2013年06月

瀧尾神社

瀧尾神社

栃木県日光市今市531

瀧尾神社

滝尾風車
風車がいっぱい。

滝尾神社
こちらの神社で日光ツアーは終了。

関東にいないと学生時代の友人と遊びにいったりできないのがさみしいですね。

二荒山神社中宮祠

二荒山神社中宮祠

栃木県日光市中宮祠2484

中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝の地に鎮座する神社であす。男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光市内にある二荒山本社の中間にあるので中宮祠と呼ばれている。

以上、日光市観光協会公式ホームページより。 http://www.nikko-kankou.org/spot/128/



二荒山神社中宮祠

男体山

男体山の御朱印もいただけます。

温泉神社

温泉神社の御朱印もいただけます。

日光二荒山中宮祠朱印帳

オリジナル御朱印帳です。杉でできています。珍しいので購入しました。

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日光二荒山神社

日光二荒山神社

栃木県日光市山内2307

御祭神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)
     ⇒親子3神を祀る
      大己貴命   (おおなむちのみこと)     父
      田心姫命   (たごりひめのみこと)     母
      味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) 子

古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を
神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と
仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。

境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、
御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。

以上、日光二荒山神社ホームページより。 http://www.futarasan.jp/cgi-bin/imgsys/image.cgi?4



日光二荒山神社

こちらでは以下の神社の御朱印も拝受できます。

瀧尾神社

瀧尾神社

北野神社

北野神社

日光大黒殿

日光大国殿

朋友神社

朋友神社

日枝神社

日枝神社

本宮神社

本宮神社

日光二荒山

日光二荒山山門
日光いいですね~。ゼミ合宿の鬼怒川温泉以来ですかね。

日光東照宮

日光東照宮

栃木県日光市山内2301

日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。

 家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
 尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。

以上日光東照宮ホームページより。 http://www.toshogu.jp/yuisho/index.html



日光東照宮

日光東照宮にはオリジナル御朱印帳があります。

日光東照宮御朱印帳

鳴き龍

薬師堂で鳴龍の御朱印もいただきました。厳密には神社の御朱印ではありませんが、友達から「せっかくだしもらっときなよ!」と言われたので拝受。薬師如来=神君家康公だし、まあ、いいかな。

東照宮 (6)

陽明門 (2)

二荒山神社

二荒山神社

栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1-1

二荒山神社は大変歴史が古く、第10代崇神天皇の御代にさかのぼることができる神社です。
当社は何度も火災にあい、近年に入ってからも天正13年、安永2年、天保3年、
更に明治維新の戊辰の役と4度もあって古い史料のほとんどが消失しています。
現在残っている社記には、第16代仁徳天皇の御代(今から約1600年前)に
毛野國が上下の二国に別けられ、御祭神豊城入彦命の4世孫奈良別王(ならわけのきみ)が
下毛野國の国造に任ぜられます。この時祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祭神として
祀ったのが始まりで、その後承和5年(838)に現在の地臼ヶ峰に遷されたと伝えられています。
延長5年(927)に政治のよりどころとして完成した延喜式・神名帳には東山道街道筋として
 下野國河内郡一座 大 二荒山神社 名神大
とあります。栃木県内には由緒ある神社が11社記されていますが名神大社は当社のみで
代々城主が社務職を兼ね「宇都宮大明神」と称し、郷土の祖神・総氏神さまとして篤い信仰を受け
下野國一之宮といわれておりました。

以上、宇都宮二荒山神社ホームページより。 http://futaarayamajinja.jp/about/



宇都宮二荒山神社

宇都宮二荒山 (3)
サークルの先輩、同期、後輩と神社巡りに来ました。

後輩が車を出してくれたので楽々宇都宮に到着。

宇都宮二荒山 (5)

宇都宮二荒山 (2)
唐突に雨が降ってきました。天気が不安です。

参拝後、餃子を食す。美味。

日光へと向かいます。

氷川女体神社

氷川女体神社

埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1

社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。

『大日本地名辞書』では『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。

江戸時代には、幕府より社領50石が寄進された。

近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである(後述)。また、江戸時代に橘三喜がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、それらのことから現在は、氷川神社と共に「全国一の宮会」に加盟している。

『江戸名所図会』には「元簸河神社」と記されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E4%BD%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE



