2015年06月

真田神社

真田神社

長野県上田市二の丸

真田神社

夏休みを利用した三連休。土砂降りの中、旅立つ。

名古屋
雨の車窓から名古屋駅。

でかから弁当
新大阪でのきわどい乗換を成功させ、予定通り名古屋駅から特急しなのに乗り換える。6時起床で既に疲弊している。

ここは駅弁でHPを回復させる。

でかから弁当 (1)
特急しなのに揺られ、車窓からの景色を楽しみながらでかから弁当を食す。木曽はマジで山深いな。

どうにか15時に長野駅に到着。友人と合流し、飲みに行く。

権堂 (2)
長野の繫華街、権堂に到着。地味なアーケード街です。

権堂 (1)
想像より人通りは少ない。

おでん
おでん屋助六で飲む。美味い。権堂、昔はもっとにぎやかだったとのこと。寂しいのお。

権堂
助六を後にし、飲みなおす。このあたりが繫華街ですかね。なかなかの街並み。流石権堂。

てんてん
満身創痍のため22時でリタイヤ。ラーメン屋てんてんでギトギトラーメンを注文して〆る。マジで油多いな…

真田神社 (1)

翌日。上田城址へ。上田と言えば真田。信長の野望だと以上に強いチート一族。

s-幸村
イケメン。大坂夏の陣の時点だとジジイのはずですがね幸村。

真田神社 (15)
勢ぞろい。幸隆、昌幸の方が悪いジジイって感じがして好き。

真田神社 (3)
門をくぐったらいきなり神社。

真田神社 (2)

真田神社 (5)

真田神社 (6)
六文銭。

真田神社 (7)
赤備。

真田神社 (8)

真田神社 (9)

真田神社 (11)
本殿。そして真田井戸。

真田神社 (10)
裏の山まで続いている抜け穴だそうだが…そんなに遠くまでつながっているのか疑問。

真田神社 (12)
上田城址公園、名前の通り城はないですが、矢倉とか一部あります。

真田神社 (14)
ほぼ公園になっており、陸上部が走ってました。競歩の練習をする人に4回ぐらいすれ違いました。お城って感じはあまりしません。

滞在時間めっちゃ短かった。さらば上田城址。

この後ボーリング場で卓球した。楽しかった。

再び権堂で助六行っておでん食べた。ごちそうさまでした。

長野駅 (2)
日曜の朝。翌日仕事のため早々に帰り支度をして退散。泊めてくれた友人ありがとう。車を出してくれた彼女もありがとう。

長野駅 (1)
特急しなので名古屋へ向かう。長野~名古屋間3時間って時間かかりすぎやろ…

感想:四国から長野旅行は移動時間がほとんど

友人はまた来てね~って言うてたけど、どうしようかな。。川中島古戦場とか行くかな。

吉備津神社

吉備津神社

岡山県岡山市北区吉備津931

吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区にある神社。式内社(名神大社)、備中国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
「吉備津彦神社(きびつひこ-)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。

岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備の中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。
本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。
足利義満造営とされる比翼入母屋造の本殿は、独特の「吉備津造」で、拝殿とともに国宝指定。また社殿3棟が国重要文化財指定のほか、特殊神事の鳴釜神事が有名。
当地出身の政治家犬養毅は、犬養家の遠祖・犬飼健命が大吉備津彦命の随神として当社を崇敬した。神池の畔に犬養毅の銅像が建ち、吉備津神社の社号標も犬養毅の揮毫である。

以上ウィキペディアより。

吉備津神社

吉備津神社 (2)
こちらの神社、駐車場が広くて参拝しやすいですね。

吉備津神社 (3)

吉備津神社 (1)

吉備津神社 (4)

吉備津神社 (5)

吉備津神社 (6)
角度的に写真が撮りにくい。

吉備津神社 (7)
学問・芸門の神様があるようなので行ってみます。

吉備津神社 (8)
なんかやばそうなトンネルが。

吉備津神社 (9)
!マークがハイテンションすぎて恐い。

吉備津神社 (10)

吉備津神社 (11)
振り返ると再びびっくり。なんか狂気を感じる。

犬養毅の像があったらしいが、スルーしてしまった。暑かったからな。。

アクセラだと結構遠くまで行けることが判明したので、これから中国地方の一の宮参拝を進めていきたいと思います。

吉備津彦神社

吉備津彦神社

岡山県岡山市北区一宮1043

吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市北区一宮にある神社。備前国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
近年、「朝日の宮」(あさひのみや)の別称がある。

岡山市西部、備前国と備中国の境に立つ吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して鎮座する。吉備の中山は古来より神体山として信仰されており、北西麓には備中国一宮・吉備津神社が鎮座する。当社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を主祭神に祀り、命の関係一族を配祀する。
大化改新を経て吉備国が備前・備中・備後に分割されたのち、備前国一宮として崇敬された。中世以後は、宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けた。

