岡山県の御朱印

木山寺

木山寺

岡山県真庭市木山1212番地

木山寺(きやまじ)は岡山県真庭市木山[1]に所在する高野山真言宗別格本山の寺。山号は医王山。詳しくは医王山 感神院 木山寺と号する。本尊は薬師瑠璃光如来。中国三十三観音霊場第四番札所、山陽花の寺二十四か寺第十番札所、高野山真言宗美作八十八箇所霊場第三十四番札所、百八観音霊場第六番札所。

御詠歌
世の人の 悩みも晴れる 醫王山(いおうやま) 観世(かんぜ)の慈悲をしたい 木山寺(きやまじ)
概要
伝承によれば、平安時代前期の弘仁6年(815年)に弘法大師が開いたとされる。弘法大師がこの地を訪れた際に、木こりの老人に導かれ寺院を建立するのに相応しい地であると告げられた。この老人は薬師瑠璃光如来の化身であったという。そこで弘法大師はこの地に寺院を建立したと伝えられている。仁寿年間(851年 - 854年)には文徳天皇の祈願所として勅願寺となった。

この寺院は鎮守神として木山牛頭天王と善覚稲荷大明神を祀っている。木山牛頭天王は薬師瑠璃光如来、善覚稲荷大明神は十一面観音の垂迹神となっている。現在の寺院には珍しく鳥居があり、本堂と鎮守殿に分かれており神社建築の様式となっている。神仏習合の形態を今に残す寺院である。

室町時代中期の応永18年(1411年)赤松義則が一山を寺領として寄進した。その後、尼子氏、毛利氏、宇喜多氏などの戦国大名や、江戸時代になると森氏、三浦氏など周辺の藩主の崇敬を集めた。

江戸時代までは木山宮と呼ばれていたが、明治時代の神仏分離令により木山寺と木山神社に分離され現在に至っている。なお、木山神社の本殿は木山宮の山麓に鎮座しているが、奥宮は木山寺に隣接している。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B1%B1%E5%AF%BA



木山寺御朱印

木山寺 (1)

木山神社で木山寺も参拝することを勧められたので木山寺へ。

マツダのナビはわけわからんルートを検索するのですごく時間かかるみたいに出ましたが看板に従うとすぐ着きました。

駐車場で下車。

木山寺 (3)

弁才天

木山寺 (2)

カエルがいっぱいいました。

木山寺 (4)

お寺だけど鳥居があります。

神仏習合ですね。木山神社とセットなので参拝しに来て正解の様子。

木山寺 (5)

真言宗なんですね。

木山寺 (6)

木山寺 (7)

木山寺 (14)

由緒

木山寺 (8)

お大師さん

木山寺 (16)

木山寺 (17)


木山寺 (9)

木山寺 (12)

鐘楼堂

木山寺 (10)

立派な鳥居

木山寺 (11)

木山寺 (13)

中国観音の巡礼帖をいただこうと思いましたが、綴り込みタイプのものは在庫を切らしていたようでした。

四番札所ですし購入希望者そんなにいないから在庫を置いていないようですね。御朱印だけいただきました。

木山寺 (18)

参拝後、気になる看板を見つける。

木山寺 (19)

牧場&ひみつきち

木山寺 (20)

動物はいませんでした。たまたま留守なのかな?

木山寺 (21)

アスレチックみたいなのがありました。

公園みたいなものなんですかね。動物がいなかったのは残念。

この後無事徳島に帰りつきました。意外と道混んでないから運転楽やな。

木山神社

木山神社

岡山県真庭市木山1265-1

木山神社の創建は、弘仁七年(816年)と伝えられており、京都祇園の八坂神社の御分霊をお祀りしており、現在の真庭市落合地域が「美作国」だった頃に は、美作国南三郷(今の真庭市落合地区)の総氏神として、勝山藩の藩主だけでなく、諸大名や藩内領民達からも厚く崇敬されてきました。

