佐賀県の御朱印

千栗八幡宮

千栗八幡宮

佐賀県三養基郡みやき町大字白壁千栗2403

千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は、佐賀県三養基郡みやき町にある神社。肥前国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

『鎮西要略』によれば、神亀元年(724年)、当時の肥前国養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受けて千根(ちこん)の栗が生えている地に社を建てて八幡神を祀ったとされる。

『太宰管内志』に引用された『外部局日記』によれば、長保元年(999年)、八幡大菩薩千栗宮から油が湧出し、朝廷に献上された。

承平年間(931年 - 938年)に宇佐八幡宮の別宮となったとみられ、以後その五所別宮の一として崇敬を受けた[1]。

南北朝時代には当宮の西に千栗城が築かれ、戦国時代には神域も度々戦乱に巻き込まれ幾度か社殿も焼失したが、後に領主龍造寺氏、鍋島氏によって社殿の再興、社領の寄進が行われた。

平安時代後期より肥前国一宮を称してきたが、近世になって式内社・河上神社(現 與止日女神社)との間で一宮の称が争われた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%A0%97%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE



千栗八幡宮

千栗八幡宮 (2)
筑後川沿いにひた走ると発見。久留米市との境目あたりになるんですね。

千栗八幡宮 (1)

千栗八幡宮 (3)

千栗八幡宮 (4)
次は久留米市に向かいます。

與止日女神社

與止日女神社

佐賀県佐賀市大和町大字川上1−1

與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。

「淀姫神社」とも書き、別称として「河上神社」、通称として「淀姫さん」とも呼ばれている。

創建
『肥前国風土記』逸文(神名帳頭注)によれば、欽明天皇25年(564年?)11月1日に與止姫の神が鎮座したという。

同書に収録された川にまつわる説話から、水神信仰として成立したものと見られている[3]。

概史
延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した。弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた。

平安時代には、肥前国では田島坐神社(現 田島神社)が安全航海の神として崇敬され、神階も当社より上で『神名帳』では肥前国唯一の大社に列していた。しかしながら遣唐使の廃止もあってその地位は低下し、代わって中世以降は国衙に近い当社の地位が高まり、肥前国一宮として崇敬されたという[2]。ただし、後述のように千栗八幡宮も一宮を称している。

弘安の役(1281年)では與止日女大神の神霊が敵の船を摧いたと伝えられる。

慶長7年(1602年)に後陽成天皇が「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」と書いた勅額を下した。すなわち当社が肥前国一宮であるとするものであるが、千栗八幡宮も肥前国一宮とされていたことから、両社の間で60年にわたる紛争が起こった。

明治4年(1871年)には近代社格制度において県社に列した。国幣社への昇格も進められていたが、第二次世界大戦の終結により実現しなかった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%87%E6%AD%A2%E6%97%A5%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE



興止日女神社

興止日女神社 (1)
東横インを出て、早速神社巡り開始。

佐賀駅から北に進むと発見。

興止日女神社


興止日女神社 (2)
流石に平日なので参拝客も落ち着いてます。

興止日女神社 (3)

興止日女神社 (4)

興止日女神社 (5)
迷わず神社までこれて幸先いいスタートです。次の神社へ向かいます。