2014年10月

香川縣護國神社

香川縣護國神社

香川県善通寺市文京町四丁目5番5号

香川県護国神社(かがわけんごこくじんじゃ)は、香川県善通寺市に鎮座する神社(護国神社)。讃岐宮(さぬきのみや)とも称する。境内面積は33.604m2。

香川県出身の戦没者35700余柱を祀る。

毎年8月には万灯夏まつり[1](万灯みたま祭り)がおこなわれている。

沿革
明治31年(1898年)、善通寺に陸軍第11師団が設けられた際、招魂社を設置したのに始まる。昭和13年(1938年)、内務大臣の指定により護国神社となった。戦後荒廃が目立つようになったため修復に着手、昭和60年(1985年)に竣工した。

なお善通寺市内には現在陸上自衛隊第14旅団善通寺駐屯地があり、旧陸軍時代に比べ規模は縮小したものの、「軍都」的性格を引き続き有している。

2002年に乃木神社の本殿・拝殿・手水舎・鳥居・社務所が登録有形文化財に登録されたが[2]、2014年12月10日に社務所が全焼した[3] 。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E7%B8%A3%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE



讃岐宮


東山 (2)
早起きしたため、神社巡り開始。東みよし町から県道4号線で香川を目指す。写真は東山地区。

東山 (4)
中々の景色。県道4号線は、舗装はされてますけど意外とハードな道路でした。ニホンザルいたし。

香川県護国神社
なんやかんやで着いた。

香川県護国神社 (3)
広いな。

香川県護国神社 (4)

香川県護国神社 (9)
七五三で人がおりました。護国神社で七五三。いいね。

東の里 (14)
帰路。438号線をひた走っていると見覚えのある表示が。

東の里 (13)
左に脇道があります。

東の里 (12)
東の里への道しるべが。

東の里 (1)
従って進んでみます。

東の里 (10)
人通りのない道を進みます。

東の里
行き止まりまで進むと、開けた場所に出ました。

東の里 (2)
レトロなたたずまい。

東の里 (3)
家中みんなでオロナイン

東の里 (4)
こちらの東の里。骨とう品屋さんが軒を連ねているんですね。色々なものが並んでいます。

東の里 (5)
せっかく来ましたし、ご飯食べて帰ろう。百円食堂さんへ。

東の里 (6)
しょうゆうどん、天ぷら、ちらし寿司。各100円で合計300円。安!!

東の里 (9)
壁の新聞記事。寺内陸相って寺内正毅総理大臣ですよね。『小早川 加藤小西が 世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ』

田村神社

田村神社

香川県高松市一宮町字宮東286番地

田村神社(たむらじんじゃ)は、香川県高松市一宮町にある神社。式内社(名神大社)、讃岐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

別称として「田村大社」「一宮神社」「定水(さだみず)大明神」「一宮大明神」「田村大明神」とも。

歴史
創建
社伝によれば、古くは「定水井(さだみずのい)」という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたという。その後、和銅2年(709年)に行基によって社殿が設けられたのが創建とする。この「定水井」は現在も奥殿の下にある。

なお、当初は義淵僧正によって大宝年間(701年-704年)に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていた。

概史
朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々神階の授与が行われている。また延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され名神大社に列したほか、讃岐国一宮として信仰された。建仁元年(1201年)には正一位の昇叙があったとされ、弘安7年(1284年)7月日の銘を有する「正一位田村大明神」の扁額が残っている[1]。

また武家からも崇敬・統制を受け、長禄4年(1460年)には細川勝元により、社殿造営や寄進のほか「讃岐国一宮田村大社壁書」(高松市指定文化財)が定められた。これは当社の関係者に対し、守るべき事項を26箇条で記したものである[5]。

天正年間(1573年-1592年)には兵火により一切経蔵を焼失したが、仙石秀久から社領100石を寄進された[1]。その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家に代わったのちも祈願所として崇敬された。

延宝7年(1679年)、高松藩主であった松平氏により一宮寺が分割され、後に一宮寺は別の地に移された。その際、一国一宮として選ばれていた四国八十八箇所の札所と本地・正観音像は、一宮寺に移される。

明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%B8%82)


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田村神社

讃岐国一宮。近くに来るとでかい鳥居が見えるので場所はわかると思います。

田村神社 (2)

田村神社 (5)
七福神やな。

田村神社 (4)
けっこうでかい。

田村神社 (8)
連なる赤い鳥居。

田村神社 (9)
八咫烏。

田村神社 (10)
馬。

田村神社 (11)
虎。

田村神社 (12)
干支に応じた鈴があるようです。

田村神社 (15)
桃太郎の元ネタ。

田村神社 (17)
赤い鳥居はきれいですね。

田村神社 (18)

