2016年05月

石川護国神社

石川護国神社

石川県金沢市石引4-18-1

石川護国神社(いしかわごこくじんじゃ)は、石川県金沢市にある神社(護国神社)である。市街地中心部の兼六園の隣にある。石川県内でも最大規模の面積を誇る神社である。

概要
戊辰戦争で戦死した水野徳三郎寛友ほか加賀藩の107人の霊を祀るため、明治3年(1870年)に加賀藩14代藩主前田慶寧が創建した招魂社にはじまる。当時は卯辰山にあったが、境内が狭く式典を行うのが困難であったため、昭和10年(1935年)、現在地である旧陸軍小立野練兵場の一角に遷座した。昭和14年(1939年)、石川護国神社に改称した。

大東亜聖戦大碑
平成12年(2000年)8月4日、境内の参道に大東亜聖戦大碑が建立された。平成22年(2010年)10月11日、「輝く天命戦の真実を知れ」と題する副碑の落慶記念式典が催された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



石川護国神社

石川県護国神社 (3)
兼六園からひがし茶屋町に向かうつもりが、意外と遠いことが判明。

満身創痍の中、神社を見つけたので参拝。

石川県護国神社 (1)
でかい鳥居。

石川県護国神社 (4)

石川県護国神社 (5)

石川県護国神社 (6)

石川県護国神社 (7)

石川県護国神社 (8)

石川県護国神社 (9)
護国神社にくると気持ちが引き締まりますな。

東茶屋町 (1)
その後やたら歩いてひがし茶屋町につく。遠いわ。

東茶屋町 (2)
観光地って感じ。

東茶屋町 (3)
渋い建物。

駅弁 (1)
最後はバスで駅まで戻りました。もう歩けません。

お土産と駅弁を購入。駅弁は一番人気の輪島朝市弁当にしました。

駅弁 (2)
おいしそう!

駅弁 (3)
牡蠣がいいですねえ。

夜は短し歩けよ乙女


帰りの車内は森見登美彦の夜は短し歩けよ乙女を読みました。

いいなあ。こんなかわいい後輩いたらキャンパスライフ楽しいだろうなあ。

s-うみのちか
羽海野チカ先生の挿絵もかわいいなあ。大きい緋鯉を背負ったおんなのこに一目ぼれしたいです。

金沢神社

金沢神社

石川県金沢市兼六町1-3

金沢神社(かなざわじんじゃ)は、石川県金沢市に鎮座する神社。菅原道真を主祭神とする。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。金澤神社とも表記する。兼六園に隣接している。

歴史
寛政6年(1794年)[1]、加賀藩11代藩主前田治脩が藩校明倫堂を建てた際にその鎮守社として、学問の神であり、また前田家の祖先ともされる菅原道真を奉斎する[2]神社を創建したのに始まる。

兼六園を整備する際に明倫堂は別の地に移転したが、神社はそのまま残され、12代藩主前田斉広が建てた竹沢御殿の鎮守社とされて竹沢御殿御鎮守天満宮と称した。神社には、災難除けの神である白蛇竜神、交通安全の神である琴平大神、商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神も合わせて祀り、歴代の藩主が兼六園を散策する際に藩内の繁栄と平和を祈願した。

神社への参拝は、明治以前は4月25日と9月25日の例祭の日に城下の婦女子にのみ許されていた。1874年(明治7年)の兼六園の一般開放にあわせて自由に参拝が出来るようになった。1876年(明治9年)に金沢神社に改称した。

災難除けの神である白蛇竜神の御神体は雄雌一対となっており、1体は当社に、もう1体は金沢城の御殿にて代々の藩主の奥方によって奉斉されていたが、1946年(昭和21年)に当社に移された。また、商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神は明治維新の後、前田家が東京に移住する時にその邸内に遷座されたが、後に旧藩士の懇願によって再び当社に戻されている。

学問の神である菅原道真を祀った神社の中でも金沢市の市街地に最も近く藩校の鎮守であったという経緯もあって毎年受験シーズンには、数多くの受験生が参拝に集まる。2004年(平成16年)には、本殿[3]および拝殿[4]が国の登録有形文化財として登録された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE



