島根県の御朱印

太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社

島根県鹿足郡津和野町後田409

歴史
安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主亀井矩貞が、藩の領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したのに始まる。以降、歴代藩主の崇敬を受け、廃藩後は庶民も参拝できるようになり、中国地方有数の稲荷神社となった。

近年は「日本五大稲荷」を称している(他の4社は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社・竹駒神社・祐徳稲荷神社)。

1935年(昭和10年)に郷社に列格した。拝殿、本殿は1969年(昭和44年)に建て直された[1]。

社名
津和野城の城山の一角に位置し、江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことから太鼓谷と呼ばれる[4]。「稲成」と表記するのは、願い事が叶うようにとの思いからとされる[4]。 もとより藩主のみ崇敬を許される城内社であったが、ある日城の御蔵番が蔵の鍵を紛失した廉にて切腹の沙汰を申し付けられ、禁を犯して七日七晩願掛けに通ったところ、願い叶って蔵の鍵が見つかり助命されたという故事より、“成”の字を用いるようになったと伝わる[5]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%9A%B7%E8%B0%B7%E7%A8%B2%E6%88%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE



太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社 御朱印帳
オリジナル御朱印帳ありました。品切れしていたので郵送していただきました。

太鼓谷稲成 (1)
石見旅行の最後に立ち寄ったのがこちらの神社。

太鼓谷稲成 (2)
手水舎

太鼓谷稲成 (3)
津和野の町を眺める。

太鼓谷稲成 (4)

太鼓谷稲成 (6)

太鼓谷稲成 (5)
立派な神社です。県内二位の年間参拝客も納得。

参拝後、どっと疲れが出てきたので帰ることにする。萩まで行きたかったけどまた今度や。

インターのカレー
帰りにサービスエリアでカツカレーを食す。

帰るのに6時間くらいかかりました。萩まで行かなくてよかった。


柿本神社

高津柿本神社

島根県益田市上高津町イ2612-1

晩年に国司として石見国に赴任した柿本人麿が、和銅年間に「鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん」の辞世の歌[1]を詠んで益田川河口(旧高津川河口)の鴨島に没したので、神亀年間にその霊を祀るために石見国司が聖武天皇の勅命を受けて鴨島に人丸社を創祀したのに創まるといい、また天平年間には人丸寺も建立したという[2]。

人麿の没年には、慶雲4年(707年)説、和銅2年(709年)説、神亀元年(724年)説などがあって定かではなく、またその終焉伝承地も安来市の仏島など島根県内だけでも各所にあって定説を見ないが、当神社の西方4kmほど離れた益田市戸田町の戸田柿本神社[3]には人麿が柿の木の下で生まれたという樹下誕生譚や遺髪塚があり、当地一帯が柿本氏と縁のあったことが想定できる[4]。ちなみに高津町や戸田町は、古く石見国美濃郡小野郷に相当し、郷名は古代豪族小野氏の移住、開拓に由来するとされるが[5]、柿本氏はその小野氏の支族である。

万寿3年(1026年)の地震とそれに伴う大津波で鴨島とともに海中に没したが、神像は高津の松崎に流れ着いたため、その地に社殿と別当寺としての人丸寺が再建された。その後、後鳥羽天皇の時代には石見国司平隆和によって社殿の改築と水田10町歩の寄進が行われている。

江戸時代に石見銀山奉行の大久保長安による造営と金の灯籠が献納され、更に延宝9年(天和元年とも、1681年)風水難を案じた津和野藩主亀井茲親によって高津城のあった現在地に移築された[6]。同じ頃、都にあっては霊元上皇が古今伝授に際して祈祷を命じたり、後に宸筆の御製歌を奉納したりと和歌の神として崇敬し、享保8年(1723年)、柿本人麿の一千年祭と称して「柿本大明神」の神号と正一位の神階が宣下された。また現地にあっても一千年祭を斎行するとともに、別当人丸寺を真福寺と改称している。以後歴代天皇を始め親王や公卿にあっては特別に法楽を営んで和歌を短冊に認めて奉納、歌道の上達を願う風が流行する一方、津和野藩では享保13年(1728年)に社領13石を寄せ、石見産紙の祖神に位置づけて、藩内第一の神社と崇めた。

