香川県の御朱印

廣田八幡神社

廣田八幡神社

香川県高松市太田上町1037

廣田八幡神社
かわいい御朱印ですね。タヌキ。

s-松屋 (2)
久しぶりにツーリングに出ます。

最近休みの日は寝すぎてしまうので遠方へのツーリングができていませんね。生活リズムを改善しないといけないですね。

今日は8時ごろという中途半端な時間に起床。松屋で栄養補給。キムチおいしい。

s-廣田八幡 (1)
ちょっと通り過ぎてしまいましたが、廣田八幡神社に到着。やっぱり地図はちゃんと見ないとわかんねえな。

s-廣田八幡 (3)
阿形

s-廣田八幡 (4)
吽形

s-廣田八幡 (5)
参道は結構長め

s-廣田八幡 (7)
八幡神社なので三つ巴

s-廣田八幡 (8)

s-廣田八幡 (9)
手水舎。苔むして雰囲気出てます。

s-廣田八幡 (10)

s-廣田八幡 (11)
鮮やかな赤色ですな。

s-廣田八幡 (12)
ちなみにこちらの神社、神職が格闘家の様子。社務所に写真がありました。ムキムキやな。

s-さぬき一番 (1)
せっかく香川まで来たので、うどんを食べましょう。今日のお昼はさぬき一番一宮店でいただきます。

s-さぬき一番 (2)
メニューも豊富そうです。

s-さぬき一番 (4)
興味を惹くメニューを発見。二郎インスパイアや!

「すいません、ごじゃ増しください!」

「ごじゃ増しは多いですよ。肉もチャーシューも麺も2倍です。食べられますか?」

「すいませんでした」

s-さぬき一番 (3)
ごじゃ増しは回避し、さぬきA、チャーシュートッピング、背脂多め、味濃い目を注文しました。

意外なほどさぬきうどんとマッチして美味です。チャーシューも肉厚で美味。

次はラーメンをたのんでもいいかもしれない。要再訪です。

白峰宮

白峰宮

香川県坂出市西庄町1719番地

白峰宮(しらみねぐう)は、香川県坂出市に鎮座する神社。明ノ宮(あかりのみや)とも。旧社格は県社。

保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ毎夜この辺りから神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。

江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として四国八十八箇所の七十九番札所であった。

摩尼珠院は行基が創建し、空海(弘法大師)が再興したと伝えられ、崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからしばらく後、後嵯峨天皇の宣旨によりその別当寺となり「天皇寺」と称するようになった。

しかし、明治の神仏分離の折、崇徳院御霊は京都白峯神宮へと戻り、崇徳天皇社は白峰宮となり、天照大神と金山御神体カナヤマビメとカナヤマビコを祀る神社となっている。 また、その時に摩尼珠院は廃寺とされたが、明治20年に筆頭末寺の高照院がその跡に移転し、天皇寺を再興して札所を引き継いだ。現在、白峰宮の三ツ鳥居(三輪鳥居)から社殿に向かう参道の両脇に天皇寺高照院の境内がある。なお、三ツ鳥居には享保19年(1734年)衆力合成惣氏子中と刻まれている。

以上ウィキペディアより。

白峰宮
さぬき十五社巡りの一社です。

白峰宮 (2)
あけましておめでとうございます。

今日は三重までツーリングしようかと思っていたんですが、出発直前(午前1時)に友人から連絡が来たので取りやめ。

大麻比古神社で初詣して、マクドナルドで朝6時まで滞在、帰宅して昼まで寝たことで、当初予定が大幅に崩れたことから、目的地を変更し、坂出の白峰宮に来ました。

こちらの神社、以前に参拝したことがあるんですが、授与所が留守だったのでご朱印はいただいてないんですよね。

白峰宮 (1)
三輪鳥居。珍しいですね。

崇徳天皇の文字があります。

s-崇徳院
崇徳天皇。怨霊と化してます。

白峰宮 (3)
元旦ということもあり、初詣客がいますね。

白峰宮 (6)
ネコ。

白峰宮 (7)
首輪があるため飼い猫の様子。

白峰宮 (8)
手水舎。水が冷たい。

白峰宮 (9)

