石川県の御朱印

石川護国神社

石川護国神社

石川県金沢市石引4-18-1

石川護国神社(いしかわごこくじんじゃ)は、石川県金沢市にある神社(護国神社)である。市街地中心部の兼六園の隣にある。石川県内でも最大規模の面積を誇る神社である。

概要
戊辰戦争で戦死した水野徳三郎寛友ほか加賀藩の107人の霊を祀るため、明治3年(1870年)に加賀藩14代藩主前田慶寧が創建した招魂社にはじまる。当時は卯辰山にあったが、境内が狭く式典を行うのが困難であったため、昭和10年(1935年)、現在地である旧陸軍小立野練兵場の一角に遷座した。昭和14年(1939年)、石川護国神社に改称した。

大東亜聖戦大碑
平成12年(2000年)8月4日、境内の参道に大東亜聖戦大碑が建立された。平成22年(2010年)10月11日、「輝く天命戦の真実を知れ」と題する副碑の落慶記念式典が催された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE



石川護国神社

石川県護国神社 (3)
兼六園からひがし茶屋町に向かうつもりが、意外と遠いことが判明。

満身創痍の中、神社を見つけたので参拝。

石川県護国神社 (1)
でかい鳥居。

石川県護国神社 (4)

石川県護国神社 (5)

石川県護国神社 (6)

石川県護国神社 (7)

石川県護国神社 (8)

石川県護国神社 (9)
護国神社にくると気持ちが引き締まりますな。

東茶屋町 (1)
その後やたら歩いてひがし茶屋町につく。遠いわ。

東茶屋町 (2)
観光地って感じ。

東茶屋町 (3)
渋い建物。

駅弁 (1)
最後はバスで駅まで戻りました。もう歩けません。

お土産と駅弁を購入。駅弁は一番人気の輪島朝市弁当にしました。

駅弁 (2)
おいしそう!

駅弁 (3)
牡蠣がいいですねえ。

夜は短し歩けよ乙女


帰りの車内は森見登美彦の夜は短し歩けよ乙女を読みました。

いいなあ。こんなかわいい後輩いたらキャンパスライフ楽しいだろうなあ。

s-うみのちか
羽海野チカ先生の挿絵もかわいいなあ。大きい緋鯉を背負ったおんなのこに一目ぼれしたいです。

金沢神社

金沢神社

石川県金沢市兼六町1-3

金沢神社(かなざわじんじゃ)は、石川県金沢市に鎮座する神社。菅原道真を主祭神とする。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。金澤神社とも表記する。兼六園に隣接している。

歴史
寛政6年(1794年)[1]、加賀藩11代藩主前田治脩が藩校明倫堂を建てた際にその鎮守社として、学問の神であり、また前田家の祖先ともされる菅原道真を奉斎する[2]神社を創建したのに始まる。

兼六園を整備する際に明倫堂は別の地に移転したが、神社はそのまま残され、12代藩主前田斉広が建てた竹沢御殿の鎮守社とされて竹沢御殿御鎮守天満宮と称した。神社には、災難除けの神である白蛇竜神、交通安全の神である琴平大神、商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神も合わせて祀り、歴代の藩主が兼六園を散策する際に藩内の繁栄と平和を祈願した。

神社への参拝は、明治以前は4月25日と9月25日の例祭の日に城下の婦女子にのみ許されていた。1874年(明治7年)の兼六園の一般開放にあわせて自由に参拝が出来るようになった。1876年(明治9年)に金沢神社に改称した。

災難除けの神である白蛇竜神の御神体は雄雌一対となっており、1体は当社に、もう1体は金沢城の御殿にて代々の藩主の奥方によって奉斉されていたが、1946年(昭和21年)に当社に移された。また、商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神は明治維新の後、前田家が東京に移住する時にその邸内に遷座されたが、後に旧藩士の懇願によって再び当社に戻されている。

