2015年05月

粟井神社

粟井神社

香川県観音寺市粟井町1716番地

粟井神社(あわいじんじゃ)は、香川県観音寺市にある神社。讃岐国苅田郡(後の豊田郡、次いで三豊郡)の式内社(名神大社)。旧社格は県社。藤目山の麓、岩鍋池の畔にある。

境内には約3,000株のアジサイが植えられており、6月の第三日曜日にはあじさい祭が開催される。別名の「あじさいの宮」「アジサイ神社」はこのアジサイから呼ばれるようになったという。

由緒
創建時期は不明。讃岐忌部氏がこの地を開墾したさい、氏神の天太玉命を祭ったのが始まりと伝えられる。「粟井」は阿波国または安房国から転じたという。かつては刈田大明神と称し、苅田郡(刈田郡、神田郡とも呼称)の由来となったという。

かつての鎮座地は、現在の鎮座地より南方約600mの所という。大同2年(807年)に焼失し、寛弘元年(1004年)に杉尾神社(現・粟井神社境内社杉尾神社)の地(現在地)に遷座したという。

室町時代、藤目山の山頂には藤目城が築かれていた。天正6年(1578年)に長宗我部元親の手で落城する。この兵火で粟井神社も焼失し、建物のほか、記録や宝物も失う。後に、この藤目城二の丸跡が御旅所とされ、昭和初期まで利用していたという(現・粟井神社境内社藤目宮)。元和6年(1620年)生駒正俊により再建される。

明治12年(1879年)に県社に列せられる。平成13年(2001年)、現在の社殿が築かれる。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE



粟井神社

粟井神社 (1)
粟井神社、一度近くまで来ましたが、迷子になって参拝を断念した経緯があります。

今日は『あじさい祭り』ののぼりが見えたので、たどり着くことができました。

粟井神社 (2)

粟井神社 (3)

粟井神社 (4)
御朱印は宮司宅にお声掛けしていただきました。ありがとうございました。

粟井神社 (6)
せっかくのあじさい祭りなので、紫陽花の写真を。

粟井神社 (5)
ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの―太宰治「女生徒」より。

太宰は人間失格や斜陽といった長編の作品が有名ですけれど、僕は短編の方が好きです。

琴弾八幡宮

琴弾八幡宮

香川県観音寺市八幡町一丁目1番1号

琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)は、香川県観音寺市の琴弾山の最も高い山頂部にある神社である。旧社格は県社。三角点(58.3メートル)は別の峰にある。麓に随心門があり378段の参道があるが、一方通行のドライブウエイがあり車で頂上まで行ける。その麓には神幸殿や数々の摂社や広い広場があり秋祭りのときは町内の太鼓台が集結する。

八幡神として応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祀る。神仏習合の時代には当社が四国八十八箇所第68番札所だった。現在は新四国曼荼羅霊場23番。さぬき十五社の14番でもある。

歴史
伝承では、大宝3年(703年)3月、琴弾山で日証上人が修行していると彼方の空が鳴動し、琴を弾く翁を乗せた船が漂着、その翁は「宇佐より至る八幡大菩薩なり、この地の風光去りがたし」と告げ消え、上人はこのお告げを感得し、里人とともにその船を神舟とし、琴とともに山頂に運び祀ったのに始まるとされ、社名の「琴弾」はそれに由来する。同時に当社の神宮寺として、後に四国八十八箇所第69番札所観音寺となる神宮寺宝光院を建立した。

大同2年(807年)四国を行脚中の空海が当社に参拝、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来を描いて安置し、神仏習合の神社となった[1]。その後、当社が同第68番札所に定められ納経は別当の観音寺[2]で行われた。

中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進した。

明治の神仏分離により、本地・阿弥陀如来画像(絹本著色琴弾八幡本地仏像)は観音寺境内の西金堂に移され、琴弾神社と改名され、観音寺の別当職は解消された。その後の第二次大戦後、琴弾八幡宮と復称した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B4%E5%BC%BE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE



琴弾八幡宮

琴弾八幡宮 (1)
琴弾公園の近くにあります。鳥居が大きいので気づきました。

琴弾八幡宮 (2)
立派な鳥居。

琴弾八幡宮 (3)
源平合戦について。平知盛の辞世の句が潔くて好きです。

琴弾八幡宮 (4)