女体氷川神社

女体氷川

女体氷川 (2)
東北旅行(弘前→水沢→一関→平泉→仙台)の後、大宮で下車して参拝。駅から遠くて、帰り泣きそうになりました。

一宮巡りの道のりは険しい。

榴岡天満宮

榴岡天満宮

宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡23

仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に鎮座する榴岡天満宮は、平安時代の天延二年(九七四)に山城国(現在の京都府)に御創建された。その後、平将春が陸奥国宇多郡(現在の福島県)に勧請し、次に宮城県柴田郡川内村に御遷座したのが始まりで、天文二十年(一五五一)に小俵玉手崎(仙台市青葉区の仙台東照宮の地)に三度目の御遷座が行われた。後に、藩祖伊達政宗公が仙台城を造営するとき、当宮の社木(境内地にあった樹木)を用財として切り取った為、その報賽に慶長十六年(一六一一)に新たに丹塗りの御社殿を造営したが、慶安三年(一六五〇)徳川幕府の命令による仙台東照宮建立に際し、その境内地東側に御遷座がなされた。

そして、寛文七年(一六六七)七月二十五日に三代藩主伊達綱宗公の意思により、丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、現在の鎮座地である榴ヶ岡に御遷座が行われ、杜の都の天神さまとして現在も広く崇敬されている。

御社殿は総欅造り、照星閣とも呼ばれ、明治九年(一八七六)の明治天皇御巡幸の際に、明治天皇が御参拝された御宮である。

また仙台城構築の際、有力な築城の候補地とされ、元禄二年(一六八九)五月七日には当宮に松尾芭蕉が参拝し、「ここ玉田よこ野つつじが岡はあせび咲くころ也ここに天神の御社など拝て其日はくれぬ」(奥の細道)という句を遺していることからも、当時の天神信仰が盛んだったことを示している。

寛政七年(一七九五)二月二十五日に落雷による不慮の火災が発生し、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失した。非常に残念なことではあったが、道真公が高天原より降神なされたのでは、という歴史的ロマンをくすぐる唯一の天満宮と言われている。(現在の御社殿はその頃の再建)

平成二十三年三月十一日に発災した東日本大震災により被災し、御社殿の損傷が激しかったため修復工事を行った。二年半以上もの歳月をかけて修復工事が終了し、平成二十五年十一月二十四日に本殿遷座祭を斎行し、仮殿に仮鎮座されていた御神体を本殿に御遷座し、翌日には本殿遷座奉祝大祭を斎行し、本殿での祭祀が再開された。

平成二十七年三月十日、芭蕉が訪れた当時の趣を残していることから「つゝじが岡及び天神の御社」として、国の名勝『おくのほそ道の風景地』に指定された。

平成二十八年四月二十五日、「政宗が育んだ伊達な文化」のひとつとして、文化庁が認定する『日本遺産』に登録された。

平成二十九年七月二十五日に榴ヶ岡の地に御遷座なされてより三百五十年を迎える。平成二十九年は「御鎮座三百五十年奉祝」の年として様々な祭典や催しを行う予定である。

以上、榴岡天満宮ホームページより。 http://www.tsutsujigaokatenmangu.jp/about.html



榴岡天満宮
御朱印が達筆で2ページに渡り、かっこいい!!『東風吹かば~』の句が渋い。

榴ヶ岡天満宮
仙台で最後に参拝したのがこちらの神社。仙台東照宮と悩んだ結果、こちらを選択。


榴ヶ岡天満宮 (4)
撫で牛。

榴ヶ岡天満宮 (3)
本殿改修中のようですね。震災の影響ですね。

大崎八幡宮

大崎八幡宮

宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1

御 由 緒
平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。

大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。

この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬しておりました成島八幡宮と共に祀られました。 社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えております。

藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称しておりましたが、御遷座四百年を間近に控えその歴史的経緯を考慮し、平成九年六月、社名を大崎八幡宮に復し、現在に至っております。

尚、当社殿は安土桃山時代の我が国唯一の遺構として国宝建造物に指定されております。

以上、大崎八幡宮ホームページより。 http://www.oosaki-hachiman.or.jp/origin/index.html



大崎八幡宮

大崎八幡宮
大崎と言えば信長の野望の弱小大崎氏を思い出します。伊達のエサやね。

大崎八幡宮 (2)

