2012年07月

津峰神社

津峯神社(つのみねじんじゃ)

徳島県阿南市津乃峰町東分343

祭神
賀志波比売命(かしはひめのみこと)を主祭神とし、相殿に大山祇命を祀る。開運延命・病気平瘉・海上安全の神として信仰される。

歴史
社伝では、神亀元年(724年)、神託により、国家鎮護・延命長寿の神として賀志波比賣命を霊山・津峰山の山頂に祀ったのに始まると伝える。延喜式神名帳には「阿波国那賀郡 賀志波比売神社」と記載されている。津峰山には大小の洞窟があり、かつては断食参篭の行場であった。領主蜂須賀家が守護神として崇敬した。

昭和25年、神社本庁の別表神社に加列された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE



津のみね神社


津峯神社 (2)

津峯神社

大変な悪天候の中参拝。

春日神社

春日神社

徳島県徳島市眉山町大滝山1

祭神
武甕槌命、斎主命、天児屋根命、比売神の4柱で、奈良県の春日大社と同じ神々を祀っている。

歴史
大和国春日社領の富田庄(阿波国名東郡入田村(現徳島市入田町)一帯)に勧請された春日祠に起源を有つといい、蜂須賀家政の阿波入部に際して現在の大滝山東麓(眉山町大滝山1)に遷座されたと伝えるが(文化12年(1815年)の『阿波志』)、一説に天正14年(1586年)の家政による徳島城築城と共に、城下の鎮守として名東郡田宮村から迎えられ、同村から共に遷された勝福寺(通称春日寺)[1]を別当寺とするようになったともいう(昭和48年(1973年)の『徳島市史』)。慶長年間(16世紀末から17世紀初)に蜂須賀氏が徳島藩主となって以後、「春日大明神」と称して歴代藩主からの崇敬を受け、祭祀料として毎年供米10石が春日寺充てに寄進されたという。

明治6年(1873年)に現社名に改め、県社に列せられた。境内には眉山湧水群のひとつ春日水がある。周辺には三島神社、諏訪神社がある。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%B8%82)



春日神社

いざなみ神社
こちらの宮司さん、伊射奈美神社も管理しており、そちらの御朱印もいただけました。

春日鳥

春日神社

忌部神社

忌部神社

徳島県徳島市二軒屋町2丁目48

祭神
天日鷲命(あめのひわしのみこと)
阿波忌部氏の祖神で、『古語拾遺』によれば天照大神の岩戸隠れの際に天太玉命に率いられて、榖(かじ)の木を植え、白和幣(しらにきて)(楮の繊維を織ったもの。木綿(ゆう)ともいう)を作った神である。

歴史
『延喜式神名帳』に載せる「阿波国麻殖郡 忌部神社」は名神大社にも列していたが、中世以降、兵火などにより所在が不明となり、近世以降、複数の神社が式内・忌部神社を主張していたため、明治4年(1871年)に暫時「所在地不明」のまま国幣中社に列格し、翌5年に麻植郡山崎村(現 吉野川市山川町)の村社忌部神社を式内忌部神社に決定した。これに対して美馬郡西端山(現 つるぎ町貞光)の五所神社(現 当社境外摂社御所神社)が式内忌部神社を主張し、翌々7年(1874年)に改めて山川町の忌部神社を比定するという太政官布告が出されたものの、その後も論争が続いたため、同14年(1881年)に五所神社を式内忌部神社に変更したが、今度は山崎側が大いに反発し、結局太政官による妥協策として名東郡富田浦町(現 徳島市)に新たな社地を定めるという通達を出し、同18年(1885年)に眉山中腹の現在地を選定、そこに鎮座する郷社金刀比羅神社に仮遷座して五所神社を境外摂社とし、社殿竣工により同25年(1892年)5月15日に現在地に遷座した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE



いんべ神社


院べ神社

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徳島眉山天神社

徳島眉山天神社

徳島県徳島市眉山町天神山1

潮音寺(当神社の北方50m、徳島市西山手町に位置)の鎮守として、瑞巌寺の一顎和尚が、甲斐国(現山梨県)の恵林寺から携えてきた渡唐天神木像をまつったのが起源とされる。文化6年(1809年)に現在の社地に一社を創建。徳島藩主である蜂須賀家を代々保護した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%89%E5%B1%B1%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



眉山天神社

天神社


天神社 (3)

てんじんじゃ

天神社 (2)

諏訪大社 下社

諏訪大社 下社

春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 

諏訪大社春宮

2諏訪大社春宮 


秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 
諏訪大社下社秋宮

諏訪大社秋宮


諏訪大社 上社

諏訪大社 上社

本宮 長野県諏訪市中洲宮山1

御鎮座の年代、起源等の詳細については知るすべもありませんが、我国最古の神社の一つに数えられます。延喜式神名帳には南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃國一之宮として信仰されていたことがわかります。

明治四年に国幣中社に列格、同二十九年に官幣中社、大正五年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和二十三年に諏訪大社と改称致しました。

諏訪の信仰
全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬まわれつつ巾広い信仰を有し、御神徳の数々は枚挙にいとまがありません。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。

神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託や、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝が世上に広まるにつれ、日本の屋根信州諏訪の地へとの参拝者も日と共に繁く、諏訪大明神の御神徳の厚きことが伺われます。

以上、諏訪大社ホームページより。 http://suwataisha.or.jp/suwataisha.html


諏訪大社上社本宮

諏訪大社本宮


前宮 茅野市宮川2030

諏訪大社上社前宮

諏訪大社上社前宮 (2)

諏訪大社、一の宮御朱印帳を入手する前に一度参拝していたので、二度目の参拝となりました。