2015年11月

秦神社

秦神社

高知県高知市長浜857-イ

秦神社(はだじんじゃ)は、高知県高知市にある神社。旧社格は県社。

長宗我部元親の菩提寺である雪蹊寺が廃仏毀釈により明治3年(1870年)に一時廃寺となった。このため雪蹊寺跡に隣接して明治4年(1871年)4月7日(新暦5月25日)に建立された。

社名は、長宗我部氏が中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことによる。長宗我部氏の子孫にあたる島弥九郎などが中心となり、雪蹊寺にあった衣冠束帯姿の長宗我部元親木像を神体として安置した。また、戸次川の戦いで戦死した長宗我部兵の霊璽板(大位牌)も祀った。

昭和18年(1943年)8月に県社に列した。社格廃止後の昭和27年(1952年)宗教法人となった。

以上ウィキペディアより。

秦神社

秦神社 (1)

秦神社 (3)
こちらも長曽我部氏の紋が。

秦神社 (2)

秦神社 (4)

秦神社 (5)

秦神社 (6)

秦神社 (7)

秦神社 (8)
盛親公の慰霊碑。

こんどの大河は真田丸のようですが、盛親公を主人公にしてもかっこいいと思います。視聴率取れるかは不明。

桂浜 (1)
せっかく高知にきたので桂浜にきました。夕方なので暗いな。

桂浜 (2)
この後、夜の高速をひた走って帰ることに。

公太郎 (1)
すっかり夜になってしまい、晩御飯タイム。地元の徳島ラーメン屋へ。

公太郎 (2)
小でもなかなかのボリュームです。

公太郎 (3)
セットのから揚げもでかい。満足。

一日の疲れを塩分と油で中和できました。ごちそうさまでした。

高知縣護國神社

高知縣護國神社

高知県高知市吸江213

高知県護国神社(こうちけんごこくじんじゃ)は、高知県高知市にある神社(護国神社)である。国難に殉じた高知県関係の護国の英霊4万1千余柱を祀る。 高知県護国神社奉賛会がある。

明治元年(1868年)、土佐藩主山内豊範が藩校高知致道館で、迅衝隊などの東征に従軍し陣歿した藩士105柱を招魂し、その御霊を鎮祭するため、現在の五台山大島岬に大島岬の地に社域を定め、翌年の明治2年に建社の土地に因んで大島岬神社と称して社殿竣工とともに神霊を鎮座地に奉還したことに始まる。 明治8年5月31日に招魂社と改称、昭和14年(1939年)に高知県護国神社に改称して特定護国神社となった。 第二次大戦後は占領下における宗教法人令によって国の管理を離れ、社号も元の大島岬神社と称していたが、崇敬者多数の熱望により、1959年(昭和34年)元の社名に復した。 1966年(昭和41年)7月1日、神社本庁の別表神社に加列する。

以上ウィキペディアより。

高知県護国神社

高知県護国神社 (1)
駐車場めっちゃ車停まってましたけど、なんかあるのかな。

高知県護国神社 (2)

高知県護国神社 (3)

高知県護国神社 (4)

高知県護国神社 (5)

高知県護国神社 (6)

高知県護国神社 (7)

高知県護国神社 (8)

高知県護国神社 (9)
境内は静かでした。下に停まってた車はなんなんやろか。

ステーキがスト
昼飯を食べる場所に悩み、ステーキガストに初めて入る。サラダバーいいね。食べ過ぎたけど。

若宮八幡宮 (高知市)

若宮八幡宮 (高知市)

高知県高知市長浜6600

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、高知県高知市にある神社。旧社格は県社。社紋は「まり巴」。

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の記述によれば、源頼朝は平氏を討ち果たした文治元年(1185年)に京都六条にあった祖父源為義邸跡に石清水八幡宮を勧請し六條若宮八幡宮を創建した。この時、土佐国吾川郡一円を六條若宮八幡宮の神領とし、鎮護のために同年12月30日、当地にも若宮八幡宮を分祀したとされている。

