高田氷川神社
豊島区高田2-2-18
高田總鎭守氷川神社の創建は、今から約1130年以上の昔、第56代清和天皇の御代である貞観年間(859~877)に、
旧官幣大社・氷川神社の御分霊を現在の地に奉斎したと伝えられている。
江戸・明治の覚書によると、
『古来、山吹の里氷川宮、後氷川大明神と奉称された。』
『高田邨總鎭守氷川大明神ト称来候処明治二巳年中ヨリ氷川神社ト改称 其後明治五申年十一月八日村社ニ被為定候事』
(高田村總鎭守氷川大明神と称し来たりそうろうところ、明治2ミの年中より氷川神社と改称
其の後明治五サルの年の十一月 八日村社にこうむり定め候事なり)
『第九代區壱小區 高田村總鎭守氷川神社 (明治七年十月十三日調書)』
明治四十年五月四日、神饌幣帛料供進神社に指定される。とある。
氷川神社は素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命を奉祀し高田總鎭守なり。
(豊島區髙田南町・髙田本町・目白町・文京區髙田老松町の総氏神である)
その創建は貞観年間と申傳ふ。徳川三代将軍家光公御鷹野の砌、御拝禮再三御祈願 おおせつけられ(仰付けられ)、
古跡除地(こせきのぞきち)たりしと云ふ。
初め山吹の里氷川宮、後氷川大明神と奉称し、明治二年氷川神社と改称し奉り、
同五年十一月八日村社に定められ、同四十年五月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
昭和廿一年国家管理を離れ、同年六月宗教法人令に依る諸手続きを完了せり。
『昭和貮拾五年壹月貮拾五日 原文まま(句読点のみ加筆)』
以上ホームページより。 http://takatasouchinjyu-hikawajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/



高田姫稲荷神社、目白豊坂稲荷神社の御朱印もいただけます。

早稲田で試験があったので、試験後に新目白通りを歩いて行って参拝。


プッシュ式の水道がついてる。最新式。




歩くと暑いですね。夏やな…

それから、先輩と合流して高木や。お腹いっぱいだしもう飲めません。
あと、探していたコップのフチ子、渋谷の東急ハンズで見つけました。渋谷パルコでカフェのフチ子ってイベントしてましたが、若い娘がいっぱいだったので逃げ帰りました。パルコはお洒落な女子が多いですね、居場所がない。

水着のフチ子

なんか衝動買いしてしまったな。満足ですわ。