以上ウィキペディアより。

吉備津彦神社

吉備津彦神社 (3)
この神社は人多いね。

吉備津彦神社 (4)
よく見えないけどカメ。

吉備津彦神社 (2)
お茶屋さんもあります。

吉備津彦神社 (1)

吉備津彦神社 (5)

吉備津彦神社 (6)

吉備津彦神社 (7)
でかい灯篭。

吉備津彦神社 (8)

吉備津彦神社 (9)

石上布都魂神社

石上布都魂神社

岡山県赤磐市石上字風呂谷1448

石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は、岡山県赤磐市にある神社。式内社、備前国一宮。旧社格は郷社。

現在の祭神は以下の1柱。
素盞嗚尊
明治時代までは、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣である布都御魂と伝えられていた。明治3年(1870年)の『神社明細帳』では神話の記述に従って十握剣と書かれている。

歴史
上述の十握剣を祀ったのが当社の創始と伝えられる。この剣は崇神天皇の時代に大和国の石上神宮へ移されたとされており、このことは石上神宮の社伝にも記されている。
『延喜式神名帳』では小社に列し、備前国総社神名帳では128社中2位に正二位布都魂神社と記載されている。寛文9年(1669年)、岡山藩主池田光政が山頂にあった小祠を復興した。次代綱政は延宝2年(1674年)社領20石を寄進し、宝永7年(1710年)に社殿・神楽殿を造営した。その後も歴代の藩主の崇敬を受けた。
明治6年(1873年)に郷社に列した。祭神を素盞嗚尊に変更したのはこのときと見られる。明治40年(1907年)、大火で山頂の社殿が焼失し、大正4年(1915年)に中腹の現在地に再建された。昭和21年(1946年)1月10日、内務省より由諸などから県社となるべき資格ありと認定されたが、この年の2月2日に社格制度が廃止された。
山上にある本宮(奥の院)が、昭和59年(1984年)2月18日に赤磐市史跡(指定当時は旧吉井町)に指定された。

以上ウィキペディアより。

石上布都魂神社

石上布都魂神社 (1)
津山から山道をひた走ると、看板がありました。

石上布都魂神社 (2)
すごい山やな。

石上布都魂神社 (3)
全体図。神社まで遠いぞ。。

石上布都魂神社 (4)
車を停めて、歩いて向かいます。

石上布都魂神社 (7)
しばらく歩いて看板が。杖を借りられます。

石上布都魂神社 (9)
しばらく上ると到着。暑いし傾斜がきつい。

石上布都魂神社 (10)

石上布都魂神社 (11)
宮司夫婦が休憩所で待機していて、お茶を出してくれました。ありがとうございました。

私の後から、大学生ぐらいの男二人組が御朱印を戴いていました。熱心な若者やな…

書置きも置いてありましたので、不在の場合も安心ですね。

徳守神社

徳守神社

岡山県津山市宮脇町5番地

徳守神社(とくもりじんじゃ)は、岡山県津山市宮脇町にある神社。津山藩総鎮守。 社格は県社で、現在は津山市中央市街地の総鎮守として氏子に親しまれている。

創建
社伝では、天平5年(733年)の創祀と伝えられている。社地は当初現在の津山市小田中の地にあったが、天文8年(1539年)火災に遭い社殿、宝物等悉く焼失した。慶長8年(1603年)美作の国18万6500石の国守大名として入封した森忠政が津山城を築くにあたり、翌9年(1604年)現在地に移して津山城下の総鎮守とした。
現在の社殿は寛文4年(1664年)2代藩主森長継が改築したものである。明治5年に県社に列せられた。
氏子は津山市の中心部56町内にわたり作州第一の大社である。例祭(秋祭)の神輿巡幸は、供奉300人を越え全長500メートルの行列になる。
「徳守」の社号は勅使として参向した清閑寺大納言藤原徳守の名に因むといわれるが定かではない。

以上ウィキペディアより。

徳守神社

徳守 (1)
周囲は一方通行の多い住宅・商店街。

徳守 (2)

徳守 (3)

徳守 (4)

徳守 (5)
熱心に拝んでる親子がいました。敬虔やな。

ホルモンうどん (1)
津山のB級グルメと言えばホルモンうどん。看板を見かけたので立ち寄る。

ホルモンうどん (2)
ホルモンうどんは津山のお好み焼き屋等で提供されているそうな。

ホルモンうどん (3)
ホルモンうどん定食!炭水化物×炭水化物や!