元々は今の奥宮が本宮で、木山寺と共に神仏習合の「木山宮」として祀られてきましたが、明治になり神仏分離政策により木山神社と木山寺に別れました。古く は「木山牛頭天王」と呼ばれ、旧出雲街道には「大仙道」「伊勢」「出雲街道」を示す表示と共に「木山道」を示す標柱が今も残されており、信仰の広さがうかがえます。

明治維新以降から終戦まで、全国の神社を国が管理した時代があり、この時に「社格」という 格 が与えられましたが、当木山神社は県民全体で崇敬すべき神社として「県社」という格が与えられました。

また、戦後昭和三十七年には、戦前より計画されていた「里宮造営事業」が実現され、木山山頂から山麓に遷宮され、現在の鎮座地が造営されました。現在里宮の境内にある建物のうち、木山神社の本殿以外は全て山頂からの移設で、本殿は「奥宮」として山頂に残したために、里宮には新たな本殿が建てられています。

ご祭神
御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)で、荒々しい神である反面、八岐大蛇退治や蘇民将来の伝説で知られるように、世に平和をもたらし、情深い加護を下 さる神として、家内安全・悪疫退散・開運招福・縁結び・勝負事・などの神として、江戸の頃から美作だけでなく、備中・備後・伯耆・出雲から広く信仰されて きました。

以上当社ホームページより。 https://kiyamajinjya.or.jp/



木山神社御朱印

蒜山高原SA (1)

四連休ですね。島根県に引越して間もないですが、友達が長崎から帰省するので飲みに行こうと誘われたので徳島に帰ることにします。

米子道を南下します。蒜山高原SAで休憩。

蒜山高原SA (2)

結構大きいSA。

蒜山高原SA (3)

朝の8時台ですが営業してますね。ありがたい。

蒜山高原SA (4)

大盛よくばりカレーをチョイス。朝から食い過ぎの感ある。

蒜山高原SA (5)

満足。

木山神社 (1)

帰省前に神社に立ち寄ります。落合インターで降りてしばらく走ると到着。

木山神社 (2)

広めの駐車場があるので下車。

木山神社 (3)

なんかひょろい石柱。

木山神社 (4)

近くに木山寺もあるんですね。

木山神社 (5)

駐車場から少し歩く。

木山神社 (6)

鳥居

木山神社 (7)

木山神社 (8)

木山神社 (9)

再び鳥居

木山神社 (10)

木山神社 (11)

由緒沿革

木山神社 (17)

手水舎

木山神社 (18)



木山神社 (21)



木山神社 (13)

天満宮

木山神社 (12)

稲荷社

木山神社 (19)

参拝中に近所の人から

「徳島ナンバーの車が停まってたけど徳島から来たのかい?この神社に徳島の人が奉納した絵馬があるよ」

と言われたので見てみる。

徳島の藍商が連名で奉納したものの様子。

神社の人が何で徳島の藍商が真庭の神社に絵馬を奉納したのか経緯を調べてくれたけどよくわかりませんでした。

それだけ広範囲にこの神社を信仰する人がいたということなんでしょうね。

木山神社 (22)

木山神社 (20)

木山神社 (16)

招き猫のテンちゃん出勤中。

神社の人から「木山寺さんには参拝されましたか?」と言われたので木山寺にも参拝することにします。

なんだか親切な雰囲気の神社でした。いいところですな。

岡山神社

岡山神社

岡山県岡山市北区石関町2-33

祭神
大吉備津彦命、倭迹々日百襲姫命・妹姫命・日本武尊・大山咋命・倉稲魂命・武安霊命(池田光政)を祀る。

歴史
貞観年間の創建と伝えられ、当初は後に岡山城が築かれることになる岡山という丘の上に鎮座していた。天正元年(1573年)、宇喜多直家が岡山城を築くに当たって、当社を城の側の現在地に遷座、岡山城の守護神とし社領を寄進した。宇喜多秀家が本殿を造営し、次いで城主となった小早川秀秋が拝殿以下を造営した。江戸時代には藩主池田家により城内の鎮守として崇敬され、社領300石が寄進された。

