

敦賀八幡神社 (2)
敦賀自転車ツアーは続きます。こちらの八幡神社も、晴明神社からすぐです。

敦賀八幡神社 (1)

敦賀八幡神社 (3)

敦賀八幡神社 (4)

敦賀八幡神社 (5)

敦賀八幡神社 (6)
こちらの神社は大谷吉継とゆかりがあるそうですが、あんまり目だってプッシュされてはないですね。

大谷刑部討ち死にしてるから、あんまりゆかりのある事跡が残ってないのかも知れないですね。

駅のベンチ
敦賀駅のベンチで遭遇した恐竜。びびらせるなよ。