熊本県の御朱印

菊池神社

菊池神社

熊本県菊池市隈府1257

菊池神社(きくちじんじゃ)は、熊本県菊池市に鎮座する神社である。南北朝時代に南朝側で戦った菊池氏の3代を祭る。建武中興十五社のうちの一社である。旧社格は別格官幣社で現在神社本庁の別表神社。

境内に菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物が展示されている。桜の名所としても知られている。

祭神
菊池氏は後醍醐天皇の倒幕戦争に加わり、南北朝時代には九州における南朝の主柱として奮戦した。当時の菊池家当主である菊池武時(第12代)、武重(第13代)、武光(第15代)の父子を主祭神に祀る他、菊池氏の一族26柱を配祀する。

歴史
慶応4年(1868年)に熊本藩から明治新政府の参与に出仕した長岡護美が、菊池氏と加藤清正のために神社を創建する案を建議した。同年7月18日、太政官政府はこの建言を採択し、熊本藩に両者の祭祀を執行するよう命じた[1]。そこで熊本藩は、清正のために熊本城内に錦山神社を建て(現加藤神社)、菊池氏のために菊池城址に菊池神社を建てた。菊池神社の鎮座祭は明治3年(1870年)4月28日に行われ[2]、この時に主祭神を菊池武時とし、武重と武光を配祀神とした[3]。

明治6年(1873年)5月に郷社に列され、8年(1875年)7月には県社に昇格したが、その10月24日に楠木正成を祭る楠社(現湊川神社)が別格官幣社なのに菊池神社が県社では不公平だと白川県が教部省に願い出た。3年後の同11年(1878年)1月10日に名和神社とともに別格官幣社に列した[4]。あわせて、その時まで配祀されていた武重、武士、武光、武政、武朝の5人に加え、菊池氏に従って戦った一族他家の将士も配祀することになった[5]。同年6月3日に、菊池武時が戦死した元弘3年3月13日を太陽暦に換算した5月5日を例祭日に定めた[6]。

大正12年(1923年)に配祀されていた武重と武光を主神に加えた[7]。

昭和26年(1951年)に宗教法人法が公布されたのをうけ、昭和27年(1952年)9月13日に宗教法人菊池神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E5%B8%82)



菊池神社

菊池神社 (1)
阿蘇パノラマラインからすぐに到着。

これくらいわかりやすいと助かりますね。

菊池神社 (2)
菊池神社は、九州の南朝派だった菊池氏を祀った神社です。

菊池武光
武光公。このお方はめっちゃ強かったみたいですね。

菊池神社 (3)
参拝客もいっぱいいます。

菊池神社 (4)
この菊池神社を参拝したことで、建武中興十五社巡りは完了いたしました。やったー!!

南北朝時代に詳しくなれてお勧めなので、みなさんも是非巡ってみてください。

佐賀の晩御飯
菊池市から佐賀に移動し、東横インにチェックイン。お金を使いすぎたので反省して晩御飯は西友です。

500円で映画見放題を見て過ごす。おとなしく就寝するのも悪くないですね。

阿蘇神社

阿蘇神社

熊本県阿蘇郡一の宮町宮地3083-1

阿蘇神社(あそ じんじゃ)は、日本の九州中央部、熊本県阿蘇市にある神社。古くは「阿蘓神社」とも記した(銘板が現存する)。

式内社(名神大社1社、小社1社)、肥後国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である。古代からの有力氏族である阿蘇氏が大宮司を務め、現在も末裔である阿蘇治隆が大宮司を務める。

概要
熊本県北東、阿蘇山の北麓に鎮座する。全国的にも珍しい横参道で、参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置していると言われている[1]。中世の戦国期に肥後中部で勢力を誇示していた阿蘇氏と縁の深い神社である。

歴史
概史
孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、のちに初代阿蘇国造となる速瓶玉命(十一宮)が、両親を祀ったのに始まると伝える。阿蘇神社大宮司を世襲し、この地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。

