2013年01月

香取神宮

香取神宮

千葉県香取市香取1697-1

千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する。日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、全国でも有数の古社である。

古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。

文化財としては、中国唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が国宝に指定されている。建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の重要文化財に指定されており、その他にも多くの文化財を現代に伝えている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%8F%96%E7%A5%9E%E5%AE%AE



香取神宮


鹿島神宮の帰りに参拝。駅から徒歩30分…めっちゃ遠い。。

鹿島神宮

鹿島神宮

茨城県鹿嶋市宮中2306の1

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。

鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。

現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。

鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます。

以上鹿島神宮ホームページより。 http://kashimajingu.jp/about/%E5%BE%A1%E7%94%B1%E7%B7%92%E3%83%BB%E5%BE%A1%E7%A5%AD%E7%A5%9E/



鹿島神宮


s-全国一の宮御朱印帳
こちらで、諸国一の宮朱印帳も購入。ここから私の一の宮巡りの旅が始まりました。

八倉比売神社

八倉比売神社

徳島県徳島市国府町矢野531

祭神
八倉比売命 - 天照大神の別名であるとする
歴史
創建の年代は不詳であるが、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。はじめは杉尾山に連なる気延山の山頂にあったが、後に気延山南麓の杉尾山に鎮座した。安永2年(1773年)に書かれた文書には、鎮座から2150年と記されており、逆算すると紀元前378年(孝安天皇15年)となる。

承和8年(841年)に正五位下の神階を授けられ、元暦2年(1185年)に最高位の正一位となった。江戸時代には阿波国を治めた蜂須賀氏が当社を崇敬した。寛保年間(1741年 - 1743年)に杉尾大明神と称し、明治3年(1870年)に現社名に改めた。

社殿裏手には五角形の磐座がある。一説には卑弥呼の墓であるという。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%80%89%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE



八倉比女神社



八倉 鳥居

八倉

上一宮大粟神社

上一宮大粟神社

徳島県名西郡神山町神領字西上角330

祭神
大宜都比売命 (おおげつひめのみこと) - またの名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)あるいは大粟比売命(おおあわひめのみこと)としているが、史料によっては天石門別八倉比売命・大粟比売命は配祀神であるとしている
社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたという。

歴史
『延喜式神名帳』に記載される名神大社「阿波國名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つである。天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。

明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%B8%80%E5%AE%AE%E5%A4%A7%E7%B2%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE



上一宮大粟神社


上一宮大粟 鳥居

上一宮大粟