2015年03月

湊川神社

湊川神社

兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目1番1号

主祭神 楠木正成
社格等 別格官幣社・別表神社
創建 明治5年(1872年)

楠木正成は、延元元年(1336年)5月25日、湊川の地で足利尊氏と戦い殉節した(湊川の戦い)。その墓は長らく荒廃していたが、元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立した。以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬された。幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり、彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至った。1867年(慶応3年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)、墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め、明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建された。
境内には、楠公にゆかりのあるものを納めた宝物殿や能楽堂である神能殿や結婚式などのための楠公会館などがある。また兵庫県内の神社の事務を管轄する兵庫県神社庁の事務所がある。

湊川神社

楠木墓
楠公墓所の御朱印もいただけます。

楠本稲荷神社
楠本稲荷神社の御朱印もいただけます。

三宮 (2)
来ました三宮。なんか神戸って洒落たイメージありますよね。

牛丼
とりあえずメシや。牛丼。デジタル一眼だと牛丼も美味そうに映るな。

湊川神社 (2)

湊川神社 (1)

湊川神社 (3)
設定のミスか写真が異様に白いんですけど…

湊川神社 (4)
ここからは普通の明るさ。

湊川神社 (5)

湊川神社 (8)
楠木正成さんのお墓です。忠臣として有名ですね。

湊川神社 (9)
写真を撮ってる方がいますね。

湊川神社 (10)

湊川神社 (11)

湊川神社 (12)

湊川神社 (13)

湊川神社 (15)
撫で牛。

湊川神社 (16)
天満宮。

湊川神社 (14)

湊川神社 (17)

湊川神社 (18)
楠木さんの生涯が記されています。七生報告やで。

阪神競馬場
そして今日の目的地である阪神競馬場に到着!仁川駅って初耳ですぜ。

ススズ
ススズ!二着以下は届かない!絶対に届かない!

ドトウ
ドトウ!敗けてるイメージ強いけどこのレースは勝ってます!

後藤
今日ここに来たのは後藤騎手にお別れを言うためでした。お疲れ様でした。Facebookいいねしていた人間としては寂しくてなりません。

コース
大野ー!!

結果、すってんてんになって競馬場を後にする。川田なんで飛び込んできたんや…大野どこ行ったんや…

道頓堀
財布は寂しくなったけど道頓堀に来たよ。グリコ。

道頓堀 (2)
人が多い。流石道頓堀。道頓堀って安井道頓さんが作ったんですって。

串カツ
明るいうちから酒やで!串カツや!

たこやき
たこ焼きネギだくや!

オム蕎麦
オム蕎麦やで!

たこ焼き
たこ焼きやで!

粉もん食べ過ぎやろ。

高津宮

高津宮

大阪府大阪市中央区高津1-1-29

高津宮(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社である。旧社格は府社で、戦後神社本庁の別表神社となった。
難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に、后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀る。
貞観8年(866年)、勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を当社の地主神として摂社とした。明治5年に府社に列格した。
昭和20年(1945年)3月の大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失し、昭和36年(1961年)10月に再建された。
古典落語「高津の富」「高倉狐」「崇徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心として賑わっていた。境内の参集殿は「高津の富亭」と名づけられており、落語の寄席や文楽などが行われている。高津の富亭での寄席には五代目桂文枝一門がかかわっており、文枝最後の口演「高津の富」が演じられたのも「高津の富亭」で開かれた「くろもん寄席」である。文枝が亡くなった翌年の平成18年(2006年)3月、境内に桂文枝の石碑が建立された。
明治32年(1899年)、大阪府が仁徳天皇1500年大祭を高津宮と難波神社で行った際に記念建立した「高津宮址」が大阪府立高津高等学校(大阪市天王寺区)の構内に現存する。

以上ウィキペディアより。

高津宮

高津宮 (1)

高津宮 (2)

高津宮 (3)

高津宮 (4)

高津宮 (5)

高津宮 (9)

高津宮 (10)

高津宮 (8)

高津宮 (15)

高津宮 (14)

高津宮 (11)
相合坂。デートスポットだそうな。

高津宮 (16)
縁切り坂。三下り半の坂だからだそうな。悪縁を断てるように降りてみる。

高津宮 (13)
縁切り坂を猫が降りる。

高津宮 (17)
相合坂も登ってみましょう。

高津宮 (18)
地下鉄乗り放題で神社巡りしましたが、足が疲れましたわ。月曜休みでよかった。

生國魂神社

生國魂神社

大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社。式内社で、旧社格は官幣大社。難波大社(なにわのおおやしろ)ともいう。地元では生玉(いくたま)さんの通称で親しまれている。

