島根県の御朱印

一畑寺

一畑寺

島根県出雲市小境町803

一畑寺(いちばたじ)は、島根県出雲市小境町にある仏教寺院。宗派は臨済宗妙心寺派、及び一畑薬師教団の総本山。山号は醫王山(いおうざん)。通称は一畑薬師。「目のお薬師様」として知られる。

歴史
縁起によれば、寛平6年(894年)、漁師の与市(のち出家して補然と称する)が、海中から引き上げた薬師如来像を本尊とし、医王寺として創建したという。天台宗に属したが、正中2年(1325年)、石雲本竺が臨済宗南禅寺派寺院として再興し、寺号を成徳寺と改めた。

承応2年(1653年)には一畑寺に改名。寛政2年(1790年)、妙心寺派に転属した。

昭和28年(1953年)、宗教法人一畑薬師教団が設立され、一畑寺が総本山となっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E5%AF%BA



一畑寺御朱印

めん家現進

今日は夏休みを消化するためお休み。

職場の後輩も同じく夏休みを取得していたので、ラーメンを食べに行こうと誘われめん家現進へ。

平打ち麺の次郎系ラーメンですね。面の量を100~300グラムで選べますが、健康面を考慮して200グラムを選択。

結果的に200グラムでちょうどよかったですね。隣の席の島根大学生っぽい団体は300グラム頼んでましたけど。

大学生はいっぱい食べるからね、野菜もマシマシで食べるといいと思う。

パフェ

食後は喫茶店に移動。パフェを食す。

男二人で何をやっているのか。

一畑寺 (9)

男二人カフェも終了したので出雲國神仏霊場巡拝を進めることにします。せっかくの休みですしね。

PCXで一畑薬師に来ました。

一畑寺 (10)

到着し途端雨が降ってきた。

なんか松江に来てからPCXで出た日に限って雨天多いな。日本海側だから雨天が多いのか私が不運なのか。

一畑寺 (11)

一畑寺 (12)

雨は小降りになってきた。よかった。

なんか目玉のおやじがいる。

一畑寺 (13)

おやじが欲に転んでいるのか。

一畑寺 (14)

欲に転ばないように気を付けないといけませんね。

一畑寺 (15)

門前には売店が並んでますね。

一畑寺 (16)

目玉のおやじ再び。

一畑寺 (17)

さらに目玉のおやじ。

一畑寺 (18)

一畑寺 (20)

参道を進む。

一畑寺 (21)

いい景色。

一畑寺 (22)

一畑寺 (23)

石段の前に目玉のおやじ。

一畑寺 (24)

三昧?

一畑寺 (25)

三昧ってそういう意味だったんですね。

一畑寺 (26)

石段を上る。

仁王門。

一畑寺 (27)

さらに上る。

一畑寺

一畑寺 (28)

一畑寺 (29)

手水舎

一畑寺 (30)

センサーで水が出ます。

一畑寺 (31)

水木しげる先生っぽい像が。

一畑寺 (32)

こんなエピソードがあったんですね。

水木先生は妖怪だから不死身だと思ってたけど亡くなられたのが残念です。

一畑寺 (33)

一畑寺 (7)

十六羅漢像

一畑寺 (8)

並んでるのを見ると迫力あるな。

一畑寺 (2)

萬堂

一畑寺 (3)

めっちゃ仏様がいるわ。

一畑寺 (4)

圧巻ですな。

一畑寺 (1)

一畑寺 (40)

お稲荷さん。

お金持ちになれますようにと祈る。

あかん、欲に転んでしまう。

一畑寺 (39)

一畑寺 (37)

一畑寺 (38)

一畑の地名の由来が。

薬畑の番号だったんですね。

一畑寺 (34)

観音堂。観音堂があるから中国観音霊場にも含まれてるんですね。薬師如来なのになんで観音霊場なのかなと思っていました。

一畑寺 (35)

薬師如来様に健康祈願しないと。

一畑寺 (36)

びんずるさんを撫でる。頭がよくなるように頭を撫でて、脂肪肝が解消するようにおなかを撫でて、ねん挫した足を撫でて…

病気の個所が多すぎる。

健康管理に気を付けないといけませんね。

鰐淵寺

鰐淵寺

島根県出雲市別所町148

鰐淵寺(がくえんじ)は、島根県出雲市別所町にある天台宗の寺院。山号は浮浪山。中国観音霊場第25番札所、出雲観音霊場第3番札所、出雲國神仏霊場第2番札所。開山は智春上人、本尊は千手観世音菩薩と薬師如来の二体。

