千葉県の御朱印

猿田神社

猿田神社

千葉県銚子市猿田町1677

猿田神社(さるだじんじゃ)は、千葉県銚子市猿田町にある神社。古くから八方除けなどで信仰されている。猿田彦大神・天鈿女命・菊理媛命を主祭神とする。

由緒
社伝によれば、垂仁天皇25年11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に生田神社の摂社になったという。大同2年(807年)に社殿を造営、康平年間(1058年 - 1065年)には源頼義が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられ、足利晴氏は金印を奉納をし当時のものという印が現存する。

永禄9年(1566年)海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間に再建するも天正元年(1573年)に再び焼失、翌天正2年(1574年)に再建し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものである。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進した。

庚申の年(60年ごと)に式年大祭神幸祭がある。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE



猿田神社

猿田神社

猿田神社 (3)

カーナビに従って向かいましたが、中々険しい道でした。森の中。ですがすごい立派な神社。

猿田神社 (7)

地元では有名な神社なんでしょうね。駐車場も広く、社殿もきれい。

猿田神社 (4)

猿田神社 (6)

猿田神社 (5)

ここから家まで帰るのが遠いでんがな。千葉は広いですな。

銚港神社

銚港神社

千葉県銚子市馬場町1-1

銚港神社(ちょうこうじんじゃ)は、千葉県銚子市馬場の円福寺(飯沼観音・坂東三十三箇所第27番札所)に隣接する神社である。社格は旧郷社。
祭神
闇淤加美神・級津彦神・級津姫神
由緒
この神社の創建については不詳であるが、古くは龍蔵権現と呼ばれ、神仏習合により円福寺(飯沼観音)とともに信仰されてきた神社である。神仏分離により、明治初期銚港神社となった。この神社と円福寺の間に古碑があり、慶長年間に近郷に住んでいた「早器居士」の墓と呼ばれていた[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%9A%E6%B8%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE



銚港神社

ジジ


平日に休暇をいただいたが、遊んでくれる友達もおらず途方に暮れた結果、銚子港へ寿司を食べに行くことにした。天気が悪そうだったのでレンタカーを借りた。ドライブですがな。

黒猫のジジ。でも私は魔女のキキではない。おっさんです。

銚港神社

銚港神社 (3)

銚港神社 (2)

銚港神社 (4)

ネコ (1)
ネコ。目つきが悪い。

寿司 (3)
せっかく海の見える街(漁村)にきたからお寿司を食べるよ!ぐ○なびとかはあてにせず飛び込むよ!

寿司
おまかせ握り!

寿司 (2)
美味しかったです。流石日本有数の漁獲高を誇る銚子港。

松戸神社

松戸神社

千葉県松戸市松戸1457

松戸神社(まつどじんじゃ)は、千葉県松戸市松戸1457番地にある神社である。寛永3年(1626年)の創建とされ、松戸市の総鎮守とされている。神紋は左三つ巴。旧社格は村社。

由緒 来歴

坂川に架かる潜龍橋
社殿は寛永3年(1626年)の創建[2]とされ、神仏習合思想の影響で『御嶽大権現』と称していた[3]。

景行天皇40年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が武蔵国へ向かう際に、当地に陣営を設けて従将の吉備武彦(きびたけひこ)連と大伴武日(おおとものたけひ)連の方々と待ち合わせをしたため、待つ郷(まつさと)、待土(まつど)と呼ばれ、『松戸』の地名が生まれたと云われている[2]。

慶長14年(1609年)、水戸城に水戸徳川家が封ぜられると、江戸と水戸とを往来する水戸街道が整備され、松戸宿が宿場町として賑わった。境内地の近隣には陣屋も置かれていたため、水戸徳川家より篤い崇拝を受けた。この地を徳川光圀が鷹狩に訪れた際、御神木である大銀杏に止まっている白鳥へ鷹を放とうとするも鷹は微動だにしない。憤慨した光圀が矢を放とうとしたところ、弓矢が中央から折れてしまい、光圀は折れた弓矢を奉納して神前に鎮謝した[4]とする伝承が残る。

水戸徳川家所縁の品々も多数奉納されたと伝わるが、元文4年(1739年)の松戸宿の大火にて社殿及び奉納品も焼失する[2]。

1882年(明治15年)、社号を『松戸神社』へと改称して有栖川宮幟仁親王より社号の書を授かる[5]。2006年(平成18年)には三笠宮崇仁親王が参拝し、高野槙を植樹した。

2009年(平成21年)12月、宇宙飛行士の山崎直子が宇宙飛行の安全祈願のために参拝した。2010年(平成22年)4月5日、前年10月18日に行われた『松戸神社神幸祭』のためにつくられた『四神お守り』を携えてスペースシャトル『ディスカバリー号』に搭乗し、ケネディ宇宙センターから国際宇宙ステーションへ飛び立った。帰還後の同年5月に松戸を訪れ、供に宇宙へ行った『四神お守り』を同神社へ返納し帰還パレードへ参加している。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%88%B8%E7%A5%9E%E7%A4%BE



松戸神社

初松戸市!!