ホルモンうどん (4)
感想:炭水化物×炭水化物は重たい。

出雲大社美作分院

出雲大社美作分院

岡山県津山市田町87

出雲大社美作

出雲大社美作 (7)
大通り沿いに立派な鳥居が。

出雲大社美作 (6)

出雲大社美作 (4)
だいこくさま。

出雲大社美作 (5)
うさぎ。

出雲大社美作 (2)
地面はコンクリ作りで、新しい雰囲気ですね。移転してきたから、造りは近代的な様子。

出雲大社美作 (3)
立派なしめ縄。流石出雲大社。

美作総社宮

美作総社宮

岡山県津山市総社427

美作総社宮(みまさかそうじゃぐう)は、岡山県津山市にある神社。正式名称は総社。美作国総社で、旧社格は県社。

古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。
社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが始まりという[1]。ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない。

奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える[1]。その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社・高野神社など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという。鎌倉時代に入り国府は廃れたが、当社は美作三大社の一社として崇敬されたと伝える。

確かな文献により当社の沿革が明らかとなるのは、永禄12年(1569年)、当地に進出してきた毛利元就により所領が安堵されて以降である。その後は領主からの崇敬は篤く、江戸時代には津山藩主の森氏・松平氏から社領の寄進も受けた。

明治維新後、近代社格制度において県社に列したほか、神饌幣帛料供進神社に指定された。

以上ウィキペディアより。

美作総社

美作国総社 (2)
中山神社参拝後、近くに看板があった総社に来ました。

メイン通りから入ると、参道があり。しかし駐車場がわからん。細い路地を進んで境内に駐車。

結構な傾斜。

美作国総社 (1)

美作国総社 (3)

美作国総社 (5)

社務所で御朱印を戴けました。人の気配がなかったのですが、いらっしゃってよかった。

対向できない細い道なので、車で行く人は気を付けてください。僕は脱輪しかけました。

中山神社

中山神社

岡山県津山市一宮695

中山神社(なかやまじんじゃ)は、岡山県津山市一宮にある神社。式内社(名神大社)、美作国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
社名は現在「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。別称として仲山大明神、南宮とも。

創建
社伝(『中山神社縁由』)では、慶雲4年(707年)4月3日の創建とする。ただし実際には和銅6年(713年)、美作国が備前国から分立した時に吉備中山から勧請を受けて創建されたものとみられている。

概史
貞観6年(864年)に官社となった。『延喜式神名帳』では「美作国苫東郡 中山神社 名神大」と記載され美作国唯一の名神大社に列したほか、美作国一宮として崇敬を受けた。
天文2年(1533年)、尼子晴久の美作攻めの際、境内に陣を置く敵を攻略するために火が放たれ、社殿が焼失した。美作平定後の永禄2年(1559年)、晴久自身によって再建された。
明治4年に近代社格制度において国幣中社に列し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。

以上ウィキペディアより。

中山神社

中山神社 (1)
マツダのディーラーからカーナビの更新の案内が来た。そういえば全然アクセラ乗ってないなあ…と思い立って津山に来ました。

中山神社 (2)
津山と言えば八つ墓村とBzの稲葉さんですね。高速ぶっ飛ばしてきたけど、津山市けっこう発展してますね。この神社は山際なので静かですけど。

中山神社 (3)

中山神社 (4)
夏って感じの参道。

中山神社 (5)
天満宮ではないけど牛がいますね。

中山神社 (6)

中山神社
子どもたちが遊んでいます。

中山神社 (8)
楽しそう。

中山神社 (7)

中山神社 (9)

中山神社 (10)

中山神社 (11)
人も少なくて、いい感じの雰囲気でした。

皆中稲荷神社

皆中稲荷神社

東京都新宿区百人町1丁目11−16

皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)は東京都新宿区百人町にある稲荷神社である。JR新大久保駅の西約100mの市街地に鎮座している。賭け事に利益(りやく)があるとして有名な神社である。

天文2年(1533年)9月のある夜、稲荷大明神が鉄砲組与力の夢枕に立ち射撃を伝授した。その霊験が評判となり、皆中稲荷(みななかのいなり)と呼ばれるようになった。その後「当たる」ものに利益(りやく)があると人気をあつめ、現在は「賭けごとの神」として親しまれている。

皆中稲荷神社

s-皆中稲荷神社 (1)
新大久保近くに鎮座。予想より人が多い。韓流は不滅なのか。

s-皆中稲荷神社 (2)
こちらの神社、ギャンブル運向上に効果ありだそうな。破り捨てられた馬券が落ちているんだが…誰だよ罰当たりな。

s-皆中稲荷神社 (4)
コーン

s-皆中稲荷神社 (5)

s-皆中稲荷神社 (3)
明日は安田記念!当たるといいな~






















外しました。岩田もウチパクもどこいったんや…

真面目に稼ぎます。

福徳神社

福徳神社

東京都中央区日本橋室町2-4-14

福徳神社


s-福徳神社 (1)
三越前に来ました。迷子になりかけるが、ちゃんと案内が。流石三井不動産。

s-福徳神社 (2)
きれいな通路を抜けます。

s-福徳神社 (3)
コレド室町の至近に鎮座。

s-福徳神社 (4)

s-福徳神社 (5)

s-福徳神社 (7)

s-福徳神社 (6)
例大祭だから緑の葉っぱが御朱印にプラスされているとのことですが、1時間待ちと言われる。デズニーかよ。

予定があったので書置きを戴いて帰りました。すごいな福徳神社。