歴史
草創と修験行場としての発達
伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。なお、出雲市東林木町(ひがしはやしぎちょう)の万福寺(大寺薬師)も同様に推古天皇2年、智春の開山を伝えている。以上はあくまでも伝承であり、創建の正確な時期や事情は明らかでない。鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。

後白河法皇の『梁塵秘抄』に収録された今様に「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われており、平安時代末期頃には修験行場としても発展し日本全国に知られるようになったものと思われる。

天台宗への帰依
平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、特に比叡山東塔の無動寺谷と関係が深かった。伝承では円仁(慈覚大師)が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。寺に残る経筒には仁平元年から3年(1151 - 1153年)にかけて書写した法華経を「鰐淵山金剛蔵王窟」に安置したとの銘があり、この頃には法華経信仰も行われていたことがわかる。「金剛蔵王窟」とは前述の浮浪の滝の滝壺を指すと思われる。

薬師如来と出雲大社
平安時代末期までの鰐淵寺は現在地のやや西寄りの唐川にあった。これに林木(はやしぎ、現出雲市内)の別の寺院(薬師如来を本尊とする)が吸収された。以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする「北院」と薬師如来を本尊とする「南院」に分かれることになる。

鎌倉時代には守護佐々木氏(塩冶氏)の保護を得て栄えた。また、鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する出雲大社との関係も深まった。稲佐の浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が発生し、これが出雲大社の発展と重なり、古代秩序の崩壊と中世への移行も相まって、神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展し、後に出雲大社の別当寺を務めるまでにその関係は深まった。

弁慶に関する伝承
弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。その後、姫路の書写山圓教寺、比叡山と移り、更に源義経の家来となり義経に従い国内を転戦したが、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した。特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある銅鐘は国の重要文化財に指定されている。

後醍醐天皇と鰐淵寺
南北朝時代には鰐淵寺の北院と南院は、それぞれが北朝・南朝を支持して対立した。元弘2年、後醍醐天皇が隠岐に流された際、南院の頼源大師が御所に伺候し、宸筆の願文(倒幕の所願を遂げたら薬師堂を造営するというもの)を賜った。この願文は現存し、重要文化財に指定されている。頼源は後醍醐の隠岐脱出を助け、南朝に忠誠を尽くした。

南院・北院が和解したのは貞和3年(1347年)のことで、これを機に寺は唐川から別所に移り、北院の千手観音と南院の薬師如来をともに本尊として安置することになった。

毛利氏と鰐淵寺
戦国時代には出雲においても尼子氏と毛利氏の間に激しい戦いが繰り広げられたが、毛利氏による出雲侵攻時には鰐淵寺の和多坊栄芸(わだぼうえげい[1])が一貫して毛利氏を支持し、毛利氏の勝利後鰐淵寺は毛利氏の保護を受けることとなった。今に残る根本堂は、この毛利氏時代に建立された[2]ものである。

勢力の衰退
16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、また祭神が須佐之男命から大国主神に変更されたことから、神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなりその勢力は衰えを見せた。

鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、現在では、根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。弁慶との繋がりから催されるイベントと境内の紅葉が美しく色付くことから、毎秋一時賑わいを取り戻す。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%90%E6%B7%B5%E5%AF%BA



額淵寺御朱印

鰐淵寺 (1)

日曜日はくもりの予報だったので、PCXで平田方面を巡ろうと出発。

なんかまあまあ雨降ってきてずぶ濡れになる。くもりじゃないやん。

ちょっと冷えましたが鰐淵寺に着いた。駐車場から歩かないといけないんやな。

鰐淵寺 (3)

入山料が必要とのこと。お寺って入るのにお金必要なこと多いよね。神社は少ないけど。

鰐淵寺 (2)

弁慶の修行の地なんや。知らんかった。

鰐淵寺 (4)

PCXは駐車場に残し、歩きます。

鰐淵寺 (5)

歩く。

鰐淵寺 (6)

カラーコーンが車両の進入を阻む。

鰐淵寺 (7)