伝承によれば、神武東征の際に、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるという。『日本書紀』孝徳天皇即位前紀には、天皇が難波宮造営に際して北隣する「生國魂社の樹(木)」を切ったとある。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
1496年(明応5年)に蓮如によって、のちに石山本願寺となる石山御坊の草庵が神域の一角に結ばれた。石山本願寺は豊臣期の大坂城の詰之丸に存在したとされ、当社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。
1580年(天正8年)に石山合戦の戦火により焼失。1583年(天正11年)には豊臣秀吉による大坂城築城に際して現在地への移転が決定された。秀吉は300石の社領を寄進して社殿を造営し、1585年(天正13年)に遷座された。このときに造営された社殿は「生国魂造」と呼ばれ、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。1615年(元和元年)には大坂夏の陣の兵火にかかったが、徳川秀忠によって再建され、これまで通り300石の社領が寄進された。
明治維新期の神仏分離によって神宮寺の法案寺(真言宗)を境外へ分離。1912年(明治45年)1月のミナミの大火により焼失し、翌年再建。1945年(昭和20年)3月の第1回大阪大空襲により焼失し、4年後に再建されるも1950年(昭和25年)9月のジェーン台風により倒壊。社殿喪失が相次いだこともあって、1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート造りで再建された。

以上ウィキペディアより。

生玉神社

谷九たこ焼き (2)
谷町九丁目。怪しいホテルがいっぱいありますね。ホテルべんきょうべやとか気になります。

たこ焼き屋発見。

谷九たこ焼き
たこ焼き本日二度目。美味いね。ホテル街だからカップルとすれ違うと気まずいね。

生玉神社 (1)
ホテル街に隣接して鎮座しております。

生玉神社 (2)

生玉神社 (4)

生玉神社 (5)

生玉神社 (7)

生玉神社 (8)

生玉神社 (10)

生玉神社 (11)
裏に摂社があります。

生玉神社 (12)

生玉神社 (13)

生玉神社 (14)

生玉神社 (15)

生玉神社 (17)
井原西鶴。

生玉神社 (16)
誰かと思えばオダサクでした。僕は六白金星、可能性の文学が好きです。イケメンやな相変わらず。

三光神社

三光神社

大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90

三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社である。
天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀る。
反正天皇の時代の創建と伝えられる。創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝える。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。
中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになる。明治41年(1908年)、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいう。
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったという。社殿の下に残っているが、これは後世作られたものである。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像がある。

以上ウィキペディアより。

三光神社

三光神社 (1)

三光神社 (2)

三光神社 (3)

三光神社 (4)
真田六文銭。

三光神社 (5)

三光神社 (6)
真田幸村。おっさんやな。イケメンのイメージですけど、大坂の陣のときはもうヨボヨボだと思います。

三光神社 (7)
真田の抜け穴。

三光神社 (8)

三光神社 (10)

三光神社 (11)

三光神社 (9)

三光神社 (12)

豊國神社

豊國神社

大阪市中央区大阪城2番1号

豊國神社(ほうこくじんじゃ、新字体:豊国神社、旧字体:豐國神社)は、大阪府大阪市中央区大阪城に鎮座する神社。

京都府京都市東山区に鎮座する豊国神社の大阪別社として創建された。のちに京都・豊国神社から独立して豊國神社に改称。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊臣秀長も配祀する。
現在の鎮座地である大坂城二の丸は陸軍省の所管だったため、現在の大阪市北区中之島においての創建となったが、のちに城内(現・大阪城公園)へ遷座された。

以上ウィキペディアより。

豊国神社

大阪城公園 (2)
大阪城公園に来ました。

大阪城公園 (3)
公園でたこ焼きを食べる。大阪のたこ焼きは柔らかくて美味い。東京のたこ焼きって外がパリッとしてますよね。

大阪城公園 (5)
お堀。

大阪城公園 (4)
太閤さんに怒られまっせ!

