2014年09月

羽田神社

羽田神社

東京都大田区本羽田3-9-12
最寄り駅 京浜急行「大鳥居駅」 徒歩5分

御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)

御由緒
約800年前、鎌倉時代に領主・行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのがその起こりとされる。徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰された。
明治元年(1868)の神仏分離令により自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社(やくもじんじゃ)として独立、明治40年に羽田神社と改称された。
以上東京都神社庁より

羽田神社

羽田神社
大鳥居駅下車。ちょっと歩く。

羽田神社 (2)
日が傾き始めてますね。

羽田神社 (3)

羽田神社 (4)

羽田神社 (6)
東京の神社恒例、富士塚。

羽田神社 (7)
なんか良縁に効果のありそうなもの。

羽田神社 (8)
富士塚。

羽田神社 (9)

羽田神社 (10)

羽田神社 (11)

羽田神社 (12)

羽田神社 (13)

羽田神社 (5)

羽田神社 (14)

こちらの神社、オリジナル御朱印帳がありますが、今回は見合わせました。いただいておくべきだったか。

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社

東京都大田区羽田5-2-7
最寄り駅 京浜急行空港線「穴守稲荷駅」 徒歩3分

御祭神 豊受姫命

御由緒
文政の頃、鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防がしばしば激浪のため決壊し大穴があき、海水が浸入しました。そこで村人達が相談し、堤防の上に一祀をまつったところ、それから風浪の災もなく、作物がよく稔りました。「風浪が作りし【穴】の害より田畑を【守】り給う稲荷大神」と神徳を称え、【穴守稲荷神社】となりました。
以上東京都神社庁より

穴守稲荷神社

穴守稲荷

仕事の絡みで上京。キャリーバックが重い。羽田空港から京急で移動。穴守稲荷で下車。

穴守稲荷 (2)
コンちゃん。

穴守稲荷 (3)

こちらの駅。名前の通り穴守稲荷神社の最寄駅となります。駅出てすぐに鳥居が。

穴守稲荷 (4)
道中に表示もあるので迷うことはないでしょう。

穴守稲荷 (5)

着いた。

穴守稲荷 (14)

穴守稲荷 (6)

穴守稲荷 (7)

穴守稲荷 (11)

千本鳥居的な。

穴守稲荷 (12)

穴守稲荷 (13)

穴守稲荷 (8)

穴守稲荷 (9)

穴守稲荷 (10)

こちらの神社、御朱印帳がかわいいことで有名ですけど、今回は見合わせました。先輩が持ってるんでかぶるんですよね。

八幡総社両神社

八幡総社両神社

徳島県徳島市国府町観音寺石田50

主祭神(八幡神社)応神天皇
    (総社)阿波国式内社五十座

由緒
阿波国の総社として、阿波国府の所在地に設けられた神社。
国司の重要な仕事の一つに、管内の官社及び国司の崇敬する神社を祭祀することがあり奈良時代、国司はこれらの神社に幣を奉り、これに詣ずるを例としたが、平安時代中期以降、中央政治の乱れにより、地方行政も弛緩し、祭祀も規定通りに行われなくなり、従来国司の祭祀してきた管内諸神社の神霊を国府(国司庁)に近いところに勧請し、参拝の便をはかったのが総社の起源である。当社はその総社と、近在の八幡神社を合祀したもので、安政三年(1856年)再建の棟札を存する。

八幡総社両神社

観音寺門

こちら、四国八十八箇所第十六番札所の観音寺です。

観音寺

『神社ブログ書いてるくせに、ネタが無くなったから八十八箇所巡りを組み込んできやがったな』と思われた方。誤解です。私は根っからの神社好きですので。

観音寺 (2)

今回の目的地は観音寺そのものではなく、その境内に鎮座する神社(写真右)であります。

こちら、阿波国の総社になります。総社というのは、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことです。

古代の日本では、国司が着任したあとの最初の仕事が、赴任国内の神社に参拝することでした。でも、国内の全部の神社を巡るのって大変ですよね?そこで、総社を国府の近くに作って、そこに参拝することで効率化を図ったのです。超合理的ですやん、古代の日本人。

八幡総社両神社

こちらの御朱印、観音寺で戴けるのかな~?と思っていましたら、宮司宅の住所・電話番号が貼られていました。さっそく電話したら、御対応いただけるそう。

宮司さん、他にも神社を管理されていらっしゃいますが、御朱印対応をしているのは総社のみだそうです。

総社は前述のとおり、国司が参拝する重要な神社であり、総社巡りをされている方もいらっしゃるそうで、御朱印を所望する方がおられたので印を作ったそうな。

宮司宅が離れた場所にあることと、旅行の途中で参拝される方も多いことから、郵送での御朱印対応も受け付けてくれているそうです。お忙しいところ丁寧にご対応いただき、ありがとうございました。

