岡山県の御朱印

岡山神社

岡山神社

岡山県岡山市北区石関町2-33

祭神
大吉備津彦命、倭迹々日百襲姫命・妹姫命・日本武尊・大山咋命・倉稲魂命・武安霊命(池田光政)を祀る。

歴史
貞観年間の創建と伝えられ、当初は後に岡山城が築かれることになる岡山という丘の上に鎮座していた。天正元年(1573年)、宇喜多直家が岡山城を築くに当たって、当社を城の側の現在地に遷座、岡山城の守護神とし社領を寄進した。宇喜多秀家が本殿を造営し、次いで城主となった小早川秀秋が拝殿以下を造営した。江戸時代には藩主池田家により城内の鎮守として崇敬され、社領300石が寄進された。

それまでは酒折宮と呼ばれていたが、明治15年(1882年)に岡山神社に改称した。昭和16年(1941年)に社殿の改修、社務所の新築が行われたが、昭和20年(1945年)に戦災により随神門と末社数社だけを残して焼失した。昭和33年(1958年)に本殿が再建され、次いで昭和50年(1975年)に拝殿、幣殿が造営され、平成元年(1989年)に現在の社務所、参集所が完成した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE



岡山神社

天満宮

摂社の天満宮の御朱印もいただけます。

amabie.jpg

挟む紙にアマビエの絵が描いてありました。

アマビエはやってますね。感染症の流行が収束しますように。

酒囲屋本店

先輩の大巨人さんから飲みに行こうよと誘われたので岡山に来ました。私は朝6時までバーで飲んでたためあまり元気はない。

酒囲屋本店で17時から日本酒飲み放題というパンチの効いたもてなし。大巨人さん酒強すぎるやろ。

きずな (3)

眠すぎて飲めなくなったため大巨人さん宅に泊めていただきました。ありがとうございました。

ランチは大巨人さん同行の元前回訪問時行列できててあきらめたラーメンきずなへ。

今日も行列やな。おとなしく並ぶわ。

きずな (1)

野菜ちょい増しをオーダー。

地元に二郎系の店がないので貴重な一杯。

きずな (2)

美味い。なんか生卵ついてきたんですけどどのタイミングで入れるのが正解なんですかね?使うタイミング逃したわ。

岡山神社 (2)

大巨人さんとはきずなで別れ、神社参拝に向かいます。

きずなから徒歩10分の岡山神社に来ました。

岡山神社 (1)

岡山神社 (3)

手水舎

岡山神社 (4)

摂社

岡山神社 (6)

天満宮

岡山神社 (7)

岡山神社 (8)

稲荷神社

岡山神社 (9)

岡山神社 (10)

岡山神社 (11)

近代的な造りの神社ですね。

岡山駅に戻るバスがコロナウイルス感染症の影響で運休のため歩いて戻りました。たまには歩くのもいい。暑いけど。

牛窓神社

牛窓神社

岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2147

由緒
 当社は原初の頃は、土地の神霊及び氏の祖先の神霊をまつっており、牛窓明神と呼ばれていたが、長和年間、教円大徳によって豊前(大分県)の宇佐八幡宮から応神天皇・神功皇后・武内宿禰命・比賣大神の御神霊をお迎えして牛窓八幡宮となり、明治6年郷社に列せられ牛窓神社と改称した。
 社伝によれば、鎌倉・室町時代の山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)の古文書に「牛窓別宮」の名があり、当時牛窓が石清水領であったと共に社格が大変高かったようである。神階は従三位、式外社、備前国古社128社の内の1社にして明治6年郷社に、明治42年神饌幣帛料供進神社に、昭和15年県社に、それぞれに列せられたが、終戦と共に社格は廃止された。
 弘治元年(1555)芸州の乱の時、海賊の焼打ちに遭い、全山を焼失し、社殿、宝物、記録等全てを失った。
 当時、牛窓は内海帆船時代であり、交通運輸の重要港に成長し、藩の政治、住民の経済力の増加を背景に、神社に対する信仰心も高まった。 
 江戸時代、特に寛政、文化の頃から境内を拡大し、社容を整えた。特に本殿は近世の社寺建築の粋を凝らしたもので、牛窓町の重要文化財に指定されている。
 尚、当社の例祭は、毎年10月第4日曜日に行われ、神輿やダンジリの巡幸など港町の風情溢れる祭り絵巻が終日堪能できる。

