福井県の御朱印

柴田神社

柴田神社

福井県福井市中央1丁目21-17

柴田神社(しばたじんじゃ)は、福井県福井市にある神社である。戦国時代の武将・柴田勝家を主祭神とし、妻の市を配祀する。境内には、市の三人の娘を祀る三姉妹神社がある。

鎮座地は勝家の居城であった北ノ庄城の本丸跡地と伝えられており、作られた時代は不明であるが勝家・市を祀る石祠があり、北ノ庄城の跡に築かれた福井城内の神祠として保護されてきた。
明治23年(1890年)、旧福井藩主松平春嶽、旧藩士、住民らの発意により小祠のある場所に神社が作られ、「柴田神社」とした。
その後、大火や戦火、福井地震により社殿を焼失し、そのたびに氏子によって再建された。
平成10年(1998年)より、老朽化した社殿および境内社・稲荷神社が建て替えが行われ、新たに境内社・三姉妹神社が作られた。
それにあわせて福井市による境内の発掘調査が行われ、北ノ庄城の石垣の一部が発掘されて、この地が伝承通り北ノ庄城の跡地であることが判明した。
境内は北ノ庄城址公園として整備され、発掘された石垣が展示されている。

以上ウィキペディアより。

柴田神社

柴田神社 (3)
最後の目的地は柴田神社です。信長の野望だと知略が低い感じで扱われる勝家さんが祀られております。

柴田
こんな感じですね。この画像は戦国無双ですけど。

柴田神社 (4)

柴田神社 (5)

柴田神社 (6)
お市さんのモテ祈願・・・

柴田神社 (8)
美人ですねお市さま!

市
戦国無双だとこんな感じになります。炉利ですな。

柴田神社 (7)
お城の石垣。

柴田神社 (9)
浅井三姉妹!数奇な運命をたどることになる三姉妹ですね。

柴田神社 (10)

柴田神社 (11)
この神社、形が不思議で写真をとりにくい。

かにめし (1)
もう一泊しようかと思ってたけど、疲れたから帰るよ!ご飯たべるよ!

かにめし (2)
かにめし!でもカニのシーズンって今じゃないよね・・・

この後、大阪発のバスの社内で激しい頭痛に見舞われました。

熱中症です。本当にありがとうございました。真夏の自転車は寿命縮むと思います。

足羽神社

足羽神社

福井県福井市足羽上町108

足羽神社(あすわじんじゃ)は、福井県福井市足羽に鎮座する神社である。式内社、旧県社。

継体天皇、生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神が祀られる。

継体天皇が坂井郡三国にいたときに大宮地の霊を祀ったといい、大宮地の霊とは宮中の座摩5座の神であり、足羽神はその1座である。延暦10年(791年)4月、従五位下に叙され(『続日本紀』)、仁寿元年(851年)正月、従四位下が加えられ(『文徳天皇実録』)、延喜の制において小社に列せられ、天慶3年(940年)正月には従三位(『日本紀略』)、承暦4年(1080年)にこの神を穢す祟りがあったとして、社司に中祓が科せられた(『朝野群載』)。なお、国内神名帳である『越前国惣神分』には、正一位足羽大明神と記載される。
鎌倉時代以後、武家からの崇敬が篤く、領主の朝倉氏などが社領を寄した。江戸時代に、福井藩主越前松平家代々の尊信が深厚であった。

以上ウィキペディアより。

足羽神社

足羽神社 (2)
藤島神社からさらに自転車を押して進み到着。くるしい。

足羽神社 (1)

足羽神社 (3)

足羽神社 (4)

足羽神社 (5)
待合室の扇風機が心地よかったです。

藤島神社

藤島神社

福井県福井市毛矢3-8-21

藤島神社(ふじしまじんじゃ)は、福井県福井市の足羽山にある神社である。旧社格は別格官幣社。建武中興十五社の一社である。
南北朝時代の武将・新田義貞を主祭神とし、義貞の子の新田義顕・新田義興・新田義宗、弟の脇屋義助、および一族の将兵を配祀する。

