2012年03月

讃岐金比羅宮東京分社

讃岐金比羅宮東京分社

東京都文京区本郷1丁目5−11

文政2年、板橋 市左衛門の邸内祠として祀られたのにはじまり、明治13年、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられました。明治23年には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれていました。しかし、昭和20年、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として親しまれています。

以上、讃岐金比羅宮東京分社ホームページより。 http://www.konpira.or.jp/about/branch/tokyo.html 




金比羅宮東京分祀

参拝後、ウインズ後楽園に馬券を買いに行くも、外す…。

葛飾八幡宮

葛飾八幡宮

千葉県市川市八幡4丁目2−1

寛平年間(889年-898年)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられている。下総の国を守護する総鎮守として崇敬されている。武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めた。

八幡宮近くにある八幡の藪知らず(八幡不知森=やわたしらずのもり)でも知られる。

永井荷風、幸田文、幸田露伴、伊藤左千夫、宗左近、大岡信など多くの文化人に拝され、親しまれた神社として知られる。

下総国守護千葉氏、上総氏、安房国の大名里見氏など房総の武士団から敬われた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE



葛飾八幡宮


参拝後、ウインズ行ってきました。まあ、結果は言うまでもない。。

簸川神社

簸川神社

東京都文京区千石2-10-10

孝昭天皇3年(473年)の創建と伝えられる。源義家が祈願をしたとも伝えられる。

もとは当地より南東の水源地(現小石川植物園内)に鎮座していたが、承応年間(1652年~55年)に小石川白山御殿となり、当地へ遷座した。

江戸時代は氷川大明神と称し、別当・宗慶寺を有し、江戸七氷川に数えられた。明治に入ると氷川神社へ改称したが、大正時代に「氷川」は出雲国「簸川」に由来するという説から、簸川へ改めた。

東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失、昭和33年(1958年)に再建されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B0%B8%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA)



簸川神社

千石…中々用事がないところですな。この簸川(ひかわ)って漢字がかっこよくて好き。

湯島天満宮

湯島天満宮

東京都文京区湯島3−30−1

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

以上、湯島天満宮ホームページより。 http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/f_engi.htm



湯島天神

湯島天神


湯島天神、二度目の参拝。

湯島天満宮 (2)

梅まつりで人の数が尋常じゃない。

湯島天満宮 (8)

受験生の悲痛な絵馬の数も尋常じゃない。流石湯島天神。

湯島天満宮 (10)

撫で牛を撫でる。病気治れ!!

湯島天満宮 (14)

梅の写真も撮ってみる。

湯島天満宮 (5)

人多すぎできれいに写真撮れない。

私も受験シーズン、ここのお守りを首から下げてましたね。効果はあったような気がしなくもない。

お守りを握りしめて、PL学園のピッチャーみたいな恰好でセンター試験受験してました。気持ちは上重聡でした。

湯島天神 朱印帳

オリジナル御朱印帳も拝受しました。落ち着いたデザインでいいですね。

小石川大神宮

小石川大神宮

東京都文京区小石川2丁目5−7 佐佐木ビルB棟

第59回式年遷宮に多大な貢献をなし、神宮崇敬者総代となった佐佐木勝造の提唱によって創建された。1966年(昭和41年)3月7日、伊勢神宮より皇大神宮特別神璽を奉戴し、鎮座祭を執り行った。この特別御神璽は、元は海外公民団の申請によってのみ授与されたもので、極めて異例のことであった。そのため、東京における伊勢神宮の遥宮(とうのみや)として位置づけられているという。

社殿へは通り沿いに建つ佐佐木ビルの1階部分にある通路を通り抜けていく形になる。このビルは、小石川大神宮の経済基盤とするべく建てられたものらしく、社務所もビル内にある。

1996年(平成8年)の社殿修復に第六十一回神宮式年遷宮の際の月讀宮の古材を使用した。本殿は南面しているが、入口は西側にあり、拝殿は西面しており、拝殿の向きと本殿の向きがあっていない。このような参拝者が拝む方向に本殿が位置しない神社は古い神社でもたまにみられることであるが、都心での用地収得が難しい中、本殿が南面することを優先した結果このような配置になったのだろう。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE



小石川大神宮

電話したら宮司さん来てくれました。お手数おかけしました。

桜木神社

桜木神社

東京都文京区本郷4丁目3−1

社伝によれば、文明年間(1469年~1487年)太田道灌が江戸城内に創建したのが始まりとされ、その後湯島に移され、元禄4年(1691年)現在地に移転した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA)