琴弾八幡宮 (5)
ネコ。エサを食していたが近づくと逃げられる。

琴弾八幡宮 (6)

琴弾八幡宮 (8)
境内広いなあ。

琴弾八幡宮 (7)

琴弾八幡宮 (9)
こちらは下拝殿とのことで、ドライブウェイで本殿へ向かいます。

琴弾八幡宮 (15)
こんな感じのルート。

琴弾八幡宮 (14)
こっちです。

琴弾八幡宮 (10)
またネコ。

琴弾八幡宮 (11)

琴弾八幡宮 (12)

琴弾八幡宮 (13)

琴弾八幡宮 (16)
有名らしいお金。御朱印にも押されてますね。

豊浜八幡神社

豊浜八幡神社

観音寺市豊浜町和田浜1577-1

708年(和同元年)に創祀された「讃岐十五社」の十五番目の社。秋季例大祭(豊浜ちょうさ祭)では「ちょうさ」が集合する場所となる。境内の安永燈籠は、安永2年に和田浜の藤村喜八郎と和田村庄屋の宮武幸右衛門唯真が、私財を投じて和田浜築港を完成させたその功績を伝えるために建立され、約200年間灯台としての役を担ったもの。現在は港改修の折りにこの豊浜神社へ移設復元されている。また、神社の森のクスの木、松、ホルトノキ群などが香川の保存木となっており、明治の頃には宮島の厳島神社へ本柱の大木1本を寄進した「厳島神社大鳥居主柱楠出処の地」である。

以上かんおんじ観光ガイドより。 http://kanonji-kankou.jp/visit/04/008.html



豊浜八幡

剣道 (2)
天気もいいので、原付ツーリングです。国道192号線を池田方面へ進み、県道8号線に入る。交通量も少なくて快適。

剣道 (3)
中々の高さ。

豊浜八幡神社 (3)
道がよくわからなかったですが、海沿いの道を走ってたら到着。

豊浜八幡神社 (2)

豊浜八幡神社 (4)
大平正芳先生や!香川県民のヒーローですな。

豊浜八幡神社 (5)
厳島神社の鳥居はここから生まれたのか。

豊浜八幡神社 (6)
力石。これけっこうでかいから持ち上がらんやろ。

豊浜八幡神社 (7)

豊浜八幡神社 (1)
境内広いな。

豊浜八幡神社 (10)

豊浜八幡神社 (8)

豊浜八幡神社 (9)

八坂神社

八坂神社

京都府京都市東山区祇園町北側625番地

八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると主張している。通称として祇園さんや八坂さんとも呼ばれる。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られる。

概要
京都盆地東部、四条通の東端に鎮座する。境内東側にはしだれ桜で有名な円山公園が隣接していることもあって、地元の氏神(産土)としての信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れている。

正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっている。また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられることはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来る(防犯のため、監視カメラ設置。また、夜間でも有人の警備は行われている)。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE


八坂神社

s-八坂神社 (2)
かき氷を食べた後、八坂神社へ。

s-八坂神社 (3)
流石祇園。流行ってるね。

s-八坂神社 (4)
気になる屋台が。蟹肉棒?

s-八坂神社 (5)

s-八坂神社 (8)

s-八坂神社 (10)
八坂神社、いっぱい御朱印ありますので参拝したらご確認ください。

京都はやっぱり神社が多くていいですね。廻りきれないので再訪要。

安井金比羅宮

安井金比羅宮

京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は、京都府京都市東山区にある神社。通称「縁切り神社」[1]の別称で知られる。

歴史
天智天皇の時代に藤原鎌足が当地に藤原家一門の繁栄を祈願した仏堂を建立し、藤を植樹して藤寺と号した[2]のがそもそもの始まりである。

平安時代、崇徳上皇は藤寺の藤を愛でると共に、寵愛している阿波内侍を住まわせて、たびたび御幸し[2]、久安2年(1146年)には堂塔を修理している。

上皇は保元の乱に敗れて讃岐国に流罪となった際、阿波内侍に自筆の尊影を下賜した。そして上皇が讃岐国で崩御すると、悲嘆にくれた阿波内侍は出家して尼になり、崇徳上皇の自筆の尊影を藤寺観音堂に奉納し、塚を築いて遺髪を埋めて日夜ひたすら勤行した。

