2013年12月

牛天神北野神社

牛天神北野神社

東京都文京区春日1丁目5−2

願いが叶う「撫で岩(ねがい牛)」発祥の神社
鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。以来、境内にある牛の形をした岩(境内のご案内:「ねがい牛」)を撫でると願いが叶うといいます。

ご祭神
学問の神様として有名な天神様「菅原道真」公をお祀りしています。

牛天神北野神社「黒牛」の由来
当社は一一八四年(元暦げんりゃく元年)源頼朝により創建されました。

牛に乗った菅原道真公の御神託により牛を守護神として讃え牛天神社として八百三十二年の間、此の地をお護りしてまいりました。以来、様々な時代の様々な人々に護られて今日に至っております。

黒牛は道真公の守護神として多くの天神社に祀られています。

御朱印に押印する黒牛は当神社のシンボルであります願い牛をモチーフにしたものです。

以上ホームページより。 http://ushitenjin.jp/



牛天神北野神社

太田神社
摂社の太田神社の御朱印もいただきました。宮司さんがいらっしゃるときは対応いただけるそうです。

牛天神北野

牛天神北野 (2)

牛天神北野 (10)
天満宮なので、受験生達の悲痛な絵馬たちがたくさん奉納されています。勉強頑張るんや!!

牛天神北野 (11)

牛天神北野 (6)

牛天神北野 (7)
これがねがい牛だそう。撫でる。撫でる。

牛天神北野 (8)

牛天神北野 (9)
牛。撫でる。

牛天神北野 (4)
摂社の太田神社、高木神社。

牛天神北野 (5)

いろんな神社参拝しましたけど、なんやかんやで天神さまが一番好きかもしれない。受験生の思いも伝わるし、牛も撫でられるし、梅もきれいだし。


御朱印ランキング参加しました!クリックよろしくお願いします!
にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

大國神社

大國神社

東京都豊島区駒込3丁目2−11

大國神社(だいこくじんじゃ)は、東京都豊島区の神社。

概要
1783年(天明3年)に創建された。神職を務める大島家は下野国都賀郡(現・栃木県下都賀郡)出身で、当社創建直前は武蔵国豊島郡稲付村(現・東京都北区)に住んでいた[1]。

当社の祭神は、大己貴命である。ただ、当社で祀っている神体は、大己貴命(大国主)というよりは、米俵に乗り福袋と打出の小槌を持って微笑む典型的な「大黒様」の姿をしている[2]。

徳川家斉がまだ世子だった頃、鷹狩の帰りに立ち寄って、その後まもなく征夷大将軍に就いたことから、「出世大黒」「日出大黒」と呼ばれるようになった[1]。

当社では数代前の神職より始めた「木彫りの大國像」を甲子の日に授与している[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E5%8C%BA)




大国神社

大国 (3)

大国 (2)

大国 (5)

大国 (6)

大国 (4)

駒込駅目の前の好立地。アクセス良好です。

敷地は広くないですが、きれいな境内です。

菊田神社

菊田神社

千葉県習志野市津田沼3−2−5

菊田神社(きくたじんじゃ)は、千葉県習志野市津田沼(旧津田沼町大字菊田字宮越[1])にある神社。旧社格は村社。神紋は「菊に田の字」。

祭神
大己貴大神
藤原時平命 - 流刑に処されてこの地にたどり着いた藤原師経と藤原師長によって合祀されたと伝わる。

由緒
旧久々田村の産土神で、古くは「久々田大明神」と称された。弘仁年間(810年~824年)頃に創建されたと伝わる。かつては境内地周辺は入り江で、当社は島の上に鎮座していたと言われている。時が経つにつれ入り江が浅瀬となり、やがて浅瀬も埋め立てられ周辺が水田地帯となった[2]。「久々田」(くくだ・くぐた)という地名はかつてこの周辺に生えていた「クゴ」という草から来ていると伝わる[3]。

当社の神主を務める植草氏所蔵の「菊田神社古文書」載録の、慶長2年(1597年)5月に行われた本殿の修復に当たって書き残された棟札の裏書の書写には以下のように記されている。