新田義貞は延元3年(1338年)、灯明寺畷(現・福井市新田塚町)で戦死した。それより約300年後の明暦年間(1655年~58年)、同地から農民によって兜鉢が発掘され、これが福井藩の軍学者の鑑定の結果、新田義貞の兜であるとされた。万治元年(1660年)、福井藩主・松平光通は兜が発見された場所に「新田義貞戦死此所」の碑を建て、その場所は「新田塚」と呼ばれるようになった。
明治3年(1870年)、福井知藩事・松平茂昭は新田塚に祠を建てるが、これが明治9年(1876年)、「藤島神社」と名付けられて別格官幣社に列することとなる。明治14年(1881年)には福井市牧の町に遷座し、明治34年(1901年)5月に現在地に再度遷座した。そのため、現在の境内は兜の発見地から南へ3kmほど離れている。

以上ウィキペディアより。

藤島神社

藤島神社 (2)
今回の旅のメイン目的である、建武中興十五社の藤島神社に着きました。

藤島神社 (1)
立派な鳥居や。

しかし険しそうな石段が。

自転車で登れる道を探す。途中で少年に、自転車で神社まで上がれるか聞く。

「この道をまっすぐ行くとつくよ!でも坂がきつすぎて自転車では登れないよ!」

藤島神社 (3)
くっそきつい坂を自転車を押して上り、到着。つら杉内。

藤島神社 (4)

藤島神社 (5)

藤島神社 (6)
社務所で、次の目的地である足羽神社まで自転車で行けるか聞く。

「行けますよ!ここから少し上っていくとつきます!」

まだ上るのかよ・・・

毛谷黒龍神社

毛谷黒龍神社

福井県福井市毛矢3丁目8−1

毛谷黒龍神社

毛谷黒龍神社 (3)
黒龍神社!かっこいい名前!

毛谷黒龍神社 (1)

毛谷黒龍神社 (4)
この暑い中石段を登る。

毛谷黒龍神社 (5)

毛谷黒龍神社 (6)
日差しが・・・

毛谷黒龍神社 (7)

毛谷黒龍神社 (9)
社務所に飾られてた絵。写真に撮っても反射しないようにできてるそうです。

佐佳枝廼社

佐佳枝廼社

福井県福井市大手3丁目12-3

佐佳枝廼社(さかえのやしろ)は、福井県福井市にある神社である。別称 越前東照宮。旧社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
徳川家康、福井藩藩祖・松平秀康(結城秀康)、16代藩主・松平慶永(松平春嶽)を主祭神とし、藩士3名(藩祖に殉じた土屋左馬助正明・永見右衛門長次、福井城築城総督の吉田修理義寛)を相殿に祀る。

寛永5年(1628年)、福井城の鎮守として、城内に東照宮(徳川家康)を勧請して祀ったのに始まる。
明治6年(1873年)、福井城内に松平秀康の霊を祀る佐佳枝廼社が創建された(これを以て当社の創建とする資料もある)。この社名は松平慶永の命名によるもので、福井を代表する神社という意味と、福井がより栄えるようにと願ってのものであった。
翌明治7年(1874年)に城内の東照宮を合祀した。明治14年(1881年)年に県社に列せられた。松平慶永の死の翌年の明治24年(1891年)11月、慶永の霊を合祀した。
昭和20年(1945年)の第二次世界大戦による戦災、昭和23年(1948年)の福井地震による震災により、社殿はじめ全ての建造物が焼失した。昭和24年、京都・下鴨神社内の三井家祖霊社旧社殿を譲り受け、移築復元して拝殿とした。昭和35年(1960年)、北陸地方初となる鉄筋コンクリート造りで本殿が再建された。
戦後、境内地の一部は大陸からの引揚者や戦災者のための家屋や店舗のために貸与されていた。平成元年(1989年)、一帯を再開発することとなり、平成4年(1992年)4月に竣工した。神社を含めた再開発は日本初となるものであった。境内の地下は駐車場になっている。

以上ウィキペディアより。

佐佳枝廼社

佐佳枝廼社 (8)
つぎの神社は佐佳枝廼社です。さかえのやしろって読むんですね。読めません。

佐佳枝廼社 (9)

佐佳枝廼社 (11)

佐佳枝廼社 (3)

佐佳枝廼社 (4)

佐佳枝廼社 (6)
こちらの待合室も涼しくて気持ちよかった。お茶も飲めて助かりました。

暑すぎて神社の思い出が暑かったことしか出てこない。