国史では、「健磐竜命神」および「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記事が見え、健磐竜命神は天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙された。

延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳では、肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。

中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の九州平定の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年(1587年)に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造修が行われた。

明治4年5月14日(1871年7月1日)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社、1914年(大正3年)に官幣大社に昇格した。

2016年(平成28年)4月16日に発生した熊本地震により、楼門と拝殿が全壊、境内の3箇所の神殿も損壊した[6][7]。神社では、国、熊本県、阿蘇市の補助により2016年(平成28年)7月15日から「重要文化財阿蘇神社一の神殿ほか5棟保存修理工事(災害復旧)」として復旧工事を開始[8]。工事期間は2023年(令和5年)12月31日までとなっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE



阿蘇神社

阿蘇神社 (1)
熊本市で遊ぶという選択肢も考えたんですが、本来の目的である神社巡りを優先するために阿蘇に来ました。

阿蘇のあたり、震災の影響で道路とか通れない部分あるんですね。災害には気をつけないといけませんね。

阿蘇神社 (2)
八代で会ったお姉さんは、震災のときに頼りにならなかった夫と離婚を考えていると言っていました。

「被災したときは、その人の本性が出るわ」とのこと。

有事のときこそ助け合わないといけないですが、難しいですね。

阿蘇神社 (3)
自然災害は恐ろしいです。九州は地震は少ないですが、火山活動は活発ですしね。

阿蘇 (1)
次の目的地の菊池市まで、阿蘇パノラマラインで向かいます。快走路です。いい景色。

阿蘇 (2)
阿蘇は一度来たことがあるんですが、そのときも秋だったので、草千里が枯れ果ててました。

春の緑の時期に来たいですね。

阿蘇 (3)

阿蘇 (4)
枯れてる。

阿蘇 (5)
阿蘇、要再訪です。

八代宮

八代宮

熊本県八代市松江城町7-34

八代宮(やつしろぐう)は、熊本県八代市にある神社である。旧社格は官幣中社。

概要
後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、懐良親王歿後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれている。建武中興十五社の一社である。

例祭日の8月3日は、八代宮の創建が太政官によって決定された日である。親王が死んだ日を例祭の日とすべきであったが、その日が不明なため創建決定の日をもってした[1]。創建の日でないのは例祭日を創建に先立って定めたためである。

歴史
明治維新以降、南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こり、懐良親王の墓所のある八代の住民からも、懐良親王と良成親王を祀る神社を創建し、鎌倉宮・井伊谷宮と並ぶ官幣中社にしてほしいという請願が何度かなされた。住民である徳富忠七や八代宮創立発起担当人の村上忠三ら[要出典]は、墓所から遠くない松江城(八代城)の址に神社を建てることを求めた。これを請けて1880年(明治13年)に太政官が熊本県に創立を命じ、懐良親王を祭神とし、良成親王を配祀する神社が八代宮の名で願い通りに造られることとなった[2]。

同地には官有地と民有地があったが、1881年(明治14年)に民有地が神社のために寄付されたため、八代城址は全体が神社の境内になった[3]。また神社の前から市街に通じる道路を開くこととした[4]。建設予算は9463円80銭4厘で、寄付金2642円97銭4厘(寄付金2000円、残りは力役提供を金銭に換算)と官費6820円83銭で拠出した[5]。

またこの年に、宮内省と内務省は霊代(神体)を社殿完成後に新しい鏡で納めることにすることを決めた[6]。社殿が完成してから、明治17年(1884年)4月20日に鎮座祭が行われ、霊代が納められた[7]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%A3%E5%AE%AE



八代宮

八代宮 (1)
本日は八代よりスタート。三が日も過ぎて参拝客の数も落ち着いてきてますね。

八代宮 (2)

八代宮 (3)

八代宮 (4)

八代宮 (5)

八代宮 (6)
学生さんが参拝してますね。部活の勝利か受験祈願か。

これで建武中興十五社も残り一社となりました。あと少しですね。