大分県の御朱印

八幡朝見神社

八幡朝見神社

大分県別府市朝見二丁目15-19

建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建または再建した。当社はそのときに創建されたものと伝えられ、以降大友家の崇敬を受けた。創建の際、神輿の供をして着任した鶴岡八幡宮の神職、福田土佐守源高政が当社の神主となり、以降高政の子孫が奉職し、姓を福田から神(こう)に改めて現在に至る。当初は龍ヶ岡(現在の乙原)に社地があったが、鶴見山の噴火により社地が崩壊したため、正平3年(貞和4年、1348年)に現在地に遷座した。

古代より速見の地に温泉があることは広く知られており、『豊後国風土記』や『万葉集』、『伊予国風土記』逸文などに温泉に関する記述が見られ「朝見」も「熱海」が変化したものともいわれる。速見郡朝見郷の浜脇は大友氏が最初に九州に上陸した地とされており、大友頼泰が日名子太郎左衛門尉清元を温泉奉行とし、朝見川、永石川、流川沿いなどに湧出する温泉が整備されていたが、江戸時代には八幡朝見神社は別府の総鎮守となり門前町の浜脇温泉、そして別府温泉も温泉番付の上位に名を連ねるほどに栄えた。第二次大戦後、別府温泉の鎮守神である温泉神社を合祀した。現在でも4月に行われる別府八湯温泉まつりの中心となっている。  
以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E6%9C%9D%E8%A6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE



八幡朝見神社

温泉神社
温泉神社の御朱印もいただけます。

八幡朝見 御朱印帳
オリジナル御朱印帳あります。

木製のもの等、複数ありましたが着物モチーフでかわいかったこちらをいただきました。

レクサス
地元の友達と温泉旅行に行きます。

レクサスで愛媛を目指す。いかついなあ。

大福
石鎚山サービスエリアで大福を食す。美味い。

伊方の道
伊予インターで下道へ。

海沿いの道をひた走る。

伊方の海
伊方の海。天気いいなあ。太陽が高く感じる。

しらすパーク (1)
ランチに向かう。

しらすパーク (2)
新鮮しらす

しらす食堂
佐田岬の鬼 しらす食堂

しらす定食
しらす定食。美味い。

私は運転しないのでビールを飲む。美味い。

キャッチボール (1)
フェリーまで時間があるので、200円でボールを借りてキャッチボール。

キャッチボール (2)
エラー。

ソフトクリーム
運動すると暑い。オレンジソフトクリームを食す。

フェリー
国道九四フェリーで海を渡る。

70分で九州に着くってすごいよね。

大黒屋
本日のお宿。

大黒屋 (1)
湯煙りが。

大黒屋 (2)
別館に泊まります。

宿の部屋 (1)
畳の部屋。

宿の部屋 (2)
緊縛される男。

地獄蒸し
地獄蒸し。これに食べ物を入れて寝かすと調理できるらしい。

東洋軒 (1)
晩御飯は東洋軒へ。

中華っぽいテーブル!

東洋軒 (2)
開店テーブルにテンションが上がる。

料理も美味でした。

湯煙
翌朝。雨の中入浴しに行く。

鉄輪蒸し湯 (1)
宿の人に勧められた鉄輪蒸し湯へ。草の上で蒸されるそうな。

鉄輪蒸し湯 (2)
一遍上人!

蒸し湯、激せまのサウナみたいでした。デトックス効果はあるような気がする。

オムライス
昼食はレストラン三つ星にて。オムライス美味い。

八幡朝見 (1)
友人に無理を言って神社に立ち寄る。

あいにくの雨やなあ。

八幡朝見 (2)
手水舎。

八幡朝見 (3)
石段。

八幡朝見 (4)
手水舎。

八幡朝見 (6)

八幡朝見 (5)
われわれの後から女子大生っぽい集団が雨の中参拝にきてました。御朱印帳もかわいいし、女子人気高い神社なのか。

この後レクサスにすし詰めになって帰りました。めちゃくちゃ疲れた。セダンに5人はきついわ。

宇佐神宮

宇佐神宮

大分県宇佐市南宇佐亀山2859

宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社。式内社(名神大社3社)、豊前国一宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた[注 1]。

現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。

大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647m)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。

八幡宮の総本社であり古くから皇室の崇敬を受けているほか、称徳天皇時代の宇佐八幡宮神託事件でも知られる。参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE



宇佐神宮

宇佐神宮 (1)
着きましたUSA。みんなご存知USA八幡宮。

宇佐神宮 (2)

宇佐神宮 (3)
参拝客多い。

宇佐神宮 (4)

宇佐神宮 (5)

宇佐神宮 (6)
すごいわ。

宇佐神宮 (8)

宇佐神宮 (9)
緑色の池。

宇佐神宮 (10)
ひたすらにえさを投げる子供がいました。

宇佐神宮 (11)

宇佐神宮 (12)

宇佐神宮 (13)

宇佐神宮 (14)

宇佐神宮 (15)

宇佐神宮 (17)