それまでは酒折宮と呼ばれていたが、明治15年(1882年)に岡山神社に改称した。昭和16年(1941年)に社殿の改修、社務所の新築が行われたが、昭和20年(1945年)に戦災により随神門と末社数社だけを残して焼失した。昭和33年(1958年)に本殿が再建され、次いで昭和50年(1975年)に拝殿、幣殿が造営され、平成元年(1989年)に現在の社務所、参集所が完成した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE



岡山神社

天満宮

摂社の天満宮の御朱印もいただけます。

amabie.jpg

挟む紙にアマビエの絵が描いてありました。

アマビエはやってますね。感染症の流行が収束しますように。

酒囲屋本店

先輩の大巨人さんから飲みに行こうよと誘われたので岡山に来ました。私は朝6時までバーで飲んでたためあまり元気はない。

酒囲屋本店で17時から日本酒飲み放題というパンチの効いたもてなし。大巨人さん酒強すぎるやろ。

きずな (3)

眠すぎて飲めなくなったため大巨人さん宅に泊めていただきました。ありがとうございました。

ランチは大巨人さん同行の元前回訪問時行列できててあきらめたラーメンきずなへ。

今日も行列やな。おとなしく並ぶわ。

きずな (1)

野菜ちょい増しをオーダー。

地元に二郎系の店がないので貴重な一杯。

きずな (2)

美味い。なんか生卵ついてきたんですけどどのタイミングで入れるのが正解なんですかね?使うタイミング逃したわ。

岡山神社 (2)

大巨人さんとはきずなで別れ、神社参拝に向かいます。

きずなから徒歩10分の岡山神社に来ました。

岡山神社 (1)

岡山神社 (3)

手水舎

岡山神社 (4)

摂社

岡山神社 (6)

天満宮

岡山神社 (7)

岡山神社 (8)

稲荷神社

岡山神社 (9)

岡山神社 (10)

岡山神社 (11)

近代的な造りの神社ですね。

岡山駅に戻るバスがコロナウイルス感染症の影響で運休のため歩いて戻りました。たまには歩くのもいい。暑いけど。

牛窓神社

牛窓神社

岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2147

由緒
 当社は原初の頃は、土地の神霊及び氏の祖先の神霊をまつっており、牛窓明神と呼ばれていたが、長和年間、教円大徳によって豊前(大分県)の宇佐八幡宮から応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の御神霊をお迎えして牛窓八幡宮となり、明治6年郷社に列せられ牛窓神社と改称した。
 社伝によれば、鎌倉・室町時代の山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)の古文書に「牛窓別宮」の名があり、当時牛窓が石清水領であったと共に社格が大変高かったようである。神階は従三位、式外社、備前国古社128社の内の1社にして明治6年郷社に、明治42年神饌幣帛料供進神社に、昭和15年県社に、それぞれに列せられたが、終戦と共に社格は廃止された。
 弘治元年(1555)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失った。
 当時、牛窓は内海帆船時代であり、交通運輸の重要港に成長し、藩の政治、住民の経済力の増加を背景に、神社に対する信仰心も高まった。 
 江戸時代、特に寛政、文化の頃から境内を拡大し、社容を整えた。特に本殿は近世の社寺建築の粋を凝らしたもので、牛窓町の重要文化財に指定されている。
 尚、当社の例祭は、毎年10月第4日曜日に行われ、神輿やダンジリの巡幸など港町の風情溢れる祭り絵巻が終日堪能できる。

以上岡山県神社庁ホームページより。 https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17943/



牛窓神社
ワイルドな書きっぷりの御朱印。

牛窓神社 (1)
五香宮から少し車で走ると到着。

木が生い茂っていますね。

牛窓神社 (2)
手水舎。

牛窓神社 (3)