慶応元年(1865年)に真福寺を廃して社号を「柿本神社」に改め、近代社格制度では県社に列した。

以上ウィキペディアより。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B4%A5%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE



柿本神社

柿本神社 (3)
柿本神社に来ました。

こちら、あの有名な柿本人麻呂様を祀っているそうです。

柿本神社 (2)
コイ

柿本神社 (1)
落ち葉を焼いているようで煙が出てます。

柿本神社 (4)

柿本神社 (5)

柿本神社 (6)
手すりに詩みたいなの飾ってるのは歌人を祀ってるからですかね

柿本神社 (7)
手水舎

柿本神社 (8)
柿本人麻呂像

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
   長々し夜を ひとりかも寝む


柿本神社 (9)

柿本神社 (10)
ここで気づいたのですが予備として持って来ていた御朱印帳が既に埋まってるやつでした。慌てて旅立ったから気づかなかった。

強行軍過ぎたためかここでどっと疲れが出てきました。出雲からここまで来るのも長いもんなあ。江の川高校で有名な江津市とか通り抜けるのに時間かかるし。ずっと山の中の道ですし。

そろそろ帰路につくことが頭によぎった瞬間でした。

染羽天石勝神社

染羽天石勝神社

島根県益田市染羽町1−60

染羽天石勝神社
書置きをいただきました。

益田の景色
高台から益田の街を眺める。いい景色である。

染羽天石勝神社 (5)
益田東高校の隣にある神社に来ました。『そめばあめのいわかつじんじゃ』って読むんですね。読めません。

染羽天石勝神社
鳥居を潜り抜けないと駐車できない立地。

染羽天石勝神社 (1)
校庭からお祭りのような音が聞こえてきますが、これが石見神楽ってやつかな?

染羽天石勝神社 (2)
手水舎

染羽天石勝神社 (3)

染羽天石勝神社 (4)
お留守でしたが書置きがあってよかった。

濱田護國神社

濱田護國神社

島根県浜田市殿町123-10

濱田護國神社(はまだごこくじんじゃ)は、島根県浜田市の浜田城(亀山城)址にある神社(護国神社)である。

明治維新後の国難に殉じた旧石見国出身の戦没者約2万3千柱を祀る。島根県内には他に松江護國神社がある。

歴史
浜田では、明治39年(1906年)より年2回の浜田招魂祭が行われていた。昭和10年(1935年)に島根県招魂社建設奉賛会が組織され、昭和13年(1938年)に濱田招魂社として創建・鎮座した。翌昭和14年(1939年)、招魂社の制度改革により濱田護國神社となった。第二次大戦後は鎮座地名から亀山神社と称していたが、日本の主権回復後に元の社名に復した。

施設
境内にはラッパ卒木口小平の像、島村抱月の碑などがある。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E7%94%B0%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE



濱田護国神社

濱田護国神社 (2)
細い上り坂を抜けると神社がありました。対向車こなくてよかった。

濱田護国神社 (1)
護国神社なので慰霊碑が並んでますね。

濱田護国神社 (4)
浜田城の跡地だそうです。長州征伐で焼かれたそうな。

濱田護国神社 (6)
手水舎

濱田護国神社 (7)
木口小平像
『シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ』

濱田護国神社 (8)
母の像

松江の護国神社でも見た気がします。護国神社の定番ですな。

濱田護国神社 (9)

濱田護国神社 (10)
本殿がコの字型に配置されてるの珍しいですね。



出雲大社石見分祀

出雲大社石見分祀

島根県浜田市田町108

出雲大社石見分祀

出雲大社石見 (1)
浜田の街で飲み食いしすぎたためか少し寝すぎた。9時半ごろにチェックアウト。

せっかく浜田市まで来たので浜田の神社を参拝します。

出雲大社石見 (2)
手水舎

出雲大社石見 (3)

出雲大社石見 (4)
社務所留守かなーと思いましたが人がいました。観光地ではない神社だと留守のことが多いのでご在宅のときはありがたいですね。