2014年05月

高田氷川神社

高田氷川神社

豊島区高田2-2-18

 高田總鎭守氷川神社の創建は、今から約1130年以上の昔、第56代清和天皇の御代である貞観年間(859~877)に、
旧官幣大社・氷川神社の御分霊を現在の地に奉斎したと伝えられている。
 江戸・明治の覚書によると、

 『古来、山吹の里氷川宮、後氷川大明神と奉称された。』
 『高田邨總鎭守氷川大明神ト称来候処明治二巳年中ヨリ氷川神社ト改称 其後明治五申年十一月八日村社ニ被為定候事』
 (高田村總鎭守氷川大明神と称し来たりそうろうところ、明治2ミの年中より氷川神社と改称
 其の後明治五サルの年の十一月 八日村社にこうむり定め候事なり)
 『第九代區壱小區 高田村總鎭守氷川神社 (明治七年十月十三日調書)』
 明治四十年五月四日、神饌幣帛料供進神社に指定される。とある。
 氷川神社は素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命を奉祀し高田總鎭守なり。
 (豊島區髙田南町・髙田本町・目白町・文京區髙田老松町の総氏神である)
 その創建は貞観年間と申傳ふ。徳川三代将軍家光公御鷹野の砌、御拝禮再三御祈願 おおせつけられ(仰付けられ)、
 古跡除地(こせきのぞきち)たりしと云ふ。
 初め山吹の里氷川宮、後氷川大明神と奉称し、明治二年氷川神社と改称し奉り、
 同五年十一月八日村社に定められ、同四十年五月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
 昭和廿一年国家管理を離れ、同年六月宗教法人令に依る諸手続きを完了せり。
 『昭和貮拾五年壹月貮拾五日 原文まま(句読点のみ加筆)』

以上ホームページより。 http://takatasouchinjyu-hikawajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/



高田氷川神社

高田姫稲荷神社

目白豊坂神社

高田姫稲荷神社、目白豊坂稲荷神社の御朱印もいただけます。

高田氷川

早稲田で試験があったので、試験後に新目白通りを歩いて行って参拝。

高田氷川 (2)

高田氷川 (3)
プッシュ式の水道がついてる。最新式。

高田氷川 (4)

高田氷川 (6)

高田氷川 (7)

高田氷川 (5)
歩くと暑いですね。夏やな…

高木や

それから、先輩と合流して高木や。お腹いっぱいだしもう飲めません。

あと、探していたコップのフチ子、渋谷の東急ハンズで見つけました。渋谷パルコでカフェのフチ子ってイベントしてましたが、若い娘がいっぱいだったので逃げ帰りました。パルコはお洒落な女子が多いですね、居場所がない。
フチ子 (2)
水着のフチ子

フチ子 (4)

なんか衝動買いしてしまったな。満足ですわ。

元三島神社

元三島神社

東京都台東区根岸1丁目7−11

元三島神社(もとみしまじんじゃ)は、東京都台東区の神社。

歴史
弘安年間(1278年 - 1288年)に創建された。鎌倉幕府御家人の河野通有は、弘安の役に際して、地元の大山祇神社で戦勝祈願をしたところ、成就して武勲を挙げることができた。そして、夢の中で「武蔵国豊島郡に大山祇命の分霊を勧請せよ。」という霊夢を見た。そこで上野山に大山祇命を祭神とする神社を創建したのが由来である[1]。

1650年(慶安3年)、幕府により立ち退きが命じられ、代替地の金杉村(現・台東区根岸)に移転した。1710年(宝永7年)、幕府により再度立ち退きが命じられ、浅草小揚町(現・台東区寿)に移転した。これが現在の本社三島神社である。しかし金杉村の氏子は神社から取り残されることになったので、話し合いの結果、改めて分霊を勧請することになった。そうして創建されたのが当社である。同様の経緯で、現在の台東区下谷にも三島神社が創建されている[1]。