道中にイラストがあります。参拝客が飽きないようにでしょうか。

鰐淵寺 (8)

落石注意。

鰐淵寺 (9)

イラスト

鰐淵寺 (10)

弁慶

鰐淵寺 (11)

イラスト

鰐淵寺 (12)

さらに歩く。

鰐淵寺 (13)

イラスト

鰐淵寺 (14)

濁流。落ちたら死ねる。

鰐淵寺 (15)

八百屋お七がこんなところに。

鰐淵寺 (16)

着いた。そこそこの距離やな。

鰐淵寺 (17)

由緒

鰐淵寺 (18)

鰐淵寺 (19)

入山料を納めて進むと石段。

苔むしてて滑って転びそうでこわい。

鰐淵寺 (20)

石段を上ると苔むした休憩スペースが。

鰐淵寺 (21)

風情を感じる。

鰐淵寺 (22)

そして石段。最初の石段よりは安全やな。

鰐淵寺 (23)

鰐淵寺 (25)

手水舎

鰐淵寺 (26)

苔むしたベンチ。

なんかラピュタを思い出す。人が住まなくなった後の世界。

鰐淵寺 (29)

弁慶のエピソードがある鐘。

鰐淵寺 (30)

鰐淵寺 (27)

神社

鰐淵寺 (24)

鰐淵寺 (28)

鰐淵寺 (31)

足元も悪いしこれ以上の散策は控えて退散。

風風ラーメン (1)

せっかく平田まで来たのでなにかランチを食べようと調べたけど日曜定休の店が多いのね。

帰り道に風風ラーメンを見つけたので入店。

風風ラーメン (2)

バリ黒豚骨チャーシューを注文。美味。

風風ラーメンって北九州が本拠のチェーン店なんですね。徳島県民の私は初めて食べましたわ。

帰りは雨降ってなくてよかった。宍道湖沿いの道を快調にPCXで走れました。

須佐神社

須佐神社

島根県出雲市佐田町須佐730

須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。式内小社で、旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第十八番。

須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀する[注釈 1]。

歴史
『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。

旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。

『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%B8%82)



須佐神社御朱印

須佐神社 (1)

出雲市の地理を覚えようと思い、雨の中アクセラで走り出す。

出雲市佐多町の須佐神社に来ました。結構遠くて驚いた。出雲市広いな。

須佐神社 (2)

道中は土砂降りでしたが到着したら止んでた。よかった。

須佐神社 (3)

細い橋を渡るので不安になりますが、通り抜けると駐車場あります。

須佐神社 (4)

道を挟んで天照社があります。

須佐神社 (5)

スサノオノミコトとは姉弟なので祀られているんでしょうね。

須佐神社 (6)

手水舎

須佐神社 (7)

由緒

須佐神社 (8)

須佐神社 (9)

須佐の七不思議

須佐神社 (10)

塩井。なめてみたけど塩味なのかよくわからなかった。味覚音痴。

須佐神社 (11)

須佐神社 (12)

須佐神社 (14)

須佐神社 (15)

晴れてる日にバイクで来ると気持ちよさそうな立地でした。

すさ音CAFE (2)

須佐神社の駐車場前におしゃれなカフェを発見。

たまにはこういうおしゃれなお店で食事もいいだろう。おなかすいてきたし。

すさ音CAFE (3)

入ろうと思ったらコロナの影響でテイクアウトのみとなっていると。かなしい。

隣の土間?っぽいスペースは広いから使ってもいいとのことでそちらで食べることに。

すさ音CAFE (1)

テイクアウト用のしまね和牛牛すじカレーを食す。美味し。

コロナが早く終息してほしいですね。

味処すさのお

カレーだけだと物足りないのでもう一軒はしご。

味処すさのお。

きじそば

きじそばというメニューが気になり注文。

その名の通り鳥のキジを使っているとのこと。珍しい。

味は美味でした。島根にきてから蕎麦を食べる機会が増えました。ラーメンより体によさそうでいいと思う。

佐太神社

佐太神社

島根県松江市鹿島町佐陀宮内73

佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社。出雲国二宮である。出雲國神仏霊場第四番。

歴史
創建
秋鹿郡佐田大社之記に垂仁54年の創建で、養老元年(717年)に再建されたとある。『出雲国風土記』の記述からもとは神名火山(現:朝日山)のふもとに鎮座していたと考えられる。