田村神社 (19)
さぬき獅子。

田村神社 (21)
慰霊碑。

田村神社 (22)
天満宮がありました。牛。

田村神社 (23)
筆塚。

田村神社 (24)
天満宮。

田村神社 (26)
池がある。

田村神社 (27)
鯉。

田村神社 (29)
弁天様。

田村神社 (30)
宮嶋社。

田村神社 (31)
なんかドラゴンが。

田村神社 (32)
かっけえ。

田村神社 (33)
ドラゴンの下には小判が。

田村神社 (34)
へえ。

田村神社 (35)
木の化石。

田村神社 (1)

田村神社 (36)

田村神社 (37)

なんか色々ありすぎてすごい神社ですな。

大宮八幡宮

大宮八幡宮

東京都杉並区大宮2-3-1

大宮八幡宮(おおみや はちまんぐう)は、日本の南関東、東京都杉並区大宮に所在する神社である。明治時代以降は大宮八幡神社と呼ばれていたが、1981年(昭和56年)に「大宮八幡宮」に改められた。

概要
源頼義により建立された[1]。武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれ[1]、境内は約15,000坪と都内でも3番目の広さを持つ。子育て・安産に特に御利益があるとされ、遠方からも多数の参拝客が訪れる。東京のほぼ中央に位置するため「東京のへそ」という異名も持つ[1]。善福寺川に接し、かつて湧出していた御神水は「多摩乃大宮水」と称される。現在は自然には湧出していないため、ポンプで汲み上げている。

歴史
現在大宮八幡宮がある一帯は大宮遺跡とされ、東京都内で初めて方形周溝墓が発掘された地としても知られる。ここから、この神社の鎮座以前からこの一帯が聖なる地とされてきたと推測される[3]。

前九年の役のとき、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義は、奥州に向かう途中、武蔵国にて空に八条の白雲が棚引いているのを見たとされる[3]。これを源氏の白旗が翻ったかのように見た頼義は「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜びこれを吉兆とし、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣したという[4]。頼義は、乱を平定した後の康平6年(1063年)に、八条の白雲を見た地に石清水八幡宮の分霊を祀り、神社を創建したとされる[注釈 1]。

貞治元年12月17日(1363年1月10日)の記録によると地元の阿佐ヶ谷氏は熊野権現の檀那であり、大宮八幡宮の住僧は先達だったと推定される[5]。

天正19年(1591年)に徳川家康から社領30石を寄進された[6]。また、結城秀康の夫人である清涼院により、社殿が造営された。江戸時代の敷地は境内を除いて60,000坪におよび[注釈 2]、境内末社7社の他、2町離れた堀之内に別当寺の大宮寺があった[6]。

明治維新後、35,000坪が押収された。

昭和56年(1981年)、それまでの「大宮八幡神社」を改めて「大宮八幡宮」とした。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE_(%E6%9D%89%E4%B8%A6%E5%8C%BA)



大宮八幡

チャーハン
仕事が昼に終わって解放される。『よっしゃ昼ごはんや!チャハーン大盛りや!』

大宮八幡
井の頭線で西永福へ。東京のへそ、大宮八幡宮。高千穂大学って初耳やな。

大宮八幡 (2)
ちょっと歩いて到着。体が重い。チャハーン食い過ぎたな。

大宮八幡 (3)

大宮八幡 (4)

大宮八幡 (5)
後醍醐天皇の歌。建武中興十五社巡りも行かないとなあ。

大宮八幡 (7)
男銀杏。

大宮八幡 (8)
女銀杏。

大宮八幡 (10)

大宮八幡 (11)

大宮八幡 (9)

大宮八幡 (12)

中々立派な神社でした。

大宮八幡宮御朱印帳
オリジナル御朱印帳もいただけます。やったね。

鵜ノ木八幡神社

鵜ノ木八幡神社

東京都大田区南久が原2-24-22

鵜ノ木八幡神社

鵜木八幡
家族連れが遊んでいました。

鵜木八幡 (2)