学問の神である菅原道真を祀った神社の中でも金沢市の市街地に最も近く藩校の鎮守であったという経緯もあって毎年受験シーズンには、数多くの受験生が参拝に集まる。2004年(平成16年)には、本殿[3]および拝殿[4]が国の登録有形文化財として登録された。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE



金沢神社

兼六園 (1)
片町で飲んだ疲労が抜けきらぬまま朝マックで栄養補給し、兼六園へ。やっぱ金沢といえば兼六園ですよね。

兼六園 (5)

兼六園 (6)

兼六園 (7)
ちょっと曇り気味。桜の季節とか美しいでしょうな。

金澤神社 (1)
神社があるので参拝します。

金澤神社 (2)

金澤神社 (3)
すごい絵馬の量や。ここは天満宮なんですね。

金澤神社 (4)

金澤神社 (5)
加賀は天神信仰が盛んで、加賀に入った前田利家も菅原氏の末裔を名乗ったそうですね。

金澤神社 (6)
やはり後から入った大名というのは、地元に溶け込むために苦労するんでしょうな。

気多大社

気多大社

石川県羽咋市寺家町ク1

気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市寺家町にある神社。式内社(名神大社)、能登国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。

概要
能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。

創建
社伝(『気多神社縁起』)によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという[1]。

また『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子とし、能登半島一帯を巡行して鬼神を追放したと記される[1]。『気多社祭儀録』では、祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される[1]。

一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現・気多本宮、位置)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる[1]。

概史
奈良時代には北陸の大社として京にも名が伝わっており、『万葉集』に越中国司として赴任した大伴家持が天平20年(748年)に参詣したときの歌が載っている(文献上初見[2])。

国史では、古くは『続日本紀』神護景雲2年(768年)の記事が見え[原 1]、同記事では封戸20戸・田2町が支給されている[1]。また神階に関しては、延暦3年(784年)の正三位から[原 2]、天安3年(859年)に従一位勲一等までの叙位・叙勲の記事が載る[原 3]。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では能登国羽咋郡に「気多神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。

中世以降は能登国一宮とされ、中世・近世の間は畠山氏・前田氏など歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列し、大正4年(1915年)に国幣大社に昇格した。第二次世界大戦後は神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、後述のように平成22年(2010年)に神社本庁に属さない単立神社となった。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%A4%9A%E5%A4%A7%E7%A4%BE



気多大社

近江町市場 (1)
片町で飲んだ翌日。朝食をいただきに近江町市場へ。

近江町市場 (2)
市街地にあります。

近江町市場 (3)
カレーのチャンピオンもありますね。

活き活き亭 (1)
朝ごはんはいきいき亭で。

活き活き亭 (2)
窓に貼るシステム。

活き活き亭 (3)
電話をくれるということですかね。

海鮮丼
海鮮丼!!美味!!

片町の飲み屋の姉ちゃんから、地元民は海鮮を食べられるいい店を知ってるからわざわざ市場に行かないと言われました。

結構どこでも海鮮食べられるんでしょうね。

なぎさドライブウェイ (1)
今日は能登方面を観光するためにレンタカーを借りました。なぎさドライブウェイとかいう車で走れる砂浜に来ました。

車は13万キロ走ったヴィッツ。カーナビなし。流石ニコニコレンタカー。

なぎさドライブウェイ (2)
日本海。

なぎさドライブウェイ (3)
クラゲ。

気多大社 (1)
羽咋に来たので気多大社参拝します。

気多大社 (2)

気多大社 (3)

気多大社 (9)

気多大社 (7)
ラブラブな絵馬。

気多大社 (8)

気多大社 (5)

気多大社 (6)
外国人の方が二組結婚式の撮影っぽいのしてましたけど、はやってるんですかね?たまたま?