牛窓神社 (4)
参拝客結構いました。

オリジナル御朱印帳もありました。

ダントツラーメン
岡山を発つ前にダントツラーメンでランチ。二郎系は徳島にないのでついつい来てしまった。

昨日飲んだ先輩は焼肉のあとに野菜8倍増しを頼んで死亡したそうなので皆さん食べられる範囲で注文しましょうね。

五香宮

五香宮

岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2720

由緒
本社の主祭神たる住吉三神は、牛窓神社の神々と共に、牛窓地名起源説話にて御活躍の神々である。即ち牛窓神社の項と重複するも、備前国風土記逸文に次の如き記述が有り、
 牛窓地名の由来(備前國風土記逸文)
 神功皇后のみ舟、備前の海上を過ぎたまひし時、大きなる牛あり、出でてみ舟を覆さむとしき。住吉の明神、老翁と化りて、其の角を以ちて投げ倒したまひき。故に其の處を名づけて牛輔と日ひき。今、牛窓と云ふは訛れるなり。
即ち「神功皇后西国御遠征の砌、牛窓沖にて牛鬼の難に逢われ、危うき処を住吉大明神に救われた事がうかがわれる」のであり、茲に五香宮の鎮座の淵源が有る。五香宮古記録に依れば、「神功皇后は、住吉大明神の御加護に感謝、此の地に古くから住吉宮の存する事を聞こし召されて牛窓の浦に上陸なされ、自ら親しく住吉宮へ御参拝され、武運長久、航海安全、安産祈願(御懐妊中)等を御祈願なされた。そして御神前にて御腹帯を召され、御鎧を付けられた上で西国に御出発され、瀬戸内各地に御事蹟を残されながら、西国との和平を実現。御帰還の途次、再度牛窓の浦に上陸、家来の武内宿禰ともども、住吉宮に御参拝になり、戦勝に感謝、品陀別尊の無事出産を御報告なさり、神恩に報いる為に、御自ら御着用の御鎧一領、御冑、御太刀、御腹帯、御馬具等を御奉納なされたと言う」正に赫々たる古事来歴を持つ、備前国有数の古社である。しかしながら、牛窓神社と同じく弘治元年(1555)の芸州の乱にて、海賊多数蜂起して、牛窓の浦に来襲、住吉宮もその災いに逢い、神功皇后ゆかりの御神宝は幸いに難をまぬがれるも、古記録、棟札等は焼失したと言われる。
下って江戸時代寛文6年7月、藩主池田光政公は牛窓神社に参拝され、その時に往吉宮の造営の由を仰せ出だされ、社殿が再建されるや、寛文7年8月、京都伏見の御香言から改めて、神功皇后と応神天皇の御神霊を勧請せしめて、往吉宮を五香宮と改称するべく命じられたのである。それ以来、五香宮は池田家の守護神とし朝野の崇敬を集め、延宝8年には綱政公が瑞垣並に鳥居を、継政公は直筆の繋馬の扁額を奉納され、以来、社殿や玉垣の修復は池田家によって行なわれる事となったのである。又、一般には、武神として、航海安全神として、安産神として尊崇され、殊に戦前に於いては、武運長久を祈る人々が連日県下各地より多数参拝し、生めよ増やせよの世相ゆえに、安産祈願の参拝者も又多数参拝祈願に訪れたのである。かくして今も尚五香言は歴史と伝統を静かに秘めて、流れの速き唐琴の瀬戸を眼下に臨む高台に鎮まっておられるのであり、歴史を訪ねての参拝者が絶える事はない。現存の社殿は、大正七年の大造営にかかる神明造り銅板葺きである。

以上岡山県神社庁ホームページより。 https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17941/



五香宮
御朱印は牛窓神社でいただきました。

五香宮 (1)
五香宮まで来ました。牛窓というところにあります。

牛窓は日本のエーゲ海と書かれていました。海がきれいな場所です。

個人的にはここまでくる道が激狭くて対向困難なことのほうが印象的でした。車で来るときは皆さん気をつけてください。

五香宮 (2)
手水舎。

五香宮 (3)
ネコ

五香宮 (7)
ネコ

五香宮 (8)
ネコ

五香宮 (4)
由緒

五香宮 (5)

五香宮 (6)
なんかネコいっぱいいるなーと思ったけど漁港だから魚が食べられるからですね。