金沢神社

兼六園 (1)
片町で飲んだ疲労が抜けきらぬまま朝マックで栄養補給し、兼六園へ。やっぱ金沢といえば兼六園ですよね。

兼六園 (5)

兼六園 (6)

兼六園 (7)
ちょっと曇り気味。桜の季節とか美しいでしょうな。

金澤神社 (1)
神社があるので参拝します。

金澤神社 (2)

金澤神社 (3)
すごい絵馬の量や。ここは天満宮なんですね。

金澤神社 (4)

金澤神社 (5)
加賀は天神信仰が盛んで、加賀に入った前田利家も菅原氏の末裔を名乗ったそうですね。

金澤神社 (6)
やはり後から入った大名というのは、地元に溶け込むために苦労するんでしょうな。

気多大社

気多大社

石川県羽咋市寺家町ク1

気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市寺家町にある神社。式内社(名神大社)、能登国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。

概要
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。

創建
社伝(『気多神社縁起』)によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという[1]。

また『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子とし、能登半島一帯を巡行して鬼神を追放したと記される[1]。『気多社祭儀録』では、祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される[1]。

一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現・気多本宮、位置)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる[1]。

概史
奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっており、『万葉集』に越中国司として赴任した大伴家持が天平20年(748年)に参詣したときの歌が載っている(文献上初見[2])。

国史では、古くは『続日本紀』神護景雲2年(768年)の記事が見え[原 1]、同記事では封戸20戸・田2町が支給されている[1]。また神階に関しては、延暦3年(784年)の正三位から[原 2]、天安3年(859年)に従一位勲一等までの叙位・叙勲の記事が載る[原 3]。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では能登国羽咋郡に「気多神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。

中世以降は能登国一宮とされ、中世・近世の間は畠山氏・前田氏など歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列し、大正4年(1915年)に国幣大社に昇格した。第二次世界大戦後は神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、後述のように平成22年(2010年)に神社本庁に属さない単立神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%A4%9A%E5%A4%A7%E7%A4%BE



気多大社

近江町市場 (1)
片町で飲んだ翌日。朝食をいただきに近江町市場へ。

近江町市場 (2)
市街地にあります。

近江町市場 (3)
カレーのチャンピオンもありますね。

活き活き亭 (1)
朝ごはんはいきいき亭で。

活き活き亭 (2)
窓に貼るシステム。

活き活き亭 (3)
電話をくれるということですかね。

海鮮丼
海鮮丼!!美味!!

片町の飲み屋の姉ちゃんから、地元民は海鮮を食べられるいい店を知ってるからわざわざ市場に行かないと言われました。

結構どこでも海鮮食べられるんでしょうね。

なぎさドライブウェイ (1)
今日は能登方面を観光するためにレンタカーを借りました。なぎさドライブウェイとかいう車で走れる砂浜に来ました。

車は13万キロ走ったヴィッツ。カーナビなし。流石ニコニコレンタカー。

なぎさドライブウェイ (2)
日本海。

なぎさドライブウェイ (3)
クラゲ。

気多大社 (1)
羽咋に来たので気多大社参拝します。

気多大社 (2)

気多大社 (3)

気多大社 (9)

気多大社 (7)
ラブラブな絵馬。

気多大社 (8)

気多大社 (5)

気多大社 (6)
外国人の方が二組結婚式の撮影っぽいのしてましたけど、はやってるんですかね?たまたま?

輪島
輪島に来ました。畠山七人衆の温井さんの本拠地ですね。

ステーキ丼 (3)
ごはんにしましょう。

ステーキ丼 (2)
ステーキ丼です。

ステーキ丼
こちら、輪島塗のお箸をいただけました。

なつめの店
輪島塗のお店でカップを買いました。お土産にします。

永井豪
マジンガーゼットさんや。

この後千枚田とか見てから金沢に帰りました。昨日の疲れが残っているのかめちゃくちゃ眠かったです。

海鮮丼 (2)
晩飯の居酒屋でのエビ。やっぱ海鮮よね。

金剱宮

金剱宮

石川県白山市鶴来日詰町巳118-5

金剱宮(きんけんぐう)は、石川県白山市鶴来日詰町にある神社。旧社格は県社。金剱神社、金剱明神、剱明神とも。

概要

鶴来(つるぎ)の町の中心部に鎮座する。近世に「金劔宮」と呼ばれるようになるまでは「劔宮」・「劔神社」と呼ばれ、「鶴来」の地名もこれに由来するとされる。

白山七社のうちの一つで、そのうち白山本宮(白山比咩神社)・三宮・岩本とともに本宮四社の一つにあたる。

秋の例大祭は、ほうらい祭りとして知られる。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%B1%E5%AE%AE