戦国時代の永禄3年(1560年)長宗我部元親は初陣に臨み、若宮八幡宮馬場先に陣を構えた。この時に初陣を勝利で飾った。以来、元親は合戦のたびに当社で戦勝祈願を行うようになった。

江戸時代に入り山内氏が土佐藩主となって以後も崇敬され藩主祈願八社の一つとされた。

明治時代になり近代社格制度が制定されると、明治6年(1873年)郷社に列した。更に昭和5年(1930年)には県社となった。

現在は高知市南部(長浜、御畳瀬、浦戸、横浜)の総鎮守となっている。

以上ウィキペディアより。

若宮八幡宮

若宮八幡宮 (1)

若宮八幡宮 (1)
なんか撮影してますね。

若宮八幡宮 (2)
長曽我部氏の家紋。七つカタバミですね。

若宮八幡宮 (3)

若宮八幡宮 (4)

若宮八幡宮 (5)

若宮八幡宮 (6)

若宮八幡宮 (8)

若宮八幡宮 (9)
協力しておきました。盛親公の活躍を大河で見たいです。

あと、社務所に長曽我部氏の旗タペストリーを売ってて買いそうになりました。ちょっと欲しかった・・・

若宮八幡宮 (11)
神社から少し歩くと、元親公の像があります。

若宮八幡宮 (10)
高知は坂本竜馬推しな気がするけど、長曽我部氏ももっと取り上げてほしいですね。

潮江天満宮

潮江天満宮

高知県高知市天神町19-20

潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)は、高知県高知市天神町にある神社。旧社格は県社で、現在は別表神社。

「潮江天満宮」は通称であり、正式名称は「天満宮」。市南半分の産土神であり、高知市の中心部に鎮座することもあって、初詣では土佐国一宮の土佐神社をしのぎ市内最多の参拝者を集める。

以上ウィキペディアより。

潮江天満宮

潮江天満宮 (1)
山内神社参拝後に、潮江天満宮へ。ホントはこっちに先に向かっていたのですが、駐車場がよくわからず通り過ぎてしまうことに。街中の神社は車でくるべきではないね。

潮江天満宮 (2)
さっそく参拝客の姿が見えますね。

潮江天満宮 (3)

潮江天満宮 (4)
参道にも車がずらり。

潮江天満宮 (5)
七五三ですね。

潮江天満宮 (6)

潮江天満宮 (7)

潮江天満宮 (8)

潮江天満宮 (9)
なかなかの賑わいです。

潮江天満宮 (11)
撫で牛。撫で回します。

潮江天満宮 (12)
天満宮恒例、受験生の悲痛な絵馬。

潮江天満宮 (15)

潮江天満宮 (14)
これぐらいにぎわってるのもいいですね。

山内神社

山内神社

高知県高知市鷹匠町2-4-65

山内神社(やまうちじんじゃ)は、高知県高知市にある神社である。土佐藩初代藩主山内一豊、同夫人、および土佐藩歴代藩主を祀る。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁等に属さない単立神社となっている。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

文化3年(1806年)、土佐藩10代藩主豊策により、初代藩主の一豊とその夫人の見性院(千代)、2代藩主忠義を祀るために高知城内に造営された藤並神社に始まる。当時、初代藩主を神として祀ることが各藩で行われていた。天保6年(1835年)、「藤並大明神」の神号が贈られた。

明治4年(1871年)、土佐藩最後(16代)の藩主で、初代知藩事となった豊範が、藤並神社の御旅所であった現在地に山内神社を創建し、3代忠豊から14代豊惇までの霊を祀った。翌明治5年(1872年)、山内神社は高知県庁に引き渡され、村社に列格した。

昭和7年(1933年)、15代豊信(容堂)・16代豊範の明治維新での功績を顕彰する神社を新たに造ることとなり、山内神社に祀られていた歴代藩主の霊を藤並神社に遷座し、新しい社殿を造営した。昭和9年(1935年)4月に竣工し、豊信・豊範を祀る「別格官幣社山内神社」として創建された。

