京都府の御朱印

賀茂御祖神社

賀茂御祖神社

京都府京都市左京区下鴨泉川町59

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

国際連合教育科学文化機関 (UNESCO=ユネスコ)の世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。

本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。金鵄および八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

境内に糺の森(ただすのもり)、御手洗川、みたらし池がある。

神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっている。

御手洗社の水は葵祭の斎王代清めの聖水である。現存。飲料可[1]。

歴史
京都の社寺では最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。

上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。

平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする式年遷宮を行っていたが、本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみである。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE



下賀茂神社

下賀茂神社 (1)

下賀茂神社前で下車するとすぐ。

手水舎

下賀茂神社 (2)

河合神社があるほうまで南下します。

下賀茂神社 (3)

摂社が多い。

下賀茂神社 (4)

下賀茂神社 (5)

下賀茂神社 (6)

参道広いなー。

下賀茂神社 (7)

下賀茂神社 (8)

下賀茂神社 (9)

立派な鳥居

下賀茂神社 (10)

手水舎

下賀茂神社 (11)

さざれ石

下賀茂神社 (12)

下賀茂神社 (13)

下賀茂神社 (14)

下賀茂神社 (15)

下賀茂神社 (16)

下賀茂神社 (17)

干支の社

下賀茂神社 (19)

寅年なので寅の社で拝む。

帰りは大阪から高速バスに乗れたので無事に帰れました。

これで残る一宮は新一宮の北海道だけか。遠征やな。

賀茂別雷神社

賀茂別雷神社

京都府京都市北区上賀茂本山339

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

概要

京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り[1]、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。また、社報「上賀茂」が年2回発行されている。

歴史
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。

延暦13年(794年)の平安遷都後は、皇城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治の近代社格制度でも伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE



上賀茂神社

リバース (1)

京都駅からバスで上賀茂神社前まで。

一乗寺でラーメンを食べたかったが、乗り換えめんどくさいのでエミリーダコタにもらった東京バナナカステラで我慢して終点まで移動。

神社の近くでランチを食べることに。変わった名前の店を発見。

リバース (2)

定食メニューが豊富でいい感じ。

京都産業大学とか近いし、学生の利用も多いのかもね。

リバース

がっつり。美味い。一乗寺行かなくて正解だったな。

上賀茂神社 (1)

満腹になったところで参拝します。

上賀茂神社 (2)

世界遺産ですな。

上賀茂神社 (3)

立派な鳥居。

上賀茂神社 (4)

春に来たら花咲いてるのかな。

上賀茂神社 (6)

神馬

上賀茂神社 (7)

上賀茂神社 (10)

手水舎

上賀茂神社 (8)

工事中

上賀茂神社 (9)

上賀茂神社 (11)

次は下賀茂神社へ。

京都ってバスが均一料金で230円なんですね。便利やわ。

清水寺

清水寺

京都府京都市東山区清水一丁目294

清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。また、修学旅行で多くの学生が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、明治18年(1885年)に法相宗に復す。昭和40年(1965年)に当時の住職大西良慶が北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

以上ウィキペディアより。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA



清水寺

二郎 (2)
朝6時半起床。前日の忘年会で寝不足のまま友人の車で出発。

友人がラーメン二郎を食べてみたいと言うからである。

友人「腹も減ってきたし、大盛りいけるな!」

車中では威勢のいい言葉が飛び交っておりました。

二郎 (3)
肉追加、ニンニク、野菜、油、辛めを注文。

チャーシュー美味しいが、苦しい。5年ぶりぐらいに食べましたが、パンチ力ありますわ。

友人は大盛りを食べて死んでました。

清水寺までの道 (3)
八坂神社近くに車を停めて、歩いて清水寺へ向かう。

結構遠くないか?京都S大学卒の友人に道案内を任せているが、あんまりわかってなさそう。

清水寺までの道 (5)
歩きつかれてカフェで休憩。今日と寒いかと思ったが歩くと暑い。

清水寺までの道 (6)
趣のある道が続く。

清水寺までの道 (7)
観光客も多い。

清水寺 (3)
門前町を通り、到着。木刀とか売ってますね。修学旅行の定番ですね。

清水寺 (9)

清水寺 (12)
本堂工事中でした。

清水寺 (11)
これが有名な清水の舞台か。

飛び降りたら死ぬやろ。

清水寺 (13)
滝。

清水寺 (14)
修復どれくらいかかるんやろなあ。

地主神社 (1)
良縁祈願のために地主神社に参拝。

地主神社 (2)
オオクニヌシさまとウサギ。

地主神社 (3)
めっちゃかわいくてお利口で稼ぎのある人と結婚できますように・・・

先斗町 (1)
参拝後は町を散策。先斗町や!

先斗町 (2)
風情ある街並み。

夜は短し歩けよ乙女を思い出します。

黒髪の美少女と遊びたいなあ。

桃山天満宮

桃山天満宮

京都市伏見区御香宮門前町

御香宮の境内に鎮座。

桃山天満宮


桃山天満宮 (1)
御香宮の境内にあるので、桃山天満宮さんにも参拝しましょう。

桃山天満宮 (3)

桃山天満宮 (2)
天満宮恒例、受験生の絵馬。

最近って推薦とかAO入試とかいろいろな入学方法が増えてますけど、それでも受験戦争っていうのは大変なんですかね?

学生の質の低下がうんぬんとか言いますけど、大学生なんて居酒屋で飲んでるだけだからなあ。

桃山天満宮 (4)

桃山天満宮 (5)
梅の花は季節的にまだですね。

御香宮神社

御香宮神社

京都府京都市伏見区御香宮門前町

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は京都市伏見区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。通称御香宮、御幸宮。伏見地区の産土神である。
神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。 また社務所内に小堀政一(遠州)が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。

初めは「御諸神社」と称した。創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。実際には菟芸泥赴によると、「筑前国糟谷郡の香椎御宮から神功皇后を勧請し皇后御廟香椎宮を略し、御香の宮と申す」とあり筑紫の香椎宮をこの地に分霊し勧請した説の方が有力であるが神社側は説の一つに過ぎないとして否定している。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されている。ボトルを持参して取水する地元民も多い。。全国にある「香」の名前のつく神社は、古来、筑紫の香椎宮との関連性が強く神功皇后を祭神とする当社は最も顕著な例である。
豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした(現在でも古御香宮として残っており、また伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている)。
後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。
明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となったが、本殿等は無事であった。
昭和に入ってからはすぐ東を通る国道24号線の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、その際に元伏見奉行所の跡で、米軍のキャンプ地の跡である桃陵団地建設の際に発見された小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家・中根金作の手によって、社務所の裏側に再現された。
本殿には、菊の御紋や五七の桐紋、葵の御紋が見られる。

以上ウィキペディアより。

御香宮

御香宮 (1)
スーパーホテル大和郡山を出発し、近江一ノ宮を目指すぜ!

が、なぜか京都に入ってしまった。曲がる場所を間違えたようだ。大きな神社があるので参拝しましょう。

御香宮 (2)

御香宮 (3)

御香宮 (4)

御香宮 (5)
京都十六社朱印巡りっていうのがあるんですね。気になる。

御香宮 (6)
道中の安全を祈願しましょう。