埼玉県の御朱印

埼玉縣護國神社

埼玉縣護國神社

埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3丁目149番地

埼玉縣護國神社(さいたまけんごこくじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区に鎮座する旧指定護国神社である。
祭神
鳥羽・伏見の戦い以後の国事に殉じた埼玉県関係の英霊51,000余柱を祀る。
由緒
昭和以前に神籬を建てて鎮魂慰霊の祭祀を行っていたところ、昭和の初めに招魂社創設の機運が高まったため、同9年(1934年)4月9日に「埼玉県招魂社」として創祀、同14年3月に「埼玉県護國神社」と改称して4月に指定護国神社となった。戦後の昭和21年(1946年)2月に宗教法人となり、同23年10月に崇敬者の総意により一時「埼霊神社」と改称したが、同27年に「埼玉県護國神社」に復した。 また、平成25年10月には特攻勇士の像が建立された。

以上ウィキペディアより。

埼玉県護国神社 朱印
雨で文字がにじんでしまった。

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シルバーウィーク、野暮用で上京しました。さいたまスーパーアリーナでビール祭りがあるとのことで、大宮に向かいます。大都会大宮やで。

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夢ひろがるまち大宮。トトちゃんってだれや。

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ひとまず松屋で栄養を補給する。デジタル一眼で撮る牛丼は美しいな。

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一宮の氷川神社の近くに護国神社も鎮座しております。

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英霊に感謝しましょう。

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国破れて山河なし。

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ビール祭りも楽しかったです。地ビールおいしいね。

調神社

調神社

埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25

「調宮縁起」によると、今からおよそ2,000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建。伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)の初穂を納めた倉庫群の中に造営されたため、貢物搬出入の妨げになる鳥居がないと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、武藏國四十四座のうちの一社と記載されています。
 また、調(つき)の名が、月と同じ読みであるところから、月の動物と云われた兎が神の使いとされ、中世の月待信仰(月のもつ神秘に畏敬をなし、月の出を待って祈る信仰)の広がりと結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようです。今も兎の石像や社殿に飾られた兎の彫物、兎の絵馬など所々に兎が配されています。

以上、公益社団法人さいたま観光国際協会ホームページより。 http://www.stib.jp/info/data/tsuki.html



調神社


こちらの神社にはオリジナル御朱印帳があります。

調神社御朱印帳

調神社には蚊がいないという七不思議?があると聞いたんですが、普通に蚊に刺されました。

調神社 (6)

調神社 (4)

調神社 (2)

三峯神社

三峯神社

埼玉県秩父市三峰298-1

社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える[2]。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。

三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。

中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えた[3]。しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退した。

文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜った[3]。以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた。以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「菖蒲菱(あやめびし)を寺の定紋とした[3]。

江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。

伊奈忠福(伊奈氏はもともと関東郡代の一族だったが家督争いから一旦名跡取り上げとなり、その後秩父郡の小普請となった)の代に、土地山林を寺に寄進し、広く村人に信仰を勧め栄えたが[3]、明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した。明治16年(1883年)に近代社格制度において県社に列した。明治中期には、社務所に600人が泊まれる施設があり、客のための料理や酒も自家製で賄っていたという[4]。大正末期に秩父宮が参拝したことをきっかけに信徒が全国的に増え、講社数が増大した[3]。

昭和14年(1939年)には、麓から参道に沿って三峰ロープウェイが山頂まで敷設された(2007年廃止)。平成16年(2004年)に社殿を修復した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE



三峰神社

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三峰 (13)

三峰 (9)

三峰 (11)

三峰 (3)

三峰 (4)

新宿でレンタカー借りて行きましたが、めちゃ遠かった。。前日飲みすぎて二日酔いだったから、助手席で死にかけてました。。

秩父神社

秩父神社

埼玉県秩父市番場町1-3

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。

元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。その後、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は神社本庁の別表神社となっています。平成26年には御鎮座2100年を迎え、同年12月3日の例祭において天皇陛下より臨時御奉幣を賜り盛大に祭典が執り行われました。

現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財と重要有形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。平成28年には、全国33件の祭からなる「山・鉾・屋台行事」の1つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産に登録されました。

以上、秩父神社ホームページより。 http://www.chichibu-jinja.or.jp/saijin/



秩父神社

オリジナル御朱印帳が紙質が良くて(和紙)欲しかったですが、断念。

秩父 (2)

秩父 (3)

秩父

秩父 (4)

氷川女体神社

氷川女体神社

埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1

社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。

『大日本地名辞書』では『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。

江戸時代には、幕府より社領50石が寄進された。

近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである(後述)。また、江戸時代に橘三喜がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、それらのことから現在は、氷川神社と共に「全国一の宮会」に加盟している。

『江戸名所図会』には「元簸河神社」と記されている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E4%BD%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE



女体氷川神社

女体氷川

女体氷川 (2)
東北旅行(弘前→水沢→一関→平泉→仙台)の後、大宮で下車して参拝。駅から遠くて、帰り泣きそうになりました。

一宮巡りの道のりは険しい。