現在地には、元々熊野神社があり、それと合祀する形となった。江戸時代は西蔵院が別当寺であった。1921年(大正10年)に村社に列格している[1][2]。

現在の社殿は、1976年(昭和51年)に新築されたものである[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE



元三島神社

元三島

ついに来ました鶯谷。世の人々はラブホテルを利用するために下車するのでしょうが、私は神社巡りのために下車します。

元三島 (2)

日差しがまぶしい。手をつないでラブホテルへ向かうカップルの姿もまぶしい。

元三島 (3)

元三島 (4)

記念すべき300回目の記事が鶯谷。猥雑な雰囲気がたまらない街です。というか、神社の周りラブホだらけじゃねえか!!すごい立地ですな。

楽しそうな鶯谷を後にし、秋葉原へ向かう。コップのフチ子さんのガチャガチャを探しに行ったのです。

フチ子

↑こういうやつ。

しかし、秋葉原ガチャガチャ王国までいったのに見つからず。品薄なのか…せっかく行ったのに。

五―ゴーカレー

ゴ―ゴーカレーを食して帰る。コップのフチ子さんどこかに売ってないかなあ。

諏方神社

諏方神社

荒川区西日暮里3-4-8

諏方神社(すわじんじゃ)は東京都荒川区の神社。

概要
1202年(元久2年)に創建された。豊島経泰が諏訪大社から勧請したという[1]。

文安年間(1444年~1499年)に、太田道灌より社領の寄進を受け、その後の江戸幕府も追認した[1]。

江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E6%96%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%8D%92%E5%B7%9D%E5%8C%BA)



諏方神社

諏方 (7)

諏方 (2)

諏方 (5)

諏方 (6)

諏方

諏方 (3)

諏方 (4)

こういう木々がうっそうした神域、雰囲気が良くて好きなんですが、蚊がいますね。

田端八幡神社

田端八幡神社

東京都北区田端2丁目7−2

田端八幡神社(たばたはちまんじんじゃ)は東京都北区の神社。

概要
1189年(文治5年)に創建された[1]。奥州征討の帰りに、源頼朝が当地に立ち寄り、鶴岡八幡宮から勧請したのが起源である[1]。なおこの由緒は、上田端八幡神社のものと同じであり、両神社は元は単一の神社であったと推測されている。

江戸時代には、豊島郡田端村の鎮守であった[2]。旧別当寺は東覚寺[3]。

境内には、地元の富士講「田端冨士三峰講」が祀る富士塚がある[4]。

社殿は1945年(昭和20年)の空襲で焼失したが、戦後に再建された。しかし1990年(平成2年)、「反皇室」を掲げる極左暴力集団(新左翼過激派)の放火テロにより再度焼失、1993年(平成5年)に再建された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E7%AB%AF%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE



田端八幡神社

田端八幡

来ました田端。山手線の駅の中でも比較的シブいポジションに位置する駅。

田端八幡 (2)

田端八幡 (3)

田端八幡 (4)

田端八幡 (5)

田端八幡 (6)

天気いいねえ。外は暑い。

三河稲荷神社

三河稲荷神社

東京都文京区本郷二丁目20-5

三河稲荷神社(みかわいなりじんじゃ)は、東京都文京区本郷にある神社である。旧・本郷元町一丁目、二丁目の鎮守。

由緒
三河国碧海郡上野庄稲荷山(現在の愛知県豊田市)に鎮座していた稲荷神社の末社を、天正18年(1590年)に徳川家康が戦勝祈願が叶う自身の御守りとして江戸入府の際に吹上に奉遷。さらに慶長11年(1606年)大縄地氏神としてのちの本郷元町に地に奉遷。1893年(明治26年)3月本郷給水所設置により、現在地に遷座。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE



三河稲荷神社

みんな大好き水道橋駅の近くです。

三河稲荷 (3)

三河稲荷

巨人広島 (4)

参拝後、巨人VS広島戦を観戦。梵ー!!

