2014年01月

矢先稲荷神社

矢先稲荷神社

東京都台東区松が谷2丁目14−1

矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)は、東京都台東区の神社。

歴史
寛永19年(1642年)に創建された。江戸幕府第3代将軍徳川家光は京都の三十三間堂に倣って、江戸版ともいえる「浅草三十三間堂」を創建した。その守護神を祀ったのが当社の起源である。通し矢の的の向こう側にあったことから名付けられた。元禄11年(1698年)の火災で、三十三間堂は深川に移転したが、当社はそのまま残った[1]。ちなみに深川の三十三間堂は、廃仏毀釈の影響を受け、1872年(明治5年)に廃寺となっている。

拝殿の格天井には、日本乗馬史をモチーフにした絵[2]が奉納されている[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%85%88%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE



矢先稲荷神社

矢先稲荷神社 (4)

矢先稲荷神社 (2)

矢先稲荷神社

馬の陶器の根付を衝動買い。会社のカバンに付けてきてしまったので画像なし。。写メ撮っとけばよかった。

秋葉神社

秋葉神社

東京都台東区松が谷3丁目10−7

秋葉神社(あきばじんじゃ)とは、東京都台東区松が谷にある神社である。

由緒
当初の名は鎮火社といった。1869年(明治2年)暮れの大火を受け、明治天皇の勅命により翌1870年(明治3年)に現在のJR秋葉原駅構内(東京都千代田区神田花岡町)の地に、火の神火産霊大神、水の神水波能売神、土の神埴山毘売神の三柱を祀神として勧請したのが始まりである。

江戸時代の江戸の街は度々大火災が発生した事から、神仏混淆の秋葉大権現(秋葉山)が火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていたが、本来この社は秋葉大権現と直接の関係はない(東京府が秋葉大権現を勧請したとする史料もあるが、当時の社会情勢からみても明らかに誤伝である。)。しかし、秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々は、この社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除地(空地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだ。「あきば」は下町訛りで、本来の秋葉大権現では「あきは」と読む。

鎮火社はいつしか秋葉社となり、1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が現在の上野駅から秋葉原駅まで延長され、秋葉の原の土地が払い下げられたのに伴って現在地に移転した[1]。その後1930年(昭和5年)に秋葉神社と改名された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA)



秋葉神社
こちらの神社、秋葉原の由来となった神社です。江戸の町は火事が多かったので、火伏の神様として祀られてました。

建物の延焼を防ぐための火除地のことを秋葉っ原(あきばっぱら)と呼んでいたのだそう。

昔一度参拝したことがあるんですけど、駅から結構歩いた覚えがあります。

秋葉神社

秋葉神社 (3)

秋葉神社 (2)

秋葉神社 (6)

秋葉神社 (5)

秋葉神社 (4)
ネコの目キラーン。

玉姫稲荷神社

玉姫稲荷神社

東京都台東区清川2−13−20

玉姫稲荷神社

玉姫稲荷

玉姫稲荷 (2)

玉姫稲荷 (4)

玉姫稲荷 (3)

玉姫稲荷 (5)

明日のジョーや!!このあたり、明日のジョーの舞台となってるんですね。

漫画を父が全巻集めてたけど、一冊だけ紛失してたんですよね。買い直して読み返すか。

石濱神社

石濱神社

東京都荒川区南千住3-28-58

石浜神社(いしはまじんじゃ)は東京都荒川区の神社。

概要
724年(神亀元年)に創建された[1]。

奥州征討の折、源頼朝が戦勝を祈願し、また元寇の際に、朝廷は鎌倉幕府7代将軍惟康親王を勅使として戦勝を祈願させた。いずれの戦役にも勝利したことから、中世以降関東武士を始め、多くの人々の崇敬を集めることになった[1]。

当社には、神社には珍しく神道式霊園「石浜霊園」を経営しており、神道に基づく葬儀を挙行することができる[2]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B5%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE



石濱神社

石濱

石濱 (2)

石濱 (5)

石濱 (4)

なんやかんやで荒川区の神社参拝初です。尾久八幡とか行きたいけど、都営荒川線とか行きにくい気がして二の足を踏む。意を決して進出するか…。

朝日神社

朝日神社

東京都港区六本木6-7-14 

朝日神社は、旧記(麻布台懐古碑)によれば旧暦天慶年中(西暦940年)草創と伝えられております。
はじめ、市杵島姫大神(弁財天)を祭り、当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居りました。