治承元年(1177年)、崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂に大円法師が参拝した際、上皇の霊が現れたことから、後白河法皇の詔によって建治年間(1275年 - 1277年)に崇徳上皇を祀る光明院観勝寺が建立された。これが当社の起こりとされる[3]。阿波内侍が築いた塚は整備されて御影堂(現・崇徳天皇御廟[4])が建てられた。

光明院観勝寺は応仁の乱の戦禍で荒廃したが、明応6年(1497年)に住持の幸盛が御影堂を再興し、崇徳上皇を慰霊した。元禄8年(1695年)に太秦安井(現・京都市右京区太秦安井)の蓮華光院(安井門跡)が移建されると、光明院観勝寺はその管下になり、後代になって光明院観勝寺は廃絶した。なお、近年において崇徳上皇を慰霊した光明院・観勝寺、通説では観勝寺の別名とされていた東岩蔵寺は元は全て別の寺院で、光明院・観勝寺が東岩蔵寺の末寺であったものが応仁の乱による東岩蔵寺の廃絶などによって最終的には光明院を経て蓮華光院に統合され、その過程で東岩蔵寺・光明院・観勝寺の寺伝が混同されるようになったとする指摘が出されている[5]。

『都名所図会』巻之三「安井光明院観勝寺」によれば、真言宗の僧侶の大円法師が参籠した際に崇徳上皇の尊霊が現れて往時の趣を示したので、後白河法皇に奏達したところ、詔が下って崇徳上皇の尊霊の鎮魂のために堂塔を建立して、仏堂に准胝観音を本尊として祀った。奥の社には崇徳天皇を祀るとともに、金毘羅権現・源三位頼政を合祀し、安井の金毘羅と称したとあり、「崇徳帝・金毘羅は一体にして和光の塵は同じうして擁護の明眸を…利生霊験いちじるし」と記されている[6]。

源頼政が合祀されたのは、蓮華光院(安井門跡)の初代道尊僧正が、平氏政権打倒のため頼政に補佐されて挙兵した高倉宮以仁王の遺児であったためと考えられている。

明治維新による神仏分離(神仏判然令)により、蓮華光院(安井門跡)は廃され、安井神社に改組された。併せて祭神の金毘羅権現は、大物主神に改められた。1873年(明治6年)には村社に列し、更には1882年(明治15年)に郷社へ昇格した。

第二次世界大戦後、「安井金比羅宮」の名称となり現在に至る[3]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95%E9%87%91%E6%AF%94%E7%BE%85%E5%AE%AE



安井金比羅宮

s-安井金比羅宮 (3)
ラーメンを食した後、市バスで東山安井へ。安井金比羅宮です。

s-安井金比羅宮 (1)
中々の人の入りですね。

s-安井金比羅宮 (2)
こちらの神社、縁きりの神社として著名です。

s-安井金比羅宮 (6)
この手水舎、近衛文麿公の名前が。流石京都ですな。

s-安井金比羅宮 (7)
何かを燃やしている。今日、お祭りみたいなのしてる場所多いですね。

s-安井金比羅宮 (8)
絵馬。こちらの神社は縁切りで有名なこともあり、絵馬の内容も禍々しい。

s-安井金比羅宮 (11)

s-安井金比羅宮 (12)

s-安井金比羅宮
有名人の絵馬もありました。

s-宇治抹茶 (3)
疲れたのでカフェで休憩。体力なさ杉内。

伏見稲荷大社奥社奉拝所

伏見稲荷大社奥社奉拝所

伏見稲荷 奥社 (1)
書置きをいただきました。

s-伏見稲荷奥社 (1)
千本鳥居へ向かいますで。

s-伏見稲荷奥社 (3)

s-伏見稲荷奥社 (4)
見えてきたで。

s-伏見稲荷奥社 (8)
修学旅行生と観光客で混みすぎやで。

s-伏見稲荷奥社 (12)
稲荷山はさらに上まであるんですが、同行者の足が悲鳴を上げ始めたので途中で下山。昨日からよく歩いてますからね。

s-ラーメン (1)
お昼は京都に戻ってラーメン。たかばし本店。流行ってるね。

s-ラーメン (2)
特選ラーメンとビールで満足。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

京都市伏見区深草藪之内町68

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府京都市伏見区深草にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。