豊国神社 (2)

豊国神社 (1)

豊国神社 (3)

豊国神社 (7)

豊国神社 (6)
太閤さん。

豊国神社 (4)

豊国神社 (10)

豊国神社
大阪城、中国人観光客多すぎやろ。

鵲森宮

鵲森宮

大阪府大阪市中央区森之宮中央一丁目14-4

鵲森宮(かささぎもりのみや)は、大阪府大阪市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。

聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。
『日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼ったという記述がある。その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、ついには当社の社名となったと伝える(「難波の杜」は、他に生國魂神社なども比定地となっている)。

以上ウィキペディアより。

森ノ宮神社

森ノ宮神社 (1)

森ノ宮神社 (2)

森ノ宮神社 (3)

森ノ宮神社 (4)

森ノ宮神社 (5)
カササギと聞くとカササギブルーという青単パーミッションデッキを思い出す私はMTGファン。青は頭使うから好きじゃないけど。

難波神社

難波神社

大阪府大阪市中央区博労町4丁目1番3号

難波神社(なんばじんじゃ)とは大阪府大阪市中央区博労町4丁目1番3号にある神社。主祭神は仁徳天皇、配祀は素盞嗚尊。社格は府社。秋祭(例祭)は10月20日。摂津国総社として「難波大宮」または「平野神社」と呼ばれていたという。

創建は反正天皇と伝えられ、当初は大阪府松原市に鎮座していた。天慶6年(943年)に現在の天王寺区上本町に遷座、慶長2年(1597年)現在地に遷座、昭和20年(1945年)空襲により全焼、昭和49年(1974年)に再建され現在に至る。

難波神社

難波神社 (1)
坐摩神社から歩いてすぐ。大通りに面しています。

難波神社 (3)

難波神社 (6)

難波神社 (2)

難波神社 (4)

難波神社 (5)

難波神社 (8)

難波神社 (7)
「近くに坐摩神社もありますよ」と案内してくれました。親切な方ですな。

坐摩神社

坐摩神社

大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号

坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区にある神社。式内社(大社)で、摂津国一宮を称する。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「白鷺」。
正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれる。

大阪市中心部の船場にある古い神社で、同地の守護神的存在である。南御堂の西隣に位置し、境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三ツ鳥居」が迎える。
住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰されている。最終の神階は従五位下。

以上ウィキペディアより。

坐摩神社

坐摩神社 (1)

坐摩神社 (2)

坐摩神社 (3)

坐摩神社 (4)

坐摩神社 (5)

坐摩神社 (6)

廣田神社

廣田神社

大阪府大阪市浪速区日本橋西2丁目4

創建不明。天王寺の鎮守で、今宮村では古くから正月には御所へ新鮮な鯛を2尾貢いだという。
明治5年(1872年)村社に列す。
明治39年(1906年)神饌幣帛料供進社に指定される。
昔は西方に紅白2種の萩を植えた茶店があって、萩の茶屋と呼ばれていた。

以上ウィキペディアより。

廣田神社

廣田神社 (1)
今宮戎からスグですね。

廣田神社 (2)
アカエ。アカエイは死んでも尻尾の毒が残るので、打ち上げられた死骸でも触るのは危険です。

廣田神社 (3)

廣田神社 (5)

廣田神社 (8)

廣田神社 (9)

廣田神社 (4)

廣田神社 (6)

なんば (2)
昼食をとるために難波へ。いわくつきの千日前ビックカメラや…。

なんば (1)
商店街人多いなあ。目的地が見えてきましたね。

自由軒 (2)
着きました自由軒。前々から来たかったんですが、機会がなくて来れてなかったんです。

自由軒 (3)
織田作が好んで食したカレーが食べられます。

自由軒 (1)
来ました名物カレー大盛り。美味し。店内もレトロで、おかみさんの仕切る声が響いて雰囲気抜群です。

みなさんもなんばに来られた時は是非。

今宮戎神社

今宮戎神社

大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10

今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、大阪市浪速区にある神社。商売繁盛の神様「えべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。旧社格は郷社、現在は別表神社である。

聖徳太子の四天王寺建立の際に西方の守護神として建てられたと伝えられている。
北方に廣田神社(当社と同じ旧今宮村、現在の大阪市浪速区日本橋西に鎮座。祭神は 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命《つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと》。創建時期不詳。)があり、関係が深い。ちなみに、兵庫県西宮市の廣田神社と西宮神社(廣田神社の南宮と呼ばれたとの説がある)も同じような位置関係にある。

以上ウィキペディアより。

今宮戎神社

今宮戎神社 (3)
駅から近い。ずっと歩いてるのでそれだけでもありがたい。

今宮戎神社 (2)

今宮戎神社 (5)

今宮戎神社 (1)

今宮戎神社 (6)
僕より先に御朱印を戴いている女子がいました。熱心やね。