鵜木八幡 (3)
みんな元気やな。

徳持神社

徳持神社

東京都大田区池上3-38-17

当社の創建は、建長年間(1249〜1255)に、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したと伝えられています。荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として崇敬され、古くは社の管理をしていたのが徳乗院(御旗山真勝寺)であったことから、御旗山八幡宮とも称されました。もともとは、徳持の本村地区(現池上7丁目曹禅寺付近)に鎮座しておりましたが、明治39年(1906)に池上競馬場建設のため、千本松と呼ばれていた現在地(旧大字徳持809番地)に遷座しました。
 明治41年5月に再建されると、同年9月15日に上宿地区(現池上図書館付近)に鎮座しておりました稲荷神社を合祀し、八幡神社の社名を德持神社に改称いたしました。
 大東亜戦争中、惜しくも社殿が空襲により失われたため、焼失を免れた境内末社を本殿跡に移転し、昭和23年(1948)4月、德持神社奉賛会を設立。24年8月に仮社殿を建設し、29年8月には社務所を建設、同年境内を整備・植樹しました。
 昭和34年5月、社殿復興のため德持神社復興会を設立、39年2月起工式、同年8月に上棟祭、40年8月に正遷座祭が斎行され、昭和41年9月3日に竣功奉祝祭を行い、八幡造の社殿が復興されました。
 創建から約750年、今も変わらず池上徳持の地に鎮座し、人々の暮らしをお護りいただいております。

以上ウィキペディアより。 http://tokumochi-jinja.tokyo-jinjacho.or.jp/



徳持神社

徳持神社 (3)

徳持神社

徳持神社 (4)

徳持神社 (5)

徳持神社 (6)

徳持神社 (7)

徳持神社 (8)

御嶽神社

御嶽神社

東京都大田区北嶺町37-20

御嶽神社の創祀は、嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。
当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようだ。第二次大戦後は、木曾御嶽山の信者数全体が減少傾向にあるが、現在でも猶、講社が団体で定期的に参拝に来ている。一方、六地区の氏子地域を持ち奉賛会も組織されていることから、地元氏子にも大きく支えられ祭礼も年々盛大になっている。また、20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭も執行されている(平成23年8月が第二回目)。

神社境内地奥には「霊神の杜」と名付けられた鎮守の森があり、霊神碑と共に神域になっている。森の植樹には横浜国立大学名誉教授宮脇昭先生が監修された。中央に鎮座する本殿は大田区の文化財であり、殊に壁面の彫刻は圧巻。また、樹齢四百年の黒松が「夫婦松」として崇敬を集めている。その他様々な名所が境内地に点在し、商店街の中とは思えない静謐な空間を作り出している。

以上ウィキペディアより。 http://mineno-ontake.com/



御嶽神社

御嶽山
御嶽山駅。昔はいわゆる門前町で栄えたのでしょうか。今も商店街ありますけど。にぎわってます。

御嶽神社

御嶽神社 (2)

御嶽神社 (5)

御嶽神社 (4)

御嶽神社 (3)
宮司さん、お祓いされてましたが、終わってからご対応いただきました。お忙しいところありがとうございました。

雪ヶ谷八幡神社

雪ヶ谷八幡神社

東京都大田区東雪谷2-25-1

当社の創建は永禄年中(1558~1569)と誌され、北条左京太夫氏康の臣太田新六郎管内巡視の際、当所に於いて法華経曼荼羅(ほけきょうまんだら)の古碑を発掘し、その奇瑞(きずい)におり八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)を創祀すと伝う。爾来、元亀・天正戦乱の世を経て慶長・元和の頃、円長寺・長慶寺の創建により別当として二寺臨年に奉仕するところとなる。旧中原街道沿道髄一の由緒深き神社として諸人の崇敬のもとに、文久3年2月社殿再建の業を起こし、明治3年11月拝殿造営、ついで明治23年再び工を起こし、明治28年11月25日本殿落成遷宮を行う。明治維新後の神仏分離により明治5年村社に列せられる。
昭和20年5月戦災により社殿焼失、昭和34年8月現社殿の造営なる。
かくて、氏子崇敬者の赤心のもと、社域の整備復興を見、雪ヶ谷の里の鎮護の神として、茲に400有余年のご神徳をもって現在の盛儀をみるに至る。

以上ホームページより。 https://yukigaya.info/



雪谷八幡神社

雪谷八幡

雪谷八幡 (3)

雪谷八幡 (2)

雪谷八幡 (5)

雪谷八幡 (6)