梵は打てませんでした。巨人は強いですなあ。梵(そよぎ)って名前難しすぎですがな。

成子天神社

成子天神社

東京都新宿区西新宿8丁目14−10

成子天神社(なるこてんじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿にある神社。祭神は菅原道真[2](天満大自在天神)。

由緒
創建は延喜3年(903年)[3]。当時、菅原道真の死去を嘆き悲しんだ家臣が、道真の像を配流先の大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。その後、鎌倉時代に源頼朝により社殿が造営された。江戸時代に入ると、将軍徳川家光から土地を下賜された春日局が勧請した[2]。

寛文年間に起きた火災によりそれまでの記録や社宝などが焼失してしまい、現在地に移転。その後、第二次世界大戦中にも空襲により社殿が焼失している。1966年に鉄筋コンクリート製の社殿を造るも、老朽化のため2013年、境内に高層の分譲マンション、賃貸マンションと神社施設を新たに建築して現在に至る[2]。付近が新宿新都心の高層ビル街に変わった現在も、周辺の人々から信仰を得ている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%AD%90%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



成子天神社

s-成子天神社 (2)

西新宿駅から直ぐのところに鎮座。

s-成子天神社 (3)

s-成子天神社 (4)

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s-成子天神社 (6)

s-成子天神社 (7) - コピー

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s-成子天神社 (10)

成子天神社再整備プロジェクトにより、三井不動産のタワーマンションが建てられております。マンションを建てることで、社殿の再建の費用も捻出できるということです。

s-成子天神社 (11)

こちらは、三井不動産が手掛けた神社と一体開発の定期借地権付マンションとしては第二号だそうです。ちなみに第一号は神楽坂の赤城神社とのこと。確かにマンション建ってましたわ。

金刀比羅神社

金刀比羅神社

徳島県徳島市勢見町1丁目1

元和2年(1616年)に蜂須賀家政が阿波国に入国後、徳島城府の鎮府として勝占町から移された。近隣にある勢見山は、源義経が屋島へ向かうために勝浦に上陸し、軍勢を見たことに由来しており、本来は勝占神社の鎮座する鉢伏山のことだが遷座と供に山名も移ってきた。

明治18年(1885年)から同25年(1892年)まで、国幣中社忌部神社が仮鎮座したことがある。

大鳥居は寛政3年(1791年)に築かれ、大鳥居のしめ縄は徳島県下一である。

金比羅神社

金比羅

金比羅 (2)

急峻な階段。

金比羅 (3)

金比羅 (4)

金比羅 (5)

金比羅 (6)

書置きがありました。やはり御朱印希望者が多いのか。

大麻比古神社(徳島市)

大麻比古神社

徳島県徳島市明神町6丁目1

伊予国河野庄より阿波国に来住し蜂須賀氏に仕えた者の倅の河野弥吉郎が承応2年(1653年)に名東郡一宮から大麻比古神社の神体を迎えて河野家の鎮守としたと伝えられるが、『延喜式神名帳』に記載された式内社「麻能等比古神社」に比定する説もある。元々は、彌吉明神と称していたが、明治3年(1870年)に現在の社名に改称し、村社に列した。

大麻比古神社 (1)

大麻比古

阿波国一宮の大麻比古神社と同じ表記であるが、読み方が違う。おおまひこじんじゃ。

大麻比古 (2)

大麻比古 (5)

大麻比古 (3)

大麻比古 (6)

大麻比古 (4)

八坂神社

八坂神社

徳島県徳島市蔵本町3丁目6

蔵本八坂神社

蔵本八坂

国道192号沿い

蔵本八坂 (3)

蔵本八坂 (2)

蔵本八坂 (6)

蔵本八坂 (4)

原付神社巡りは快適。この神社、192号線沿いなんで前から気になってたんですよね。御朱印もいただけてよかった。