2016年06月

丹生川上神社中社

丹生川上神社中社

奈良県吉野郡東吉野村小968

丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 社名について 古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称された。 大正以降、吉野郡川上村の丹生川上神社上社・同下市町の丹生川上神社下社に対して「丹生川上神社中社」とも称されるようになったが、これは上下2社が既に存在したために、これを「中」としたもので、位置関係や社格の上下を表すものではない。 歴史 社伝に因れば、鎮座地は神武天皇が東征の際に天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であり[5]、白鳳4年(675年)に罔象女神を御手濯(みたらし)川(高見川)南岸の現摂社丹生神社の地に奉斎し、その後現在地に遷座したものと伝えるが、寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)には、当時の丹生川上神社の祝や禰宜の解を引き、『名神本紀』という書に「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との神託により創祀した」との伝えがあることを記してる[6]。吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥年(4年)に垂迹し、大和神社の別宮になったと記されているので、吉野と浅からぬ関係にあった同天皇によって創祀されたものとされている[7]。古来大和神社(天理市鎮座)の別社とされ[8]、祈止雨の霊験著しい雨師神として、朝廷から重んじられ、宝亀4年 (773年)には神戸4烟が充てられている(『続日本紀』)。律令制時代を通じて祈雨神祭祭神に預かり、祈止雨祈願のために貴布禰社とともに奉幣がなされた例は枚挙に遑がないが、その折には奉幣使に大和神社の神主が従う定めとされていた[9]。『延喜式神名帳』では官幣大社(名神大社)に列格し、律令制の弛緩に際しても、二十二社の1社にもなるなど朝廷からの厚い崇敬は変わらなかったが、次第に奉幣も減少するなど衰微していき、応仁の乱以降は、ついにその所在すら不明となるに至った。なお、社伝では中世以降たびたび造改築されたことが伝えられており、当神社所蔵の慶安3年(1650年)の造営の上梁文には、当初の鎮座地に丹生神社を新造するとともに、本社を金剛峯寺の鎮守神に倣って「蟻通明神」と改称した旨が記されている。 近世以降『神名帳』の研究が盛んになり、特に式内社の所在地が問題とされるようになると、まず丹生川上神社下社が式内大社丹生川上神社に比定され、次いで明治に入って上社が比定されたが、大正4年(1915年)に森口奈良吉が『丹生川上神社考』を著し、明治以降郷社に列していた当神社が式内丹生川上神社であることを考証し、その後の調査でそれが立証されたため、同11年に社名を「蟻通神社」から「丹生川上神社」に改称、上下2社に対して「中社」を称するとともに、3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」として社務所が置かれるなど、当神社がその中心に位置づけられた。第二次大戦後の官制廃止にともなって、昭和27年(1952年)に3社はそれぞれ独立、当神社は現在神社本庁に属して、その別表神社とされている。 以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE



丹生川上神社中社 

丹生川上中社 (7) 
中社に向かうが、道がわからなくて迷子になる。水色の旗が見えてきて安心。

丹生川上中社 (8) 
水の神様だけあって、さわやかな水色ですね。神社近くの川で川遊びもできるようです。

丹生川上中社 (1) 
ついた。

丹生川上中社 (2) 
ツアー客のバスがきてます。吉野山ツアーってことかな。

丹生川上中社 (3) 

丹生川上中社 (4) 
ねがい叶う。

丹生川上中社 (5) 

丹生川上中社 (6) 
虫が顔面にぶつかってきてびびる。夏の神社の問題点。

下社にも行きたかったですが、時間の関係で断念。1泊してもよかったんですが、疲れてしまったので帰ることに。

帰りのフェリーは珍しく爆睡。疲れましたな。




丹生川上神社上社

丹生川上神社上社

奈良県吉野郡川上村大字迫869−1

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)は、奈良県吉野郡川上村迫にある神社。式内社(名神大社)及び二十二社(下八社)の論社。旧社格は官幣大社[1]で、現在は神社本庁の別表神社。 社名は下市町の丹生川上神社下社に対するものである。 歴史 明治初年までは高龗神社という小規模な祠で、その由緒も不詳であるが、大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査により宮の平遺跡[2]が発見され、本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前に遡る自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、また付近からは、縄文時代中期末から後期初め(約4000年前)にかけての祭祀遺跡と見られる、立石を伴う環状配石遺構が出土したため、途中奈良・古墳時代にかけての断絶が認められるものの、当神社の祭祀空間としての機能は縄文時代にまで遡る可能性が出てきた。 明治6年(1873年)に郷社に列したが、当時の官幣大社丹生川上神社(現在の下社)少宮司江藤正澄が、下社の鎮座地は寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)に記す丹生川上神社の四至境域に合致しないことを指摘して当神社を式内丹生川上神社に比定し、翌明治7年には当神社を下社所轄の神社とするとともに、下社を「口の宮」、当神社を「奥の宮」と称した。その後江藤説が認められて、明治29年(1896年)に「口の宮」を「丹生川上下社」、当神社を「同上社」と改称し、2社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」となった。 だが、大正(1915)4年 、現・中社のある東吉野村出身の森口奈良吉が『丹生川上神社考』を著して、「蟻通神社(現丹生川上神社・中社)=丹生川上社説」を唱え、これが受け入れられたため、同11年(1922年)10月12日内務省告示で「郷社丹生川上神社、奈良県吉野郡小川村鎮座、祭神罔象女神。右官幣大社丹生川上神社中社ト定メラルル旨被仰出」とされ、上社・下社は中社に包括される形で、改めて3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」とされた。その際、上社の祭神は罔象女神から郷社時代と同じ高龗神に再び戻された。 第二次大戦後の昭和27年(1952年)に独立し、現在は神社本庁に属して、その別表神社とされている。 以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%8A%E7%A4%BE