雪谷八幡 (4)
丁寧にご対応いただきありがとうございました。

千束八幡神社

千束八幡神社

東京都大田区南千束2-23-10

千束八幡神社(せんぞくはちまんじんじゃ)は、洗足池の西のほとりに鎮座する神社である。品陀和気之命(応神天皇)を祭神とする。「旗挙げ八幡」とも呼ばれる。

860年(貞観2年)に千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請された。10世紀前半の平将門の乱の際に鎮守副将軍として関東へ派遣された藤原忠方[1]は、その後に千束八幡を氏神としてこの地に残り、池上姓を名乗ったという(子孫からは池上宗仲や池上幸豊などの人物を輩出している)。また、11世紀前半の後三年の役では、奥州討伐へ向かう源義家が戦勝を祈願したとここにも伝えられている。

1180年(治承4年)、安房国から鎌倉へ向かう途中の源頼朝がこの地に宿営したところ、池に映る月のような姿のたくましい野生馬が現れこれを捕らえたとの伝承が残る。後に宇治川の先陣争いで佐々木高綱を乗せ、梶原景季の磨墨と競うことになる、名馬「池月」である。頼朝軍はこれを吉兆とし、旗を差し上げ大いに喜んだという。本殿の横に赤目で歯をむく池月を描いた大きな絵馬が奉納されており、さらに境内には池月の像が置かれている。

例大祭は9月に行われており、重要無形民俗文化財に指定されている神楽が奉納され、洗足池の秋まつりとして親しまれている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%B6%B3%E6%B1%A0#%E5%8D%83%E6%9D%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE



千束八幡神社

御朱印は書置きをいただきました。ありがとうございました。

洗足池
洗足池駅。

洗足池 (2)

駅前に池があります。

洗足池 (6)
ボートがいますね。独りで乗る気はしない。遠くに弁天社が見えますね。

洗足池 (7)
鯉やで。

洗足八幡神社
池のほとりに鳥居。

洗足八幡神社 (2)

洗足八幡神社 (3)

洗足八幡神社 (4)

洗足八幡神社 (5)

本殿の写真が見当たらない。撮り忘れたか…

洗足池八幡 (1)

平成30年9月、再訪して撮影。

洗足池八幡 (2)

後輩のTくんを盗撮。

洗足池 (1)

洗足池 (2)

洗足池 (3)

水辺に大量のコイがいたので撮影。うごめいてますね。

荏原金刀比羅神社

荏原金刀比羅神社

東京都品川区荏原1-16-4

荏原金刀比羅神社(えばらことひらじんじゃ)は、東京都品川区荏原一丁目にある神社。

由緒
同神社は、1772年(安永元年)に高松城主・松平頼久の命令を受けた家臣の岡田友次郎が、高松の発展などのために、四国の金刀比羅宮の御分霊を祀ったのが始まりであるといわれている。その後、1930年(昭和5年)になって現在地に遷座し、今に至っている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8F%E5%8E%9F%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE



荏原金比羅宮

戸越銀座 (2)
来ました戸越銀座。

戸越銀座 (3)
確かに長いね。

荏原金比羅宮
ちょっと歩いたら着いた。

荏原金比羅宮 (2)

荏原金比羅宮 (7)

荏原金比羅宮 (6)
紫水晶。

荏原金比羅宮 (3)

雉子神社

雉子神社

東京都品川区東五反田1-2-33

雉子神社(きじじんじゃ)は、東京都品川区東五反田にある神社。

由緒
創建は文明年間(1469年 - 1487年)と言われている。村民の霊夢により[1]大鳥明神を祀っていた。江戸時代に入り、慶長年間になり三代将軍・徳川家光が鷹狩りに来た時、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを稀なめでたいしるしとして、家光から「以後雉子宮と称すべし」との言葉があり、「雉子ノ宮」と改称した。そして江戸社寺名所にその名を連ねた。明治維新の際に雉子神社と改められる。明治時代以前は隣接してある宝塔寺が別当寺であった。明治43年(1910年)に上大崎村にあった三島神社を合祀して現在に至っている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%89%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE



雉子神社

五反田
ある土曜日の朝、五反田駅に降り立つ。ちょっと歩いたら白金なのに、五反田ってだけで猥雑な響きになりますね。

ゆでたろう (2)
ゆで太郎。朝から開いていていいですね。

ゆでたろう
親子丼セットやで。朝から重たいけど美味いで。

雉子神社 (2)

大きい道沿いに歩いていたら着いた。

雉子神社 (3)

雉子神社 (4)

雉子神社 (5)

雉子神社 (6)
お祭りの準備していました。清泉女子大学ってどこやろな。

雉子神社 (8)

雉子神社 (7)
御朱印は書置きをいただきました。お祭りの準備で忙しいところ、御対応いただきありがとうございました。