輪島
輪島に来ました。畠山七人衆の温井さんの本拠地ですね。

ステーキ丼 (3)
ごはんにしましょう。

ステーキ丼 (2)
ステーキ丼です。

ステーキ丼
こちら、輪島塗のお箸をいただけました。

なつめの店
輪島塗のお店でカップを買いました。お土産にします。

永井豪
マジンガーゼットさんや。

この後千枚田とか見てから金沢に帰りました。昨日の疲れが残っているのかめちゃくちゃ眠かったです。

海鮮丼 (2)
晩飯の居酒屋でのエビ。やっぱ海鮮よね。

金剱宮

金剱宮

石川県白山市鶴来日詰町巳118-5

金剱宮(きんけんぐう)は、石川県白山市鶴来日詰町にある神社。旧社格は県社。金剱神社、金剱明神、剱明神とも。

概要

鶴来(つるぎ)の町の中心部に鎮座する。近世に「金劔宮」と呼ばれるようになるまでは「劔宮」・「劔神社」と呼ばれ、「鶴来」の地名もこれに由来するとされる。

白山七社のうちの一つで、そのうち白山本宮(白山比咩神社)・三宮・岩本とともに本宮四社の一つにあたる。

秋の例大祭は、ほうらい祭りとして知られる。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%B1%E5%AE%AE


金剱宮

金剣宮までの道 (1)
次のバスまで一時間近く待つため、歩いたほうが早いとの判断で徒歩で向かいます。

金剣宮までの道 (3)
いい天気やねえ。石川は天気の悪い日が多いって言うけど。

金剣宮までの道 (2)
結構歩いたけど標識を見て間違っていないと安心。

金剱宮 (1)
着きました。

金剱宮 (9)

金剱宮 (8)

金剱宮 (2)
帰りはバスにしよう。

金剱宮 (4)

金剱宮 (3)

金剱宮 (5)

金剱宮 (6)

金剱宮 (10)
くるりんバスが鶴来観光に便利なので使いましょう。

鶴来駅
これまた渋い鶴来駅舎。

この後金沢に帰って片町のホテルまで歩きました。想像より遠かったです。

白山比咩神社

白山比咩神社

石川県白山市三宮町ニ105-1

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町にある神社。式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。神紋は「三子持亀甲瓜花」。

概要
石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)の山麓に鎮座し、白山を神体山として祀る神社である。

元は、手取川の畔にある現在の古宮公園の場所に鎮座していたが、室町時代に火災で焼失し、現社地に遷座した。また白山山頂の御前峰には奥宮も鎮座し、山麓の社殿はこれに対して「下白山」または「白山本宮」と呼ばれていた。

境内には国宝の刀剣(銘 吉光)のほか、重要文化財が多数伝えられている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1%E6%AF%94%E5%92%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



白山比咩神社

半沢直樹
ゴールデンウィーク後半。休暇を有効活用するために旅立ちます。

長旅となるため久しぶりの読書。池井戸潤の半沢シリーズ2冊と、夜は短し歩けよ乙女をブックオフで購入して持参。

最近読書もしてなかったけど、久しぶりに読むと面白いもんですね。

金沢駅
今回の目的地は石川県。朝4時おきでお昼に到着。

新西金沢
まずは一宮巡り。加賀一宮に向かいます。新西金沢駅、渋い駅舎やな。

白山看板
看板ありますね。

新西金沢ホーム
渋いホームや。鶴来方面へ向かう。

白山ひめ (2)
鶴来駅から周遊バスに乗って到着。

白山ひめ (1)

白山ひめ (3)
いい感じの参道。

白山ひめ (4)

白山ひめ (5)

白山ひめ (6)

白山ひめ (7)

白山ひめ (8)

白山ひめ (9)
手取川の戦いで有名な手取川ですね。

白山ひめ (10)

白山ひめ (11)

白山ひめ (14)


白山ひめ (15)
バスの時間が微妙なため、金剱宮まで歩くことに。神社のアクセスって不便よね。