大山祇神社

大山祇神社

愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地

大山祇神社は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。式内社(名神大社)、伊予国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社である。また、主祭神の大山祇神は三島大明神とも称され、大山祇神社から勧請したと伝える三島神社は、四国を中心に新潟県や北海道まで広がる。静岡県の三嶋大社と共に三島神社の総本社とされる。

大山つみ神社

今治ミニストップ

早起きに成功したため、家を出る。192号線をひた走り、しまなみ海道を目指す。めちゃ遠いんですけど。

写真はミニストップ。今治に到着するも、原付道への入り方がわからず、危うく高速のインターに侵入しかける。

ミニストップの店員さんが丁寧に教えてくれました。フライドチキンとサンドイッチ、野菜ジュースで栄養補給し、再出発。

しまなみ景色

道路の青い線に沿って走っていくと、無事つきましたしまなみ海道。海やで。

PCX,島

しまなみ海道、自転車で走っている人多いですね。楽しそう。

しまなみ(橋)

でも自転車って股間を圧迫するから生殖能力に悪影響が出ると聞いているので僕は原付にしておきます。自転車に乗るとPCXに乗らなくなってしまいそうやし。弱虫ペダルの影響で自転車は乗りたいんですけどね。

道の駅三島

道の駅。この神社、どこに駐輪するのが正しいんやろ。よくわからんかった。

大山祇神社

大日本総鎮守。かっけえ。

大山祇神社 (2)

参拝客多いですね。

大山祇神社 (3)

神紋は折敷に三文字。信長の野望で著名な伊予河野氏の家紋でもありますね。長宗我部、毛利、大友に攻められる好立地。

大山祇神社 (4)

大山祇神社 (5)

大山祇神社 (6)

樹齢2600年の楠。

大山祇神社 (8)

伊藤博文公の植えた楠。

大山祇神社 (11)

雨乞いの楠。流石、見どころの多い神社ですな。

大山祇神社 (7)

大山祇神社 (9)

家族連れがポーズ決めたりして記念撮影していました。いいですね。

大山祇神社 (10)

うーん。立派。

御朱印を拝受していたら、家族連れが後から来て御朱印帳を出していました。推定幼稚園~小学校低学年の姉弟も御朱印帳を取り出していました。若いのに渋い趣味してるな。全国一の宮朱印帳を見て母親が「大きい朱印帳…」とつぶやいていました。まあ、でかいですよね、これ。

伯方の塩ソフト

ゆるキャラバリィさんのハンカチを買った後、伯方の塩ソフトを食す。伯方島ってしまなみ海道にあるんですね。

この写真の後、ベンチで休憩してから帰ったらカメラを置き忘れる。偶然海の写真を撮ろうとしたときに忘れたことに気付いてよかった。ラッキー。忘れ物を取りに帰れる距離じゃねえよ。

景色

15時ごろ、海沿いの道に出たので撮影。伊予三島の手前かな。

景色 (4)

結構遠かったな~。しまなみ海道を渡って広島入りする旅の計画も考えていたんですが、想像以上に過酷なツーリングになりそうですね。

賀茂神社

賀茂神社

阿波市阿波町新開30

祭神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
   意富加牟積尊(おおかむすみのみこと)
   天穂日命(あめのほひのみこと)

由緒
もと蜂須賀公の崇敬社であった。『阿波志』に「別雷祠 朽田村に在り 旧中野村に在り 貞亨元年ここに移す 越智通玄偃月刀一枝を納む 備中水田源国重造す・・・」とあるとおり、元、中野村に鎮座していたが伊沢市の住人河野六郎太夫という者の発願により貞亨元年(1684)現在の地へ移し祀ったといわれている。

賀茂神社


賀茂神社 (8)

塩江からの帰路。こんな看板を見つけて立ち寄る。日本一神とはどういうことなのか。

賀茂神社

賀茂神社 (7)

かなり奥に長い作り。

賀茂神社 (3)

賀茂神社はもともと雷神ですもんね。

賀茂神社 (2)

賀茂神社 (5)

賀茂神社 (4)

賀茂神社 (6)

宮司さんに日本一神の意味を伺いました。祭神の意富加牟積尊(おおかむすみのみこと)という神様を祀っているのが日本でここだけなんだそうです。賀茂神社ですからてっきり京都の下賀茂神社の系列と思いましたが、珍しい神社だったようです。