桜木神社

バーガー
本郷で先輩とハンバーガーを食べに集合。

混んでますね。

バーガー (2)
なかなかのボリューム。おなかいっぱいに。

桜木神社 (1)
道中で神社を見つけたので参拝。

桜木神社 (2)
ウコッケイ。

桜木神社 (3)

桜木神社 (4)
こちらの神社、御朱印帳もあるようです。

シュラスコ (1)
夜はシュラスコを食べに行きました。

シュラスコって、初めて知りましたが、お肉の食べ放題みたいな感じなんですね。おもしろい。

シュラスコ
しかしすぐに胃が限界に。肉ってそんなにいっぱい食べられないですね。

でも楽しかったです。ご馳走様でした。

根津神社

根津神社

東京都文京区根津1丁目28−9

日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。

現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建である。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(第6代将軍)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営されたものである[2]。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている[2]。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている[2]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE


根津神社


根津神社 (2)

根津神社

根津 御朱印帳
三度目の参拝で御朱印帳入手。二種類ありました。明るいカラーのを選択。

s-根津神社 (2)

s-根津神社 (1)
ネコ

s-根津神社 (4)

s-根津神社 (5)
亀。昔近所の本屋に自転車で向かっていて、路上に40センチぐらいのミドリガメが歩いてて、カゴに入れて持って帰ろうとしたけど重すぎて断念した思い出があります。

そんなん持って帰って当時の自分は何したかったんだろうな。飼うのか。

s-根津神社 (7)

s-根津神社 (8)

s-根津神社 (9)

s-根津神社 (10)
根津神社参拝客多いな!流石東京十社ですわ。

篠崎浅間神社

篠崎浅間神社

東京都江戸川区上篠崎1丁目22−31

当社は天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内でもっとも古い神社である。承平2年(932)に下総国弥山からこの地に移住してきた弥山左那比神人(ややまさなひしんと)が初代宮司として仕えた。 天慶3年(940)、平将門が関東において威をとなえると、平貞盛が乱を鎮めるために派遣された。貞盛は将門が降伏するように祈願し、当社に霧島神社を祀り、金幣(きんぺい)と弓矢を献じて武運を祈った。当社には、村上天皇(946〜967)の御守剣、後花園天皇(1428〜1464)の連歌などの宝物が納められており、平安・鎌倉期より当社の崇敬がことのほか篤かったことがうかがえる。 江戸時代に入ると、江戸や近郷からの参詣者が増え講社も組織されたという。明治時代に入り、江戸川区の神社で唯一郷社になった。以降、明治から昭和にかけても熾仁親王の神額、三條内大臣藤原朝臣の神額、犬養毅元総理の額などが奉納されるなど、多くの篤い崇敬が寄せられた。また現在では隣接して、浅間幼稚園がある。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%B4%8E%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE



篠崎浅間神社


篠崎浅間

篠崎浅間 (2)

篠崎浅間 (4)

篠崎浅間 (5)

篠崎浅間 (7)

氷川神社

氷川神社

東京都練馬区氷川台4丁目47−3

1457年(長禄元年)の創建という。渋川義鏡が古河公方の足利成氏との戦の途上、下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀みに泉を発見し、武運長久を祈ったのに始まるという。もとは、「お浜井戸」(桜台6-32)に鎮座していたが、1477年(文明9年)江古田原の戦いのために焼失。江戸時代の延享年間(1744年 - 1748年)に現在地に移転・再建された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E5%8C%BA%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E5%8F%B0)



氷川神社


氷川

氷川 (2)

江古田浅間神社

江古田浅間神社

練馬区小竹町1-59-2

木花佐久夜姫命を祀る富士信仰の神社である。創立年代は社伝によると承平元年(931年)からとされるが、歴史学的には不詳。『新編武蔵風土記稿』によると「富士浅間社」とされ、別当寺は真言宗豊山派能満寺(旭丘)。境内の歌碑に「果てもなきこの武蔵野の茅原に富士ばかりこそ山は見えけれ」とあり[1]、一名茅原浅間神社(かやはらせんげんじんじゃ)とも呼ばれた。

昔、小竹町と江古田町の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。なお、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E5%8C%BA%E5%B0%8F%E7%AB%B9%E7%94%BA)



江古田浅間神社

江古田

江古田 (3)

江古田 (4)

江古田 (2)