金剱宮

金剣宮までの道 (1)
次のバスまで一時間近く待つため、歩いたほうが早いとの判断で徒歩で向かいます。

金剣宮までの道 (3)
いい天気やねえ。石川は天気の悪い日が多いって言うけど。

金剣宮までの道 (2)
結構歩いたけど標識を見て間違っていないと安心。

金剱宮 (1)
着きました。

金剱宮 (9)

金剱宮 (8)

金剱宮 (2)
帰りはバスにしよう。

金剱宮 (4)

金剱宮 (3)

金剱宮 (5)

金剱宮 (6)

金剱宮 (10)
くるりんバスが鶴来観光に便利なので使いましょう。

鶴来駅
これまた渋い鶴来駅舎。

この後金沢に帰って片町のホテルまで歩きました。想像より遠かったです。

白山比咩神社

白山比咩神社

石川県白山市三宮町ニ105-1

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町にある神社。式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。神紋は「三子持亀甲瓜花」。

概要
石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)の山麓に鎮座し、白山を神体山として祀る神社である。

元は、手取川の畔にある現在の古宮公園の場所に鎮座していたが、室町時代に火災で焼失し、現社地に遷座した。また白山山頂の御前峰には奥宮も鎮座し、山麓の社殿はこれに対して「下白山」または「白山本宮」と呼ばれていた。

境内には国宝の刀剣(銘 吉光)のほか、重要文化財が多数伝えられている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E6%AF%94%E5%92%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



白山比咩神社

半沢直樹
ゴールデンウィーク後半。休暇を有効活用するために旅立ちます。

長旅となるため久しぶりの読書。池井戸潤の半沢シリーズ2冊と、夜は短し歩けよ乙女をブックオフで購入して持参。

最近読書もしてなかったけど、久しぶりに読むと面白いもんですね。

金沢駅
今回の目的地は石川県。朝4時おきでお昼に到着。

新西金沢
まずは一宮巡り。加賀一宮に向かいます。新西金沢駅、渋い駅舎やな。

白山看板
看板ありますね。

新西金沢ホーム
渋いホームや。鶴来方面へ向かう。

白山ひめ (2)
鶴来駅から周遊バスに乗って到着。

白山ひめ (1)

白山ひめ (3)
いい感じの参道。

白山ひめ (4)

白山ひめ (5)

白山ひめ (6)

白山ひめ (7)

白山ひめ (8)

白山ひめ (9)
手取川の戦いで有名な手取川ですね。

白山ひめ (10)

白山ひめ (11)

白山ひめ (14)


白山ひめ (15)
バスの時間が微妙なため、金剱宮まで歩くことに。神社のアクセスって不便よね。

由良湊神社

由良湊神社

兵庫県洲本市由良3丁目5−2

由良湊神社(ゆらみなとじんじゃ)は、兵庫県洲本市由良三丁目にある神社。

鎮座地の由良地区は淡路島の東南部に位置し、紀淡海峡を隔てて和歌山に相対する天然の港湾である。

祓い清めの水戸の神々である速秋津日古神と速秋津比売神並びに、いわゆる八幡神の品陀別尊を祭神とし、[1]氏子からは「はちまんさん」と呼び習わされている。

延喜式内社 津名郡 九座の中の小社で、旧社格は郷社。現在は神社本庁包括下の神社である。

略記
当神社の創立年代は不詳だが、由良水門の守り神として祀られたものと思われる。

鎮座地の由良は淡路上陸の要所として古代より栄え、延喜の制では由良駅が置かれ馬五頭が配されていた。

中世の状況については詳細は不明だが、八幡神の信仰が全国的に盛んになるにつれ、いつしか当地にも八幡宮が祀られたと考えられる。

近世、成山城城主の池田忠長が、現由良小学校地に在った八幡宮を再興して氏神と定め、由良湊神社を境外摂社とした。次いで、阿波・淡路両国の領主蜂須賀氏も成山城を居城としたが、寛永年間に「由良引け」を断行、国府が洲本へ移った。この時、藩邸を築く為に八幡宮を湊神社の境内に移して社殿を造営した。