宇佐神宮 (18)
この後宮崎県に向かい、暗闇のなか延岡に到着して宿を取りました。遠かったです。

柞原八幡宮

柞原八幡宮

大分県大分市上八幡987

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は、大分県大分市にある神社。豊後国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

「いすはら」・「ゆすばる」とも読み、由原八幡宮とも表記する。

鎌倉時代に書かれた社伝には、創建の由来が以下のように記されている。

天長4年(827年)、延暦寺の僧・金亀(こんき)が宇佐八幡に千日間籠り、「天長7年3月3日に八幡神が豊前国に垂迹する」との神託を得た。天長7年7月7日、大分郡賀来郷に白幡が飛び渡った。金亀はこのことを朝廷に奉上し、承和3年(836年)、仁明天皇の命により豊後国司・大江宇久が社殿を造営した。
上記の内容の全てが史実であるかどうかはわからないが、当社が宇佐八幡の豊後国における分祀であるのは間違いなく、宇佐八幡の別宮の一つとして崇敬を受けた。長徳4年(998年)からは宇佐八幡と同様に33年ごとの社殿の造営(式年遷宮)が行われるようになった。

金亀の法統を継ぐ者は宮師(みやし)と呼ばれ、当社の実質的な支配者であった。国府に近いことから特に国司の崇敬を受けた。

中世以降は大友氏ほか歴代の領主の崇敬を受けた。また、豊後国一宮を称するようになり、それ以前から一宮を称していた西寒多神社との間で近世まで論争があった。当社を一宮と称した最初のものは、嘉応3年(1171年)3月の『宮師僧定清(じょうせい)解』にある、「右、大菩薩は、是れ日本鎮守、百王守護の神霊なり、(中略)豊州の中心に垂迹して、当国の一の宮となる」というものである。また、久安元年(1145年)に作成された『宮師僧院清解』という解もその内容が『宮師僧定清解』にほぼ同一の内容であることから、一宮である柞原八幡宮から出された文書であるとみられる。久安年間には当時の国守である源季兼が国衙改革を行ったことが知られており、柞原八幡宮が一宮になったのもこの時期と推定する説もある[1]。

鎌倉時代に守護として関東地方から豊後国に入った大友氏は、同時代末期から南北朝時代にかけて国衙機構およびこれに付随する国衙領や在庁官人を吸収していく過程において、一宮の庇護や祭祀に関する責務も継承したと考えられている[1]。戦国時代には領主・大友義鎮(宗麟)がキリスト教を信仰したことから排撃を受けたが、江戸時代には歴代府内藩主の厚い保護を受けた。

「柞原」の表記が登場したのは、明治になってからとされ、それ以前は由原宮・八幡由原宮・賀来社などと呼ばれていた[1]。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%9E%E5%8E%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE


梼原八幡宮

梼原八幡宮 (2)

梼原八幡宮 (1)
手水舎が人だかり。

梼原八幡宮 (3)

梼原八幡宮 (4)
まあまあ行列が長い。

梼原八幡宮 (6)
大友宗麟さんの太鼓ですって!

梼原八幡宮 (7)
鳴らしてみました。僕は大友家は結構好きなので、なんかうれしいです。

梼原八幡宮 (5)
混んでて時間がかかった。宇佐へ向かいます。

西寒多神社

西寒多神社

大分県大分市寒田1644

西寒多神社(ささむたじんじゃ)は、大分県大分市にある神社。式内社(大社)、豊後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

創建
「大分郡志」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。その後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという[2]。

この伝承から、当社は本宮山を神体山として成立したと見られている[3][2]。

概史
国史の初見は、『日本三代実録』貞観11年(869年)3月22日条の西寒多神に従五位下を授けるという記述である。『延喜式』神名帳では豊後国大分郡に「西寒多神社」と記載され、豊後国では唯一の大社に列した。また、豊後国一宮として崇敬されたという。平安時代後期以降は衰退したが、中世以降は領主の大友氏の崇敬を受けた。

明治4年(1871年)5月14日、近代社格制度において国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%AF%92%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE



西寒多神社

出発
大晦日の22時、世間ではガキの使いとか紅白を見て家族団らんしている時間帯に出発します。

年越しそば
池田のローソンで年越しそばを食べます。たぶん吉野川市山川町あたりで新年を迎えてます。ハッピーニューイヤー。

野外で食べる年越しそばはアホほど寒いです。氷点下です。

行きのフェリー
極寒の中 6時間ほどPCXを走らせ、八幡浜フェリー乗り場に到着。遠すぎ。

2等客室で仮眠。

マック
無事に臼杵に上陸したので、北上して大分市へ。新年一発目のマックです。今年もジャンクにいきたいです。

西寒多神社 (1)
正月ですし、お店も出ててにぎわってますね。

西寒多神社 (2)

西寒多神社 (3)

西寒多神社 (4)

西寒多神社 (5)
手水舎も人だかり。

西寒多神社 (6)

西寒多神社 (7)
流石元日の一宮。混雑してますわ。