以上岡山県神社庁ホームページより。 https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17943/



牛窓神社
ワイルドな書きっぷりの御朱印。

牛窓神社 (1)
五香宮から少し車で走ると到着。

木が生い茂っていますね。

牛窓神社 (2)
手水舎。

牛窓神社 (3)

牛窓神社 (4)
参拝客結構いました。

オリジナル御朱印帳もありました。

ダントツラーメン
岡山を発つ前にダントツラーメンでランチ。二郎系は徳島にないのでついつい来てしまった。

昨日飲んだ先輩は焼肉のあとに野菜8倍増しを頼んで死亡したそうなので皆さん食べられる範囲で注文しましょうね。

五香宮

五香宮

岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2720

由緒
本社の主祭神たる住吉三神は、牛窓神社の神々と共に、牛窓地名起源説話にて御活躍の神々である。即ち牛窓神社の項と重複するも、備前国風土記逸文に次の如き記述が有り、
 牛窓地名の由来(備前國風土記逸文)
 神功皇后のみ舟、備前の海上を過ぎたまひし時、大きなる牛あり、出でてみ舟を覆さむとしき。住吉の明神、老翁と化りて、其の角を以ちて投げ倒したまひき。故に其の處を名づけて牛輔と日ひき。今、牛窓と云ふは訛れるなり。
即ち「神功皇后西国御遠征の砌、牛窓沖にて牛鬼の難に逢われ、危うき処を住吉大明神に救われた事がうかがわれる」のであり、茲に五香宮の鎮座の淵源が有る。五香宮古記録に依れば、「神功皇后は、住吉大明神の御加護に感謝、此の地に古くから住吉宮の存する事を聞こし召されて牛窓の浦に上陸なされ、自ら親しく住吉宮へ御参拝され、武運長久、航海安全、安産祈願(御懐妊中)等を御祈願なされた。そして御神前にて御腹帯を召され、御鎧を付けられた上で西国に御出発され、瀬戸内各地に御事蹟を残されながら、西国との和平を実現。御帰還の途次、再度牛窓の浦に上陸、家来の武内宿禰ともども、住吉宮に御参拝になり、戦勝に感謝、品陀別尊の無事出産を御報告なさり、神恩に報いる為に、御自ら御着用の御鎧一領、御冑、御太刀、御腹帯、御馬具等を御奉納なされたと言う」正に赫々たる古事来歴を持つ、備前国有数の古社である。しかしながら、牛窓神社と同じく弘治元年(1555)の芸州の乱にて、海賊多数蜂起して、牛窓の浦に来襲、住吉宮もその災いに逢い、神功皇后ゆかりの御神宝は幸いに難をまぬがれるも、古記録、棟札等は焼失したと言われる。
下って江戸時代寛文6年7月、藩主池田光政公は牛窓神社に参拝され、その時に往吉宮の造営の由を仰せ出だされ、社殿が再建されるや、寛文7年8月、京都伏見の御香言から改めて、神功皇后と応神天皇の御神霊を勧請せしめて、往吉宮を五香宮と改称するべく命じられたのである。それ以来、五香宮は池田家の守護神とし朝野の崇敬を集め、延宝8年には綱政公が瑞垣並に鳥居を、継政公は直筆の繋馬の扁額を奉納され、以来、社殿や玉垣の修復は池田家によって行なわれる事となったのである。又、一般には、武神として、航海安全神として、安産神として尊崇され、殊に戦前に於いては、武運長久を祈る人々が連日県下各地より多数参拝し、生めよ増やせよの世相ゆえに、安産祈願の参拝者も又多数参拝祈願に訪れたのである。かくして今も尚五香言は歴史と伝統を静かに秘めて、流れの速き唐琴の瀬戸を眼下に臨む高台に鎮まっておられるのであり、歴史を訪ねての参拝者が絶える事はない。現存の社殿は、大正七年の大造営にかかる神明造り銅板葺きである。

以上岡山県神社庁ホームページより。 https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17941/



五香宮
御朱印は牛窓神社でいただきました。

五香宮 (1)
五香宮まで来ました。牛窓というところにあります。

牛窓は日本のエーゲ海と書かれていました。海がきれいな場所です。

個人的にはここまでくる道が激狭くて対向困難なことのほうが印象的でした。車で来るときは皆さん気をつけてください。

五香宮 (2)
手水舎。

五香宮 (3)
ネコ

五香宮 (7)
ネコ

五香宮 (8)
ネコ

五香宮 (4)
由緒

五香宮 (5)

