2015年04月

土佐神社

土佐神社

高知県高知市一宮しなね2丁目16-1

土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市一宮(いっく)しなねにある神社。式内社(大社)、土佐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

高知市北東部、南国市へと通じる大坂越えの西麓に鎮座する。古くは『日本書紀』や『土佐国風土記』(逸文)に記述があり、古代から中世・近世を通じて土佐国の総鎮守として崇敬された、高知県を代表する古社である。
代々の領主は土佐神社に対して崇敬が篤く、現在の主要社殿は戦国大名の長宗我部元親による造営、楼門(神光門)・鼓楼は土佐藩第2代藩主の山内忠義による造営で、いずれも国の重要文化財に指定されている。そのほか、祭事としては土佐三大祭の1つとして知られる例祭「志那禰祭(しなねまつり)」が古代から続き、神宝としては鰐口・能面・銅鏡等を今に伝えている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE



土佐神社

ゴールデンウィークですね!ウキウキしますね!

439 (2)
てことで、ツーリングに行くよ。目標は京柱峠経由して高知入りです。

439 (1)
酷道439号線。通称ヨサクをひた走る。舗装が痛んできてます。

439 (5)
標高が上がってくる。

439 (3)
なかなかの険しさです。

人形の街 (3)
人がいっぱいいる…?

人形の街 (2)
人形!

人形の街 (1)
人間っぽいの、大体人形です。たまに本物の人間が農作業してます。

人形の街 (4)
恐いんですけど。

そして人形の街を過ぎてしばらくして、ダートで転ぶ。痛え。呪われたのか。

439 (6)
ヨサクのおにぎり。一番険しいのは見の越の手前あたりですかね。工事しまくりでした。

京柱峠 (2)
出血する肘と膝を無視してひた走ると、着きました京柱峠!

京柱峠 (1)
ライダーとかチャリダーが多い。

京柱峠 (4)
県境ですね。

京柱峠 (3)
景観。

土佐神社 (1)
流血を無視しながら突き進むと、着きました土佐一の宮。無事?に着いてよかった。

土佐神社 (2)

土佐神社 (3)
長宗我部元親さん。あんまり好きではないけど、優秀だったんやろな。信長の野望だとそこそこ強い。

土佐神社 (4)

土佐神社 (7)

土佐神社 (8)
摂社の厳島神社。恋愛運向上及び怪我の治癒を祈願。

土佐神社 (5)

土佐神社 (6)
交通安全を祈願するぜ…!!

しなとら
高知市街をくるくる回ってメシ屋を探して、最終的にしなとらラーメンへ。最近ラーメンが美味い。

帰りは大歩危小歩危を通って帰りました。無事に帰れてよかった…。

皆さんも事故には気を付けてね(自損含む)!!

自凝島神社

自凝島神社

兵庫県南あわじ市榎列下幡多415

自凝島神社(おのころじまじんじゃ)は、兵庫県南あわじ市(旧三原町)にある神社である。おのころ島神社とも表記される。

概要
伊弉諾命(イザナギのミコト)・伊弉冉命(イザナミのミコト)を主祭神として菊理媛命(キクリヒメのミコト)を合祀する。当社が鎮座する丘が両神による国産み・神産みの舞台となった自凝島であると伝えている。このことから縁結びや安産などの御利益があるといわれる。

高さ21.7メートルの大きな鳥居がランドマークとなっている。この鳥居は平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる。

難読であるため境内の石標・案内板や周辺道路の道路標識、道路地図などでは、もっぱらおのころ島神社という表記が用いられている。なお磤馭盧島神社という表記もあるが、これはほとんど使われていない。

当社西側を流れる三原川には朱色の欄干の「おのころ橋」がかかっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%87%9D%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE



おのころ島神社

おのころじま神社 (2)
日本三大鳥居。大きい。

おのころじま神社 (8)
神社はそんなに大きくないところが鳥居のでかさを際立たせる。

おのころじま神社 (3)

おのころじま神社 (4)

おのころじま神社 (7)

おのころじま神社 (5)

おのころじま神社 (6)
こちらの神社で大宮八幡宮の御朱印帳が終了。次からは熊野本宮でいこう。

伊弉諾神宮

伊弉諾神宮

兵庫県淡路市多賀740

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、兵庫県淡路市多賀にある神社。式内社(名神大社)、淡路国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

所在地である旧一宮町(現 淡路市)の地名は、当社に由来する。通称「一宮(いっく)さん」「伊弉諾さん」。1月15日(小正月)には、御粥占祭のほか、淡路農林水産祭が行われる。2016年4月25日、構成文化財のひとつとして日本遺産に認定された[1]。

歴史
創建
『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、当社の起源とされる。 伊弉諾尊の幽宮と伝わる場所は、他に滋賀県の多賀大社があるが、これは『古事記』の真福寺本の「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述による。ただし、多賀大社の祭神は南北朝時代の頃までは伊弉諾尊ではなかったことが判明しており『古事記』の記述と多賀大社を結びつけることはできない。『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、同じ『古事記』でも真福寺本以外の多くの写本が「故其伊耶那岐大神者坐淡路之多賀也。」になっており、その他の諸々の理由から、学界でも「淡海」でなく「淡路」を支持する説が有力である(武田祐吉、直木孝二郎等)。なお、『日本書紀』では一貫して「淡路」と記され、「近江」に該当する名はない。