社名の変遷
『出雲国風土記』秋鹿郡条に「佐太御子社」と記載されている。延喜式神名帳には「佐陀神社」と記載されている[2]。中世に入ると「佐陀大明神」とか「佐陀大社」、「佐陀三社大明神」などと呼ばれるようになった。明治に入り現在の「佐太神社」に改称した。

神階
日本三代実録より

貞観元年(859年) 従五位下
貞観9年(867年) 従五位上
貞観13年(871年) 従四位下
社領
康元元年(1256年)の『社領注進状』(出雲大社所蔵)によれば280丁と、杵築大社(現:出雲大社)に匹敵するほどの社領を有していたという。宝永3年(1706年)の『佐陀大社勘文』によれば、島根郡と秋鹿郡に7000石の社領と224人の神人を有していたが太閤検地によって大幅に減じられ、堀尾吉晴の時代になって200石まで回復したという。江戸時代に入ると杵築大社とともに出雲国内の神社を管轄しそれらを支配する「触下制度」を確立した。佐陀大社の管轄は島根郡、秋鹿郡、意宇郡の西半分と楯縫郡の神社であった。

近現代
明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、祭神を猿田彦命と明示するように指示された際、神社側は一旦はそれを拒んだが、後に従った。

平成26年、正中殿などの修理が行われており8月に修理見学会が開催された[3][4][5][6]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE



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佐太神社御朱印 (2)

出雲国新仏霊場の巡拝帳も入手。

出雲大社とかは参拝済みですが、再度巡ろうと思います。

佐太神社 (1)

島根県にお引越ししました。

島根県は二度遊びに来ておりますが、しばらく住むことになりそうなので楽しんでいこうと思います。

まだ土地勘がないので有名どころから参拝します。出雲国二宮の佐太神社です。

佐太神社 (2)

駐車場も広くて移住間もない人間にもやさしい。

PCXがまだ届いてないんですよね。

佐太神社 (3)

原発あるんやな。地震こないでくれ。

佐太神社 (4)

佐太大神の説明。

出雲は神話の国ですし、巡礼も楽しそうですね。

佐太神社 (5)

台風が近づいているはずですが天気はすこぶるいい。

佐太神社 (6)

手水舎

佐太神社 (7)

佐太神社 (8)

まずは記念すべき引っ越し後第一社目の参拝でした。

太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社

島根県鹿足郡津和野町後田409

歴史
安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主亀井矩貞が、藩の領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したのに始まる。以降、歴代藩主の崇敬を受け、廃藩後は庶民も参拝できるようになり、中国地方有数の稲荷神社となった。

近年は「日本五大稲荷」を称している(他の4社は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社・竹駒神社・祐徳稲荷神社)。

1935年(昭和10年)に郷社に列格した。拝殿、本殿は1969年(昭和44年)に建て直された[1]。

社名
津和野城の城山の一角に位置し、江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことから太鼓谷と呼ばれる[4]。「稲成」と表記するのは、願い事が叶うようにとの思いからとされる[4]。 もとより藩主のみ崇敬を許される城内社であったが、ある日城の御蔵番が蔵の鍵を紛失した廉にて切腹の沙汰を申し付けられ、禁を犯して七日七晩願掛けに通ったところ、願い叶って蔵の鍵が見つかり助命されたという故事より、“成”の字を用いるようになったと伝わる[5]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%9A%B7%E8%B0%B7%E7%A8%B2%E6%88%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE



太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社 御朱印帳
オリジナル御朱印帳ありました。品切れしていたので郵送していただきました。

太鼓谷稲成 (1)
石見旅行の最後に立ち寄ったのがこちらの神社。

太鼓谷稲成 (2)
手水舎

太鼓谷稲成 (3)
津和野の町を眺める。

太鼓谷稲成 (4)

太鼓谷稲成 (6)

太鼓谷稲成 (5)
立派な神社です。県内二位の年間参拝客も納得。

参拝後、どっと疲れが出てきたので帰ることにする。萩まで行きたかったけどまた今度や。

インターのカレー
帰りにサービスエリアでカツカレーを食す。

帰るのに6時間くらいかかりました。萩まで行かなくてよかった。