伊曽乃神社
愛媛県西条市中野甲1649
伊曽乃神社(いそのじんじゃ、旧字体:伊曾乃神社)は、愛媛県西条市中野にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「御所車」。
豪華絢爛な「西条まつり」で最大規模のだんじりが奉納される神社として知られる。古くは「磯野宮」とも称した。
創建
社伝によれば、第13代成務天皇7年に伊予御村別(みむらわけ)の祖の武国凝別命(景行天皇の皇子)が東予地方を開拓するにあたり、皇祖神である天照大神を祀ったことに始まるという。武国凝別命は天照大神の分霊を奉じて伊勢国から伊予に渡り、今の同市朔日市の御船森に着いたという(「御船森」は御舟川沿いにある)。
孝徳天皇の大化年中(645年-650年)にこの地方が「神野郡」(のちの新居郡)と命名されたのは、伊曽乃神社などにより既に神が祀られており、この地域が神の地(かみのち)と呼ばれていた事に由来するとの説がある。
概史
文献では、古く『続日本紀』天平神護2年(766年)条において、「伊曽乃神」に従四位下の神階を授けるとともに神戸5烟を充てる旨が記されている。『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「伊曽乃神」には神戸として伊与国から15戸が充てられていたが、そのうち10戸は天平神護元年10月の符、5戸は天平神護2年12月3日の符によるとしている。
その後の国史では、貞観8年(866年)に正四位下、貞観12年(870年)に正四位上、貞観17年(875年)に従三位に昇叙された旨が記されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では伊予国新居郡に「伊曽乃神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
永治元年(1141年)には正一位に叙され、崇徳天皇より勅額を賜ったという。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉の四国征伐により社殿・社宝等兵火にかかって一切焼失し、難を避けて土佐国へ遷座。慶長11年(1606年)旧地に復座する。
近代社格制度の発足に際しては、祭神不詳として官社の認可を受けられず、伊予国第一県社とされる。昭和15年(1940年)長年の昇格運動が実り、国幣中社に昇格した。
近年は「ISOの神社」の語呂合わせからISO取得・永続の祈願を行っている。
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9B%BD%E4%B9%83%E7%A5%9E%E7%A4%BE


石鎚山からの帰りに表札を見つけ、立ち寄る。田んぼの中に大きい鳥居が。

いその神社、「磯野」とも表記するとのこと。「磯野ー!野球しようぜー!」




七五三の人が多いですね。

コノハナサクヤ。

摂社の天神さま。



帰りになか卯で昼ごはん。なか卯の親子丼って美味いですよね!!