昭和20年(1945年)、戦火により両神社とも焼失し、以降、仮宮で祭祀が行われていた。昭和45年(1970年)、社殿を再建して藤並神社を合祀し、土佐藩歴代のすべての藩主を祀る神社となった。平成2年(1990年)、高知城内にあった熊野・春日・住吉の三社を境内に遷座した。

以上ウィキペディアより。

山内神社

牛飯
高知に用事があり、早朝家を出ることに。午前6時。眠い。街はまだ眠りについているので、松屋で朝食。最近松屋頻度高いな。

山内神社 (1)
夕方まで暇になったので、高知市内の神社を巡ります。山内神社をカーナビで見つけたので向かう。

山内神社 (2)

山内神社 (3)

山内神社 (4)

山内神社 (5)
山内氏の家紋。三つ柏ですね。

山内神社 (6)

山内神社 (7)

山内神社 (8)
山内容堂像。

「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」

幕末はドラマがあふれていますね。

男山八幡宮

男山八幡宮

兵庫県姫路市山野井町

男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう)は兵庫県姫路市山野井町にある神社。男山の中腹に鎮座している。

1345年(貞和元年) - 赤松貞範が国府姫路の姫山に城(姫路城)を築く際に京都の岩清水八幡宮より分霊し男山に祀る。城の鎮守社として歴代城主の信仰も厚かった。
1679年(延宝7年) - 松平直矩が社殿を修理した。麓の参道入り口に現在残っている石鳥居は、この時に寄進された物。
1716年(正徳6年) - 榊原政邦が社殿を新築再建した。社殿の前に現在残っている石鳥居は、この時に寄進された物で武運長久・家門繁栄を願った文章が刻まれている。政邦は「男山八景」の和歌も詠んでいる。
1987年(昭和62年)10月16日 - 放火で建物を焼失した。
1990年(平成2年)9月 - 本殿・幣殿・拝殿を再建した。

以上ウィキペディアより。

男山八幡宮
書置きをいただきました。

男山八幡宮 (8)
上った先にありました。

男山八幡宮 (9)

男山八幡宮 (10)
姫路城から歩き続けて疲れました。

男山八幡宮 (11)
姫路で食事どころを見つけられず、淡路SAで二度目の休憩。姫路ではステーキのカワムラってとこが気になったけど、高級店なのね・・・あきらめました。

たまねぎラーメン
たまねぎラーメン食べてフィニッシュ!!めっちゃ眠いです。運転してないのに。コンパ翌日の遠出はきついと学びました。

千姫天満宮

千姫天満宮

兵庫県姫路市山野井町1-3

千姫天満宮(せんひめてんまんぐう)は兵庫県姫路市山野井町にある神社。男山の中腹に鎮座している。

1623年(元和9年)3月 - 千姫(徳川家康の孫、豊臣秀頼正室)によって創建される。
2002年(平成14年)4月 - 社殿を新築する。

千姫は天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていた。1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で秀頼が自害し千姫は寡婦となるが、その翌年、1616年(元和2年)には本多忠刻と再婚。1617年(元和3年)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い姫路の天門(乾・北西)の鎮めとするため1623年(元和9年)3月に男山に天満宮を建立し6枚の羽子板を奉納した。千姫が生活していた姫路城西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫は長局の廊下から拝礼していたと伝わる。

千姫が奉納した羽子板に肖って絵馬は羽子板の形になっており、麓の店で販売している。また、切手を貼れば郵便物として郵送も可能。

学業成就の他、忠刻と千姫の夫婦仲の良さから恋愛成就の御利益もあるといわれている。

以上ウィキペディアより。

千姫天満宮
書置きをいただきました。

男山八幡宮 (4)
水尾神社から少し石段を登るとあります。

男山八幡宮 (5)