白峰宮 (10)
授与所に人が二人おり、御朱印をお願いすると、家に戻って対応してもらえました。

ダウンジャケットの上に、MA-1ジャケットを着てきましたが、寒いです。九州ツーリングで雨に打たれて凍死しかけたことを思い出しました。やっぱ1月は寒い。

白峰宮 (12)
暖をとるためにすき家で豚汁おしんこセットを注文。美味いわー。

タイツ+チノパン+レインコート着用でしたが、帰宅してもまだ足が凍えてました。

次の連休も神社巡りをしようと思っていましたが、寒さ対策を考える必要がありますね。雨に打たれたら死にますし。

津嶋神社

津嶋神社

香川県三豊市三野町大見甲6816番地2

津嶋神社(つしまじんじゃ)は、香川県三豊市の北部に浮かぶ津島にある子供の守り神として信仰を集める神社。

津嶋神社の本殿は津島(かつては鼠島とも呼ばれた)に建てられており、橋で結ばれた海岸沿いには本殿以外の祈祷殿や参集殿、社務所などが松林の中に建てられている。島と対岸を結ぶ津島橋(長さ250メートル)は夏季大祭の期間中(毎年8月4・5日の2日間)の前後以外は通行禁止として入り口が封鎖されて橋桁に敷き詰められる板も外されている。この橋は昭和8年(1933年)に当時の大見村長・倉田彌治郎が発起人となり架橋されたものである。
宝永3年(1706年)に本殿が造営されたと伝えられている。祭神は素戔嗚命である。牛馬の神と子供の守護神として信仰され、大正後期辺りより子供の守り神として親しまれている。昭和27年(1952年)に「津島神社」より現在の「津嶋神社」に改められた。
海岸部分は潮干狩りが出来る遠浅の海岸で、浮世絵師歌川広重 (2代目)が諸国名所百景「讃岐久保谷のはま」として描き、「新さぬき百景」、「四国のみずべ八十八カ所」(第七十三番)のひとつに数えられるように本殿の後景には瀬戸内海の島々が広がる景勝地でもある。
2015年5月10日には、最寄りの臨時駅である津島ノ宮駅開業100周年を記念して、通常は夏季大祭時のみとなっている津島橋が通行可能とされた。

以上ウィキペディアより。

津嶋神社
橋を渡る前の授与所でいただきました。

津嶋神社 (1)
夜の20時。あたりも暗くなってきた時間に神社に来ました。

津嶋神社 (2)
今日は香川の津嶋神社に橋がかかる日なので、参拝しようと思い立ったのです。

22時までやってるとホームページでみたので、遅めの時間に来ました。

s-普段の津嶋
参考に、ウィキペディアから拝借した普段の橋の画像。板がはずされて、封鎖されております。

津嶋神社 (3)
屋台もでて、にぎわっております。

津嶋神社 (4)

津嶋神社 (5)
遥拝所。橋が架かってない時期はここで参拝。

津嶋神社 (6)

津嶋神社 (7)
しあわせ橋きっぷうりばで300円を支払います。

うりばは、中学生が手伝っている様子。

津嶋神社 (8)
チケットを買ったので、わたります。

津嶋神社 (9)
木の板の下は海という不安。

津嶋神社 (11)
夜の海。昼間に来るとまた雰囲気が違うんでしょうね。

津嶋神社 (12)

津嶋神社 (13)
上陸。結構長く感じた。

津嶋神社 (14)

津嶋神社 (16)
石段を登る。

津嶋神社 (18)
本殿では祈祷真っ最中でした。流石子供の守り神。

津嶋神社 (19)
かなりの盛況。

津嶋神社 (21)
島から橋を写してみました。

夜の雰囲気もいいですが、暗くて海がよく見えないので、日中に再訪したいですね。

滕 神 社

滕 神 社

香川県高松市仏生山町甲2566

滕神社の祭神稚日女命は、天照大神の妹で、大神の御衣織女(衣服を織る女)と伝えられている。 この神社は、むかしは今の香川町浅野の。唐土に祀られていたが、万寿年間(一〇二四~一〇二七)に今は平池となっているところに松原があり、そこに遷された。久安年間(一一四五~一一五〇)に社殿の周りにため池が築かれたので、大洪水があったときは社殿がたびたび水に浸かることがあった。そこで、今の浅野村字岡の上に遷され、その後、平池の北東である雄山に遷された。それからは、岡の上の社殿のあった地を古宮さんとよんでいる。 高松藩主松平頼重公のときに、この地に法然寺を造営し、松平家の墓所とされる通達があったので、神社は、寛文九年(一六六九)前山(秣山)に遷された。それから後は、松平家歴代藩主の信仰を受け、神社の領地として六石が寄進された。神社の格式、石清尾八幡宮(高松市宮脇町)、中野天満宮(高松市天神前)、道祖神社(高松市宮脇町)、稲荷神社(高松市中央町)と同格で、神主は毎年、正月四日に城内の書院において、藩主の拝閲が許されるほどであった。 また、神社内の境内東北の隅には、宗源壇という祈祷所が設けられて、国中に事があるときは、藩主も祈祷を行ない、お礼やお守りを配布されたこともあったといわれる。 滕神社は、現在の地に鎮座して以来三百数十年、仏生山、旧浅野村の実相寺、舟岡、岡の上、池の側とそれぞれの地域の氏神として、多くの人たちから敬われている。