松戸神社 (2)

松戸神社 (3)

松戸神社 (4)

松戸神社
松戸神社 (5)

松戸神社 (6)

松戸神社 (7)

千葉の神社も行かないとな~。案外ウチからは遠くないし。

白幡天神社

白幡天神社

千葉県市川市菅野1丁目15−2

白幡天神社(しらはたてんじんしゃ、しらはたてんじんじゃ)は千葉県市川市菅野にある神社。

歴史
1180年(治承4年)、源頼朝が安房国に旗揚げしたとき、菅野の地に白旗を揚げたことから白幡宮と名付けられたと伝えられる[1]。その後、1584年(天正12年)正親町天皇の代に本殿再建の記録がある[2]。1871年(明治4年)に菅原道真を合祀してから、社名に「天」の字が加えられ、白幡天神社と呼ばれている[1][3]。現在の本殿は、1880年(明治13年)に造営され、拝殿・幣殿は1961年(昭和36年)に造営された[2]。(なお、太田道灌が社殿を造営したとの説もある[4]。)

祭神は、武内宿禰、菅原道真である[2]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B9%A1%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



白幡天神社

白幡天神社 (2)

白幡天神社 (3)

白幡天神社 (4)

天満宮おなじみ、受験生の絵馬。でもここはあんまり悲痛な感じはない。武内宿禰が主祭神だからかな。

白幡天神社

白幡天神社 (5)

白幡天神社 (6)

松戸神社 (8)

松戸神社 (9)

ネコ。

菊田神社

菊田神社

千葉県習志野市津田沼3−2−5

菊田神社(きくたじんじゃ)は、千葉県習志野市津田沼(旧津田沼町大字菊田字宮越[1])にある神社。旧社格は村社。神紋は「菊に田の字」。

祭神
大己貴大神
藤原時平命 - 流刑に処されてこの地にたどり着いた藤原師経と藤原師長によって合祀されたと伝わる。

由緒
旧久々田村の産土神で、古くは「久々田大明神」と称された。弘仁年間(810年~824年)頃に創建されたと伝わる。かつては境内地周辺は入り江で、当社は島の上に鎮座していたと言われている。時が経つにつれ入り江が浅瀬となり、やがて浅瀬も埋め立てられ周辺が水田地帯となった[2]。「久々田」(くくだ・くぐた)という地名はかつてこの周辺に生えていた「クゴ」という草から来ていると伝わる[3]。

当社の神主を務める植草氏所蔵の「菊田神社古文書」載録の、慶長2年(1597年)5月に行われた本殿の修復に当たって書き残された棟札の裏書の書写には以下のように記されている。

当社安鎮者往昔何礼乃時尓加有計牟、大己貴命斎祭奈利、其後治承五歳辛丑夏四月、藤原師経卿罪有氐、当国へ左遷時、御船久々田浦尓着給布、御船乃居礼留地名乎円田ト云布、今宮田ト云奈利、後世神ン祝田チカラタト奈留、師経卿波神山尓止リ住給布、今神山ミヤマ明神是也、久々田社者始氐着給布旧跡奈礼波、御先祖藤原時平公乎久々田社乃相殿仁斎鎮賜布、社之形如船、一之碇二之碇止云布旧跡有利、今水神ニ祭留鎮座以来ノ末社也、(以下略)[4]

(当社の安鎮は往昔何れの時にか有りけむ、大己貴命を斎み祭るなり。其の後、治承五歳(辛丑)夏四月、藤原師経卿罪有りて当国へ左遷の時、御船久々田浦に着き給ふ。御船の居れる地名を円田と云ふ。今宮田と云ふなり。後世神祝田となる。師経卿は神山〔=三山〕に止まり住み給ふ。今の神山明神これなり。久々田社は始めて着き給ふ旧跡なれば、御先祖・藤原時平公を久々田社の相殿に斎鎮し賜ふ。社の形船の如し。一之碇・二之碇と云ふ旧跡有り、今水神に祭る鎮座以来の末社なり。)
これによれば、治承5年(1181年)に罪を受けて下総国に流罪となった藤原師経が久々田浦に漂着し、大己貴命を祭神とする当社に祖先の藤原時平を合わせ祀った。後に師経は千葉郡三山郷(現在の二宮神社)に移住したという[5]。境内が船の形をしているのは、師経一族の着船の記念するためであると伝えられている[2][6][注釈 1]。

もう一つの伝承によれば、師経とその一族郎党が相模国から上総国に渡ろうとして船に乗ったが時化に遭い、姉の乗った船は上総の姉崎(現・市原市)に着いて、いっぽう師経は下総の久々田浦へ流された。鷺沼源太光則という土地の豪族が師経を迎えて、他の一行に無事に到着したことを知らせるために久々田村と鷺沼村の境界にある小丘で烽火をあげた。師経・光則らがかがり火を焚いたと言われる場所は「神之台(かんのだい、かんのんだい)」または「火の口台」と呼ばれ、二宮神社の七年祭りの時に二宮神社と当社の神輿がここに立ち寄るのが恒例となっている[6][10]。

宝暦年間(1751年~1763年)には「菊田大明神」と改称。大正元年(1912年)11月、近隣区内の金刀比羅神社等6社を境内社として合祀。昭和53年(1978年)10月、千葉県神社庁より「顕彰規範神社」に指定された[2]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE



菊田神社

菊田

菊田 (2)

菊田 (5)

菊田 (6)

有馬記念勝利を祈願する。

結果は…オルフェーブル&池添おめでとう!!池添のヒーローインタビュー長かったけど。

私はアドマイアラクティとダノンバラードで撃沈しました。欲が出たな。。