岩部八幡神社

岩部八幡神社

高松市塩江町安原上692-1

岩部八幡神社

酷道マニアには有名な193号線をひた走り、温泉の町塩江へ。温泉入りたい。

岩部八幡 (10)

道中に立派な看板があったので立ち寄る。

岩部八幡 (6)

 岩部八幡神社の創始は養老年間(717~724)あるいは天平年間(729~749)と言われている。古くは現社地の北方に鎮座していたが、後に現社地の北西山麓に遷座したと伝わり、その旧跡と考えられる礎石が素婆倶羅社前に見られる。その後、山上に遷座し明徳3年(1392)には細川頼之によって社殿の修築がなされた。イチョウはその頃に植えられたと伝えられている。
 イチョウは東側を雄木、西側を雌木と呼ぶが、いずれも雌株で、実(ギンナン)をつける。樹高は33メートルで、幹周は東側が9メートル、西側が6メートルである。秋には美しく黄葉し、遠くからもその雄大な姿を見ることができる。
 なお、幹から多数の気根が垂れ下がっており、乳房に似ていることから産婦の信仰が厚く、乳を授かるよう祈願する者も多い。

いちょう

大きな銀杏。11月の14時~15時頃が夕日に映えてきれいだそう。

岩部八幡 (5)

結構高い位置に社殿はあります。

岩部八幡 (9)

岩部八幡 (7)
岩部八幡 (8)

岩部八幡 (4)

岩部八幡

岩部八幡 (3)

岩部八幡 (2)

銀杏

銀杏の色づく季節に来たいものですね。

キノコノ家 (2)

帰り道に気がかりな看板を見かけたので立ち寄る。お気軽にお立ち寄りくださいとあるので、遠慮なく立ち寄る。

キノコノ家 (3)

結構車停まってますね。

キノコノ家 (4)

緑の多い入り口。

ししにくどんぶり

ししにくカレーと迷いましたが、ししにくどんぶりをチョイス。美味い!!この選択は正解でしたね。

剱神社

剱神社

徳島県三好市東祖谷菅生見ノ越

大剣神社

PCX (3)

ついに納車されましたPCX!!これまでの愛車JOGちゃんは1万円で引き取られました。いい人に買ってもらってくれ。。

キャットフード

こないだ参拝したネコ神さんで交通安全祈願のお祓いをする。早速事故したらシャレにならんしね。

ネコ (6)

ネコ可愛いよネコ。

景色 (2)

お祓いも済んだところで、さっそくツーリングに行くことにした。剣山を目指します。

大剣神社

着いた。登山客多いなあ。

大剣神社 (2)

御祭神 安徳天皇 大山祗命 素盞嗚命

創立年代は不詳である。
祖谷山開拓の折に大山祗命を鎮祀して祖谷山の総鎮守とした。
寿永4年(1185)、源氏との戦に敗れた平家の一門が安徳天皇を奉じて祖谷の地に
のがれ来たり、平家再興の祈願のため安徳天皇の「深そぎの御毛」と「紐劔」を
大山祗命の御社に奉納。以来劔山と呼ばれ、神社も劔神社と称されるようになった。
一時大劔権現と称されていたが、明治初年劔神社と改称し、明治3年崇敬大社に
列せられ明治6年郷社になる。
『阿波志』(藤原之憲著 文化12年[1815]に、阿波藩の藩撰の地誌として記されたもの)に
「劔祠 在祖山菅生名剣山上去名二里餘頂有石屹立髙三丈土人以神…謁以名曰劍…」とあり、
すなわち劔の祠は祖谷の菅生から二里のところに剣山という山の上にある。そして頂に高さ三丈
の岩(今の御塔石)があり土人これを以て神と為す。…その形の似たるを以て劔と曰う…とある。
劔山系には586社の社があり(西島神社・八劔神社・古劔神社・両劔神社・宝蔵石神社・
三劔神社など)その総本社が大劔神社である。

ご信仰としては、縁結びと安産の信仰がつよい。

大剣神社 (4)

登山口に鎮座するため、ひっきりなしに登山客が。

大剣神社 (5)

『天涯の花』記念碑。「さわやかな月光の花は. 凛として気高い」との文字が。この小説は読んでないな。

大剣神社 (7)

参拝客が途切れたところで撮影。

大剣神社 (6)