大崎八幡
立派な神社でした。流石国宝。

櫻岡大神宮

櫻岡大神宮

宮城県仙台市青葉区桜ケ岡公園1-1

仙台藩祖伊達政宗公、元和七年(1621)に伊勢神宮よりご分霊を勧請し、宮城郡荒巻に祀り神明宮と称し伊勢堂山と号した。
伊達綱村公、天和二年(1683)に伊勢堂山の規模を拡張及び社殿を改築し、社領二十貫文の地を加美郡四竈村に於いて寄進され更に祭祀料玄米五石、小豆一石一斗を寄せ、惣頭一名、足軽四十人、人夫十人を派して祭典を執行し、神事を衛守せしめ、殊に奉行職をもって代拝とし広く人々に参拝せしめ、累代の藩主継嗣の折りに参拝することを例とし、大小の造営は悉く公費をもって修築なされるなど 伊達家累代崇敬の社であった。
明治維新の神仏分離令により神宮寺を廃止して伊勢堂山より明治五年(1872)、近く広瀬川の清流に臨み、前面に青葉山や亀岡を望む景勝の地(西公園内)にご遷座、大正十五年十月十七日(1926)、現在の場所に社地を変更し、社殿を造営遷座現在に至る

以上、櫻岡大神宮ホームページより。 http://www.hat.hi-ho.ne.jp/sakuragaoka/



櫻岡大神宮

桜岡大神宮
東北旅行(弘前→水沢→一関→平泉→仙台)の最終日。アパホテルの風呂で疲れを癒した後、仙台市内の神社巡りを決行しました。

朝イチでこちらの神社に伺いましたが、社務所は留守。仙台大神宮に先に参拝して戻ってきたら、宮司さんがいらっしゃって御朱印をいただけました。

桜岡大神宮 (2)

仙台大神宮

仙台大神宮

宮城県仙台市青葉区片平1丁目3-6

由緒
当大神宮は申すまでもなく伊勢神宮を本宗と仰ぎ分祀された由緒ある神宮である。伊勢神宮は、内外宮を併せ奉り神宮と申し上げ宮内におかれては代々御祖神と仰ぎ奉り我が日本国民敬神崇祖の魂の拠所として諸神社に冠絶する地位にあり全神社の最高最貴の宗祀として遍く人々の信仰を集めて居り其の神宮にては明治維新に際し大教宣布の政府方針に呼応し明治4年、伊勢に神宮教院が開設され、神宮の御神徳の発揚惟神の大道の宣布の運動が行われ全国を三十一教区に区分し、枢要の地に本部を配置した。その第4教区宮城本部設営に当たり伊勢神宮称宜国文学者久米幹文が御分霊を奉持し仙台にきたり、青葉城に対峙し広瀬川を望めるかの有名な寛文事件(伊達騒動)で功労のありし家老茂庭周防邸であり又現在の仙台地名の起源である千体仏(千体より仙台となる)を信奉しれる伊達政宗公が築城開府の折遷せし片平丁の現在地に御遷座、神宮教奥羽教会所を設立したのに始まる。降りて明治32年神宮奉斎会が新設され、ここに神宮奉斎会宮城本部と改称される。日本全国における神前結婚式の創設は奉斎会からである。即ち宮中婚約令16条を以て時の皇太子(後の大正天皇)は九条道孝公爵御息女節子姫と明治33年5月10日御成婚の儀を執行われたのに始まる。当大神宮も県内の神前結婚式の草分けとして厳粛に多くの夫婦を結びし婚儀の宮である。昭和21年終戦を迎え米国占領軍の所神道指令に依り宮城本部の解散と名称の変更を余儀なくされ同年4月16日宗教法人令に基づき宗教法人仙台大神宮を設立し連綿として伊勢の、神々を御祭神と奉じ幾多の変遷を重ねつつ宮城のお伊勢様として宏大無辺の御神徳、尊崇を集め御光を仰ぎ、地鎮祭、竣工祭等、諸祭典執行の由緒深き神宮として現在に至。

以上宮城県神社庁ホームページより。 http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010001



仙台大神宮


仙台大神宮

仙台大神宮 (2)

仙台大神宮 (3)

仙台大神宮 (4)

早朝でしたが、対応いただきありがとうございました。