以上ホームページより。
ちきり神社

ちきり神社 (2)
岩清尾八幡宮からの帰路、仏生山のちきり神社に向かいます。

ちょっとダートな感じの道を上がって到着。

ちきり神社 (4)
滕 神 社って読めないんですけど。

ちきり神社 (3)
人柱伝説の記事が。

私の地元にも似たような伝説がありますが、どこも昔は水害に悩まされていたんでしょうね。

ちきり神社 (5)

ちきり神社 (6)

ちきり神社 (7)

ちきり神社 (8)
以前一度参拝したときは社務所留守でしたが、今日は人がいらっしゃいました。よかった。

山道 (1)
帰りは県道2号線を使います。緑が気持ちいいですね。ツーリングの人もいっぱいいます。

山道 (2)
海沿いもいいですが、山の中も自然を感じて楽しいです。

石清尾八幡宮

石清尾八幡宮

香川県高松市宮脇町一丁目30番3号

石清尾八幡宮(いわせおはちまんぐう)は香川県高松市宮脇町一丁目にある神社。高松の氏神である。境内には香川県神社庁が所在している。

祭神は足仲彦命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)。高松市中心市街地の南西部、石清尾山の東側の裾野に鎮座している。高松の氏神だけあり、初詣などには多くの参拝客が訪れるほか、市立祭や例大祭では参道から御旅所まで続く八幡通り約670mを歩行者天国にして露店が立ち並ぶなど、高松市内の神社祭事でも最大規模の祭りとなる。

伝説による由緒は918年(延喜18年)、八幡大神が讃岐国香川郡野原庄(現・高松市)の赤塔山(現・石清尾山)に現れて、これを祭ったものと伝えられている。もう一つの由緒は、当時の国司が京都の石清水八幡宮の分霊を亀尾山上に祭ったというものである。社名も石清水と亀尾の名を併せて石清尾八幡宮と称したとされる。
南北朝時代、室町幕府管領の細川頼之は石清尾八幡宮を信仰し、社殿の改築や武具の奉納などを行った。また、頼之の官職「右馬頭」の名にちなんだ市、「右馬頭市」も開かれるようになる。この右馬頭市は現在も続く祭事の一つ、市立祭の起源である。
1588年、豊臣政権下で讃岐国一国の領主となった生駒親正は野原の地を本拠と定め、この地を高松と改称し、高松城(玉藻城)を築城するとともに、石清尾八幡宮を府城の鎮護として社領24石を寄進した。
生駒騒動で生駒氏が讃岐を去った後、水戸徳川家から高松藩主になった松平頼重は1666年に石清尾山上にあった石清尾八幡宮の社地を現在の場所に移転させ、当社を高松城下町の大社・氏神と定めた。また社領202石を寄進し、以降の歴代藩主も毎年、当社を参拝している。
1872年、県社に列格。
1986年、火災により本殿と上拝殿が焼失したが1989年にそれぞれ改築され、下拝殿なども同時に修復された。
2007年、前年より行われていた境内の改修工事が竣工。拝殿前の石段の傾斜緩和や参道の石畳の張り替え等が行われた。

以上ウィキペディアより。

岩清尾八幡宮

松屋
ゴールデンウィークですね。天気もいいので、PCXで神社を巡ることにします。

まずは松屋で優雅な朝食。

岩清尾八幡宮 (1)
今日は鳴門方面から高松市に来ましたが、海沿いに走るのもいいですね。

迷うことなく目的地に到着。

岩清尾八幡宮 (2)
岩清尾八幡宮、高松市の中心地から近く、立地良好です。

岩清尾八幡宮 (3)

岩清尾八幡宮 (4)
魚がいるっぽいけど遠い。

岩清尾八幡宮 (5)

岩清尾八幡宮 (6)
さぬき十五社なんですね。

岩清尾八幡宮 (7)
さぬき十五社、非常駐のところも多くてなかなか制覇が難しいんですよね。

岩清尾八幡宮 (8)
手水舎。

朝早いからか、掃き掃除をしている方がいらっしゃいますね。

岩清尾八幡宮 (9)
きれいな石段。

岩清尾八幡宮 (10)
社殿も掃除中ですね。

岩清尾八幡宮 (11)
高松市の中心地に近いこともあり、早めの訪問でしたが参拝者は結構いました。流石です。