旧称は「稲荷神社」。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる[1]稲荷神社の総本社である。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)[2]。現存する旧社家は大西家。

概要

京都盆地東山三十六峰最南端の霊峰稲荷山の西麓に鎮座する稲荷信仰の御本家。その信仰は稲荷山の三つの峰を神そのものとして崇拝したことを源流とする[3]。初め農耕の神として祀られ、のちに殖産興業の性格が加わって衆庶の篤い信仰を受けた。神が稲荷山に降り立ったという縁起から、2月の初午の日は古来より多くの参拝者で賑わう。清少納言が自らの稲荷詣を『枕草子』に記すほか、『蜻蛉日記』『今昔物語集』など古典にもしばしば登場する[4]。平安時代、東寺(=教王護国寺)の造営にあたって鎮守社となるや、真言密教と結び付いてその信仰を拡大[5]、次第に神位を高めて『延喜式』名神大社に列し、天慶5年(942年)に正一位の極位を得た。この間、延喜8年(908年)に左大臣藤原時平が三箇社を修営(『年中行事秘抄』)、その後源頼朝や足利義教らが社殿の造営、修造に関わったが、応仁の乱にてすべて焼亡。乱後、社僧による勧進の下で再建が始まり、明応8年(1499年)に至って遷宮を迎えた[6]。近世まではこれら勧進僧たちが稲荷信仰の普及や稲荷講の結成に大きく関与した[7]という。

明治政府の神仏分離令によって、本願所[注 1]のほか境内の仏堂がすべて廃寺となる一方、崇敬者による鳥居の奉納や私的な「お塚」の建立が稲荷山中で顕著化し、現在の伏見稲荷大社を特徴づけるものとなった。稲荷祭の最終日に東寺の僧侶らが東門(慶賀門)の前に供物を並べ、還幸する下社の神輿に読経をあげる儀式があり、古くから続く両社寺の深い関係を今に伝えている[8]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%A4%A7%E7%A4%BE



伏見稲荷

s-綾戸國中神社 (1)
来ました伏見稲荷。人多杉内。

s-伏見稲荷 (2)
時期的に修学旅行生が多いんですね。京都競馬場には見当たらなかったけどな…。

s-伏見稲荷 (4)

s-伏見稲荷 (5)

s-伏見稲荷 (7)

s-伏見稲荷 (8)
次は千本鳥居に向かうで。

綾戸国中神社

綾戸国中神社

京都府京都市南区久世上久世町446

綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は、京都府京都市南区にある神社である。元は綾戸神社・國中神社の二社であったが併合された。祇園祭は当社と八坂神社との祭礼である。

歴史
綾戸神社
継体天皇15年(521年)の創建と伝えられ、かつては大井川(桂川)の祓神として大井社と称していたが、965年(天暦9年)に綾戸社に改称した。それ以降も、近代までは「大井社」とも呼ばれていた。古くより上久世の産土神として崇敬を集めていた。延喜式神名帳記載の「山城國乙訓郡 茨田神社」あるいは「大井神社」の論社の一つである。綾戸神社の社号額は後冷泉天皇の御震筆と伝えられている[1]。

國中神社
社伝によれば、附近一帯が湖水に覆われていたころ、素盞嗚尊が天降って水を切り流し、その中心に愛馬(天幸駒)の頭を彫刻したものを尊の形見として祀ったのに始まるという。延喜式神名帳記載の「山城國乙訓郡 國中神社」の論社の一つである。本来は蔵王の杜(現・蔵王堂光福寺)に社地を有しており、中世には牛頭天王社とよばれていた[1]。古くは久世郷全体の郷社として崇敬を集めていた[2]。