男山八幡宮 (7)
撫で牛。

男山八幡宮 (6)
まだあるので、さらに上ります。疲れてきた。

水尾神社

水尾神社

兵庫県姫路市山野井町1-3

水尾神社(みおじんじゃ)は兵庫県姫路市山野井町にある神社。男山の麓に鎮座している。

古くは伊和大神を祀り、565年から大己貴命を祀ったとされる。
764年(天平宝字8年)6月11日 - 飾磨郡伊和里水尾山(現在の姫路市山野井町)に兵主神を祭祀する。
787年(延暦6年) - 坂上田村麻呂が兵主神を飾磨郡国衙小野江梛本(現在の姫路市本町)に遷座する(現在の播磨国総社)。周辺の民が男山に祠を建てて祀った。このため水尾神社は播磨国総社の元宮といわれている。
1619年(元和5年) - 本多忠政が姫路城を増築する際、神守岡より岡大歳社を遷座し社殿を造営する。
1983年(昭和58年) - 屋台を新調する。
平成?年 - 社殿を新築する。

以上ウィキペディアより。

水尾神社
書置きをいただきました。

男山八幡宮 (1)

男山八幡宮 (2)

男山八幡宮 (3)
水尾神社は男山のふもとにあります。

あと二社鎮座しているので、上っていきます。

姫路神社

姫路神社

兵庫県姫路市本町83

姫路神社(ひめじじんじゃ)は、兵庫県姫路市に鎮座する神社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

祭神は、姫路藩の後半を統治した酒井家に縁のある酒井正親と姫路藩酒井家歴代藩主。旧社格は県社。姫路城のある姫山公園に立地。天守閣からは鬼門である艮の方角に当たるが、当社は明治に入ってから出来た神社のため、方位守護を藩政当時から企図していた訳ではない。境内には桜が多く、春には花見客で賑わう。神前結婚式も取り扱っている。

明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県に伴い、10代120年余りに亘って姫路藩を治めてきた酒井家は、東京へ移住することとなった。旧藩臣・旧領民らは酒井家への思慕の念から明治12年(1879年)1月、酒井家遠祖の新田義貞の裔、酒井正親を祀る神社を神東郡姫路本町50・51・52番地に創建した。これが姫路神社の起こりである。明治17年(1884年)には県社に列せられている。

旧社域は民家に隣接し狭隘だったため、大正14年(1925年)11月、現在地に当たる姫路城内の官有地1974坪余を大蔵省から買い受け社殿を新築し、昭和2年(1927年)6月に遷座した。昭和36年(1961年)10月には酒井家歴代藩主を合祀している。

以上ウィキペディアより。

姫路神社

御朱印帳 姫路神社
オリジナル御朱印帳あります。二種類ありましたが、ピンクをチョイス。

姫路神社 (1)

城の裏側的な位置にあります。

姫路神社 (2)

姫路神社 (3)

姫路神社 (5)
観光地って感じではなく、地元の神社って感じの穏やかな雰囲気でした。

射楯兵主神社

射楯兵主神社

兵庫県姫路市総社本町190

射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は、兵庫県姫路市にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」、「そうしゃさん」と呼ばれる。社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する。60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。

飾磨郡伊和里(姫路市街地周辺)は伊和族(宍粟市一宮町須行名にある、播磨国一宮伊和神社の伊和大神を祀る氏族)の平野部においての拠点であったようで、兵主神は伊和大神であると言われている。出雲系である伊和大神は大己貴神(大国主命)と同一化され、兵主神も大国主命であるといわれるようになったと考えられる。

神仏習合時代には、神宮寺として般若院(般若寺)があった。また、播磨天台六山(書写山圓教寺・増位山随願寺・法華山一乗寺・八徳山八葉寺・妙徳山神積寺・蓬莱山普光寺)による大般若会が行われていた。

江戸時代には、姫路藩主の崇敬が篤かったと伝えられる。

以上ウィキペディアより。

射楯兵主神社


播磨総社 (1)
護国神社から歩いて向かいます。郵便局の横です。

播磨総社 (4)
読めないんですけど。

播磨総社 (5)
ふくろういます。

播磨総社 (7)

播磨総社
七五三とか結婚式とかでにぎわってました。

播磨総社 (11)
撫でみみずく。撫で牛はよく見ますが、これは初めてです。撫で回しておく。

その後、屋台でたこ焼きを食す。お祭りのたこ焼きって気分的においしく感じますね。