五香宮 (6)
なんかネコいっぱいいるなーと思ったけど漁港だから魚が食べられるからですね。

和気神社

和気神社

岡山県和気郡和気町藤野1385

概要
同地は和気氏の発祥の地であり、和気氏の遠祖である鐸石別命(ぬでしわけのみこと)を氏神として祀ったのが起源とされる。創建年代は不詳。天正19年(1591年)に社殿が水害に遭い現在地に遷座した。

明治42年(1909年)和気氏の祖先で鐸石別命の曾孫にあたる弟彦王(おとひこおう)、和気清麻呂、和気広虫も祭神として加えられた。また国造神社に祀られていた佐波良命、伎波豆命、宿奈命、乎麻呂命が合祀された。

大正3年(1914年)和気神社と復称。大正8年(1919年)応神天皇を相殿として祀り、県社に列した。県社ながら、昭和天皇の岡山行幸の際には幣帛を賜わるなど、官国幣社と同等に扱われた。

境内
拝殿前には全国的にも珍しい狛猪がある。猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされることから、清麻呂の守護とされてきたことに由来する。

現存の社殿は、明治18年(1885年)より順次建替えられている。邑久大工の田淵耘煙斎勝義の手によるもので、本殿・幣殿・釣殿・拝殿・随神門が一連の作となっている。明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっている。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%B0%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE



和気神社

和気神社 (1)
和気神社に到着。

和気神社 (2)
周辺はこんな感じ。

和気神社 (3)
鳥居。

和気神社 (4)
橋がかけられてます。

和気神社 (5)
和気清麻呂公の像です。

和気神社 (6)
和気町の出身だから和気清麻呂って名前なんですね。

和気神社 (7)
別アングル。

和気神社 (8)
いのしし

和気神社 (9)

和気神社 (11)
石段を登る。

和気神社 (12)
和気広虫姫像。

和気神社 (13)
再度清麻呂公像。

和気神社 (14)
手水舎。

和気神社 (17)
全国的に珍しい狛いのしし

和気神社 (18)
撫で猪。

撫で牛は天満宮で見かけますが、猪はレアですね。

和気神社 (15)

和気神社 (16)
知り合いに和気って苗字の人いるんですけど、先祖は清麻呂公かもしれないですね。

歴史を感じるシブい苗字ですな。

由加神社

由加神社

岡山県和気郡和気町大田原438

由緒
 当神社の創立は不詳であるが、現存している最古の棟札には平安時代後期天永3年(1112)和気氏が新田郷の総鎮守として西久保方の上山上に八幡宮を建立したことが記されている。
 爾来、和気氏(郡司)藤原氏(地頭)明石、浦上 宇喜多氏、池田氏等有力者の崇敬が篤く、特に、播磨、備前、美作の守護であった赤松氏の崇敬が篤かった。南北朝時代、赤松則祐が足利尊氏に従い、九州で戦った時、宇佐八幡宮、神功皇后宮に参拝し戦勝祈願を行なったところ軍利を得たので神助に報いるため建武4年(1338)当神社を新しく造営し、現在地に遷宮した。
 明治5年郷社に列せられ、由加神社と改称した。明治42年各地区のお社を当社に合祀し、現在に至る。
 御宝物は神功皇后御鎧及び御陣草履、赤松則祐奉納御鎧、赤松政則奉納御鎧、明石景行奉納矢等がある。

以上、岡山県神社庁ホームページより。 https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17903/



由加神社
書置きをいただきました。

すきや
昨日飲み疲れたせいか独房のような部屋でも眠れました。

すきやで朝ごはん食べます。豚汁おいしい。

由加神社 (2)
せっかく岡山まで来ていますので、神社巡りします。和気町の由加神社に来ました。

由加神社 (1)
こんな感じの道沿いに鎮座。いい雰囲気の道ですな。

由加神社 (3)
鳥居。

由加神社 (4)
手水舎。

由加神社 (5)

由加神社 (7)
工事中ですね。

由加神社 (6)
工事中ですけど、七五三とかで参拝客結構いました。

地元ではメジャーな神社なんでしょうね。