明治三年に両社を合併して延喜式の社名「由良湊神社」とし、今に至る。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B1%E8%89%AF%E6%B9%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE



s-由良湊神社

s-由良湊 御朱印帳
オリジナル御朱印帳あります。なんと美しい!

花さじき (2)
前日の疲労が抜けきらぬ中、淡路島に来ました。

花さじき (7)
花さじきでお花に囲まれてリフレッシュします。

花さじき (1)
美しいですな~。

花さじき (8)
朝ドラのロケ地だったんですな。波瑠、かわいいけどセブンティーンのモデル時代のギャル姿もいいと思う。

花さじき (10)
藤の花。蜂が多くて撮影に苦労。

花さじき (11)
たまにはこういうところに来るのもいいですね。

由良湊神社 (2)
この後、たこせんべいの工場見学したり鰆丼食べたりしてから神社に。

由良湊神社 (1)
オリジナル御朱印帳の存在を耳にしたため、ぜひとも参拝したかったのです。

由良湊神社 (3)
近所の子供が境内で遊んでますね。

由良湊神社 (4)

由良湊神社 (5)

由良湊神社 (6)

この神社に向かう途中、マツダのクソナビが謎の狭小ルートを案内したせいでアクセラちゃんにキズが入ってしまいましたが、美しい御朱印帳をいただけたので大満足です。マツダのナビは反省しておくように。

アクセラちゃんのキズはオートバックスで買った塗料で隠しておきました。これで万事OK。

二日連続の長旅で慢心相違。明日は仕事や。。

橿原神宮

橿原神宮

奈良県橿原市久米町934

橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市の畝傍山の東麓、久米町に所在する神社である。

概要
初代天皇である神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。

1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行された。この年の参拝者は約1000万人に達したという。現在でも皇族の参拝がある。第125代天皇明仁とその皇后美智子は2016年、神武天皇2600年式年祭にあわせて親拝し、2018年には銅鏡を神宮へ贈った[1]。

近代の創建ではあるが、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社である。他にも、勅使参向のもと紀元祭が行われる2月11日(建国記念の日)や、神武天皇祭が行われる4月3日、および奉祝行事「春の神武祭」の開催期間にも多くの参拝者が訪れる。

畝傍山東麓は北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっている。県道を隔てた東側は奈良県立橿原公苑として整備されており、橿原公苑野球場や橿原公苑陸上競技場があり、各種スポーツ競技の奈良県予選決勝の舞台として頻繁に利用されている。公苑に隣接する施設として奈良県立橿原考古学研究所および付属博物館がある。また、付近は多数の陵墓が存在する。社務所に当たる組織は橿原神宮庁と呼ぶ。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%BF%E5%8E%9F%E7%A5%9E%E5%AE%AE



s-橿原神宮

橿原神宮 (1)
橿原神宮に来ました。

写真に写っているバイク、納沙布岬のステッカーが貼られていました。いいなあ、北海道ツーリングいきたいなあ。

橿原神宮 (2)
橿原神宮、敷地がすごい広いんですよね。流石は神宮。

鳥居もでかい。

橿原神宮 (3)

橿原神宮 (4)

橿原神宮 (5)

橿原神宮 (6)
すげえでかい池があるな。

でかすぎて端まで行くのは断念。

橿原神宮 (11)
広いわ~。

橿原神宮 (9)

橿原神宮 (8)
橿原神宮。でかくて驚きでした。流石神宮ですわ。

橿原神宮 (12)
帰り道で流石に疲れが出てきたのでデカビタCで栄養補給。がんばれ俺!!