丹生川上神社上社 

丹生川上上社 (1) 
吉野山が意外と山深くて時間かかった。次の目的地は丹生川上神社。

伊勢行きの際に道中で看板を見かけましたが、丹生川上神社は三箇所にあるんですね。まず上社から参拝。

丹生川上上社 (2) 
黄色の旗が現れて目を引きます。

丹生川上上社 (3) 
蜂の羽音が聞こえてびびる。

丹生川上上社 (4) 

丹生川上上社 (5) 

丹生川上上社 (6) 
なんか龍っぽいのいました。

次は中社を目指します。

吉水神社・勝手神社

吉水神社

奈良県吉野郡吉野町大字吉野山579

吉水神社、𠮷水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。「吉」の正確な表記は「Tsuchiyoshi.svg」(「土」の下に「口」、つちよし)である[注釈 1]。 歴史 社伝では、白鳳年間に金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)として役行者により建立されたと伝えられる。 文治元年(1185年)12月には源頼朝に追われた源義経、武蔵坊弁慶や静御前などが5日間吉水院に身を潜めている。 南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸した時、吉水院の宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安している。 文禄3年(1594年)に豊臣秀吉が行った吉野の花見の際には、吉水院はその本陣とされ、5日間滞在している。現在も残る名勝の庭園はその際に、秀吉自らが造ったものであるという。 明治時代に入ると神仏分離令と国家神道化の観点から天皇を仏式で供養することが問題視され、1871年(明治4年)5月に五条県が吉水院を神社に改めて「吉野神社」とする案を太政官政府に提出した。後醍醐天皇を祀る神社を別に作ることを計画していた[注釈 2]政府は五条県の案を却下したが、金峯山寺の廃止が迫る情勢となったことから、奈良県が神社への改組を働きかけ、1874年(明治6年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認された。 1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀し、やがて村社に列している[1]。 現在、本殿には2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されている。 境内からは「一目千本」と呼ばれる中千本と上千本の桜がよく見える。 以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%B0%B4%E7%A5%9E%E7%A4%BE



吉水神社 

勝手神社 
勝手神社の御朱印もいただけます。

天丼 
前日の酒が抜けたところで、神社に行きます。今日は、奈良の吉野周辺で未参拝の神社を目指します。

くら寿司で栄養補給。天丼美味いわ。地元にも天やができればいいのに。

吉水神社 (2) 
最初の神社は吉野山の吉水神社です。正月に参拝した吉野神宮の奥にあります。

正月は寒かったからここまでくる元気がなかったわ。

吉水神社 (1) 
吉野山って山の上に門前町みたいなのがあるんですね。結構にぎわってて驚き。流石世界遺産。

吉水神社 (3) 
今日は天気がいいので暑い。

吉水神社 (4) 

吉水神社 (5) 
桜の名所のようです。

吉水神社 (6) 
この時期は緑ですね。4月に来たいけど、混んでそうで嫌やな。

吉水神社 (12) 

吉水神社 (8) 

吉水神社 (9) 
なんか工事してますね。

吉水神社 (10) 
授与所の人が勝手神社のご利益を推してました。ネーミング的にはご利益ありそうですもんね勝手神社。

吉水神社 (11) 
ちなみに勝手神社は不審火のため吉水神社のこの位置に仮遷座しております。

みなさん吉野山に来たときは勝手神社再建のためご協力お願いします。

宇夫階神社

宇夫階神社

香川県綾歌郡宇多津町1644

宇夫階神社

宇夫階神社 (1)
暑いですね。夏ですね。恋は真夏のように愛され眠りますね。

梅雨入りするとツーリングきついので、天気予報を確認して出発。

上板町の定食屋ハッピーが開いていたので立ち寄る。まだ11時前だが。

宇夫階神社 (2)
「ハッピー定食ひとつ」

「すいません、まだご飯炊けてなくて」

「じゃあ中華そば肉大」

ちょっと早く入店しすぎました。中華そば美味いわ。

みなさんも四国遍路の際はぜひハッピーにお立ち寄りください。

宇夫階神社 (4)
今日の目的地は宇夫階神社です。うぶすなって読むんですって。

宇夫階神社 (3)
前に着たときはお祭り真っ最中だったので、二度目の訪問。

境内で野球してるが、車に当たらないのだろうか。

宇夫階神社 (5)

宇夫階神社 (6)

宇夫階神社 (9)
摂社の塩竃神社。

宇夫階神社 (7)

宇夫階神社 (8)
もう少し神社巡りしようかと思いましたが、暑くなってきたので帰路に。

帰ってから気づいたけど、この神社、境内にうどん店がある様子。気づかなかった・・・だから車停まってたのか。暑くて注意散漫でした。

夏のツーリングは意識が飛ぶので注意ですわ。