概史
文献では、古くは『日本書紀』履中天皇5年条9月条において島に居る「伊奘諾神」の記載や、允恭天皇14年9月条に「島神」の記載があり、これらは一般に当社に比定される。

『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば「津名神」には神封13戸が充てられ、さらに天慶3年(940年)9月13日の官符で「伊佐那支命神」には5戸が加増されたと見える。『日本三代実録』貞観元年(859年)1月27日条では、「伊佐奈岐命」の神階が無品勲八等から一品勲八等に昇叙されている。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では淡路国津名郡に「淡路伊佐奈伎神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。

永万元年(1165年)6月の『神祇官諸社年貢注文』[4]の「淡路国一宮<炭五十籠木五十束>」の記述、元久2年(1205年)4月の『淡路国司庁宣』[5]の「可令早引募一・二宮法華桜両会舞楽料田荒野拾町事」の記述、貞応2年(1223年)4月の『淡路国大田文』[6]の「一宮社一所 同神宮寺一所」の記述などにより、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて淡路国一宮とされていったことがわかる。このため、一宮大神ともいった。

また、上記文書から中世の当社の様子が伺える。『淡路国司庁宣』[5]から、国衙が当社と二宮である大和大国魂神社の祭礼などを管轄しており、両社の法華会・桜会で舞楽が催されたと考えられる[7]。 また、『淡路国大田文』[6]の記述から、鎌倉時代初期には神宮寺があったとわかる。

当社の別当であった妙京寺の記録では、弘安3年(1280年)に坂上田村麻呂の子孫と言う田村仲実が社殿を再興した。大永5年(1525年)の棟札[8]によれば、田村氏は一宮神主であり領主であった。

天正9年(1581年)田村経春は、織田信長より武田勝頼との戦いで先陣を命じられたが従わず切腹となり、田村氏は滅んだと言う[2]。

江戸時代には徳島藩主蜂須賀家に崇敬され、元和7年(1621年)の黒印状[8]で一宮供領10石を得た。また、石上氏が世襲で神職を勤め、当社の祭祀は社家と寺家の両部に司られたが、両部は幾度か争いを起こしている。

寛文元年(1661年)には当社の縁起である『二柱尊縁起』[8]が作成された。縁起は領主・巡見使の参拝時に面前で読まれるため、社家と寺家のいずれが勤めるかで争いが起こった。『郡家物語』には、宝暦年間に起こった6年に及ぶ『一宮の唯一騒動』の記載がある。

宝暦2年(1752年)の『郡家物語』により、檀家を持たず一宮領分を配分して祭礼を勤める社家6坊と、別当の妙京寺末の寺家6坊の存在がわかり、この社家6坊が神宮寺と考えられる[7]。しかし、『宮坊旦那追書付ニ付返答書控』によれば、社家6坊のうち東蔵坊・東林坊・円行坊・新坊・実蔵坊の5坊は退転し、宮坊だけが残ったと言う。

文政8年(1825年)の『淡路草 巻4』の記述から、法相宗とも真言宗とも言われた神宮寺が弘治元年(1555年)に田村氏によって日蓮宗に改宗され、元禄12年(1699年)8月の『宮坊旦那追書付ニ付返答書控』の記述から、改宗に従わない社僧が追放されたとわかる。このため、中世末の一宮の管轄権は田村氏が掌握していたとする説もある[7]。

明治3年(1870年)に名東県より、それまで2柱だった祭神を伊弉諾尊1柱と定められた。明治4年(1871年)に国幣中社に列格し、1885年(明治18年)官幣大社に昇格した。1932年(昭和7年)、前述のとおり、祭神に伊弉冉尊を合祀することが認められた。

第2次世界大戦後には神社本庁が包括する別表神社となり、1954年(昭和29年)には伊弉諾神社から現在の伊弉諾神宮に改称した。

1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で鳥居が倒壊するなど大きな被害を受けた。鳥居は氏子の奉納により、同年11月に神明鳥居へ形式を改め再建された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%BC%89%E8%AB%BE%E7%A5%9E%E5%AE%AE



伊弉諾神宮

アクセラ
ついにマイカーを手に入れました!アクセラちゃ~ん!

伊弉諾神功
せっかく車を入手したのでドライブや。淡路島に来たで。

伊弉諾神功 (2)
日本の生まれた場所に来たで。日本ってこんな場所から始まったんやな…胸熱。

伊弉諾神功 (4)

伊弉諾神功 (6)

伊弉諾神功 (7)

伊弉諾神功 (8)

伊弉諾神功 (12)

伊弉諾神功 (10)

伊弉諾神功 (11)
淡路島って意外と広いですね。イングランドの丘ぐらいしか来たことないですけど。

ねこ

ねこ (2)

ねこ (3)
ネコ。こっち向いてくれへんな。