帰りのフェリー
無事に和歌山港までたどり着きました。途中でなぞの道に入って迷子になるかと思いましたがフェリー間に合いました。

GWはフェリーのバイク利用者が普段の10倍くらい多いですね。驚きました。キャンプツーリングっぽいクロスカブの青年とかいたし。楽しそうですな。

飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

奈良県高市郡明日香村飛鳥707

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ/あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は村社。毎年2月のおんだ祭が奇祭として知られる。

歴史
創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。また『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神 飛鳥四社 住吉大社」とあり、天武天皇の病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。『日本紀略』によれば、天長6年(829年)、神託により、現在の鳥形山へ遷座した。(遷座する前の場所については諸説ある)

寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。享保10年(1725年)に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、天明元年(1781年)に高取藩8代藩主・植村家利により再建された。平成13年(2001年)、大滝ダム建設に伴って移築することとなった吉野の丹生川上神社上社から旧社殿を譲り受け、天明以来200年を経て老朽化していた社殿を再建した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE



s-飛鳥坐神社

飛鳥坐神社 (1)
橿原方面から来ましたが、道がわからず苦戦。

明日香村って、三重からの帰りに何度か通過してますね。スルーしてしまっていましたが。

飛鳥坐神社 (1)
この神社、「あすかにいますじんじゃ」って言うんですね。読めません。

飛鳥坐神社 (2)

飛鳥坐神社 (3)

飛鳥坐神社 (4)
夏っぽい雰囲気の石段。

飛鳥坐神社 (5)

飛鳥坐神社 (6)

飛鳥坐神社 (7)

飛鳥坐神社 (8)
ここの社務所の方が、村屋神社の御朱印を見て「初めて見た」と驚かれていました。珍しいんかな。

次は橿原神宮へ向かいます。

村屋坐弥冨都比売神社

村屋坐弥冨都比売神社

奈良県磯城郡田原本町蔵堂426

村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。式内大社で、旧社格は県社。大和三道の一つ「中つ道」(橘街道)に面して鎮座している。

三穂津姫命(別名 弥富都比売神)を主祭神とし、大物主命を配祀する。三穂津姫命は大国主命の后神であり、記紀神話では大物主と大国主は同神としている。大物主命は大神神社の祭神であり、その后神を祀る当社はその別宮とされる。

概史
創立の年代は不詳である。天武天皇元年(673年)の壬申の乱のとき、村屋神が大海人皇子方の大伴吹負に「敵が来るので中つ道を防げ」と神託をした功績により神階が授与されたとの記述が『日本書紀』にある。神階の授与の記事はこれが初出である。大倭国正税帳(正倉院文書)や新抄格勅符抄の記載によると度々朝廷から神封の寄進があった。延喜式神名帳では大社に列しており、月次・相嘗・新嘗の奉幣に預ると記されている。

昭和2年(1926年)に県社に昇格した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%8B%E5%9D%90%E5%BC%A5%E5%86%A8%E9%83%BD%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE



s-村屋神社

村屋神社 (1)
津島神社参拝後に来ましたが、場所がわかりにくい・・・有光工業とか東小学校を探してたどり着く。

村屋神社 (2)

村屋神社 (3)
いい感じの参道です。

村屋神社 (4)

村屋神社 (5)

村屋神社 (6)
東側にある宮自宅で御朱印いただきました。ありがとうございました。

津島神社

津島神社

奈良県磯城郡田原本町549番地

津島神社(つしまじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町にある神社である。旧田原本村(現田原本町中心部)の産土神。

歴史
創建は明治中期に書写された棟札に天治2年(1125年)と記載されていることから、それ以前に創建されたものとされる。江戸時代以前は「祇園社」と称し、牛頭天王を祀っていた。の領主平野家の崇敬を集め、以後田原本藩(交代寄合平野家の知行地)の鎮守社とされた。明治2年(1869年)、社名を津島神社に改めた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%9C%AC%E7%94%BA)



s-津島神社

津島神社 (2)
田原本駅の近くの津島神社にきました。

津島神社 (1)
牛頭天王社ですね。

津島神社 (3)

津島神社 (6)

津島神社 (4)

津島神社 (5)
神社の裏手にすごい勢いで水が噴出す噴水があって遊びたかったんですが、家族連れがいたのであきらめました。

不審者と思われちゃいますからね。仕方ないね。