和歌山県の御朱印

継桜王子

継桜王子

和歌山県田辺市中辺路町野中591

継桜王子(つぎざくらおうじ、次桜王子・続桜王子とも)は和歌山県田辺市中辺路町にある神社。熊野九十九王子社のひとつ。国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日)の一部。

比曽原王子から曲がりくねった国道をたどると、旧道と新道の分岐に出る。下方の国道への坂を背に、上方の旧道を進み、道沿い左側に大きな森と鳥居が見えてくる。ここが継桜王子である。
『中右記』天仁2年(1109年)10月24日条に「続桜」の名で、根元が檜で上部が桜という稀有な木の報告があり、次いで、「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条には「継桜」の文字が見えるように王子社が成立しており、以後も『熊野縁起』(正中元年〈1326年〉、仁和寺蔵)に「続桜」、『九十九王子記』(文明5年〈1474年〉)には「次桜」の名で知られていたことが分かる。
『中右記』などの記述によれば往時の継桜王子は現所在地よりも東側にあったとみられ、天正元年(1573年)付の「野中村若一王子権現社蔵文書」のように近世に現所在地に遷座させられたとする史料も見受けられる。江戸時代には若一王子権現と呼ばれて野中集落の氏神になり、『紀伊続風土記』が伝えるところによれば、境内は周98間、拝殿(祭神不詳、木製神体あり)の他に見明之明神社・金毘羅・秋葉社があったという。明治時代に入って村社に列格されたが、1909年(明治42年)に近野神社に合祀。高台の上の社殿はそのまま残されて祀りつづけられたが、戦後の1950年(昭和25年)になって御神体が取り戻されて旧状に復した。

以上ウィキペディアより。

継桜王子

継桜王子 (1)
中辺路をひた走り、継桜王子を探すが、気づくと熊野本宮大社に来てしまう。

見落としたのかな?と思い、またかなりの距離を引き返す。継桜王子の標識は道路沿いにないんですね。盲点でした。

写真は神社近くの茶屋。休憩場所になっているようです。

継桜王子 (2)
テレビ局が取材に来ていました。

継桜王子 (3)

継桜王子 (4)
石段いややわ~。

継桜王子 (5)

継桜王子 (6)
参拝後、御朱印をいただこうと思ったが、ふもとの茶屋には見当たらず。どこにあるんや?

近露王子 (3)
どうやら少し離れた場所の箸折茶屋で御朱印を管理している様子。無事いただけました。

近露王子 (1)
隣に近露王子があるので参拝します。

近露王子 (2)
疲れてきたのでまだ早いですが帰路に着くことに。

和歌山市に帰って観光することに。

ラーメン○イ (1)
○イさんでラーメンを食べることに。

ラーメン○イ (2)
ネギが多くて驚き。

店の近くで事件があったのか、警察がいっぱいいて恐ろしい。

カツどん
最後は夜のフェリー乗り場でカツ丼を食してフィニッシュ。お疲れ様でした。

滝尻王子

滝尻王子

和歌山県田辺市中辺路町栗栖川859

滝尻王子(たきじりおうじ)は和歌山県田辺市にある神社。現在の宗教法人としての名称は滝尻王子宮十郷神社(たきじりおうじぐうとうごうじんじゃ)。前身は九十九王子の滝尻王子で、五体王子の一つに数えられた(『熊野権現蔵王宝殿造功日記』)。
国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部である。

滝尻王子


滝尻王子 (4)
熊野三山への入り口といわれる滝尻王子にきました。

滝尻王子 (9)
外国人観光客の方がいっぱいいますね。流石世界遺産。

滝尻王子 (1)

滝尻王子 (2)

滝尻王子 (3)

滝尻王子 (6)
ナギの木。やっぱ縁起いいから植えられてるのか。

滝尻王子 (5)