その後、伝うところによれば、大和の武将 筒井順慶の姪で、のちに織田信長の室となりました 朝日姫(清心尼)様が、渋谷から長者ヶ丸(現広尾辺)を過ぎる途中、草むらに光輝くものを見つけ、近づき凝視してみたところ、稲荷の神像と観音の像を見つけました。

草むらより持ち帰った観音像は専称寺に祀り、稲荷の神像は当社に祀られ、弁財天と合祀して【日ヶ窪稲荷】と呼ばれるようになりました。
その後、明和年間に【朝日稲荷】と改称され、益々尊敬する人々多くなり、隆昌を極め、明治28年【朝日神社】と改称し、現在に至ります。

以上ホームページより。 http://www.asahi-jinjya.com/index.html



朝日神社

朝日 (4)

朝日 (3)

朝日 (2)

外国人男性と、日本人女性のカップルが参拝してました。流石六本木。

三崎稲荷神社

三崎稲荷神社

東京都千代田区三崎町2-9-12

三崎稲荷神社(みさきいなりじんじゃ)は、東京都千代田区神田三崎町にある神社。創建は、鎌倉時代の建久年間より前と伝えられる。室町時代中期には本郷にあったことが確認されているが,その後,何度か移転を繰り返し1905年(明治38年)に現在の場所となった。三代将軍徳川家光が崇敬し、登城する大名は必ず参拝し心身を清めたことから「清めの稲荷」とも称されている[1][2]。

この神社の創建時期は不明とされるが、社伝などによれば、建久(1190年から1199年まで)より前の仁安(1166年から1168年まで)頃または建久の頃と伝えられている[3][4]。当初は武蔵国豊島郡三崎村の鎮守として、神田山(現在の駿河台)の山麓部(文京区本郷1丁目付近)に祀られたとされる[3]。

小田原の北条氏が江戸城にいた時期、北条氏綱(北条早雲の子)がこの神社を尊宗したと伝わる[4][5][6]。1524年(大永4年)正月、氏綱は数千歩に及ぶ社地を寄進した[6]。その後、北条氏は1538年(天文7年)に社殿を造っている[5]。

1590年(天正18年)、徳川家康が江戸に入城した[6]。家康は江戸の開発を計画し、神田山を崩して埋め立てを始めた[6]。当時海だった銀座や日比谷は、この時期に陸地となった[6]。この埋め立てによって、三崎稲荷神社は現在の文京区後楽に移転した[6]。二代将軍徳川秀忠の時期には、神田川の流路付け替えによって社地内が掘割となったため、東南方に移転した[6]。

三代将軍徳川家光はこの神社を崇敬したため、参勤交代などで登城する大名は必ず参拝し心身を清めたことから「清めの稲荷」とも称されている[1][7]。1659年(万治2年)、神田川改修に携わった伊達家の家臣、原田甲斐が工事の成功を願って名刀を奉納したという社伝が残る[4][5]。

三崎町という町名は、1872年(明治5年)につけられている[8]。その由来は、この神社にあると推定される[8]。三崎という名は「岬」からきたものといわれる[8]。それは、かつてこの地域が海沿いだったため、岬の部分に神社を勧請したものという[8]。同年11月には、村社に列せられている[5]。

当初の社殿は神田川南岸の土手上に鎮座し、『江戸名所図会』にも取り上げられていた[4]。現在の地に移ったのは1905年(明治38年)のことで、甲武鉄道を万世橋まで延長したためであった[4][6]。

その後関東大震災、昭和期の太平洋戦争によって、本殿を残して建造物はすべて焼失した[6]。現存の社殿は、1963年(昭和38年)に復興造営したものである[6]。

三崎稲荷神社は、家光や大名たちの故事によって旅行安全の利益があるとされる[9][10]。かつて白瀬矗は南極探検に出発する際、この神社のお守りを携帯していた[10]。そして探検出発前に大隈重信邸で開かれた決起集会のときには、重信の妻が隊員たちの無事を祈り、真綿のチョッキに三崎稲荷神社のお守りを縫い付けて全員に渡したと伝わる[10]。「お砂守り」は、現在でも旅の安全のために神社で授かる人々がいる[10]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B4%8E%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE



三崎稲荷神社

土曜日、水道橋ウインズに行く前に参拝。水道橋駅から直ぐなのに、行ったことなかったんですよね。灯台下暗しというか。

三崎稲荷

三崎稲荷 (3)

三崎稲荷 (2)

今年初めての競馬。結果は…惨敗(泣)。真面目に生きろということでしょうか、神様。

白髭神社(墨田区立花)

白髭神社

東京都墨田区立花6丁目19-17

旧葛西川村の鎮守として、天和2年(1682)に創建されたと言われていますが、文安元年(1444)創建という伝えもあってはっきりしません。 祭神は猿田彦命で、俗に葛西川の白髭神社と呼ばれていました。
本殿横に移された鳥居は三囲神社の二基に次ぐ古さです。

以上墨田区観光協会ホームページより。 https://visit-sumida.jp/spot/6128



白髭神社(立花)

白髭

白髭 (3)

白髭 (6)

白髭 (5)

白髭神社の祭神は猿田彦大神。学生時代に鎌田東二教授の授業で出てきましたね。当時は全然話聞いてなかったですけど。神社巡りを開始してから偉大な先生だったと気づきました。もっと熱心に授業聞いてればよかった…。

何はともあれ良縁祈願をする。頼む!!この通り!!

白髭 (8)

ネコかわいいよネコ。

金刀比羅宮

金刀比羅宮

香川県仲多度郡琴平町892-1

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する単立神社である。明治初年の神仏分離以前は金毘羅大権現と称され、以降は、「さぬきのこんぴらさん」の呼び名で知られる。

真言宗象頭山松尾寺の堂宇の一つとして神仏習合の金毘羅大権現を祀り、その別当として寺中の金光院が奉斎した。金毘羅大権現は隆盛し、本堂本尊十一面観音を凌駕し、後発の寺中であった金光院が全山を支配することとなる。目にあたる部分に寺院があり山容が象の頭に見えることから、また、釈迦が千人の弟子に説法をしたと云われるインドの伽耶山も象頭山と呼ばれ山容が似ていることから当山は象頭山と呼ばれた。明治初年に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、金毘羅権現の奉斎は廃止とし大物主を主祭神とする神社となり、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった[3]。全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である[4]。

当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E5%AE%AE



金刀比羅宮

こんぴら (2)
流石こんぴらさん。繁盛してますな。

こんぴら (3)

こんぴら (5)

こんぴら (7)

こんぴら (9)

こんぴら (14)

名馬トウカイスタント。

こんぴら (13)

こんぴら (19)

こんぴら (20)

こんぴら (24)

こんぴら (25)

こんぴら (26)

こんぴら (30)

こんぴら (34)

一円玉を表面張力で水に浮かせる。成功しました。

うどん (2)

うどん (3)

昼食のうどん。肉ぶっかけと家族うどん。

家族うどん、分量を見誤りました。うどん2.5人前ほど食すはめに。美味。

お松大権現

お松大権現

徳島県阿南市加茂町不け64−1
お松大権現

こちら、日本三大化け猫の一つとのこと。詳しくはググってください。

お松大権現
場所が市街地から離れているのに、参拝客が多い!驚きました。

お松大権現 (3)

お松大権現 (8)

お松大権現 (4)

お松大権現 (9)

お松大権現 (9)
どこもかしこもネコ。

お松大権現 (5)

お松大権現 (7)

なかなか面白い神社でした。もっと人が少ない時期に再訪したいものです。

葛城神社

葛城神社

徳島県鳴門市北灘町粟田字池谷2

葛城神社

今年の初神社は葛城神社です。

葛城神社
過去に一度参拝していたのですが、宮司不在だったのでこのたび再訪。御朱印もいただけてよかった。

葛城神社 (10)

葛城神社 (3)

葛城神社 (2)

葛城神社 (5)

葛城神社 (4)

葛城神社 (8)

葛城神社 (9)

葛城神社 (6)
こちらの神社、目の神様として有名とのこと。道が狭いけど、参拝客が多くて苦労しました。