2012年04月

愛宕神社

愛宕神社

東京都港区愛宕一丁目5番3号

1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇は篤いものでした。
その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。
大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。

以上、愛宕神社ホームページより。 http://www.atago-jinja.com/about/



愛宕神社


出世の石段で有名です。険しい。都会に急に山があります。

烏森神社

烏森神社

東京都港区新橋二丁目15番5号

社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。

江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは《江戸で一二を争うものであった》という(境内案内板における山田將夫宮司の説明、1971年)

新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。当神社の大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。「だし鉄の最高傑作とも言われている」と境内案内チラシにある。

境内に木遣塚あり。また「心願色みくじ」なるものが頒布されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE



烏森神社


鮮やかな御朱印。

熊野神社

熊野神社

東京都港区麻布台2丁目2−14

飯倉熊野神社は、港区麻布台にある熊野神社です。飯倉熊野神社の創建年代は不詳ながら、養老年間(714-724)芝の浜辺に勧請されたものが、後当地へ遷座したといいます。明治21年宮城県塩釜より鹽竈大神を招靈、明治29年稲荷神社を合併したといいます。

熊野神社

十番稲荷神社

十番稲荷神社

東京都港区麻布十番1丁目4−6

十番稲荷神社(じゅうばんいなりじんじゃ)は、もと末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)です。両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられました。

<末広神社由緒>(すえひろじんじゃ)

慶長年間(1596~1615年)に創建され、元禄4年(1691年)には坂下東方雑式に鎮座していましたが、同6年永井伊賀守道敏が寺社奉行の時、坂下町41の社域に遷座されました。往古より境内に多数の柳樹があり、「青柳稲荷」と称されていましたが、後にその中の一樹の枝が繁茂して、扇の形をしていたことから「末広の柳」とよばれるようになり、社名に冠されて末広稲荷と称されました。その後、明治20年4月に末広神社と改称されました。

<竹長稲荷神社由緒>(たけちょういなりじんじゃ)

創建は定かではありませんが、一説には和銅5年(712年)とも、弘仁13年(822年)に慈覚大師の八咫の神鏡を以て武蔵国豊島群竹千代丘(今の鳥居坂上)へ稲荷大神を勧請(※)したとも伝えられています。延喜式内社の稗田神社と目されており、少なくとも10世紀初頭には鎮座していた古社と考えられます。その後、弘安2年(1279年)に鳥羽氏が社殿を再建、そして寛永元年(1624年)3月に永坂町に遷座されました。

※勧請(かんじょう):神様の御分霊を遷し迎え鎮め祀ること

以上、十番稲荷神社ホームページより。 http://www.jubaninari.or.jp/history.html



十番稲荷神社

虎ノ門金比羅宮

虎ノ門金比羅宮

東京都港区虎ノ門1丁目2−7

当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。

以上、虎ノ門金比羅宮ホームページより。 http://www.kotohira.or.jp/history/history.html



虎ノ門金毘羅宮

虎ノ門金比羅宮


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こちらの神社、新橋ウインズに行く前によく参拝します。御利益は…皆さんもご参拝して確認してください笑

芝大神宮

芝大神宮

東京都港区芝大門1−12−7

もともとは、単に「神明」あるいは「神明宮」と称していたが、武蔵国日比谷郷に鎮座していたことから「日比谷神明(日比谷神明宮)」と、また飯倉御厨(後の武蔵国飯倉庄)に鎮座していたことから、「飯倉神明(飯倉神明宮)」と、さらに芝の地に住民が居留して町の様相を呈するに及び「芝神明(芝神明宮)」とも称されるに至った[1]。また別に、伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀ることから、関東における伊勢信仰の中心的な役割を担い、「関東のお伊勢様」とも尊称された。明治維新にあたり、政府の教部省、太政官正院並びに東京府の許可のもと、明治5年8月30日(1872年10月2日)より、現今の神社名である「芝大神宮」を称す。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE



芝大神宮

芝大神宮 (2)

芝大神宮 (1)
三度目の参拝。

芝大神宮 (2)
一度目は普通に参拝。二度目は東京十社めぐりで。三度目は讃岐・小白稲荷神社の御朱印をいただくために。

芝大神宮 (3)

芝大神宮 (4)
御朱印帳ありました。芝東照宮でいただいたばかりだったのでいただきませんでしたが。

芝 猫
ネコ。