滝尻王子 (7)
こちらの御朱印は、道を挟んで反対側の熊野古道館でいただけます。

稲葉根王子

稲葉根王子 和歌山県西牟婁郡上富田町岩田 稲葉根王子(いなばねおうじ)は和歌山県西牟婁郡上富田町にある神社。熊野参詣道中辺路沿いに位置する。九十九王子の一つで、かつ五体王子でもある。稲持王子(『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』)、稲羽、伊奈波禰とも。和歌山県指定史跡(1958年〈昭和33年〉4月1日指定)。 平安期から記録に見え、『中右記』に「伊奈波禰王子社」とある(天仁2年(1109年)10月22日条)のが史料上の初見である。この後、『明月記』所収の後鳥羽院参詣記建仁元年(1201年)10月13日条に准五体王子、鎌倉時代末期の『熊野縁起』(仁和寺蔵、正中3年〈1326年〉)には五体王子として祀られていたとあるほか、足利義満の側室北野殿の熊野参詣記『熊野詣日記』応永34年(1427年)9月26日条にも五体王子として言及されている。 祭神は稲荷神の姿をした金剛童子であり(『熊野縁起』)、稲荷老翁と円珍が初めて会ったのが稲葉根王子だとの説話が伝わっている(『二十二社註式』)。 近世は岩田村の産土神とされ、本殿は1間四方であった(寛政4年〈1792年〉 『田辺領神社書上帳』)。1915年(大正4年)に岩田神社へ合祀されて翌年に社殿を移されたが、1956年(昭和31年)に旧社地へ分霊を遷座した。 以上ウィキペディアより。 稲葉根王子 稲葉根王子 (2) 闘鶏神社を後にし、中辺路方面へ向かう。走りやすい道ですな。 稲葉根王子 (1) ついた。 稲葉根王子 (3) 小さい橋を渡る。 稲葉根王子 (4) 稲葉根王子 (7) 小さい公園ぐらいの広さですかね。 稲葉根王子 (5) 稲葉根王子 (6) 御朱印どこにあるんや?と探すと、近所の家に書置きがありました。 軽トラに乗ったおじさんに「あんたどこからきたんや?」といぶかしげに質問される。 原付やから、見知らぬ町の名前がナンバープレートに書かれてますもんね。そりゃ怪しみますよね。

闘鶏神社

闘鶏神社

住所:和歌山県田辺市東陽1-1

闘鶏神社は、通称「権現さん」と呼ばれ、御祭神の中には、熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)も勧請(かんじょう)されています。熊野権現の三山御参詣に替えるという三山の別宮的存在で熊野信仰の一翼を負っていました。熊野本宮大社が川の増水で流失する以前の社殿の形を再現しています。
また、鬪雞神社は勝負の神様としても御利益があるともいわれています。

闘鶏神社は、壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社です。闘鶏神社の名の由来は、平家物語壇ノ浦合戦の故事によるもので、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。
そのほかにも、神社の社務所には源義経が奉納したといわれている笛(銘白竜)、弁慶産湯の釜、弁慶の父湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されています。

以上田辺観光協会ホームページより。


闘鶏神社 


フェリー (1) 

職場の歓迎会後、4時半起床でPCXを走らせフェリー乗り場へ。


フェリー (2) 

今週は日曜日が雨予報のため、土曜にツーリングを楽しもうという考えである。

今回の目的地は、以前熊野詣のときにスルーしてしまっていた九十九王子等南紀近辺です。

吉野家 

10時過ぎくらいに田辺市に入る。営業している店が見当たらないので吉野家へ。豚丼をチョイス。


闘鶏神社 (1) 

まずは最初の目的地、闘鶏神社に到着。


闘鶏神社 (2) 


闘鶏神社 (7) 

ニワトリ。


闘鶏神社 (3) 

弁慶が熊野水軍と交渉している像。

源平の合戦もいいですよね。平家の方々とか、木曽義仲とか、奥州藤原氏とか、亡んでしまう人たちの悲劇というか。


闘鶏神社 (4) 

闘鶏してますね。

闘鶏神社 (5) 

七五三とかで人は結構いますね。田辺市では一番大きい神社になるのかな。


闘鶏神社 (6) 

ここまで遠かったですが、次の目的地、中辺路方面へ向かいます。



日前神宮・國懸神宮

日前神宮・國懸神宮

和歌山県和歌山市秋月365

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、和歌山県和歌山市にある神社。1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。
両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社。

日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。
当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝えられている。なお、伊太祁曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁曽神社は現在地に遷座したとしている。また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮神社が鎮座している。
朱鳥元年(686年)には國懸神に奉幣したとの記事がある。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、紀伊国一宮とされた。中世には、熊野詣での途中で参拝されたとの記録がある。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。その際社殿が取り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興された。しかし現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばない。さらに大正8年(1919年)には国費による改善工事によって境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。大正15年(1926年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。
明治4年(1871年)、近代社格制度において両宮ともに官幣大社に列せられた。現在は神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社となっている。

以上ウィキペディアより。

日前宮

日前宮 (1)
本日最後の目的地に到着。立派な鳥居。

日前宮 (2)
二社がワンセットになってるんですね。

日前宮 (3)

日前宮 (4)
こんな立て札あり。先に御朱印帳を預けて参拝しましょう。

日前宮 (5)
進みます。結構広いな。

日前宮 (6)
分かれ道となっております。

日前宮 (7)
左から参拝しましょう。

日前宮 (8)

日前宮 (9)

日前宮 (10)

日前宮 (11)

次は右へ。

日前宮 (12)

日前宮 (13)

日前宮 (14)

広い敷地に木がうっそうとしてる感じは、明治神宮とかに近い気がしますね。参拝客はそこまで多くないですけど。

カツとじ定食
フェリー乗り場の食堂でカツとじ定食を注文。美味し。

フェリーで爆睡。疲れましたな。

感想:いいことありますように。