当社安鎮者往昔何礼乃時尓加有計牟、大己貴命斎祭奈利、其後治承五歳辛丑夏四月、藤原師経卿罪有氐、当国へ左遷時、御船久々田浦尓着給布、御船乃居礼留地名乎円田ト云布、今宮田ト云奈利、後世神ン祝田チカラタト奈留、師経卿波神山尓止リ住給布、今神山ミヤマ明神是也、久々田社者始氐着給布旧跡奈礼波、御先祖藤原時平公乎久々田社乃相殿仁斎鎮賜布、社之形如船、一之碇二之碇止云布旧跡有利、今水神ニ祭留鎮座以来ノ末社也、(以下略)[4]

(当社の安鎮は往昔何れの時にか有りけむ、大己貴命を斎み祭るなり。其の後、治承五歳(辛丑)夏四月、藤原師経卿罪有りて当国へ左遷の時、御船久々田浦に着き給ふ。御船の居れる地名を円田と云ふ。今宮田と云ふなり。後世神祝田となる。師経卿は神山〔=三山〕に止まり住み給ふ。今の神山明神これなり。久々田社は始めて着き給ふ旧跡なれば、御先祖・藤原時平公を久々田社の相殿に斎鎮し賜ふ。社の形船の如し。一之碇・二之碇と云ふ旧跡有り、今水神に祭る鎮座以来の末社なり。)
これによれば、治承5年(1181年)に罪を受けて下総国に流罪となった藤原師経が久々田浦に漂着し、大己貴命を祭神とする当社に祖先の藤原時平を合わせ祀った。後に師経は千葉郡三山郷(現在の二宮神社)に移住したという[5]。境内が船の形をしているのは、師経一族の着船の記念するためであると伝えられている[2][6][注釈 1]。

もう一つの伝承によれば、師経とその一族郎党が相模国から上総国に渡ろうとして船に乗ったが時化に遭い、姉の乗った船は上総の姉崎(現・市原市)に着いて、いっぽう師経は下総の久々田浦へ流された。鷺沼源太光則という土地の豪族が師経を迎えて、他の一行に無事に到着したことを知らせるために久々田村と鷺沼村の境界にある小丘で烽火をあげた。師経・光則らがかがり火を焚いたと言われる場所は「神之台(かんのだい、かんのんだい)」または「火の口台」と呼ばれ、二宮神社の七年祭りの時に二宮神社と当社の神輿がここに立ち寄るのが恒例となっている[6][10]。

宝暦年間(1751年~1763年)には「菊田大明神」と改称。大正元年(1912年)11月、近隣区内の金刀比羅神社等6社を境内社として合祀。昭和53年(1978年)10月、千葉県神社庁より「顕彰規範神社」に指定された[2]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE



菊田神社

菊田

菊田 (2)

菊田 (5)

菊田 (6)

有馬記念勝利を祈願する。

結果は…オルフェーブル&池添おめでとう!!池添のヒーローインタビュー長かったけど。

私はアドマイアラクティとダノンバラードで撃沈しました。欲が出たな。。

三囲神社

三囲神社

東京都墨田区向島2丁目5−17

三囲神社(みめぐりじんじゃ)は、東京都墨田区向島に在る神社である。祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)。

概要
倉稲魂命(宇迦之御魂神)を祀る。旧村社(現在はかつての小梅村にあたる地区にあるが、旧地は須崎村にあったと推測されている)。元、田中稲荷と称した。創立年代は不詳。伝によれば、近江国三井寺の僧源慶[要曖昧さ回避]が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。

元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。このことからこの神社の名は広まり、松阪の豪商・三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、越後屋の本支店に分霊を奉祀した。

本来は牛嶋神社の隣にあったが、洪水で一度流され、河岸に堤が築かれることになった際に南へ少し移動した[1]。その堤のために、対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。

三井家との関係
三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。理由は、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたため。社域の一角には没後100年を経た三井家当主たちを祀った「顕名霊社」がある。三井グループ各社の総務部によって三囲会が組織されており、年に4回代表が一堂に会し祭典を催している[2]。閉店した池袋三越前にあったライオン像も寄贈されている。 三越各店に分社があるが、なぜか日本橋本店(屋上)ではなく銀座店(9階屋上)に社務所がある(日中のみの対応で諸業務のほかおみくじも引ける)。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE



三囲神社
三井家の守護社なんですね。『囲』が三井の井をかこんで守ってるってことで。

三囲

三囲 (2)

三囲 (3)
閉店した池袋三越のライオンがいます。

三囲 (5)

三囲 (12)

三囲 (11)
キツネとライオンの写るアングルで。

三越って、三井の越後屋の略なんですね。知らなかったです。

白髭神社

白髭神社

東京都墨田区東向島3−5−2

白鬚神社(しらひげじんじゃ)は東京都墨田区東向島にある神社である。隅田川七福神の寿老神(寿老人)としても知られる、旧寺島村の鎮守[2]。向島白鬚(むこうじましらひげ)神社とも呼ばれる。

歴史
951年(天暦5年)、元三大師良源が滋賀白鬚神社を分霊しこの地に祀ったと伝えられる[2]。

蓮花寺(東向島3丁目23-17)を別当とし、白鬚大明神と呼ばれていた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AC%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A2%A8%E7%94%B0%E5%8C%BA)


白髭神社 (2)

白髭 (3)

白髭 (4)

白髭

白髭神社
こちらの神社にはオリジナル御朱印帳があります。緑色もありました。悩んだ末こちらを選択。

無事御朱印帳の繰り越しに成功しました。最近御朱印帳の残りページが少なくなると不安にかられます。

墨田稲荷神社

墨田稲荷神社

東京都墨田区墨田4丁目38-13

隅田稲荷神社(すみだいなりじんじゃ)は東京都墨田区の神社。

概要
天文年間(1532年~1555年)に創建された。この地の開拓者である江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大社から分霊を勧請し創建したものである[2]。

開拓者の名前をとって、この村は「善左衛門村」と呼ばれ、当社は村の鎮守となっていた。元々は別の場所にあったが、大正期の荒川放水路の開削により、現在地に移転した[3]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE



墨田稲荷神社
墨田区って下町って感じですよね。墨田とか八広とか向島とか。この神社もなかなかシブい立地でした。

墨田稲荷 (2)

墨田稲荷

ここで、御朱印帳が残り1ページということに気付く。この近辺で御朱印帳を扱っている神社を必死で探す。

某wikiを参照し、向島の白髭神社へ向かいます。

小村井香取神社

小村井香取神社

東京都墨田区文花2丁目5−8

小村井香取神社
この神社は以前参拝したことがあるのですが、神職不在だったため再訪。

小村井香取

小村井香取 (2)

小村井香取 (3)

小村井香取 (4)

最初社務所不在かと思ったのですが、奥から出てきてくれました。

こちらの神社は梅で有名だそうです。

小村井香取 (5)

小村井香取 (6)

今はこんなかんじですが

s-img002.jpg

こんなかんじになるそうです。

二月下旬あたりに再訪したいですね。

須賀神社

須賀神社

東京都新宿区須賀町5

須賀神社

須賀神社

須賀神社 (3)

須賀神社 (5)

須賀神社 (2)
ヴォルティス勝利を祈願。。

J2.png
この煽り文句すごい好きなんですけど(笑)

ヴォルティス (2)
結果は…2-0の勝利!!やったー!!

ヴォルティス (20)
ヴォルティスJ1昇格おめでとう!!ところでたぬきのキャラクターなんて名前なん?初めて見ましたわ。

櫻田神社

櫻田神社

東京都港区西麻布3丁目2−17

桜田神社

桜田神社

桜田神社 (4)

桜田神社 (3)

六本木ヒルズ
六本木ヒルズでかいなあ。縁のない場所ですけど。

平河天満宮


平河天満宮

東京都千代田区平河町1丁目7−5

平河天満宮

平河天満宮

平河天満宮 (2)

平河天満宮 (3)

平河天満宮 (5)

平河天満宮 (6)

平河天満宮 (7)

平河天満宮 (8)

平河天満宮 (9)

平河 煎餅

煎餅をもらった。ありがとうございます。