綾戸国中神社として
しかし、戦国時代に入り國中神社が綾戸神社の境内に遷された。それ以降、2つの社殿が並んでいたが、1934年(昭和9年)の室戸台風により倒壊したため、1936年(昭和11年)に1つの社殿として再建した。1964年(昭和39年)、境内地が東海道新幹線建設予定地にかかったため、現在地に遷座した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%BE%E6%88%B8%E5%9B%BD%E4%B8%AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



綾戸國中

s-京都駅
京都に来ました。日付変わるまで飲んで5時起床で高速バスに乗り込んだためコンディションが悪い。

s-パドック (1)
そして淀に移動。京都競馬場に来ました。

s-京都競馬場 (1)

s-京都競馬場 (2)
あんま人いないですね。G1ちゃうからね。

s-綾戸國中神社 (4)
案の定大敗し、枕を涙に濡らす。翌日、馬を祀っているという綾戸國中神社へ。こちらの神社、今日はお祭りだそうで。

s-綾戸國中神社 (5)

s-綾戸國中神社 (7)
人多いぞ。

s-綾戸國中神社 (3)
流石餅つき大会。

s-綾戸國中神社 (2)
お祭りって楽しいですよね。

こちらの神社、社務所が薬局に繋がっています。お祭りで忙しいところご対応いただきありがとうございました。

菅原神社

菅原神社

東京都世田谷区松原3-20-16

菅原神社(すがわらじんじゃ)は東京都世田谷区の神社。

概要
1665年(寛文5年)に創建された。地元の寺子屋の主だった石井兵助直慶が「学問の神様」菅原道真公を祀る神社を創建したのが起源である[1]。

社殿の横には石井兵助直慶が建てた碑石がある。「南無天満大自在天神」「梵天王魔王自在大自在」「充満其願如清涼池」と彫られており、神仏習合の影響が色濃く残っている[2]。

境内には、かつて地元の若者が力比べをした力石が残されている[2]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%8C%BA)



菅原神社

菅原天神通り (1)
六所神社から歩いて向かう。地図がないので迷いましたが、この標識を発見。

菅原天神通り (2)
通りを進んでいきます。

菅原神社 (2)
着いた。

菅原神社 (3)

菅原神社 (4)
天満宮恒例の受験生絵馬。

菅原神社 (5)
撫で牛。撫でるで。

菅原神社 (6)

菅原神社 (7)

菅原神社 (10)
ハト。慣れているのか逃げませんね。

太陽館
翌日、群馬の湯宿温泉へ。今夜のお宿です。

温泉街
中々鄙びた雰囲気。

宿の部屋
お部屋は快適ですぜ。

夕食
夕食です。直前に卓球して熱い風呂に入ったので食欲ナシ。

夕食 (2)
前日入りのせいか満身創痍やで。

お稲荷さん
中庭にお稲荷さんが。

寿司
帰りは先輩の車で石川まで行き、サンダーバードで大阪へ帰る。写真は回転すし。北陸の寿司は美味い。

金沢も楽しそうな街でした。再訪しよう。

家に帰ると23時半。結構遠いですな。

六所神社

六所神社

東京都世田谷区赤堤2-25-2

六所神社(ろくしょじんじゃ)は東京都世田谷区の神社。

概要
1584年(天正12年)に創建された[1]。平貞盛の末裔の服部貞殷が、武蔵国府中の武蔵総社六所宮(現大國魂神社)の分霊を勧請して創建したのが起源である[1][2]。

服部家の祈願所という位置づけの神社であったが、近隣住民の崇敬も厚く、赤堤村の鎮守でもあった[2]。旧別当寺は、服部家ゆかりの西福寺である[3][4]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%89%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%8C%BA%E8%B5%A4%E5%A0%A4)



六所神社

赤堤六所神社 (1)
東急世田谷線、松原駅下車して少し歩く。世田谷線って、150円均一料金なんですね。乗り方わからんがな。

赤堤六所神社 (2)

赤堤六所神社 (3)

赤堤六所神社 (4)

赤堤六所神社 (5)

赤堤六所神社 (6)
授与所は閉まってましたが、インターホンを推したら対応いただけました。ありがとうございました。