境内からの眺め。

景色

お昼も食べていくことに。窓際の席はいい眺めです。窓際族。

そば、おにぎり

山菜蕎麦、おにぎり。

矢部、東の

店に飾られていた写真。矢部さんとチリチリさん。

無事にツーリングを終えて帰りましたが、やはり疲れますね。しまなみ街道を渡って中国地方遠征はもう少し運転に慣れたからにしましょうか。

西照神社

西照神社

徳島県美馬市脇町西大谷672番地

西照神社(にしてるじんじゃ)は、徳島県美馬市にある神社。式内小社。旧社格は郷社。祭神は主神が月読尊、配神が田寸津姫命、田心姫命、市杵島姫命。

徳島県美馬市と香川県高松市の境に位置する大滝山山頂(946m)にある。延喜式神名帳に記された田寸神社(たきじんじゃ)の論社となっている。
社伝によれば、夜の食国(よるのおすくに)を統治する月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命を大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたことが当神社の起源であるとする。
平安時代前期に空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆の山岳道場となったと言われる。
以降、明治時代に至るまで「西照権現」と称した。江戸時代には徳島藩家老稲田氏の崇敬を受け社領として9石8斗を寄進され、また高松藩主の祈願所として50石が営繕費として寄進された。
明治初期の神仏分離令により神社と寺院(大瀧寺)に分離された。明治6年(1873年)西照神社と改称され郷社に列した。
西照神社

脇町の大滝山山頂に鎮座する西照神社。ちょっと遠いので原付ではなく車で向かう。

風景 (3)

風景 (2)

適当に撮影。なんとなく山深い場所ということは御理解いただけただろうか。

西照神社 (8)

車がすれ違えなさそうな箇所もありつつ到着。対向車が来なくてよかった。


西照神社 (2)

狛犬。後ろに駐車してるのが愛車ティーダね。

ティーダというのは沖縄の方言で太陽。FFⅩの主人公ティーダと同じ元ネタですね。

リュック
「やめなきゃダメなんだよ!
「このまま旅をつづけて…… ザナルカンドに行って……
「『シン』をやっつけても…… その時……ユウナは……
「ユウナ 死んじゃうんだよ!!
「キミ知ってるよね?
「召喚士は究極召喚を求めて旅してるって!
「ユウナから聞いたよね!?
「究極召喚なら『シン』に勝てるよ? だけど……だけど!
「あれ使ったら 召喚士は死んじゃうんだよ!
「『シン』を倒しても いっしょにユウナも死んじゃうんだよ!!

ティーダ
「知らなかったの……オレだけか?
「知らなかったの オレだけかよ!
「オレだけか! なんで隠してたんだよ!

ワッカ
「隠してたんじゃねえ

ルールー
「言葉にするのが……怖くてね

ティーダ
「ルールー ユウナのこと妹みたいに思ってたんじゃないのかよ!
「ワッカもそうだよな!
「どうして止めないんだ!

ルールー
「止めなかったと思うの!?
「ユウナの……意思なのよ

ワッカ
「あいつは みんな承知の上で召喚士の道を選んだんだ
「『シン』と戦って死ぬ道をよ!

リュック
「そんなの絶対おかしいよ!
「みんなのしあわせのためだからって……
「召喚士だけが 犠牲になるなんて!

ティーダ
「オレ……オレ ユウナに言っちゃったぞ!
「早くザナルカンド行こうって! 『シン』を倒そうっ……!
「倒した後のことも いっぱい いっぱい!!
「あいつの気持ちもなんにも知らないでさあ!
「なのに……ユウナ……
「あいつ……笑ってた

 ティーダ
「ユウナに あやまらなくちゃ……
「助けるんだ!

※アルベドのホームにて、途中一部省略。
 
僕はFFⅩだとこのイベントが一番好きです。

西照神社 (3)

当神社には天保14年(1843年)に奉納された狛犬がある。ある夏の夜、ここを通りかかった母子に狼に追われて神社の祠に逃げ込んだ。狼がこの母子に襲いかかろうとしたところを、この狛犬が狼を撃退したという伝説が残っている。

やるな狛犬。

西照神社

西照神社 (5)
摂社稲荷神社。
西照神社 (6)
丁度神職の女性の方が境内の掃除をされていました。やはり山深い場所なので、基本的には下で生活し、時間がある時にできるだけ上ってきているそうな。

道中に小学校がありましたが、そこももう廃校になっているそう。最後の卒業生がもう成人しているんじゃないかな、とのことでしたので、かなり前の話ですね。

山の上で空気も澄んで、いいところですね。雨が降ってきたので退散しましたが、天気のいい時にまた来たいものです。